単著13作目、偉人に学ぶシリーズ3作目になる。
藤堂高虎は豊臣家を見捨てて家康に内応、他の豊臣系大名の寝返りを先導したことで評判が悪い。
本作では客観的事実を元に高虎の有能さを検証した。
高虎の青年期は上司運が悪くそれが主家退転の原因、豊臣秀長に見出されて出世街道に乗ったと思ったら秀長急死、大名になったと思ったら秀吉の変調と今ひとつ運がない。
運を開いてくれたのが家康、以後は江戸幕府の草創期を裏で支えた優秀なテクノクラートとなった。
ぜひ再評価して欲しい人物である。
単著13作目、偉人に学ぶシリーズ3作目になる。
藤堂高虎は豊臣家を見捨てて家康に内応、他の豊臣系大名の寝返りを先導したことで評判が悪い。
本作では客観的事実を元に高虎の有能さを検証した。
高虎の青年期は上司運が悪くそれが主家退転の原因、豊臣秀長に見出されて出世街道に乗ったと思ったら秀長急死、大名になったと思ったら秀吉の変調と今ひとつ運がない。
運を開いてくれたのが家康、以後は江戸幕府の草創期を裏で支えた優秀なテクノクラートとなった。
ぜひ再評価して欲しい人物である。
5年目に入ったコラム、今回は沖縄の話。
今年の3月に4泊5日で沖縄本島に取材に行った。
この旅で日本100名城を全て回ったことになった。
沖縄の城とはグスクのこと。
いくつもグスクを回ったがどこにいってもまあ景色のいいこと。
主郭の石垣に上ってみればきれいな海がみえ、吹き渡る風もすがすがしい。
沖縄の歴史はヤマトの末裔たる我ら本土の人間にはつらい。
琉球王国が薩摩の支配下になり、明治政府によって滅亡する。
この時代は琉球の人々にとって表面上は中国清朝の冊封国であった一方、薩摩藩の顔色をうかがわざるを得ない衛星国の一面があった。
奄美諸島は薩摩の植民地と化して砂糖地獄が演出されるようになる。
沖縄の古代は貿易立国を果たし、日本とも深い交流があった。
そして琉球にも戦国時代があり日本風の鎧兜で戦い、尚氏が天下を取った。
グスクがどのようにまた何のために築かれたかは謎の部分もまた大きい。
ヤマトの城と違うのは祭祀の場の占める重みが違うことである。
どのグスクにも自然信仰に根ざした御嶽(うたき)が設けられている。
沖縄を旅する時、常に神様が自分をみているような感があった。
沖縄は自分にとってどうしても先の大戦時の戦闘を追体験してしまうつらい場でもある。
「お前、ここをどうみる」と神様がつど問いかけているように感じられ、光景の美しさを愛でつつも息苦しさがあった。
一回ではもったいないので次回も沖縄話にしたい。
思いついて富士方面にドライブ。
甲州街道を西へ行き、都留を越えると富士吉田市、およそ100kmある。
今日の目標は北口冨士浅間神社とした。
渋滞にあうこともなく快適なオープンカードライブになった。
この神社には行ったことがない。
参道は国道138号沿いに鳥居がやおら立ち真っ直ぐに続いている。
車は拝殿のそばの茶屋の駐車場に入れた。
浅間神社は冨士山を神格化したものといえ、各所にある。
冨士山をとりまく四方にあり、甲斐と駿河に国が別れていることもあったのだろうが、それぞれの関係がよくわからない。
もやもやするところだが、甲斐は甲斐、駿河は駿河で祀り始めたのだろう。
江戸時代になって冨士登山がブームとなると神社は登山口としての機能を果たしたから独自の役割と発展をそれぞれ果たした。
北口の神社の由緒は神社側としてはこうである。
ヤマトタケルが東征の折、足柄から甲斐に向かう途中、当地「大塚丘」に立ち寄り「冨士はこの地より拝すべし」と言った。
そこでヤマトタケルを祀って創建された。
天応元年(781)、冨士山が噴火し、延暦7年(788)に大塚丘のそばに社伝を建立し、浅間大神を勧請した。
吉田の火祭りは摂社の諏訪神社の祭であり、武田信玄の社殿造営以前は諏訪神社だったともいう。
浅間神社の祭神は浅間大神であり、冨士山の神格化である。
浅間大神はコノハナサクヤヒメに比定されているから女神とみる。まあ、優美な冨士山の姿を荒々しい男神としないところが日本人のやさしさかと思う。
コノハナサクヤヒメが祭神となる以前は、かぐや姫だったという説もある。
竹取物語では、かぐや姫が月に帰ってしまったことを嘆いた帝が不老不死の薬を日本一高い山(月に近い)で焼かせたとある。
よって冨士山=不死の山、という考え方があり、帝が送った士が多かった=士が富む山、という考え方もある。
時系列からいえば、かぐや姫を祀っていた方が古いのだそうで、記紀神話の神、コノハナサクヤヒメが冨士山に上ったのは後のことらしい。
何が正しいのか詮索することに意味はなく、冨士山がオンナ神だったということで私は満足である。
参拝をすませて吉田うどんを食い、河口湖をチラ視して道志みちに入る。
すると一天にわかに掻き曇り、濃霧で視界1mとなった。
慌てて路肩で幌を閉め、フォグランプを前後点灯でしばし走行、道の駅で休憩するうち霧がはれて無事帰宅。
富士吉田には浅間神社詣でと、もう一つ。吉田うどんを食べに行ったのであった。
行く道々店を探し、「麺許皆伝」という店が評判がいいので行ってみると大行列。
これはいかんとその先の「あかり亭」に見当を付け、御参りした後、行った。
店の造りは住宅である。
玄関で靴を脱ぎ、注文をしてお金を払い、階段で二階に行く。
座敷になっていてうどんが階段経由で運ばれてくる。
注文は肉うどん。
吉田の肉は馬肉である。