扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

行く年、2011

2011年12月31日 | 来た道

2011年は気持ちとして随分長かった。
これはもう大震災の影響である。
むしろ原発事故のせいというべきだろう。

震災でお亡くなりになった人にお悔やみの気持ちはもちろん大きい。
遺族の方の悲痛もいかほどかと思う。
4月11日にも書いたが震災で壊れたモノ、津波でさらわれたモノは帰らずとも震災の日がマイナスの極点であって後は登っていくだけだ。
私も含め皆が支援して復興すればよい。

ところが放射能汚染というのはいつが出発点かすらわからない。
ここが社会を暗くする。

どうやら3月11日から数日は当時の原子炉の状況からして日本史上最大の危機であったようだ。
今、原発付近一帯の高濃度汚染地区を除いたエリアが「そこにいる」という点で例年に近いかたちの年末を迎えられるのは運がよかっただけのようだ。

今年1年、家に籠もることが多かった。
執筆に忙しかったということもあるが、本を読み歴史の事物のことを書き散らしている他にどうも気が乗らない。
巣ごもりの日々の中、気持ちの持ちようが随分変わったことに驚いている。
ひとつは「人間はすごいなあ」とむやみに感動するようになったこと、しかも市井の人のやることなすことに一々「儂にはできぬなあ」と思ってしまう。
これはいい方の感動。

政治家や企業経営者に随分不祥事や問題発言があった年であった。
バクチで100億すった会長など「儂にはできぬなあ」とも「それでよく迷惑かけた社員の前に出られるなあ」と感動である。
原発を推進し未曾有の大迷惑を社会にかけた社長がいたが「退職金をもらうとはすげえ気持ちの強さよなあ」と感動であるし。この期に及んで「今度はもっと安全な原発を造りますとはよくいえるなあ」と感動である。
もっともこれは人間の業についての感動。

人間とは絶えきれないほどのストレスを受けると突如、自分を被害者にすることで自我を守ろうとする。
件の電力会社の社長など「運の悪いときに社長にさせられた、おれも被害者だ」と思ったのであろう。
被害者だから慰謝料として給料も退職金ももらって当然、とこう思ったとしか奴の行動を私は理解できない。

この不景気に既得権益を守ろうとする公務員諸氏(議員もか)も「どうぞ給料など削って下さい」というのがまともな感覚だと思うが、「民間は民間として我々はふだんどおり一生懸命やってるのだからこちらこそ被害者」ということなのだろう。

春に四国、夏に北陸、秋に東北と今年はよく動いた。
思うことあって戦国大名の領国経営を調べ出し、タイミング良く原稿料をもらって企画提供することになった。
当初は信長と蒲生氏郷の関係を中心にしようと思っていたが、途中で伊達政宗がメインになってしまった。
伊達政宗にかつてそれほどの思い入れはなく、むしろ蒲生氏郷の才覚を私は買っていた。

ところが東北を旅していると政宗ほどおもしろい人物はない。
そして政宗ほどの政治家も空前絶後といっていい。

政宗の領国は今回の震災の甚大な被害を受けた地域である。
また、政宗が欲しい欲しいと垂涎だった福島の中通り、浜通こそ原発事故の被災地である。
ニュースで「(南)相馬市では」「伊達市では」といっている地名は相馬氏、伊達氏と濃厚な関係にある。

気が遠くなりそうな気持ちがするのは相馬氏とは鎌倉御家人の時代から明治まで一度も本拠を失わなかった3つしかない武家のひとつなのである。
その相馬の地の人々が東電とその利権者の不始末で故郷を追い出され、私がこの先生きている間はおろか数10年、いや数百年、故郷に戻れないということを思うにつけやり場のない虚しさのみが往来する。

2011年という年は悶々の年という他なかった。


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