6回目のテーマは空海とした。
改めて考えてみると「空」+「海」というその名。
若き頃、土佐の海岸でひとり荒行をしていた空海は明けの明星が口から飛び込んできたという。
これが空海の名のいわれ。
その人生は波乱続き、しかも全てが成功につながるという希にみる人生がそのまま大河ドラマのような人である。
原稿にも書いたが「もしもその人生を共に体験できるならば誰にする」と神様に問われればこの人以外にない。
空海が引き継いだ真言密教、本場のインド中国で衰退した今、後期密教を継いだチベットがあんなことになっていることもあり、密教の法灯は高野山が護らねばならない。
空海と対比されることの多い最澄、組織・体制としての日本仏教への貢献は最澄の方が大きい。
空海はあまりにも個人のカリスマ性が大きい分、後継者はその名が持つ威光に苦しんだだろう。
護摩に修験道、神仏習合、稲荷信仰それに社会インフラの整備事業、温泉にすら空海伝説を今に残した。
空海のことを思い出すとその故郷讃岐の人のよさ。
いつか御遍路を逆打ちし、偉大な大師に逢いたい。