コラム53回目は日本思想の話。
特に「空」のことにふれてみた。
仏教と神道、このふたつの思想は日本のこころの両輪となって1500年続いた。
信仰というものは洋の東西を問わずに他思想の影響を受けて変化していくのが常。
日本の場合、極東の島国であったが故に大陸思想を知ると上手に受け入れ溶け込ませていった。
神社仏閣に仏像、お盆に食文化とキリがない。
クリスマスなんかもそうである。
一方で日本人の大勢が消化しきれなかったものもある。
一神教がその最たるものかもしれない。
一向宗や日蓮宗は一神教の雰囲気を持っているが他宗派の全てを否定はすまい。
またインド哲学の輪廻転生も受け入れがたかったように思う。
「人は死んだら山から子孫を見守る」これが自然な感覚といえないか。
物質の存在もまた信じにくい。
「色即是空、空即是色」「五蘊皆空、一切皆空」、仏教の根本教義で最も釈迦が伝えたかった教義はどうやら空振りの感がある。
かつて東洋思想の本を書くためにいろいろ勉強していた時、最も衝撃を受けたのが唯識の思想。
古代インド哲学は物質の存在についてとことん悩み抜き大いに議論した。
そして何ものも人のこころの中で知覚するシステムが存在すると思い込んでいるに過ぎないと看破した。
この考え方は現代の科学でも完全に否定できない。
感覚が各種センサーで受けた信号を電気的に伝達しているということは突き止めたようだがそれ以上の定義は難しかろう。
「空」と「無」の違いも然りである。
今回はそんな話を書いた。
ついでに我がペンネームの由来、「龍樹」尊者のエピソードも入れてみた。
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