10/12に東京を出て早3週間を越えた。
過去最長の海外出張は何とか無難に終えることができた。
イタリアもドイツも初めての旅行ではないが、長くいた分、欧州人の日常に多少触れられたと思う。
この両国、ラテン系とゲルマン系の人々が多いが価値観が大きく違う。
イタリア人はよくも悪くも現実を楽しもうと思っている楽天家、ドイツ人はとにかく理屈っぽく理性で何でも解決しようとするようなところがある。
ドイツ人は親日的とよく言われるがまさにその通り、どこへいっても何をしても安心だった。
ブレーメンを朝出てICEでフランクフルト空港へ。
鉄道の旅もいいもので車窓からケルン大聖堂やライン川がよくみえた。
帰りの大韓航空も快適。
名残惜しくて仕方ないが帰りの電車の時間が迫ってきた。
ミュージアムショップで土産と思ったが大したものを売っていないのが残念。
来た道をとぼとぼと歩いて駅へ行く途中、原っぱにネコがいて「また来いよ」と見送ってくれた。
駅にはKIOSKのような売店があっただけで無人駅。
ホームも簡素なもの。
時間通りに列車が来てブレーメンに戻った。
本当に忘れがたいいい一日だった。
ドイツ戦車と抗戦した相手方も見事にレストアされ展示されている。
パンテルと並んで鎮座するのはT34、車長のフィギュアが乗っている。
T34-76
全長8.1m、全幅3.00m、全高2.7m、重量32t。
主砲41.5口径76.2mm戦車砲。装甲厚〜70mm。
パンテルと比べるとサイズは少し小ぶりくらいでほぼ同等。
違いは重量、T34は12tも軽い。
攻撃力についてはパンテルの圧勝ではあるが、そもそもⅤ号Ⅵ号は電撃戦を支えたⅢ号とⅣ号がT34に圧倒されたために生産を急いだもの。
そしてT34を始めソ連戦車の特徴はディーゼルエンジンであること。
ガソリンエンジンを使ったドイツ戦車は出力では高性能ではあるが、ガソリンエンジンは燃費が悪く炎上しやすいという難点があった。
ディーゼルは反対に燃費がよく低速域のトルクが太く頑丈であるという利点がある。
車重の軽さは運動性に直結し、泥濘の中では差が顕著、個ではかなわぬものの数と運用でT34はドイツ戦車を圧倒していった。
攻撃力についても85mm砲搭載型を就役させて攻撃力が増し、次々に開発投入された重戦車を従えてドイツに侵攻していった。
実車をみるとT34はとても簡素な造りで仕上も雑であることが歴然、ドイツ戦車の過剰品質と緻密な仕上には遠く及ばない。
反面、生産性はT34が圧倒的に優れているのも道理、性能で劣っても要は勝てばいい訳である。
ムンスターには85mm砲のタイプも展示してあった。鋳造の砲塔が禍々しさを演出している。
T34は戦後、T55、T62、T72と進化していくがどれもムンスターにはあるのがうれしい。
東部戦線のT34に対して西部戦線で相手となった米軍戦車の主力がM4シャーマン。
ムンスターのM4は52口径の76.2mm砲搭載のタイプ。
随分腰高にみえる車体上部や砲塔は鋳造で丸っこい。
米軍戦車の特徴は砲塔が大きいこと、幾分かは居住性向上に役立っていると思われる。
米軍戦車もソ連戦車同様、戦後進化していった車種も豊富に展示、こちらもよくできた展示といえる。
戦車同様、第二次大戦で使用された自走砲も多数展示。
プラモデルで親しんだ名車もみることができた。
ドイツ陸軍は戦術に対応することや新技術の導入に熱心で試作機をいろいろ造っては実戦で使っている。
他品種少量生産ということになるが、現場はさぞ苦労したことだろう。特に整備員。
戦車の車体に砲を積んだものを自走砲といい、砲兵が運用する。
