コラム11回目は山田方谷を主題に。
昨年秋から方谷を地域再生の先駆者として取り上げた本を執筆中。
改めて調べてみると方谷という人は地方行政のリーダーとして出色の偉人。
発想力、交渉力もすばらしいが何といっても信条そのもの、情熱が飛び抜けて優れている。
現代にこういう人がいれば地域再生などたちどころに解決するであろう。
表題の「積荷」とは方谷が手がけた貿易品のこと。
方谷が生まれた備中松山は山国の小国、農業を主としていては細々と生きて行くのみである。
方谷は地場産業として「鉄」に注目、領内に鉄工場を開き「釘」「備中鍬」を江戸に輸出、大儲けした。
藩で購入した商船「快風丸」は江戸などに商品を運ぶため忙しく往復した。
そこに乗っていたのが新島襄。これも「積荷」。
方谷の不幸は上司板倉勝静が幕府の老中だったことである。
この人は方谷を引き上げ全権を与えて改革を共に進めた藩主である。
藩政改革の成功者として幕閣の注目をあびて出世した。
そして最後の将軍慶喜の時、老中筆頭となって強硬な主戦論者となった。
鳥羽伏見でボロ負けし徳川慶喜は会津候桑名候を連れて大阪湾から江戸に逃げた。
この一向に板倉勝静も混ぜられていた。
置き去りにされた松山藩兵は自力で故郷にとぼとぼと帰還、方谷は城を開いてその繁栄の幕を下ろした。
時勢に翻弄された人々、これもまた「積荷」である。