扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

奈良の旅、興福寺から大仏殿

2006年12月22日 | 仏閣・仏像・神社

近鉄奈良駅から興福寺へと商店街を通り抜けて東へ行く。

この道は春日大社までの参道、しばらく行くと左手に五重の塔が見えてくる。

京都の塔といえば東寺の五重塔か八坂塔であるが、奈良であればこの五重塔。

南都七大寺に数えられる興福寺の起源は669年、中臣(藤原)鎌足が造立した釈迦三尊像を安置するために夫人の鏡女王によって建立された山階(やましな)寺を前身とする。

その後、飛鳥に移り「厩坂寺」となる。藤原氏の氏寺として国家権力中枢が奈良に移る際に現在の地にやってきたようだ。

創建は和銅3年(710)、さすれば奈良時代スタートの年である。

奈良に来ると興福寺には必ず寄っている。それは極上の仏を見に行くため。

 

五重塔の北に東金堂、仏像のワンダーランドである。なお中金堂・西金堂もかつてあった。
この東金堂そのものが国宝で現在のお堂は1415年の再建。
東金堂は薬師如来を本尊とする聖武天皇の願になる。

五重塔は聖武天皇の夫人光明皇后の創建でこのふたつは夫婦和合の聖域なんだそう。

さて仏たちのこと。

次のものが国宝・重文である。

-銅造薬師如来坐像 室町時代 重要文化財
-銅造日光・月光菩薩立像 白凰時代 重要文化財
※薬師系の脇侍、薬師如来と3点セット。山田寺(国宝館に仏頭がある)から来た。
-木造文殊菩薩坐像 鎌倉時代 国宝
※鎧を着て獅子に乗っておられる定慶作
-木造維摩居士坐像 鎌倉時代 国宝
※これも定慶作、維摩居士は「人」であるが文殊菩薩のみが彼に対等に問答できるほどの秀才、確かに文殊とセットでみると両方頭がよさそうに見える。
-木造四天王立像 平安時代 国宝
※多聞天と増長天は兜をかぶり広目天と持国天はマゲ、よく見ないとわからないが瞳は黒漆で塗ってあるらしい。

注目は邪鬼の踏まれっぷり、広目天に踏まれているのが一番、痛そう。

何といってもこれを一木で作れることがすごい技術。
-木造十二神将立像 鎌倉時代 国宝
※鎌倉期の作で腰のひねりが効いている。十二神将それぞれに頭に支獣(干支の動物)を載せる。

小さいのでどれが何を載せているのかわからないが、写真でみると私の干支、辰を載せるのは波夷羅大将である。

伐折羅大将に劣らずなかなかによい大将ぶり。伐折羅大将のみサンダル履きで涼しそう。


伽藍に注目したことはなかったのがどうやら整備計画が進行中のよう。
2010年は平城京遷都1300年であるのでそれに向けて整備されるらしい。

興福寺は明治初期の廃仏毀釈で大分荒れた。

日本人はよく中国の文化大革命を「野蛮だ、許し難い」というのであるがほんの130年だか前に我々日本人も同じようなことをやっている。

幸いというか五重塔は壊されず、寺史によると五重塔全部が250円で売れたらしい。

2007年の年賀状のイメージカットは興福寺の五重塔にするのもいいかと思った。

興福寺の伽藍あたりからすでに鹿のワンダーランド、鹿たちは角を切ってもらってさっぱりしている。

大仏殿から三月堂へ上ってみると奈良市街が遠望できた。

 

 


京都から奈良へ移動

2006年12月22日 | ご当地グルメ・土産・名産品

朝食はホテル内の「日本料理 京浜作」の定食。

チェックアウトして、行きがけに京都駅の構内にある「志津屋」であんパンセットと抹茶あずきをおやつ用に購入。


京都から奈良に行くのは普通は近鉄で行く。
特急で指定席で行く手もあるが、時間的にあまり変わらないので急行で行けばよい。大和西大寺駅で乗り換えるが乗り換え時間を入れても所要時間は1時間弱。