これは戦車の派生形というよりも野砲を自走させて機敏に展開できるように改造したものである。
対戦車戦に特化させた突撃砲は砲塔を持たない代わりに車体が低く攻撃力は戦車同様。
生産は戦車よりも容易であることから、ドイツ軍は特に独ソ戦に突撃砲を大量投入している。
戦車戦においては前面装甲を強化させた突撃砲がシャシーごとに開発された。
自走砲は「ヘッツァー=35(T)を改造」、Ⅲ号突撃砲、Ⅳ号突撃砲と進化し前面装甲と戦車砲を極大化させた「ヤークト・パンテル」「ヤークト・ティーゲル」を投入。
カノン砲や迫撃砲を搭載したタイプは「ヴェスペ」「フンメル」と続き、最後にはロケット砲を積んだ「シュトゥルム・ティーガー」まで投入した。
これらが戦車に混じって展示されていて設計思想や運用状況を想像できるのが実に楽しい。
昔、自分の部屋で1/35のプラモデルを並べているようなものといえる。
中期以降のドイツ戦車は吸着地雷を避けるために非磁性素材を貼り付けた「ツインメリットコーティング」が施されている。
Ⅳ号突撃砲のそれをしげしげと観察できた。
うれしいのは自走する地雷「ゴリアテ」や自動二輪の後輪を履帯に改造した「ケッテンクラート」、水上装甲が可能な「シュビム・ヴァーゲン」が置いてあること。
そしてティーゲルの主砲のベースとなった88mm対空砲がある。
まさにパラダイス。
Ⅴ号とⅥ号は一番奥のいいところに置いてあった。
足早に開発された戦車の一応の完成形。
【Ⅴ号A型】
全長8.86m、全幅3.42m、全高3.42m、重量44.5t。
主砲70口径75mm戦車砲。装甲厚〜110mm。
1943年9月から生産開始、1944年までに2,200両が生産された。
通称「パンテル」、豹戦車。
豹という名称は虎に呼応、動きが俊敏な機種を見事に表象している。
虎はⅥ号戦車、開発と実戦投入はⅥ号ティーゲルの方が早いがⅤ号の存在を秘匿する意図があったという。
Ⅴ号はⅣ号よりもだいぶ大きく、全高が3m越えで車体上部は背伸びしても見えない。
丘のようである。
装甲が分厚くなって重量が44越え、それでも時速50km以上出せた。
車体に被弾径始が取り入れられて精悍になっている。
さて先ほどからチラチラとみえている本日の目玉、最強重戦車Ⅵ号Ⅱ型「ケーニヒス・ティーゲル」と対面。
そのⅥ号にはⅠ型とⅡ型があるが、私が最も好きなⅥ号Ⅰ型はパネルのみで実車がいないのが実に残念。
【Ⅵ号Ⅱ型】
全長10.28m、全幅3.76m、全高3.1m、重量68.5t。
主砲71口径88mm戦車砲。装甲厚〜180mm。
子供の頃、キング・タイガーとハコに書かれたプラモデルを作ったことをよく覚えている。
戦闘力としてはまさに虎の王にふさわしい無敵ぶり。
1対1の戦車戦で無類の破壊力を誇った。
高射砲として実績のあったクルップの88mm砲が水平射撃によって対戦車戦で有効だったことから戦車砲として転用された。
防御力も定評があったⅠ型からさらに強化され、連合軍の中戦車ではなかなか撃破できなかった。
反面、重量が60トン越えとなって機動性が悪く故障も頻発、走行不能で遺棄される車輌が続出した。
戦えば無敵であるのに運用が難しく数も少なく哀愁の虎となった。
これをながめ、手で触れた時、真面目に「生きていてよかった」と思った。
パンテルよりもさらに大きい車体はもはや「山」。
隣に置いてあるⅣ号ベースの自走砲ブルムベアが軽自動車のようにみえる。
そして装甲は間近でみると溶接で成形されていてどうやって製作したのか興味が湧く。
叩くと「ぺちぺち」とした感触でとてつもない剛性感。
