仕事が無事終わって後はひとり旅。
他の日本人クルーは帰国の途に、しかし私のお楽しみはこれから。
ムンスターにある戦車博物館に行くのである。
この町には宿泊施設は少なそうなので近くの大都市、ブレーメンに滞在することにした。
ブレーメンまではDBのICEで行く。
コンパートメントには誰も来ず貸切状態。
車窓からはのどかな田園風景が続く。
ブレーメンは北部ドイツの中核都市のひとつ。
ホテルは駅直結のインターシティ・ホテル。
明日は朝から出発するので到着後、すぐに観光に出発。
仕事が無事終わって後はひとり旅。
他の日本人クルーは帰国の途に、しかし私のお楽しみはこれから。
ムンスターにある戦車博物館に行くのである。
この町には宿泊施設は少なそうなので近くの大都市、ブレーメンに滞在することにした。
ブレーメンまではDBのICEで行く。
コンパートメントには誰も来ず貸切状態。
車窓からはのどかな田園風景が続く。
ブレーメンは北部ドイツの中核都市のひとつ。
ホテルは駅直結のインターシティ・ホテル。
明日は朝から出発するので到着後、すぐに観光に出発。
デュッセルドルフのセッションを終えて今回の出張の現地作業が終了、近場の韓国料理店で焼肉の打上。
ドイツの食事はイタリアのように全部美味いという訳ではないが、パンとソーセージはどこでも美味い。
妙に甘いデザートも現地ならでは。
明日は解散となるので記念にケルンに行こうということになったが、私は単独行動で近所を散歩。
ライン川に出てみるとクロスカントリーの大会をやっていた。
当地は晩秋のようで紅葉が落葉しかけていた。
欧州の秋は短くわびしい。
ショッピングタウンのケーニヒス・アレーあたりを散歩して終了。
ライプツィッヒからデュッセルドルフに移動してきた。
朝早くにホテルを出発、タクシーをぶっ飛ばして空港へ。
この辺りは大平原のまっただ中、往時はナポレオンやドイツ陸軍がロシアに向けて駆けていったところである。
朝焼の中、そんな歴史のシーンを思い浮かべていた。
デュッセルドルフは10年前に来たことがあったがさすがに駅前や大通の雰囲気は変わったように感じる。
これはこちらが海外慣れしたこともあろう。
ホテルはBEST WESTERN HOTEL SAVOY、小さなシティホテルでそこそこ快適。
駅にも仕事場にも歩いて行ける。
デュッセルドルフには11/1まで滞在予定。
ミラノからドイツのライプツィッヒへ移動。
ロンバルディアのプロペラ機でのんびり飛行。
空港から駅へは鉄道で移動。
ホテルは駅前にあるSeaside Park Hotel Leipzig。
新しめのビジネスホテルで部屋も広く快適。
ミラノの激狭ベッドとは雲泥の差である。
ドイツは1995年以来、ザクセン州ライプツィッヒはかつて東ドイツだった地域でナポレオン率いるフランス軍とプロシア・ロシア連合軍が激突した地。
WW2の時空襲で徹底的に破壊されておりドイツの東西統一後、復興しつつあるらしく、町並は新鮮な空気である。
ホテルにチェックイン後、皆で仕事場に行きブリーフィング。
このオフィスは旧市庁舎の真向かいにある。
外観は古いが内部は近代的なオフィスになっている。
この街の中心部はコンパクトにできていて歩いて観光するのに適している。
ライプツィッヒは音楽の街、バッハが飲んだくれた酒場などがある。
仕事の予定が積んでいたので中心部以外には行けなかった。
ならば買いものに精を出すのが常ではあるが骨董屋などのめぼしい店がない。
ようやくポルシェデザインを売っている店を見つけて大枚をはたいてカバンを購入。
ミラノには10/17〜10/21まで滞在。
仕事場は歩いて15分くらいのところにある。
欧州はWifiが発達しているので散策スポットを探したりするのが容易。
その辺、2000年にミラノに来た時よりも進化している。
逆に変わらないのが街並、重々しい石造の街は相変わらず取っつきにくい。
この頃、中国に何度も通って新興都市をみているので真逆の文化に感じる。
ドゥオーモの傍でイタメシを囲んだりもしたが空気が濃い。
ミラノといえばA.C.ミラン。
