扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

松阪土産、松阪牛

2008年03月28日 | ご当地グルメ・土産・名産品

松阪の取引先に打合せで伺った時、お土産、和田金のすきやき肉セットをいただいた。
和田金は知る人ぞ知る松阪肉の元祖のお店であり、これまで二度ほど取引先に連れて行っていただいたことはあったが、お土産でいただいたのは初めてである。

出張途中でいただいたのでクール宅急便で送って週末に家人とすきやきをした。
やはりお店で焼いてもらった方がウマい。あたりまえか。

松阪は松阪牛が有名な反面、街としては変化がなく少し寂しい。
それだけ、あたふた開発しなくてもいいということでもあるが。

蛇足だが、和田金さんはどうもウェブサイトをもっていないらしい。

URLもwadakinはあちこちに取られてしまっている。
ウェブがなくてもブランドを維持できるならそれも経営戦略なのかもしれない。



地域再生取材 #4 おかげ横丁

2008年03月27日 | 取材・旅行記

内宮に参詣した後、おはらい町からおかげ横丁を見物。

 

おはらい町とは猿田彦神社から内宮へ行く参道沿いの商店街。

一時期、クルマで内宮前まで来て帰ってしまう人が増えて立ち寄る人が減った。

昭和54年(1979)から商店街再生のために赤福が主導して行政と電線地中化や石畳への転換など景観美化に努めてにぎわいを取り戻した。

各商店は伊勢神宮の社殿が平入であり神様と同じ入り方では畏れ多いとのことで玄関は妻入になっている。

さらに赤福は平成5年(1993)におはらい町の中程から入ったところにおかげ横丁を開業した。

歩いてみると伊勢地方の特産品や土産物、飲食店などを江戸時代の風景風俗を再現したテーマパークのようにみえる。

 

おはらい町を歩くのもおかげ横丁も初体験。

赤福本店はひときわ大きな店構え、郵便局や銀行も景観に合わせてある。

伊勢神宮内宮の参詣者は年間600万人、遷宮の翌年には800万人レベル。

ひとり1000円の買い物をすれば60億円の経済効果。

 

市役所の方が力を入れているといっていた「サメのたれ」を土産にした。

 

 

 

 


地域再生取材 #3 外宮・内宮参詣

2008年03月27日 | 仏閣・仏像・神社

伊勢神宮はたびたび参詣しているものの恥ずかしながら外宮参詣ははじめて。

これは私に限ったことではなく、観光気分の参詣者は内宮だけ参詣して外宮や別宮などには寄らないのだという。

外宮は正式には「豊受大神宮」、伊勢に来たらまず外宮に参詣してから内宮に向かうのが正しい。

 

外宮に参詣した後、内宮までクルマで連れて行っていただき、市の方とお別れ。

内宮は今日も大賑わい。

とても信心深いとは思えないというイメージの日本人ではあるが、伊勢神宮に来ると気持ちも姿勢も改まるようだ。

 

神社は電柱や電線、看板やサインなど人口構造物が社殿などの他、何も目に入らないのがいい。

江戸時代の人々と同じ光景の元で参詣できるのはとても幸福である。

 

伊勢神宮の式年遷宮は2013年、平成25年。

新しい方の敷地整備などが早くも始まりつつあった。

 

 

 

 


地域再生取材 伊勢#2 伊勢市役所取材

2008年03月27日 | 取材・旅行記

月夜見宮に御参りしてから歩いて伊勢市役所へ。

外宮に続く大通りはさすがに広々としている。

 

伊勢市は伊勢神宮という大きな集客資源を有しているものの、市の担当者の方に話を聞くと観光産業には悩みが深いという。

これは高松や松山でも同様であったが、移動手段がクルマ主体だと参詣だけして帰ってしまい、地元にカネが落ちないのだという。

宿泊施設の点で実は伊勢一帯は貧弱で長期滞在型には向いていない。

伊勢神宮の他にも志摩半島など豊かな自然を有する地域であるから、工夫のしようで地域再生手段はいろいろあるのではないか。

 

お昼に担当者に伊勢うどんのお店を紹介していただいた。

伊勢うどんはお伊勢参りの参詣者にふるまわれた由緒あるご当地グルメ。

見た目と食感は一般的なうどんとは大きくかけ離れ、コシが全くなくてツユも甘い。

これは胃腸にやさしく短時間で食べられるように工夫された江戸時代のファストフード。

 

市の担当者に外宮を一緒に参拝していただいた。

さすがに本場の方はお辞儀ひとつとってみても所作が美しい。

柏手の所作、アタマを下げる角度も決まりがあるようで教えていただいた。

これからは心して参詣したい。

 

