扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

ゆく年に

2010年12月31日 | 来た道

また1年が終わろうとしている。

2010年の終わりは区切りということでいえば「00年代」という10年紀の終わりを意味する。
10年などあっという間に過ぎてしまうような気もするが、10年で社会は激変する。

例えば、私の守備範囲のひとつであるITのことでいうと、2001年という今から10年前、米Apple社は瀕死の重病から立ち直って床払いしたばかりであった。同年iPodの最初のバージョンが発売されている。
携帯電話でいうとFOMAという3G通信がスタートしたのが2001年。
コンテンツ配信やらオンラインゲームを携帯電話で本格的にやりだしたのがその頃である。
10年後、マンガをケータイで読み若者が小説を書くようになると予測した人は少なかろう。
Googleという今やウェブを仕切るグローバルカンパニーも10年前には駆け出しの小僧っ子であった。
Appleにせよ、Googleにせよ10年でこうも変わるかという好例かと思われる。

俗に日本経済が沈滞した2000年前後を「失われた10年」という。

では私の00年代とは何であったか。
今年で47才になる。
64年生まれの私の70年代は7才から16才、80年代は17才から26才、90年代は27才から36才、そして00年代は37才から46才。
振り返ってみると70年代はあほうのように本を読み、80年代は悩み人に揉まれ、90年代に増長し、00年代につまづく。

私の00年代とはある意味「失うための10年」といえるかもしれない。
サラリーマン、あるいは「人に使われる人」の人生は階段を登ってゆくことといえるだろう。
おもしろいこともあれば腹の立つこともある。
エスカレータのようにおのれが脚を動かさずとも登ってゆけることもあれば脚を踏み外すこともある。
私の90年代は今思えば砂上楼閣のエスカレータのようなものであったろうし、勤め人を辞めたことは階段を途中で折りたということだ。失ったひとつは堅実な人生をもたらす位置エネルギーである。

ただ私が失ったのは階段の高さだけではなかったことを最近、痛感している。
90年代、遊び呆けている閑があれば他にやることもあったろうに。
「時間」を失ってしまったような気がしないでもない。
企画書だの調査レポートなど書き散らしていたその遺産で今、飯を喰っているともいえようし、過去をことさら否定する意味はない。

「会社を辞めてよかったなあ」と思うのはふつうの勤め人が退職し「会社の看板」や「損得を元にした交遊」を喪失するとどうなるかを30代にして経験できたことである。
まだ意気軒昂な頃に第二の人生を歩み始められたことは失ったものを超えて余りあると思っている。

10年代に私は何を成すか。
考えてみればこの10年、学生だった頃に劣らず、あほうのように本を読み旅をした。
そろそろ芽を出してもいいのではないかと思っている。

10年代が終わるとき、「ああ10年前にはこんなことを思っていたか」と振り返るのも楽しみではある。

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