保存状態が素晴らしく、スコップやワイヤーなどの装備品もきちんと装着されている。
こんなものがパンテルやⅣ号を従えて向かってくる時の恐怖を想像してみる。
連合軍は虎戦車を見つけるといそいそと隠れてやり過ごし奇襲で履帯を狙いつつ行動不能に持ち込むしかない。
虎の王はM4の車列をみつけると先頭と最後尾をまず破壊し逃げ場をなくしてからひとつひとつ撃ち抜いた。
それでも勝敗は個々の戦闘とは別物、制海権を全く失った独軍戦車はブッシュや建物に潜むことになり見つかればわらわらと集まってきた連合軍にたかられて行動不能に陥った。
それはまさに「虎刈り」のようだったことだろう。
この虎王を30分くらい飽かずながめた。
第二次大戦、戦前戦中時のドイツ戦車の展示。
【Ⅰ号戦車】
全長4m、全幅2m、全高1.7m、重量5.4t。
主砲は7.92m機関銃を2挺。
【Ⅱ号戦車(砲塔部分)】
全長4.76m、全幅2.14m、全高1.96m、重量9.5t。
主砲55口径20mm、7.92mm機関銃。装甲厚14.5mm。
Ⅰ号よりひとまわり大きい。主砲はまだ貧弱であるものの緒戦で機動性を発揮して活躍。
展示は砲塔のみであるが造型が美しい。
38(t)
チェコのシュコダ社が開発、ドイツのチェコ併合でドイツ軍に編入された機種。
全長4.61m、全幅2.14m、全高2.40m、重量9.85t。
主砲47.8口径37mm戦車砲+7.92mm機関銃。装甲厚25mm。
徹甲弾を撃てる戦車砲を搭載して緒戦に投入。
戦車らしくなってきた世代、ドイツ陸軍は戦車開発に支障があって武装については英仏にも遅れを取っていた。
よって35(t)を含めチェコ製軽戦車を接収して実戦に投入した。
【Ⅲ号M型】
全長6.41m、全幅2.95m、全高2.50m、重量22.7t。
主砲60口径50mm戦車砲。装甲厚〜57mm。
Ⅱ号からサイズが大きくなって重量も2倍の中戦車。
1939年の開戦直前から生産を開始するも主力戦車としては性能が劣りT34に完敗。
1943年には生産中止。
Ⅲ号からドイツ戦車のデザイン手法が確立される。
砲塔部分と車体のバランスがよく美しい。
ソ連や英米の中戦車は砲塔が大きく頭でっかちにみえるがドイツ戦車は砲塔が小さく低いのが特徴。
当然居住性は悪くなるが被弾の確率は減る。
以後のドイツ戦車自走砲は美しいものがほとんど。
そんなことはあるまいが美観を考えて設計しているのではないかと考えてしまう。
【Ⅳ号戦車G型】
全長6.62m、全幅2.88m、全高2.68m、重量23.5t。
主砲43口径75mm戦車砲。装甲厚〜80mm。
中戦車の中で最も生産数の大きなⅣ号戦車、そのG型は1942年から登場、対T-34でⅢ号の劣勢を挽回すべく75mm砲を搭載。
中戦車同士では互角以上の戦績を得た。
Ⅲ号から少し車体が大きくなったが、主な改良は戦車砲。
デザインが益々スタイリッシュになって「カッコいい」。
Ⅳ号のシャシーを利用して突撃砲、自走砲が数も種類も多く造られた。
さていよいよ戦車達と対面。
まずはA7V、1918年に英軍と世界発の戦車戦を戦った車種。
この車体は精巧なレプリカであるが寸分違わぬ出来だという。
中を覗くこともできる。
大きな鉄の箱に前部に1門の大砲、側面に機関銃が突き出ただけ、内部は部屋のようで後の戦車のような窮屈さはなさそう。
装甲は薄そうであるが機関銃に対して有効だったはずでこれがのろのろと進んでくる様は塹壕内の兵士には異次元の恐怖だったかもしれない。
要は楯を動かせるようにしたのが最初期の戦車、この後戦車の機動力は革新的に進化して騎兵の代わりをするようになる。
