毎年出版している「歴史に学ぶ地方創生」本の次回テーマが「真田三代」。
真田幸綱、信綱、昌幸、信之、信繁たちの話しである。
真田家は人気の戦国大名故、類書が多く概ね幸村をハイライトしたものが多い。
ところが幸村は「経営者」としての実績がほぼなく徳川家を苦しめたいくつかの戦により英雄視されているのである。
地域とそのリーダーという視点からすればむしろ初代幸綱や戦国大名として自立を成し遂げた昌幸を再評価する方向でまとめていきたい。
以前、武田信玄と上杉謙信を研究した際、真田家のことも信玄の経営術とからめて執筆しているので事前準備は割とできているつもりでいる。
現地取材もできている部分が多い。
今日明日とゆかりの地を訪ねていこうと思っている。
真田発祥の地、上田真田郷は当家調布から行くにはいくつかのルートがある。
ひとつは甲府から八ヶ岳の東の山麓を抜けていき佐久に到り、上田方面に抜けていく道、すなわち信玄が佐久小県と侵攻していったルートである。
類似のルートとして八ヶ岳の西山麓を北上するルート。茅野から上田まで行く大門街道。
もうひとつは上州から入るルート。
藤岡から下仁田、南軽井沢と西へ行き佐久へ入るルート。
高崎から軽井沢を抜けていくと旧中山道のルートである。
移動時間だけを考えれば上信越自動車道で上田菅平まで行ってしまうのが効率的にはいい。
今日は天気も良いので藤岡まで関越道で行き、一般道で佐久に入る道を考えた。
藤岡で降りる目的のひとつは平井城に行ってみたかったからである。
順調に藤岡ICまで行き、高速を降りてすぐに平井城址に到着。
平井城は関東管領上杉氏の持ち城、天文15年(1546)河越野戦の敗北で上杉憲政は平井城まで後退し、以後、北条氏の攻勢を押し返せず、越後の長尾景虎を頼って落ちていった。
城は平城で住宅地となっているため遺構が少ない。
わずかに街道に面して一部に土塁が復元されているのみである。
鮎川に面した断崖に築かれた城と城下町はかつて非情なにぎわいをみせたというが面影はない。
平井城の魅力は「立地」である。
凋落したとはいえ現職の関東管領、その一団が平井城に落ちたことは武田家そして真田家の戦略に大いに影響した。
平井城は関東と佐久平の結節点といえ、佐久には容易に軍を出せる。
武田信虎の代、諏訪と村上と語らい佐久小県の豪族海野一族を破り三者で分割した。
信虎が晴信によって追放されると諏訪頼重は晴信を侮り上杉憲政と謀って講和し、これが武田と諏訪の手切れを呼ぶ。
東へ走った海野一族は上杉氏の保護下に入る。
その中に真田幸綱がいた。
つまり真田家はここから捲土重来を図るのである。
甲斐の国主となった武田晴信はすぐに諏訪を獲り、佐久平を狙った。
幸綱は落日の上杉を見限って武田傘下に加わった。
山本勘助の紹介によるといわれ、大河ドラマ「風林火山」では丁寧にそのあたりの事情を脚本化している。
佐久小県の地侍からすれば故郷は峠ひとつ超した盆地であり、走って行けば一日で達する距離である。
今日はその真田の故郷奪還の道を走っていく。
内山峠を越えて下っていくと佐久平の南に出る。
甲斐から佐久方面に進むルートは以前通ったことがある。
武田晴信初陣の海野口城はまだまだ山の中、佐久平に出ると平地を囲むように山城が乱立している。
晴信はひとつひとつ、猛攻、調略織り交ぜて落としていき、志賀城に迫った。
城を包囲した武田勢、関東管領上杉氏の援軍到来を知る。
晴信は別動隊を派遣、小田井原で上杉勢を撃破、三千という大量の生首を城から見えるように並べて城主笠原清繁を威嚇した。
志賀城は落城、城兵は虐殺され女子供は人身売買されるという信玄の黒い歴史として後世に伝えられた。
志賀城をはじめ内山城や前山城など佐久の山城巡りもおもしろいかもしれない。
さて、佐久平を北上していくと浅間山が前面にそびえている。
浅間山を前にした丁字路が小諸、東へ行くと碓氷峠、西へ行くと小県真田郷である。
このあたりは千曲川が山を削った河岸段丘で西から北へ回り込むように上田市、千曲市、長野市と平地が現れる。
真田はその中間点にあたり街道を上から見下ろす地にある。
要衝は砥石米山城。ここを獲れば佐久は万全、善光寺平への進出拠点となる。
砥石城がいかに「いやらしい城」で晴信を悩ませたのは付近の地形と勢力を考えるとたいへんよくわかる。
なぜ晴信が砥石城に固執し冷静さを失って二度も大負けしたのか。
これを考えると佐久あたりを走り回るのが実に楽しい。
佐久の山城を晴信の戦略を合わせて考えながら真田郷へ着いた。
朝早く出た割にうろうろしていたのですでに午後になっていた。
真田の発祥地は二度目であるが去年の6月に訪れた際は歴史館が休館日だった。
まず真田歴史館に。
真田氏歴史館のそばには昌幸が整備した屋敷跡があり、少し北へ行くと詰の城松尾城がある。
松尾城は真田本城ともいわれ、少し山奥へ行くと「松尾古城」がある。
城跡からのながめは真田郷を見渡せはるかに砥石城が威容を誇っているいいものだが、今日はやめておいて信綱寺に向かう。