今日は金曜日であるが平日ということもあり車内はすいている。
定番、興福寺と三月堂に行って後はなりゆきにする。


新京極かねよの錦糸丼

2006年12月21日 | ご当地グルメ・土産・名産品

本日の晩飯は「かねよ」のきんし丼。

鰻丼の上にだし巻きが載っている。

地下鉄で京都駅まで戻り一日が終わる。

今回の泊まりは「新都ホテル」。
ホスピタリティは平均以上であると思う。

京都には蹴上にも都ホテルがあってお気に入りであるがこちらはウェスティングループになっている。

明日は奈良行き。


猪の狛犬、禅居庵を抜けて新京極

2006年12月21日 | 取材・旅行記

六波羅蜜寺を出て北へ上がり大和大路を行くと右手が建仁寺、京都五山の第3位である。
もはや拝観時間が終わっているので立ち寄りようもなく、建仁寺の西側に塔頭の禅居庵があるので寄ってみた。
ここの本尊は摩利支尊天蔵で猪に乗っている。
よって狛犬は「狛猪」、ちゃんと阿吽になっている。
猪年の今年、お参りにいくのもよかろう。
狛猪を発見してから、川端通に出て鴨川沿いに北上。


ここで中国人に道を尋ねられる。
四条烏丸に行きたいそうなので道を教える。
シンガポールから来たそうで顔は中国人であるが「再見」ではなく「Good Bye」。

四条大橋で「捨て猫ボランティア」に遭遇。この人達とは京都に行くたびになぜか出会ってしまう。
よく会うのは四条河原町の交差点なのであるが今日はここにいた。

四条通りを西に行き、黒紋付染の技術を使ったTEMASを訪れ、そのまま大丸まで行き、店じまいを始めた錦市場を通って新京極の菱屋善兵衛、龍柄のカードケースを買う。



空也の寺、六波羅蜜寺の踊念仏

2006年12月21日 | 世界遺産・国宝・重文

東寺を後にし、堀川通りの「天下一品」で”こってり”を食べ、荷物をホテルに置いた後、六波羅蜜寺を拝観。
ここは私の記憶では学生時代以来、ほぼ20年ぶり。

場所は東大路と大和大路の間、四条と五条の間、建仁寺の南にある。
間近にお気に入りスポットがないためになかなか行く機会がなかったが、淡交社から出ている「新版古寺巡礼京都」の5が「六波羅蜜寺」であったこともあり、思い立った。

六波羅蜜寺は、天暦5年(951)、醍醐天皇の皇子(諸説有り)の空也上人が開創になる天台別院で西国第十七番の札所。
六波羅という地名は源平の頃に歴史に登場する。
「平氏にあらずんば人にあらず」の頃、平清盛は「六波羅殿」と呼称された。平氏の根拠地が六波羅にあったためである。
1183年、源義仲に倶利伽羅峠から敗走した平家は都落ちする。
政権を奪取した源氏は京都守護を置くが、後鳥羽上皇の承久の乱の後、「六波羅探題」と改組する。

そして六波羅蜜のいわれは六つの「波羅蜜」の修行、波羅蜜とは彼岸(悟りの世界)に至ることである。

六波羅蜜寺のウェブサイトより六波羅密を勉強してみると・・・


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六波羅蜜
布 施
見返りを求めない応分の施しをさせていただく事をいいます。貪欲の気持ちを抑えて、完全な恵みを施すことです。布施行は物質だけではありません。

持 戒
道徳・法律等は人が作り現在はますます複雑になっています。私たちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒める事が肝要です。

忍 辱
如何なる辱めを受けても、堪え忍ぶことが出来れば苦痛の多い現代社会において、自らが他の存在に生かされていることがわかり、全ての人の心を我が心とする仏様の慈悲に通じることとなります。