A7Vの好敵手にして最初の戦車Mk.1も見たいもの。
博物館はいくつかのゾーンに分かれている。
最初のゾーンは1870〜1918まですなわち第一次世界大戦時の車輌など、そして1919〜1933、ヒトラーが政権を獲る前まで。
ドイツ陸軍の暗黒時代である。
次のゾーンが1933〜1945、第二次世界大戦すなわち戦車の全盛期である。
このわずか10数年の間に戦車は一気に完成の域に達した。
私が最も興味のある時期であり、戦車が兵器の域を超えた芸術品のようにみえる時期となる。
そして1945〜1959、戦後第一世代で重戦車最盛期。
ここで一度屋外に出るが別の展示室に1959〜現代の戦車たちが展示。
屋外には米軍の戦車や現代の戦車が青空駐車。
ひとつひとつがいちいちおもしろく、ずっとみていられる。
できればテントを張って泊まり込みたい気分である。
状態がまた素晴らしく今にも動かせそう。
少々難儀するのが写真撮影、所狭しと並べられているので全体を一枚に収めるのが難しい。
その辺、多少は配慮されていてⅡ号戦車は回転台に乗せられてクルクル回っている。
また人気車輌は少しゆったり配置されていて多少はまし。
ながめていると子供が団体でやってきて説明員がついていろいろ説明していた。
パンテル戦車とT34が並べられているところで詳しくやっていたので、たぶん両者の設計思想の違いや実戦模様などを教えているのだろう。
戦車博物館といいながら陸軍の軍曹や軽・重火器、ピストルなども異様に充実していてその筋のマニアにも喜ばれそうだ。
ケースのひとつはエルヴィン・ロンメルのものでデスマスクまで展示してあった。
やはりドイツ軍の英雄、戦車戦の達人として教育の一環に入っているのだろう。
いよいよムンスター戦車博物館に出撃。
我が人生最良の一日になるのは間違いなし、勇んでICEに乗車。
ムンスターはブレーメンの東100kmほどのところにある。
駅は小さなもので無人。
降りる人もごくわずか。
駅前から看板が出ていて間違えようもない。
閑散とした住宅街を歩いていると遠くに「どん」「どーん」と大砲を撃つような音がしている。
戦車博物館とはかつてドイツ連邦軍の付属施設で兵器の試写や訓練をするところなのである。
そんなこともあって気分がいよいよ盛り上がってくると博物館の入口が現れた。
足を踏み入れれば、A7がお出迎え。
そこは軍事マニアにとってまさに天国であった。
街に夕闇が迫る中、散歩を始める。
駅前にはなぜか巨大な赤い鳥居が鎮座している。
ブレーメンはヴェザー川に面した港町の商都、外側に城壁と水堀があった。
橋を渡ると旧市街になる。
ブレーメンの旧市街は世界遺産に登録されていて象徴的な建造物が市庁舎。
中心部は意外にこぢんまりとしていて主要部は1時間もあれば回れそう。
15世紀初頭に建てられたゴシック様式。日本では室町時代である。
その前に立つのがローラント像。
中世の伝説的騎士だという。
さてブレーメンといえば音楽隊。
記念の銅像があるとのことで探しているとそれらしきものを発見。
何ということのない銅像であった。
彩色された有名ではない方の像の方がそれらしくもある。
全般的に欧州の「像」はルネサンス期の逸品を除けば日本の仏師のような「入魂」が感じられるものが少ないように思う。
教会など見て回り「シュノーア地区」で小物を土産に買った。
大きなスーパーを発見して入ってみるとドイツ代表の公式ウェアを売っていたのでジャージやキャップを購入。
食品売場で御菓子など買い込んでホテルに戻った。
明日はいよいよ戦車博物館に行く。