今回もまたゲームをみられないのが残念。
サン・シーロ見物の機会を逃したのもこれまた残念。
空き時間にガッレリアに行き、公式ショップでミラングッズを買いまくって溜飲を下げた。
何を食べても美味いのがイタリア。
ホテルの朝食も美味い。
ブッフェになっているのだが、ソーセージやハムは別コーナーになっていて別料金が必要。
最初は知らずに取っていたらおばちゃんがすっ飛んできて「カネ払え」と怒る。
仕事をしていて延長コードが必要になり買いに行ったら昼寝タイムでお店全体が休憩。
おもしろい風習ではあるがそんなことだからアジア勢に経済的に負けてしまうのだろう。
アジアといえば夜中に皆でピザを盛大に食っていい気分で歩いていたら前方から2m超のラッパーが来襲。
私に向かって「このシナ野郎」と毒づいてきた。
Chinaはこっちではシナなのだろうか。
「シナと違うわジャップやで」
イタリアは2002年のワールドカップで韓国に審判を買収されて負けたことをひどく恨んでいるのもアジア嫌いの要因。
ミラノ市内はせせこましい石畳の道路、小型車ばかり走っていてフェラーリもランボルギーニも皆無。
確かにこんなデコボコ道をシャコタンで走ったら一日でガリガリになってしまう。
自由時間が少なくてまだ仕事に慣れていない前半戦のこと。
ゆっくり観光したいものである。
カルチョも。
韓国での仕事を終え、ひとりで仁川空港へ。
少し早めにホテルを出てバスで移動。
空港でちょっとしたトラブル発生。
到着するとエアーによってターミナルが違うため運転手が客の荷物を降ろしていく。
私は後で降りる方だったのだが、降りてみるとスーツケースがない。
もしやと思って来た方をみると遥か彼方に我がジュラルミンのリモワが鎮座。
あわててダッシュで取りに戻った次第。
中身は生活用品に加えてPC周辺機器やらが満載。
なくしたらこの後の欧州仕事がえらいことになるところであった。
ほっとしたところで大韓航空に座乗、ビジネスクラスなので快適な空の旅。
フランクフルトで乗換、ミラノのリナーテ空港に到着。
ホテルはBest Western Hotel Galles-Milano。
地下鉄駅のそばの繁華街にある。
夜になって仕事仲間が続々到着、エージェントや通訳などなど総勢7名のクルー。
翌日午後から現地スタッフと仕事を始めることになる。
ソウル三日目は郊外の取材。
KTXで二駅ほど乗って地方の個人宅を訪問。
韓国は見た目は日本人とよく似ていることはよく知られているが、実際に町を歩いてみると建築や風景もよく似ている。
困るのが言葉の問題。
ハングルが全く読めないと何が書いてあるかわからない。
中国なら漢字でどんな店か、どんな料理か大体わかるがハングルしかないレストランではメニューがわからない。
今回通訳をお願いしている方が大学のサークルにいた先輩にそっくりで大変驚いた。
本日は午前中にインタビュー1件。
午後はITベンチャーの産業団地に行く。
ソウルは街中を移動してみると日本の都市とどことなく似た雰囲気を持つ。
街路樹や山に自生する植生が似ているような気もする。
街行く人々の顔つきも日本人と似ているのは当然であるが、その表情はどこか険しくいつも緊張しているような顔をしている。
中国、特に都市部の人は自信に満ちたような表情であることと対照的でもあり、国の勢いというものは微妙に表に出てくるのではなかろうか。
夜はコーディネイタをお願いした韓国企業の社長と会食。
焼肉をごちそうになった。
欧州出張が決まっていたところ、その前にソウルによって欲しいとのオファーがあった。
予定としては成田からソウルに入り、タスクを終えてからそのままフランクフルト経由でミラノに入る。
欧州の予定はミラノからライプツィヒに行き、デュッセルドルフでもうひとつのタスクが終わる。
帰りはオープンにしておく。
航空会社は大韓航空のビジネスクラス、ソウルには夕方の便で入った。
ソウルはワールドカップ以来となる。
ホテルはソウルのヒュンダイレジデンス、タクシーで行った。
他のスタッフと合流し、外の韓国料理屋で打合せを兼ねた夕食。