精 進
不断の努力をいいます。我々人の生命は限りがあります。ひとときも無駄にすることなく日々誠心誠意尽くすことです。

禅 定
冷静に第三者の立場で自分自身を見つめることをいいます。

智 慧
我々は本来仏様の智慧を頂戴してこの世に生をうけております。しかし、貪りや怒り愚痴によってその大切な智慧を曇らせてしまいがちです。
布施・持戒・忍辱・精進・禅定の修行を実践しどちらにもかたよらない中道を歩み、此の岸から彼に岸へ・・・。
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さて六波羅蜜寺にある像は次のとおり。
秘仏である十一面観音の他は、宝物館で観ることができる。

●十一面観音立像(国宝) 藤原時代
※辰年に開帳、次の開帳は2012年
●薬師如来坐像(重文)
●地蔵菩薩立像(重文)
※左手に頭髪をお持ちであるので「鬘掛地蔵」ともいう。
●多聞天立像 (重文)、広目天立像 (重文)、持国天立像 (重文)
以上、平安(藤原)期
●増長天立像 (重文)
※ここの四天王は増長天のみが鎌倉期、平安期の三体と見比べることができる。サイズや装飾・造型など似せてはあるものの、腰のひねりを大きくしてしまっている
●地蔵菩薩坐像(重文)
※別名「夢見地蔵」運慶作
●吉祥天女像 (重文)
※ここの吉祥天は浄瑠璃寺のそれよりずいぶん「おばはん」にみえる。
●閻魔大王像 (重文)
※脇侍っぽい司命・司録を従えている、また三途の川で亡者の衣服を剥ぐ奪衣婆像もあり、地獄セットとなっている
●弘法大師像 (重文)
※空海、例の法具をお持ち、玉眼、快慶の弟子、長快の作
●空也上人像 (重文)
※私はあまり好きではないが、おそらく日本で最も知名度が高い像のひとつ。

口から六体の阿弥陀仏が現れている例の像、薄暗い館内ではわかりにくいが玉眼、運慶四男、康勝の作
●平清盛坐像 (重文)
※この像も我々世代は教科書でおなじみであろう、慶派仏師の作であるらしい、この像も玉眼
●運慶坐像 (重文)
※有名な仏師、東大寺金剛力士像、興福寺無著像、世親像などの作者であるがビリケンさん様式のアタマである、玉眼
●湛慶坐像 (重文)
※運慶の長男、三十三間堂の千手観音はこのひとの作、自作であるそうだが玉眼はここの像中で眼力(めぢから)最強
以上、鎌倉期

宝物館には誰もいなくなってしまった。そうすると係の方が声をかけてくれた。
「これから踊念仏を行うのでご覧になりませんか」とのこと。
全く気づいていなかったのであるが、年末12/13~除夜まで重要無形民族文化財である「空也踊躍念仏」が本堂において夕暮れに催され、誰でも参加できる。
薄暗い中、空也像と同じく胸に金鼓をつけた層によるライブの踊念仏は趣深い。空也上人時代そのまま保存され続けているそうだ。
また、念仏が迫害を受けていた時代の名残で「南無阿弥陀仏」を「モーダナンマイトー」「ノーボーオミトー」と発音なされる。
得難い経験であった。

参考
【六波羅蜜寺年中行事】
正月     初詣 皇服茶授与
1/17     初観音
8/8.9.10   萬灯会厳修
9/11     開山忌
12/13~除夜  空也踊躍念仏厳修



東寺の仏たち

2006年12月21日 | 世界遺産・国宝・重文

終い弘法をひやかしたついでに東寺に寄った。
東寺は花見シーズン以来、今年2回目。

冬のお寺は特別な趣がある。何より人が少ないのがよい。

弘法さんはものすごい人出であるがそこから数十メートル離れれば別世界、寒いのをがまんできれば仏像を眺めるのは冬が最もよい。

拝観コースはいつもどおり受付→講堂→金堂→五重塔。

 

