扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

中国出張記録(第七次) #5 帰国

2006年05月17日 | 海外出張記

午前中の便で帰国。

久しぶりの香港は想像以上に変わっていた。

便利で安全になったと思う一方、上海と似てきてしまったように感じる。

香港っぽさ、といっても私の中ではジャッキー・チェンの90年代の映画の世界のことになってしまうがどんどん失われてしまうのだろう。

英国は罪なことをしたものである。

 


中国出張記録(第七次) #4 香港散歩

2006年05月16日 | 海外出張記

今回の仕事が一段落。

香港に戻って明日帰国するまでプライベートタイム。

午前中に深圳を出てまたMTRで九龍へ。

ホテルは九龍酒店。

ネイザン・ロード沿いの繁華街に面していて便利。

早速荷物を預けて散歩に出かける。

 

歩いて5分で海に出る。

スターフェリーの発着場から船が盛んに行き来している。

隣が海港城、巨大なショッピングモールである。

土産をあれこれ調達、ちょっとお高いお茶を購入。

香港ではクルマは日本と同じ左側通行、右ハンドル。

深圳始め中国本土は右側通行左ハンドルである。

行き交うクルマは香港の方がバリエーション豊富で高級輸入車も多いように感じる。

 

次に地下鉄で香港島側に渡る。

中環駅で降りて「上海灘」の店舗で買いもの。

このブランドは香港発のブランドで日本にも銀座に店舗がある。

こちらの方が幾分安いと思うが、感覚的にはPoloやB&Bなどの衣料と同じくらい。

デザインが古い中国の意匠を意識しているので小物類が充実している。

いろいろ買い込んで満足。

 

 

 


中国出張記録(第七次) #3 深圳電脳事情

2006年05月12日 | 海外出張記

三日目と四日目は市場調査。

オフィスビルの事務所で現地スタッフと消費者インタビューを実施。

深圳は人類史上最速の経済発展などというように21世紀の急造都市といえる。

1979年に鄧小平の指導により改革解放されて経済特区になり共産党の方針に反しない限りは何でもあり。

一閑村が30年で世界最新としになった。

インフラはもちろん、住居オフィスも全て新造。

理論上は最も古くて築30年。

個人的な感覚では中学生の時以後にできた町ということになる。

よって北京や上海、香港のような木造平屋の古い住居は目につかない。

 

中国の成長で最も象徴的なのは電気通信分野だろう。

ブロードバンドは光通信、移動通信は2G化が急速に進み、近いうちに携帯電話台数が世界一になるのがみえている。

携帯端末は日本と違ってキャリアが端末を供給する日本と違って好きな端末にSIMカードの入替が自由にできるので格安のものからブラックベリーのような情報端末まで何でもあり。

従って日本と中国で違うのは電脳街で携帯電話を気軽に買える点。

深圳の電脳街に来てみると携帯電話ショップがあちこちでお客を集めている。

 

 

 

 

 

 


中国出張記録(第七次) #2 深圳へ移動

2006年05月11日 | 海外出張記

二日目は香港から深圳への移動日。

深圳のホテルで現地スタッフと集合する予定。

夕方の電車で行くのでそれまで香港の繁華街を見物。

香港は地下鉄が発達していて九龍と香港島の間も海底を通っていける。

日本のスイカのようなICカードで入出場できる。

 

香港から深圳へ行く手段はいくつかあり、入国手続を行う検問もいくつかある。

今回は鉄道(MTR)で移動。

羅湖まで行って歩いて国境を越えて入国審査。

羅湖駅を出るとそこは深圳の大繁華街。

なかなかおもしろい体験である。

口岸というのがいわゆるイミグレーション。

ホテルは新しめのビジネスホテル、WIFIも快適で日本のホテルよりも過ごしやすい。

 


中国出張記録(第七次) #1 香港へ

2006年05月10日 | 海外出張記

中国の市場調査の一環で深圳にてインタビュー。

深圳に行くには香港から入ると便利。

成田からドラゴン航空で香港入りして一泊。

香港はホテル事情がよろしくなく高い上に激狭。

その代わり買いものやら夜景やらがご褒美である。

香港は1988年に観光で来たことがあった。

その時は啓徳空港を使用していてビルの中に突っ込んでいくような着陸、市内も雑然としていた。

久しぶりの香港、すでに中国に返還されてから長く、中国化が進んでいるような感じ。

香港もまた中国で最も早く改革解放した深圳も経済発展してはいるがそのスピードは深圳の方が速いはず。

ゼロから好き放題に資源を投じて造りあげる方が最新のものを入れられる分有利なのは当然。

香港はアヘン戦争以来の過去をいい意味でも悪い意味でも引き摺っているのだろう。