扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

歴史コラム #1 海は日本の文明回廊

2012年05月31日 | エッセイ:海の想い出

名古屋市の機関誌にコラムを寄稿することになった。

今回は第一回ということもあってマクロの話を書いた。

日本という国は四周を海に囲まれていてそれがこの国を特殊な成り立ちと歴史に大いに寄与したことは誰しも指摘すること。

ただ英国や米国も19世紀までの文明の勝ち組、西欧とは海で隔てられている。

「海に護られて」という要素に加えて「文明の東の果て」との要素もありそうだ。

いつまで続くかわからないが、全国を駆け回って海と日本を考えていきたい。

 


月は東に日も東 平成の金環触

2012年05月21日 | 日常のよしなしごと

今朝は金環触があった。

2009年7月22日には皆既日食があり、私は豊田の実家で部分食を見た。
真昼にやおら空が暗くなり日輪が欠けていく様は荘厳であった。

今回は金環蝕である。
月の影が太陽に落ち光が欠ける。

天気が心配であった。
朝起きてみると東の空には雲がかかっている。
ただし中天に雲はなく晴れそうな予感はあった。
日蝕観測用のグッズを用意していなかったので慌ててたらいに水を張りインクを垂らして反射甲をみることにした。
このやり方は先の日蝕でうまくいったのだが、今回は入射の角度が急だったからか少々見にくかった。

6時半過ぎに欠け始め7時半に金環状態になった。
まさに天空に金の指輪を置いた如くであり、金環蝕とはなるほど妙な漢訳である。

ところで寿永2年(1183)11月17日の金環蝕は治承・寿永の乱すなわち源平合戦の水島の合戦に影響を及ぼした。
この年の5月、倶利伽羅峠に平家の大軍を壊滅させた木曽義仲は都に入城して平家を追いかけて備中水島に陣を張る。
双方、船上にて合戦に及ぶが最中に「天にわかに曇り闇夜のごとくとなり源氏の軍兵方角を失って敗走(源平盛衰記)」という仕儀になった。
平家はこれをハナから知っていたという。
木曽義仲はこの敗戦で以降旭の勢いを失い敗死することになる。

平家は朝廷という天文学者を抱える組織をしばし顎で使える時期があったから平家のみが知っていたとしてもおかしくはない。
木曽義仲は不勉強であったし朝廷の面々に嫌われ教えてもらえなかったのかもしれない。
平家はこの日蝕奇襲作戦でしばしのゆとりを得、一ノ谷に前線基地を築いて義経来襲を待つことになる。
ただし、平家の輝きはここまで。
日蝕はすぐにもとの輝きを取り戻すが平家の光は戻ることはなかった。

神様とは自然も意のままに利用しおもしろい演出をなさる。
 

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武蔵の国の無双塔 東京スカイツリー

2012年05月19日 | 街道・史跡

家人が京橋で参加している紅型の展示会に寄るため久々に電車に乗った。

ついでにどこかに行こうと思っていたら昨日から明日まで浅草の三社祭であった。
銀座線の浅草駅から上がっていくと雷門の交差点に神輿が出てえらい騒ぎになっていた。

三社祭はいうまでもなく浅草神社の例大祭である。
今日は町会ごとの神輿が発進する日。
こぶりで金ぴかの神輿が次々と仲見世通りを行く。

私は祭というのが苦手である。
光景としての祭はむしろ大好きなのであるが人出がかなわない。
また、祭とは騒ぐものという気風が好きではない。
もちろん神霊をのせた神輿を荒々しく振れば振るほど騒げば騒ぐほど神はお喜びになるということはわかる。
ただ騒げばいいというものではないと思うのである。

ようやく雷門から本堂にお参りしたらもう気疲れして言問橋の方に抜けた。
すでに浅草寺の参道を行く時から東にスカイツリーがみえている。
竣工なったスカイツリーは来週開業のところまで来た。

「塔」は私の大好物で高ければ高いほどいい。
昔は町に行き塔があると知ればまずはおっとり刀で登るのが常であった。
スカイツリーの方は行きたくてもやすやすと行ける状況ではない。
真冬になって雨上がりの朝に行くのがよかろう。

スカイツリーという名は塔好きのものとしてはいかにも軽薄で全くもって気に入らない。
「ツリー」はやめてくれと思うのである。
この名に決まるまでの道程は長い
公募のベスト3は「大江戸タワー」「新東京タワー」「さくらタワー」であった。
それらを排除し選考委員が「スカイツリー」を発見しさらにいくつかの候補を交ぜて投票した結果決まったらしい。
おそらく世界中に「ツリー」を冠した塔がないことを知ってわざわざそう名づけたかったのではないか。
ツリーとは「樹」である。
世界にないのが当然であろう。

高さ634mは武蔵に掛けている。
工法としては五重塔にあるような芯柱構造を取り入れている。
ならば塔でいいではないかと思う。
武蔵でもいいが「板東」ということばでもいいかもしれない。
また「業平橋」という駅が消えることも憂鬱である。

まあ新しい時代の象徴であるのだから新しい感覚でやればいいのだろう。
「いざ言問う」ものでももなかろうが。

ちなみに「スカイタワー」というのは尾張は東山公園にある。
スカイというほどのものではなく、我々地元のたわけは「いちもつタワー」と呼んでいた。