今日、明日と京都・奈良を回るのであるが、四天王像・十二神将像をいくつかみることになる。

鎧兜で武装した仏像達である。

ここ東寺には、講堂内に四天王(国宝)及び帝釈天(国宝)の五守護天、金堂内陣に薬師三尊像(重文)の台座に十二神将像(重文)が配されている。

金堂の有名な立体曼荼羅の東西南北に四天王がある。四天王を従えるのが帝釈天、ここ東寺の帝釈天は白象に乗ったなかなかにイケメンである。

武官である故、甲冑をつけておられる。
いずれも平安前期の作。

金堂の薬師如来の台座を取り巻く十二神将はサイズも小さく、近くに寄れないのでディテールが見にくい。

それでもなかなかよい顔をしていることはわかる。桃山時代の大仏師康正の作。

また、食堂内で千手観音を守護していた四天王は1930年(昭和5年)の不審火による大火で大破した。

黒焦げの姿そのままに食堂内におかれており、痛々しくもあるがなおも仏法を守護せんとする根性が伝わってもくる。

五重塔では、初層の軒下で邪鬼が必死に屋根を支えている。
その仕事ぶりを眺めてみるのもおもしろい。

東寺でまだ見ていないのは五重の塔の初層、灌頂院、来年の正月は京都で過ごそうかと思った。

参考までに
【東寺年中行事】
1/1~5  初詣(五重塔初層公開)
1/3   修正会
1/8~14 後七日御修法
1/21   初弘法
1/28   講堂修正会
3/21   春の彼岸会
4/21 正御影供(灌頂院絵馬御開帳)
6/15   降誕会
8/15   万灯会
9/21   秋の彼岸会
12/21  終い弘法

【拝観時間】
夏時間 3/20~9/19 AM8:30~PM5:30
冬時間 9/20~3/19 AM8:30~PM4:30

【宝物館特別公開】
春期  3/20~5/25
秋期  9/20~11/25

以上、東寺パンフレットより


東寺の終い弘法

2006年12月21日 | 取材・旅行記

その年の最後の弘法市、終い弘法に行った。

名古屋から8時台の新幹線に乗り、京都駅南の新都ホテルに荷物を預け、歩いて行く。
九条通りを西に行き、近鉄の駅を通り過ぎ、南大門の前あたりからすでに出店者が店開きをしており、相当の人手、境内・参道すべて露天で埋め尽くされている。

今回も骨董品の類を物色。
結局、なじみの紫野・伽藍堂さんで仏画2点を購入。いずれ額装して事務所に飾ろうと思う。

家人は福井のおっちゃんの店で船箪笥、その他、招き猫をお買上。
弘法さんは朝早めに行かないとよいものはすぐに売れてしまうし、昼を過ぎると人手の多さで暢気に視ていられなくなる。

 


TOYOTA CUP 2006 横浜の悪夢

2006年12月17日 | Football

かつてのTOYOTAカップはクラブワールドカップとなった。

今年はF.C.バルセロナがチャンピオンズリーグを制覇。

何とかチケットを入手して家人と観戦に出撃。

 

横浜中華街で昼飯後、横浜スタジアムへ。

すでに3位決定戦がアル・アハリとクラブ・アメリカとで始まっている。

クラブ・アメリカにはメキシコの英雄ブランコとクラウディオ・ロペスがいる。

アル・アハリが2-1で勝った。

いよいよ決勝、バルサとブラジルのインテルナシオナル。

 

【バルサのスタメン】

          バルデス

ザンブロッタ - プジョル - マルケス - ジオ

     イニエスタ - モッタ - デコ

  グジョンセン - ロナウジーニョ - ジュリ

 

当然いるべきエトォとメッシはケガで離脱中。

ゲームが始まるとバルサが押し気味ではあるがいつものようなボール回しがうまくいかない。

ロニーのフリーキックも決まらず。

膠着のまま前半終了。

後半が始まるとバルサが反対側に攻めていく。

状況はよくならず、ベレッチ、チャビと投入するもゴールは生まれず。

こうなるとお決まりの展開、カウンターを喰らって失点。

そのまま終了。

まさか絶頂期のしょっぱい試合で負けるとは...

 

私が気合い満々で観戦すると、必ず見たい選手がケガで欠場。

本来のパフォーマンスができずにつまらん負け方をする。

ワールドカップの開幕戦、スペインの準々決勝などなど。

 

葬式気分で帰宅。

2000年の天皇杯決勝のように、またどこかで快哉の観戦をしたいものである。