扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

醍醐の花見の醍醐味(四)

2007年04月07日 | 世界遺産・国宝・重文

霊宝館に入る。
すでに14:00を回っている。
朝から山に登って雨に降られて花見、昼飯も食わずでつかれた。

霊宝館の外庭は花見にいい。
しかし雨で傘も持たない身にはゆるりと愛でてる余裕がない。



さてここ霊宝館は春と秋にしか公開しない。
霊宝館は上醍醐・下醍醐のあちこちに安置されていたものを集めているのだが、展示の仕方の工夫が今一つ。
できるだけ置いてあった場所を再現するような展示にするとよいのではないか。
同じ場所にあった者同士は仲良くさせたい。

霊宝館を見終わるともう15:00。

本当は法界寺の国宝、薬師如来を片付けたかったがタイムアウト。

雨の中、醍醐駅まで戻り、地下鉄で五条まで戻る。
「王将烏丸七条店」でやっと昼飯、スターバックスに寄り、新幹線に乗る。

付記 今年の公開は文末のとおり。
要所をコメント。メモを取る気力がないので記憶が頼り、絵関係はほぼ全滅で記憶から落ちている。
仏像は「平安末期の傾向とは」を勉強するには良いと思う。

第1室 桜舞う、醍醐寺
(絵画)
●清瀧本地両尊像 室町
●桜楓図のうち桜図、山口雪渓筆 江戸
●豊臣秀吉肖像 江戸
 ※教科書に出てきたあの肖像画、猿っぽくはないあれ
●太閤五妻洛東遊観之図、歌麿筆 江戸
●義演肖像 江戸
●舞楽図屏風、俵屋宗達筆 江戸 重文
●松桜幔幕図、生駒等寿筆 江戸
●倭花名品 江戸
(書籍)
●醍醐寺雑要 安土桃山 重文
●桜会類従 江戸 重文
●義演准后日記 慶長3年(1598)3月15日条 安土桃山 重文
●義演准后日記 慶長2年(1579)3月8日条 安土桃山 重文
●秀吉法度 安土桃山 重文
●醍醐花見短籍 安土桃山 重文
●慶長9年豊国神忌結縁灌頂職衆座次張文 江戸 重文
●御拝堂所作人交名 安土桃山 重文
(工芸)
●鞨鼓、楽鐘、琵琶、楽太鼓 以上江戸
●金天目・金天目台、桐文蒔絵炭取、桐文蒔絵角盥・楾 安土桃山
●華籠 江戸

第2室 醍醐寺の名品
(仏像)
●薬師如来坐像 平安 国宝
●薬師如来脇侍像 日光菩薩像・月光菩薩像 平安 国宝
※この薬師セットは特別コーナーに展示されている。奈良にあるような飛鳥・白鳳の薬師セットとは趣が相当異なる。
●帝釈天騎象像 平安 重文
※東寺のイケメン帝釈天同様に象に乗るがこっちの象は象らしさがなく、またイケメンでもない。
●閻魔天像 平安 重文
※水牛に乗る閻魔様
●阿弥陀如来坐像 平安 重文
●地蔵菩薩立像 鎌倉 重文
●吉祥天立像 平安 重文
●不動明王坐像 鎌倉 重文
※快慶作、淡交社の古寺巡礼シリーズ本によると快慶の怒り顔は珍しいそうでこの後、高名な東大寺南大門の金剛力士像の像造に着手とある。

だとすると怒り顔の練習作といえようか。明王系は妙に肩の怒りが強調されていたり、ウデの感じが人間離れしがちだと思うのであるがこれは人間に近い造型。
●五大明王像 不動明王像・降三世明王像・軍荼利明王像・大威徳明王像・金剛夜叉明王像 平安 重文
※元三宝院の護摩堂に安置されていたものでガラスケースに横に並べられている。

