扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

歴史コラム #23 こんぴらさんのこと

2016年01月31日 | エッセイ:海の想い出

年が変わって23回目のコラムのテーマはこんぴらさん。

歴史物が続いたので神様をネタにしてみた。

 

金刀比羅宮には2007年の11月に行っている。

讃岐国は風景も人も明るいところである。

ただ歩いているだけで楽しい気分になる。

こんぴらさんとはインド由来の神、ガンジス川の神クンピーラに由来する。

姿形は鰐、日本の神様は海を渡ってくると穏やかになる。

大国様がそうであり、弁天様もそう。

 

こんぴらさんでおもしろいのが「渡し樽」や「こんぴら犬」。

お供えを樽に入れて海に放り込み、犬に賽銭をもたせて放つ。

どちらも見つけた人が世話をする。

日本人が考えて伝えたおもしろい風習である。

 

宗教の本を書いている時にこんぴらさんとクンピーラもことも取り上げた。

以来、例の歌を「くんぴらふねふね・・・」と歌ってしまうようになった。


初の積雪

2016年01月20日 | 日常のよしなしごと

1月18日の月曜日に結構な雪が降った。

ふわふわの雪で定規で測れば10センチはあった。

 

今日で3日目だが、南面の屋根は全部溶けたが北面の方はなかなか頑固でまだ少し残っている。

積雪でやっかいなのがこの北面の雪で、我が家の屋根は傾斜が急で落ちてくると結構な勢いがつき、塊になると落ちた衝撃で家が揺れる。

直下にいればケガするのは必定。

 

 


山中湖から道志みち

2016年01月07日 | 街道・史跡

実家から自宅へ戻る。

ここのところ、高速ですんなり帰らずわざわざ一般道で帰るのが常となっている。

「なぜ時間を無駄にする」とよく笑われるが、わざとやっているのである。

クルマに8時間くらい乗っていることになるが安全に気をつけつつぼんやりと流していると執筆のことなどポイントが思いつくことが多い。

また、国道はかつての街道筋であることが多いので、歴史を振り返るのに好都合なのである。

 

今日使ったのは二号機のE90335iで、珍しくスタッドレスタイヤを履いている。

足回りが重いと運動性能が落ち、タイヤのグリップも落ちる。

ゆるゆる走るのには大して影響はなく、路面凍結の心配をそれほど心配しなくてもいいのもこの時期有利である。

 

御殿場からはR246で山越えをする道と山中湖まで行き、道志みちで相模原に出る方法がある。

今日はこの時期にしては暖かいので道志みちを行った。

 

この335iは実にいいクルマでトラブルもパンクの他はなく、不満はない。

しかし、走行距離が7万kmになりなんとしているのでこの冬、売却しようと思っている。

先頃、S4アバントからAlpinaB10に好条件で乗り換えたところであるが、中古車は売り時が肝心である。

 


津市図書館

2016年01月06日 | 取材・旅行記

藤堂高虎の本を執筆している。

この人は戦国有数の才人であるが、認知度好感度が今ひとつである。

その理由はいくつもあげられるが、何といっても司馬遼太郎氏が好きではなく、その気持ちのまま小説に表現したことがあるはずだ。

高虎は関ヶ原で家康の天下取りに多大な貢献をし、見返りに伊勢伊賀20万石余を得た。

そして豊臣つぶしの仕上げとして高虎は伊賀上野城を築いた。

司馬さんの「城塞」に、できたばかりの五層の天守を高虎が台風にかこつけて壊してしまう話が出てくる。

つまり、天下人におもねり尽くした忠義心のない男とされている。

 

本を書いている過程で、高虎は不忠者どころか大変な忠義者で、問題は彼を使う側にあったことがよくわかった。

もうほとんど原稿ができているのだが、史料の確認のために津図書館で参考本を読んできた。

藤堂高虎は市販の史料本がほとんどないのだ。

有名な遺訓についての底本については伊賀上野市が出している翻訳本があるのだが、上野城でしか買えないらしく、ここに置いてあったので助かった。

図書館は全体で芸濃文化センターとなっていて、館内に津城のディオラマがあった。

津城も高虎の作で海沿いの水城として名高い。

城下町と縄張がよくわかっておもしろい。

 

半日くらい読み込んで目的を達し、津市内で鰻丼を食べて帰った。

津の鰻丼は安くてそこそこおいしいのでありがたい。

 


豊川稲荷

2016年01月04日 | 仏閣・仏像・神社

上京していたお袋様をクルマで実家まで送ることになった。

 

午前中に調布を出て、スムーズに新東名を走り、そのまま直行するのも何なので、豊川稲荷に参詣することにした。

三が日が過ぎている平日のこと、それほど混んでもいないだろうと思ったら大間違い。

豊川ICを降りたところから大渋滞。

駐車場をよくわかっていないことでも時間をロスした。

結局、参道にたどり着いたら15:30で陽が傾いてきた。

 

最近、めっきり足腰が弱くなってきたお袋様は本堂裏で挫折。

「ひとりで御参りしてこい」というのでそそくさとお賽銭を上げて狐の神様に手を合わせ、御朱印をいただいて撤収。

そこからは順調だったが夕食を作るのも面倒なので知立駅前でうどんを食べて終了。

 


回向院詣で

2016年01月02日 | 仏閣・仏像・神社

新年明けてお袋様が上京、家族で集まるかとなって姉宅を訪問。

姉上は両国橋の辺りに住んでおり、近くのマンションを買ったのだという。

独身なのに家ふたつとは何とも豪勢なものである。

 

兄上家は長男が就職し、長女が大学2年生、高校生の末っ子が来た。

兄者は糖尿病に脳梗塞と満身創痍である。

 

お節などつまんで折角来たのだからと回向院に御参りに行った。

回向院は保科正之の発願であり、明暦の大火の死者を弔うために創建された。