いよいよ大物、日本の戦車と対面。
九七式中戦車は1937年に正式採用、まず諸元を確かめる。
〈諸元〉
重量 15.8t
全幅 2.32m
全長 5.50m
全高 2.38m
装甲 前面25mm
側面20mm
乗員 4名
武装 97式57mm戦車砲
97式7.7mm車載機関銃×2
最高速度 38km/h
行動距離 210km
参考までにドイツの中戦車、Pantel G型はどうかというと
重量 44.8t
全幅 3.27m
全長 8.66m
車体長 6.87m
全高 2.85m
装甲 前面80mm
側面40mm
最高速度 55km/h
武装 75mm戦車砲
7.92mm機関銃×2
乗員 5名
行動距離 250km
(出典:wikipedia等)
重量で約3分の1、全幅で約1m、車体長で3m小さい。その割には全高はほぼ同等。
戦術的に大きく異なるのは主砲と前面装甲。
運用の目的が違うので単純に比較できないが、実際には対戦車戦でほぼ無敵のPantelに対し、九七式は米軍のM4中戦車に全く勝機はなかった。
装甲の薄さは致命的である。
日本の道路・鉄道事情を考えれば、重厚長大の戦車を開発することは無謀であったろう。
そもそも作れたかどうかも定かではないが重戦車など開発しようものなら、生産能力の点でも大いに問題となったであろう。
先見の明であったかどうかは不明であるが九七式は空冷ディーゼルエンジン、ドイツ戦車などが採用するガソリンエンジンと比較して、攻撃されても燃えにくい、燃費がよいなど一応の利点があった。
しかし実際に間近に見ても車高が高いのがわかる。
身長180cmの私でも車体上面は見えない、これはドイツの四号戦車以降と同じ印象。
前面から見ると車幅は狭いし、無限軌道もやはり狭い。これで4人乗りというのが信じ難い。
ドイツの戦車は一見してインダストリアルデザインというか、工芸品といっても過言でないほどに美しい。
またソ連の戦車は一様に不気味さが漂う。
誉められる行為ではないが、車体など撫でてみる。塗装など恐らくオリジナルではなかろうが鉄の塊であることは伝わってくる。叩いてみても鈍い音でびくともしない。
ただ、連合軍のどの戦車砲でも対戦車砲でもあるいは対戦車銃でも狙われたら貫通する薄さで、この車体にも無数の被弾跡がある。
小銃しか持たない歩兵以外、いかなる敵に遭遇しても常時、撃破される鉄の箱に座る気持ちはどれほど恐ろしいことだろう。
ドイツで見た、無敵でありながら常に孤独であったドイツの虎も哀しいが、この国の戦車はひときわ哀しさだけが漂う。
展示室には、艦爆「彗星」も展示されている。
艦上攻撃機としては小振りであるこの機もまた、悲劇のみの機械である。
艦攻「彗星」、上にわずかにみえるのは特攻兵器「桜花」
これで見学終了。
ロビー横には喫茶店もありまた売店が異様に充実している。
本や絵葉書・御菓子は定番として、ステーショナリからマグカップ、コスプレ衣装からプラモデルまで。
メインは零戦と戦艦大和であるらしい。
どういうつながりで仕入れられているのか不明であるが、自衛隊グッズもおいてある。
こんなものも見つけた。
なお、遊就館のウェブサイトでも通販を行っている。
遊就館ウェブサイト
何故、我々の先代は侵略戦争を思いついたのであろうかを考えることは、この国のこころを感じるための必要不可欠の要素である。
このDNAを我々は間違いなく持っている。