扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

歴史コラム #22 八丈島の戦国大名

2015年11月30日 | エッセイ:海の想い出

コラム22回目は宇喜多秀家。

この人が海の想い出につながるのは八丈島のこと。

秀家は関ヶ原の合戦で敗れて囚われ流された。

以後50年、島で過ごして83才で死んだ。

秀家は秀吉に愛されて猶子となり秀吉の肝いりで前田利家の娘を正室とした。

豊臣政権を軍事で支える柱石に成長した秀家は若くして五大老に選ばれる。

もう少し政治の機微がわかる狡猾さをもっていたら前田利家の後を継いで秀頼の後見たり得たであろう。

 

秀家は関ケ原出陣諸将の中で最も長く生きた。

島に訪れる人を通じて豊臣家が滅び徳川政権が盤石となる過程を知っていただろう。

家康が死に、秀忠が死に、家光が死んだことも知っていた。

「長生きをする」

この点では秀家の完勝であったことをコラムの落としどころにした。


「偉人に学ぶ地方再生 Vol.2 保科正之」配本開始

2015年11月01日 | 文筆業として

単著12作目、偉人に学ぶシリーズ2作目。

保科正之は調べれば調べるほど完璧な政治家。

日本の総理大臣にしたい歴史上の人物の筆頭格。

保科正之をトップに山田方谷に現場指揮を任せれば最強組織のできあがり。

しかしながらあまりに偉大な家祖の存在は幕末まで会津藩の精神性を縛る。

守旧派が革新派を黙らせる手段となる。

 

取材で会津に行くのも三回目、今回は猪苗代湖畔の正之の墳墓に参詣したのが思い出。

今年は山田方谷、保科正之と2作発行。

次回作も決まっており充実した日々。

歴史物は数を追うと知見が縦横に深まっていくのがおもしろい。