密教明王系であるがやせ気味。
眼が特に強調されているが眼球がはげている者もあり白目がち。黒目が眼力に大きく影響するのがよくわかる。
大威徳明王像は水牛に乗っているが痩せ牛でつらそう。
●大日如来像(胎蔵界) 平安
●釈迦如来坐像 平安~鎌倉
●釈迦如来脇侍像 文殊菩薩像 平安~鎌倉
●釈迦如来脇侍像 普賢菩薩像 平安~鎌倉
●阿弥陀如来坐像 江戸
●天部立像 鎌倉
●銅造阿弥陀如来坐像 平安 重文
●愛染明王坐像 鎌倉
●如意輪観音坐像 鎌倉
 ※像高50cmの小さな像、如意も輪もしっかり残っており顔もよい。
●十一面観音立像 鎌倉
(絵画)
●大元帥法本尊像 大元帥明王像 三十六臂 鎌倉
●仁王経法本尊像 中方・東方・南方・西方・北方 平安 重文
●五大尊像 不動明王像・降三世明王像・軍荼利明王像・大威徳明王像・金剛夜叉明王像 鎌倉 国宝
※彫刻の明王像も怖いが絵だとまた別の意味で怖い。彩色が相当残っているのでひたすら赤い赤い。
●文殊渡海図 鎌倉 国宝
●訶梨帝母像 鎌倉 国宝
●大日金輪像(胎蔵界) 鎌倉 重文
●六字経曼荼羅図 鎌倉・南北朝 重文
●両界曼荼羅図 鎌倉 重文
※曼荼羅、作業部屋に飾りたい。
●四種護摩本尊及眷属図像 宗実筆 鎌倉 重文
●五大尊像 鎌倉 重文
(工芸品)
●金銅五種鈴、四種杵 江戸
●金銅両界曼荼羅 鎌倉 重文


醍醐の花見の醍醐味(三)

2007年04月07日 | 世界遺産・国宝・重文

仁王門まで戻り、今後は下醍醐の境内を巡る。

仁王門は修理中、平安末期、重文の金剛力士像はベニア板で囲われており隙間から覗くことしかできない、残念。
仁王門内に拝観券売場。
共通券(三宝院、下醍醐伽藍、霊宝館の3施設分)を購入。1,500円。

境内のメイン参道は幔幕っぽく明日の「醍醐の花見」に向けて準備してある。
右手に重文、「清滝宮本殿」上醍醐より分祀。

五重塔は、京都で最も古い建造物で当然国宝、951年の完成。
ここのは高さ38.2mで東寺のそれ54.8mよりは低い。
デザインは相輪が高く水煙も立派なので見栄えはよい。
初層内部は東寺同様に両界曼荼羅が描かれているが、非公開のようだ。



東に登り気味に行き、日月門を抜けると大講堂。

池を間に弁天堂を望む。図版や写真集を見るとこの辺りは紅葉が見事なようだ。
しばし黙考後、金堂に向かう。
醍醐寺は伽藍配置が全体的にゆったりとしているのはよいのだがその分緊張感に欠けるような気がする。

創建時の金堂は室町時代に焼失、現在あるものは1600年、和歌山県の満願寺本堂を移築したものである。

本尊、薬師如来坐像(重文)も紀伊から一緒にお連れしたらしい。

金堂(国宝)ではちょうど説法が始まったところで堂内は正座の人々で一杯。
本尊を護るように四天王が配置されているがこれが大迫力、資料がないので何ともいえないが近代の作だと思う。
ありがたいお坊さんの話もそこそこにおいとまし、仁王門から伽藍を後にして三宝院へ。

途中、三宝院の唐門(桃山時代、国宝)がある。

黒の漆塗であるようで、当初は菊と桐の紋が金箔を貼ってあったのだがはげてしまった。
ぜひ、貼り直してもらいたい。

ここで雨足強まる。
紅葉の雨は嫌いでもないが、花見の雨はちょっと辛い。



三宝院には有名な枝垂桜、「土牛の桜」がある。
京都には円山公園始め高名な枝垂桜が随所にある。枝垂桜はぼこぼこやたらに植えるものではない。歴史と共に育つ桜である。

雨降って桜どころではなく、三宝院に上がる。
この三宝院は秀吉直々に仕切った庭が有名、テレビ番組で何度も見ていたので楽しみにしていた。

三宝院は1115年の創建。歴代座主が居住する坊である。
庭を見渡す表書院は国宝。
庭は回遊式であるが自分で回遊することはできない。
この庭の白眉は「藤戸石」、聚楽第から持ってきたそうなのだが思ったよりも小さい。

