扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

歴史コラム #7 海賊大名の歓喜と悲哀

2013年05月31日 | エッセイ:海の想い出

コラム7回目は九鬼水軍。

戦国の国盗り物語は陸上の陣取り合戦であったが海上では制海権を争う水軍同士の戦いがあった。

九鬼嘉隆は志摩の国衆である。

ライバルを制圧した九鬼は信長に接近して重用された。

大坂石山を攻めた信長は毛利を支援する瀬戸内水軍に手を焼いた。

特に焙烙玉を投げ込んでくる火攻めに散々な目にあわされ九鬼に鉄板張りの装甲戦艦を建造させた。

これを数隻投入し、毛利水軍を見事撃退、石山本願寺の気力を削いだ。

 

信長の後を継いだ秀吉もまた水軍を保護し、朝鮮出兵で大いに働かせた。

当時最大の戦艦「鬼宿丸」を擁した九鬼は日本水軍の総帥となった。

 

九鬼のみならず全国の海賊大名は関ケ原の後は全て斜陽、天下泰平となると水軍は解体、船乗りは商船乗りに大名は岡にあげられてふつうの人になった。

九鬼は嘉隆とせがれとが東西に分かれて関ケ原を戦いせがれの方を残した。

六甲の裏、三田で九鬼は細々と生き残る。

 


チベットフェスティバル2013 -護国寺-

2013年05月06日 | 日常のよしなしごと

護国寺でチベットフェスティバル2013というイベントをやっていた。

このイベントはダライ・ラマ法王日本代表部事務所が主催している。

飲食のブースや物販などおもしろいものがたくさん。

中でも若い坊さんが砂曼荼羅を一心に作っていたのが印象的。

 

護国寺は天和元年創建。

将軍綱吉の母、桂昌院の発願により上野大聖護国寺の僧正を招聘して開山。

空襲を逃れた堂宇が多数残っている。

珍しいところでは三条実美の墓があった。

 


ツツジの名所 -塩船観音寺-

2013年05月04日 | 仏閣・仏像・神社

青梅市の名刹、塩船観音寺のつつじ祭が行われている。

「塩船」の山号は大悲山、地形が船の形をしていることから山地でありながら「船」。

仏が生死の苦しみに満ちた海を渡って浄土に渡してくれる「弘誓の船」になぞらえて「塩」とする。

開山が大化年間、若狭国からやってきた八百比丘尼がこの地こそ仏の地として堂宇を営んだことに始まるという。

本尊十一面観音は鎌倉中期の作、本堂阿弥陀堂などが国重文。

塩船観音のすばらしさは何より立地であり地形である。

山門から進んでいくと本堂、さらに奥へ行くと突然一面ツツジが咲き誇る丘に突き当たる。

すり鉢の底にいるような地形で回り全てがツツジの植栽である。

その奥の上に巨大な観音像。

観音像まで登ってみれば西は富士山、東は関東平野が一望。