 


地域再生取材 伊勢#1 月読神社

2008年03月27日 | 仏閣・仏像・神社

ITの現状についての講演会を松阪で行ったついでに本の取材。

 

近鉄で伊勢方面に出発。

伊勢市役所の方と打合せの時間まで月夜見宮で時間合わせ。

宇治山田駅から歩いてすぐ。

外宮の豊受大神宮の別宮が「月夜見宮」、内宮の別宮が「月読宮」と表記される。

どちらもイザナギからアマテラス、スサノオと共に生まれたツキヨミノミコトを祀る。

ツクヨミはツクヨミと読むことが多く、私も通常はツクヨミといっているが伊勢神宮ではツキヨミ。

何やら背景にいわくがありそうな事象といえる。

月の神様だとするとツキヨミの方がしっくりくるかもしれない。

ツキヨミを祭神とする神社は相対的に少ない。

 

社殿は伊勢神宮の別宮らしく簡素、こちらも遷宮の時に一新されるのだろう。

 

 


地域再生取材 高松・松山#17 53番札所、圓明寺 

2008年03月22日 | 御遍路・札所

四国88箇所の札所は愛媛県下に40番から65番までがある。

昨日行った石出寺が51番、南から来て北へ向かっていく。

 

伊予和気駅から歩いて行くと53番圓明寺。

寺伝では天平年間の創建で当初は西の海岸にあり七堂伽藍を備えた大寺院だったという。

戦国時代の戦火によって一山を焼失、寛永10年(1633)に再建されたという。

御遍路さんにまじって参詣してみればこのお寺は鬼瓦など意匠がとにかく立派で目を引く。

境内にはキリシタン灯籠があった。

 


地域再生取材 高松・松山#15 道後温泉本館

2008年03月21日 | 街道・史跡

陽が暮れかかる頃に道後温泉に入場。

松山市役所の人が「道後温泉が日帰り銭湯になってしまった」と嘆くように大賑わい。

私は今晩、近くの宿に泊まるので日帰りではないが、確かに松山城などちょこっと観光して温泉に入りさっぱりして広島方面などに行ってしまう観光客の行動はわからぬでもない。

 

道後温泉の入湯料は温泉だけ入る形と休憩室を利用できるプランがある。

今日は坊ちゃん団子付きのプランにしてみた。

二階で着替えて温泉に入り、戻って着替えるとお茶が出る。

館内には夏目漱石の坊ちゃんつながりで「坊ちゃんの間」があり見学してみた。

 

外へ出ると陽が暮れており駅前のからくり時計を見物。

松山は「観光地として申し分ないのに」とつい考えてしまう。

今の松山に足りないモノは何か考えながら就寝。

 


地域再生取材 高松・松山#14 道後八幡伊佐爾波神社

2008年03月21日 | 世界遺産・国宝・重文

石出寺から道後温泉に向かう途中に伊佐爾波神社がある。

あまり知られていない八幡様であるが全国に3つしかない八幡造の本殿で国の重文。

真っ直ぐな石段を上っていくと赤々とした社殿がおもむろに現れる。

創建は古代、景行天皇の皇子ヤマトタケルの子、仲哀天皇と神功皇后がクマソ征伐に遠征した時、道後温泉に滞在した行宮の後に建てられたという。

その地は現在の湯築城跡、河野氏が湯築城を築城した際に移転したという。

社殿は加藤嘉明の後に入封した松山藩松平家によって建てられたもの。

小さな岡の上を削平して建てられているため社域は広くはなく一杯一杯に立派な社殿が威張っている。

 

温泉に入る前のいい運動になった。

 

 


地域再生取材 高松・松山#12 松山城

2008年03月21日 | 日本100名城・続100名城

リフトで松山城本丸へ上る。

天気がいいので眺望も抜群。

松山城の魅力のひとつは高石垣、熊本城や名古屋城などとは違った風情がある。

また縄張が相当工夫されていて歩くごとに景色がかわるのもまたおもしろい。

天守など構造物は台風などに耐えるためか屋根の勾配がゆるく、身構えるような面もちでありこれも独特のものと思われる。

本丸からは松山港や雪をかぶった石鎚山などがよくみえた。

 

 

 


地域再生取材 高松・松山#11 愚陀佛庵

2008年03月21日 | 取材・旅行記

取材4日目は松山市役所の取材から。

観光課で話を聞いて資料をもらってから松山城の方へぶらぶら歩く。

愛媛県庁本館は文化財としても価値がある。

1920年の竣工で風格がある。

2004年の映画「世界の中心で愛をさけぶ」のロケ地となった他、ドラマなどの撮影にもよく使われている。

 

