近鉄奈良駅から興福寺へと商店街を通り抜けて東へ行く。
この道は春日大社までの参道、しばらく行くと左手に五重の塔が見えてくる。
京都の塔といえば東寺の五重塔か八坂塔であるが、奈良であればこの五重塔。
南都七大寺に数えられる興福寺の起源は669年、中臣(藤原)鎌足が造立した釈迦三尊像を安置するために夫人の鏡女王によって建立された山階(やましな)寺を前身とする。
その後、飛鳥に移り「厩坂寺」となる。藤原氏の氏寺として国家権力中枢が奈良に移る際に現在の地にやってきたようだ。
創建は和銅3年(710)、さすれば奈良時代スタートの年である。
奈良に来ると興福寺には必ず寄っている。それは極上の仏を見に行くため。
五重塔の北に東金堂、仏像のワンダーランドである。なお中金堂・西金堂もかつてあった。
この東金堂そのものが国宝で現在のお堂は1415年の再建。
東金堂は薬師如来を本尊とする聖武天皇の願になる。
五重塔は聖武天皇の夫人光明皇后の創建でこのふたつは夫婦和合の聖域なんだそう。
さて仏たちのこと。
次のものが国宝・重文である。
-銅造薬師如来坐像 室町時代 重要文化財
-銅造日光・月光菩薩立像 白凰時代 重要文化財
※薬師系の脇侍、薬師如来と3点セット。山田寺(国宝館に仏頭がある)から来た。
-木造文殊菩薩坐像 鎌倉時代 国宝
※鎧を着て獅子に乗っておられる定慶作
-木造維摩居士坐像 鎌倉時代 国宝
※これも定慶作、維摩居士は「人」であるが文殊菩薩のみが彼に対等に問答できるほどの秀才、確かに文殊とセットでみると両方頭がよさそうに見える。
-木造四天王立像 平安時代 国宝
※多聞天と増長天は兜をかぶり広目天と持国天はマゲ、よく見ないとわからないが瞳は黒漆で塗ってあるらしい。
注目は邪鬼の踏まれっぷり、広目天に踏まれているのが一番、痛そう。
何といってもこれを一木で作れることがすごい技術。
-木造十二神将立像 鎌倉時代 国宝
※鎌倉期の作で腰のひねりが効いている。十二神将それぞれに頭に支獣(干支の動物)を載せる。
小さいのでどれが何を載せているのかわからないが、写真でみると私の干支、辰を載せるのは波夷羅大将である。
伐折羅大将に劣らずなかなかによい大将ぶり。伐折羅大将のみサンダル履きで涼しそう。
伽藍に注目したことはなかったのがどうやら整備計画が進行中のよう。
2010年は平城京遷都1300年であるのでそれに向けて整備されるらしい。
興福寺は明治初期の廃仏毀釈で大分荒れた。
日本人はよく中国の文化大革命を「野蛮だ、許し難い」というのであるがほんの130年だか前に我々日本人も同じようなことをやっている。
幸いというか五重塔は壊されず、寺史によると五重塔全部が250円で売れたらしい。
2007年の年賀状のイメージカットは興福寺の五重塔にするのもいいかと思った。
興福寺の伽藍あたりからすでに鹿のワンダーランド、鹿たちは角を切ってもらってさっぱりしている。
大仏殿から三月堂へ上ってみると奈良市街が遠望できた。