扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

京の年越 #7 京に斃れる

2008年01月03日 | 取材・旅行記

さて楽しい京の正月体験、実は東福寺の後半あたりから体調が急激に悪化、寒気がし始めた。

どうやら風を引いたようで「ぞんぞん」する。

これはまずいと京都駅で弁当など買い込んでホテルに戻る。

猛烈なだるさを感じてベッドに倒れ込んで寝込む。

時折、うなされて起きまた気を失う体で夜中うなされる事態。

朝起きても体調が戻らず二日目の予定はキャンセル、一日ホテルで寝込んで終わり。

 

三日目によろよろしつつ京都駅から新幹線によって実家に難を逃れた。

それでも大晦日と元旦の思い出は貴重なものになった。

 


京の年越 #6 東福寺あたり

2008年01月01日 | 仏閣・仏像・神社

東寺の後は東福寺。

こちらも何度も行った、折にふれて生きたくなる不思議な魅力のある寺。

紅葉で有名だが、四季のいつ行ってもいい。

私はことに東福寺の庭が大好きで重森三玲の市松模様の庭が特に好きである。

学生時代から毎年のように訪れ従っていい思い出もそうでない思い出もある。

今日は特に目的もなく、近所を散歩するような気分で訪れている。

何気に好きなものの回りをあるくというのは結構な幸せである。

この後、何も予定がないのをいいことに境内を隅から隅までぼんやりと回ってみた。

 

芬陀院(ふんだいん)雪舟寺にもよってみた。

ここは東福寺の塔頭寺院の一つ、雪舟作の庭園がある。

芬陀院は鎌倉時代後期に関白一条家によって創建され「一条家」の菩提寺となった。

室町時代、雪舟は東福寺参拝のつどに訪れ、方丈前に「鶴亀の庭」を造った。

明に渡る前の作ということになるそうだ。

昭和年代に荒れた庭を重森三玲が「鶴亀の庭」を復元し、さらに東庭を造った。

重森の庭をたくさんみているうちにもう夕方。

 

東福寺は五山のひとつだったが、大通りをはさんだ反対側に万寿寺があり、こちらもかつて五山のひとつだった。

拝観を受け付けていないので遠望するのみ。

 

京の正月、ぶらぶらするのは大変おもしろかった。

 

 


京の年越 #5 東寺に初詣

2008年01月01日 | 仏閣・仏像・神社

深夜にホテルに戻って仮眠。

起きて顔あらって東寺へ歩いて行く。

 

東寺は近所の深大寺を除けば私が最も多く足を運んだ寺であろう。

京都駅から近いということもあるが、立体曼荼羅が好きということも大きい。

正月は五重塔の初層が公開されているのがまあ動機といえる。

観智院もまた私の好きな場所、虚空蔵菩薩像がいい。

今日は五大庭をじっくり見学。

空海が唐から帰国する時、海が荒れて難儀した時の場面を再現している。

船の形、海神を現した形など、いい石を見つけて配置している。

離れてみると確かに航海する船のようにみえる。

真ん中に荒れる海に投げ入れて沈めた独鈷杵。

 

東寺の金堂あたりは骨董屋が店を広げている。

何となくのんびりした雰囲気でほっこりした。

 

 

 


京の年越 #4 思い出の東山歩き

2008年01月01日 | 来た道

八坂さんから二寧坂、産寧坂を歩いて清水寺まで来た。

もう年が明けてしまったが、おめでとうをいう連れ人もいない。

今日は清水さんも境内を公開していてライトアップされている。

 

古寺のライトアップも年を重ねていろいろ洗練されてきて単色ではなく青やら赤やらと凝っている。

こうしたショーアップは京は上手である。

京都タワーもロウソクのように映えている。

 

このことは前にも書いたような気もするが、東山を吉田から下りてくる道歩きは私が京都大学に合格したその日に歩いた記憶が鮮明である。

その時は親と過ごした家を出てひとり暮らしを始めることが決まりそれなりの覚悟を言い聞かせるようにずんずん歩いていた。

結果として大学生時代は大して学問もせずに遊んでばかりで単車に溺れ無為に過ごしていた。

それでも京都に4年いたという経験は神社仏閣を日常の延長として歩いたこと、京の空気を吸ったことなど、今取り組んでいる宗教の本やら歴史の本の執筆に少しは役立っているのだろう。

 

京都は来る旅に洗練されていてもはや私が住んだ昭和の最後期の面影は去りつつある。

第二の故郷が少しずつ遠ざかっていくような気分を感じつつ元旦の東大路を歩いた。

 


京の年越 #3 新年の八坂神社など

2008年01月01日 | 取材・旅行記

知恩院の鐘を聞いた後、八坂さんに初詣に行こうと思い立つ。

知恩院の南西隣が八坂神社であるが歩いているうちに長楽寺の参道に出た。

長楽寺は東山三十六峰の真ん中あたりの長楽山の麓にある古刹、行ったことがあるか定かではないが、ずっと上っていくと将軍塚。

そこには結構通った。

 

長楽寺では除夜の鐘撞をさせてもらった。

京で鐘を撞くのは感慨もひとしおである。

坂を下っていくと長楽館、明治の富豪が建てた西洋建築で1階が喫茶店になっていて学生の頃、サークル活動でよく行った。

 

八坂さんには裏手から入った。

京都市民は八坂さんに「おけら火」をもらいに行くのが大晦日の年中行事、境内の一角で専用の係の人がついておけら火の番をしていた。

テレビでみるように人々が順々に火縄に火をつけてくるくるやっていた。

家に帰って台所に火を移した後はそのまま飾っておくらしい。

 

八坂神社は大賑わい。

夜間に来る神社は独特の雰囲気がある。

観光客の割合は観光シーズンのそれよりも随分低く、地元の人か若者達が多いように感じる。

私は京都で年越しをしたことが無い訳ではないが学生の頃のこととて、行く年をしみじみ感じるようなことでもなかった。

ひとり歩きの割にはわくわく感が止まらない。

このまま清水寺を通って歩いて帰ってしまおうと思った。