小さいとはいえ洛内から持ってくるのは相当大変そう。ほとんど太閤秀吉の内輪の花見のために突貫普請されたようなものなのでさぞかし周囲は迷惑だったろう。

表書院の前にある「賀茂の三石」はおもしろい。こういう石を見つけるのもすごいが理屈つけして置くのも異能だ。
この庭には石だけでもなくて他にも亀島、鶴島とある。秀吉の庭だけに豊国大明神も茶室もある。
残念なのはここの本堂(重文)には、快慶作の弥勒菩薩(重文)があるのに拝観できないこと。
写真でみると、それは見事でヒゲが残っている。

最近は興味が庭から仏像に少しシフトしている。あまり長居もしなかったが庭を観るのは人がいない時に来るのが鉄則。

花見や紅葉の時期、雨の日には来るものではない。

売店で写真録を買う。入口付近には「土牛の桜」のクローン桜がある。まだまだ若いがこれが元の桜くらいにまで育つのは後100年かかろうか。

次は霊宝館。特別公開中である。


醍醐の花見の醍醐味(二)

2007年04月07日 | 世界遺産・国宝・重文

まず、上醍醐をめざしたのは、醍醐寺は京都の中心から外れているので度々は来にくいということがひとつ。

山登りなので荷物は少ない方がいい。今日はα7-Desitalを持ってきていないので身軽である。(写真は携帯電話SO903で撮影)


五重塔を左に見て登り口まで行くと女人堂があり、ここで杖を借りることができる。
そこからひたすら山を登ることになる。
今日はそれほど人出は多くはないが、たまに上から降りてくる人と挨拶を交わす。
京都の寺の中にも、鞍馬寺や神護寺、延暦寺のように伽藍にたどり着くまでが修行のところはままあるがここのは格別に厳しい。
勾配はそれほどきつくはないのだが延々続く山道でほとんど登山。


途中、滝と休憩所があるここまで来ると約半分。

つらいのは景色が変わらないこと。

そんな中で気休めは途中途中に「町石」と呼ばれる石標があること。

これには金剛界三十七尊を表す梵字と何番目かが彫られている。三十七まで来ると上がり。
寺のパンフレットでは約1時間とあるが正味1時間かかるものとみた方がよかろう。軽い気持ちで突入してはならない。

突然、山階段がなだらかになって参道っぽくなり、やや下りになるとトイレがあり、寺務所がみえてくる。
ここが上醍醐。
まず、国宝「清瀧宮拝殿」、室町時代、檜皮葺。中には入れない。
その横に例の「醍醐水」であるが飲むことはできず醍醐味は味わえない。
脇の階段を上ると、「准胝観音堂」。

西国第十一番札所でもある。

現在の建物は昭和43年の再建。本尊准胝観音は秘仏で毎年5月18日の御開扉法要前後3日間開帳。
この隣に休憩所がある。喫煙者はここで一服可。

続いて国宝「薬師堂」、本尊は薬師三尊像であるが、実物は下の霊宝館にありモヌケの空。覗いてみてもむなしい。



これも檜皮葺。寺の御堂としては珍しいのではないか。

しばらく行くと左手に石段登って五大堂でこれは昭和の建築。

拝観料いらずで中に入れる。ここの本尊は五大明王(大威徳明王像・木造不動明王・降三世明王、軍荼利明王、金剛夜叉明王像)で重文。
ここまで登ってきた苦労の甲斐もあってなかなか趣深い。仏像好きにはたいそう慰めとなろう。上醍醐でふつうに拝めるのはこれだけ。

石段を下りると飲料水の自動販売機を発見。値段は俗世間価格。
五大堂と反対方向に重文「如意輪堂」、桃山時代の建築の懸造、清水の舞台。



ここまで来ると如意輪観音のご褒美、絶景ポイント。

如意輪観音はおられないが。


宇治川方面

すぐ隣に重文「開山堂」、内陣に開山聖宝理源大師像、左に弘法大師像、右に醍醐寺第一世座主・観賢僧正像が安置されている。

この辺りは天気が良ければお弁当ポイントとして最適。

上醍醐の諸堂は、豊臣秀頼名義で再建されている。

関ヶ原の後、豊臣家の金銀を浪費させるために徳川家康がそそのかした結果である。

醍醐寺は下醍醐は父、上醍醐は子と豊臣親子に世話になっていることになる。

山上から遥か河内平野をみて山を降りる。
下りは行きよりは楽とはいえ、時間はそれなりにかかる。
途中休憩を入れたとして3時間はかかるわけで夏場・冬場は特に気をつけて行くべきであろう。