県庁の裏手から城山に上っていくと萬翠荘、松山藩主久松家の別荘として1922年、大正11年に建てられた。

その一角に夏目漱石の下宿を復元した愚陀佛庵がある。

漱石は療養中の正岡子規を招いてひと月あまり一緒に生活している。

 

ここを上っていくと松山城本丸、今日はリフトで上っていくことにしてリフト乗り場へ。

 

 


地域再生取材 高松・松山#10 坂の上の雲ミュージアム

2008年03月20日 | 取材・旅行記

市街地を歩いてから坂の上の雲ミュージアムを訪問。

 

このミュージアムは昨2007年4月に開館した新しい施設。

司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」を主題としたミュージアムである。

NHKで同名の長編ドラマが来年末から放映されることで注目されている。

建物は安藤忠雄設計の鉄筋コンクリート造りの地上4階、地下1階、上から見ると三角形をしている。

松山城の城山を背負った地にあって大通りから入ってすぐなのでアクセスは容易。

 

入口に帝国海軍の制服のような意匠の人がいて呼び止められた。

どうやらボランティアで秋山兄弟など日露戦争時の解説をやっているらしい。

 

エントランスから各階へ緩いスロープを上っていく動線、一面に新聞に連載された紙面が並べられていて壮観この上ない。

展示は日露戦争時の史料を淡々と紹介するものであるが、地元出身の秋山兄弟を顕彰したい気分がどうしてもにじみ出ている。

近代の戦争を扱う展示は軍国主義の解釈と表裏一体となる定めがある。

小説「坂の上の雲」は勝利礼賛の物語というよりは西洋に遅れた明治日本がいかに亡国を免れたかを緻密かつ丁寧に解説した物語である。

世間でも司馬さんの作品の中で「坂の上の雲」はひときわ愛読者が多く経営者層には圧倒的な人気がある。

私は中学生の頃、司馬さんの作品を猛烈に読み、歴史をみる基礎を養った。

司馬さんが1996年に急逝されると新作が世に出ることがなくなり、また新たな史料が発見されたりすることで作品の背景に新解釈が加えられ続けることになる。

司馬さんは歴史学者ではなく創作家である。

にもかかわらず作品を歴史資料ととらえがちな風潮があることは大いなる誤解であろう。

 

司馬さんは「坂の上の雲」という作品を映像化することに葛藤があったという。

日露戦争が明治日本にとって大勝利だったというとらえ方は昭和の戦争がボロ負けに終わったことから、過去の栄光ととらえたがる風潮がある。

司馬さんはおそらく自身の作品がひとり歩きして、日露戦争賛美につながることを恐れたのであろう。

 

ミュージアムの展示などみても、また入口で明治の軍人賛美を盛大にやっていた人と話をしてみても、戦争を単独で扱うミュージアムの存在意義はあるのだろうか、はなはだ疑問である。

 

 

 


地域再生取材 高松・松山#9 松山へ

2008年03月20日 | 取材・旅行記

取材三日目は松山市へ移動。

松山市とその周辺地域は観光資源という点では恵まれている。

現存天守を持つ松山城、道後温泉があり、文学の町として夏目漱石や正岡子規といったビッグネームのブランドを活用できる。

しかしこと観光客の入り込みという点では大きな悩みを抱えている。

交通の便がよくなると観光客は迅速に移動することができる。

すると松山に来訪した観光客は主要スポットを足早にみた後に他のエリアに移動してしまう。

観光産業は滞在時間を延ばすことが命題、宿泊や食事、お土産などでカネを地元に落としてもらうためには街に滞在するべき魅力を再発見してもらわねばならない。

 

最初は松山市内のIT化状況を見て回ることは取材の目的の一つ。

商店街に大型ディスプレイを設置して電子広告を流したりIT化された情報端末を設置する試みがなされている。

IT化と観光は親和性が高いようで高くない一面がある。

カギは観光客自身のITリテラシーではないか。

 

 

 


地域再生取材 高松・松山#8 またうどん

2008年03月19日 | ご当地グルメ・土産・名産品

高松市役所で取材した後、うどんの夕食。

結局、全部食事は全部うどんになっている。

観光課で聞いた話では香川県は「うどん」を地域再生の資源として積極的に活用するという。

 

夕食後は瀬戸内海を渡って岡山に、大学の先輩K氏の家に遊びに行って泊めてもらう。