ともあれ、山上の国宝建築物と明王をみられたので満足した。


醍醐の花見の醍醐味(一)

2007年04月07日 | 世界遺産・国宝・重文

醍醐寺への最寄駅は地下鉄東西線の醍醐駅。

改札を出ると駅ビル。地上へ出て住宅街を抜けて行くことになる。
この時点で小雨モード。傘を持たずに来ているのでやや不安。
京都もすっかり宅地開発が進んでおり、地下鉄で中京区まで1時間以内のこの辺りはマンションが乱立しかかっている。

古寺へのアプローチとしてはこういう新興住宅街を抜けていくというのはどうも盛り上がりに欠ける。

10分ほど歩くと醍醐寺の総門があり、ここから仁王門までが「桜道その1」。満開をやや過ぎていることもあるが、今日の曇り空だと空の色に桜が沈んでしまうのは残念。
今日の目標は醍醐寺の国宝を見ることで花見はついでなのだ。

醍醐寺とはというのを整理すると、まず創建は9世紀後半874年、空海の孫弟子、聖宝による。
霊山笠取山(醍醐山)に登った聖宝が山の地主の神、横尾明神に、清水湧き出るこの山を譲り受け、准胝(じゅんてい)観音像・如意輪観音像を安置した。この湧き出る水が醍醐水、その味が醍醐味である。

以降、山上・山下に御堂、塔が建立され醍醐山に拡がる大伽藍が完成する。
山上にある伽藍は上醍醐、山下は下醍醐と呼ばれ真言密教の中心として繁栄してきた。
途中、文明・応仁の乱で下醍醐は五重塔を除き消失し、上醍醐も荒廃したらしい。

その後、豊臣家により名高くなる。
晩年の秀吉はものぐるいのように建築に金銀を投じる。

寺史によると1597年、五重塔の修理に1,500石を寄進、1598年2月に花見の準備を命じ、桜の樹700本を移植させ、三宝院殿舎、庭園の増築を命じる。
そしてこの年の3/15日に「醍醐の花見」が催される。ひと月でよく間に合ったものだ。

醍醐寺の国宝は概ね3つに分かれる。
1.上醍醐の建築物
2.下醍醐の建築物(五重塔、三宝院 etc.)
3.霊宝館収蔵物

どういう順序で見物するか、初めて来るところなので所要時間が読めない。
悩んだ末、朝の元気なうちに山に登っておこうと思い、下醍醐の境内の横を抜け、山道に入る。

所要時間90分とあるのでまあ大したことはなかろうと思ったのだがこれが大きな間違い。
醍醐の水はしょっぱかった。


岡山から中国大返し

2007年04月06日 | 取材・旅行記

今日は朝から岡山へ移動。

某放送局のK氏と待ち合わせし、打合せその1をこなし、打合せその2の間に時間があったので後楽園付近で打合せ(というかほぼ花見)。

岡山城と後楽園の間を流れる旭川の河原沿いが花見スポットのようだが、平日の午後ではあるがほどほどの入り。
飲めや歌えにはならず、お茶とたこ焼き・お好み焼き。

打合せその2を終えると日が暮れた。
最近、岡山の定宿「全日空ホテル」の楽天値引率がイマイチなので、京都に泊まることにする。

京都駅に着くと21:00。
思いついて駅裏のラーメン店、「新福菜館本店」に行く。
肉多めとやきめしで1,300円。

腹ごなしに歩いてホテルまで行くことにする。
スターバックスに寄り、本日の宿、スーパーホテル京都・烏丸五条まで歩く。
このホテルチェーンは大阪にも奈良にも東京にも名古屋にもおよそ私が行く街にはどこにもあるがほぼ予約するのがムリ。
なぜか1室空いていたのだが京都駅からまあ歩けない距離ではないし、地下鉄の駅にも近い。

明日は、醍醐寺を攻めることにする。
醍醐寺は学生時代にもその後も行ったことがない、私の神社仏閣エアーポケットである。