扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

ワールドカップ2002 #1 開会式とフランス vs セネガル

2002年05月31日 | Football

ワールドカップはオンライン予約により、イタリア戦の3試合セットが入手できた。

さらに札幌のドイツvsサウジアラビア、韓国分の1/4Finalのチケットも入手。

 

その後、開会式開幕戦のツアーを夫婦で予約し、勇躍ソウルに向かった。

日韓共催が決まるまでワールドカップの観戦はほぼ夢であったが、意外に早く実現となった。

 

JALの0951便でソウルに着き、ホテルに荷物を降ろすとまだ時間に余裕がある。

焼肉を食いに行くやら明洞を冷やかすやらして時間をつぶし、陽が暮れる頃、スタジアムに入った。

小泉純一郎首相の挨拶などあった後、韓国伝統芸能のようなショーがあり、いよいよ選手入場である。

この一戦、人生初の生ワールドカップ、しかも開幕戦という他にも楽しみはいくつかあった。

ひとつはジダンのプレーを見ることである。

私の贔屓チームはナショナルチームでいえばドイツとイングランド、各国リーグでは何と言ってもリーガ・エスパニョーラのバルサであるが、リーガが視聴可能になった98年以前はセリエAのユベントスとACミランであった。

ユベントスの中核メンバーがジダン、デルピエロ、デシャンなど、98年のフランスワールドカップではトロフィーを掲げたメンバーの絶頂期をこの目で見られる。

と思ったらジダンが韓国とのテストマッチで負傷、この試合の先発から外れた。

 

楽しみがもうひとつ。

フランス国家、「ラ・マルセイエーズ」をスタジアムで聞くことである。

と思った期待の国家であったが、今大会ではブラスバンドではなく、女性のアカペラ独唱でややずっこけた。

ジダンと国家、このつまづきで盛り下がっていたところゲームの内容がさらに盛り下がる代物であった。

フランスの先発は

GK バルデズ

DF リザラズ、デサイー、ルブフ、テュラム

MF ビエラ、プティ、ジョルカエフ、

FW アンリ、トレゼゲ、ヴィルトール

である。

ジダンの代わりはジョルカエフが務める。

相手のセネガルについては情報が全くなく、勝手ながらフランス楽勝と思っていたらあに図らんや。

攻勢が続くもゴールは決まらず時間が過ぎる。

そうなるとお決まりの展開で30分、ゴール裏の我々の目前でセネガルのディオップにこぼれ球を押し込まれる。

後半も悶々が続いてそのまま0-1で終了。

何ともいえないワールドカップの初観戦となり、どうやってホテルに帰ったのかも覚えていない。

 

とはいえ、ワールドカップが始まったばかり、明日は早々にソウルを発ち、関空経由で札幌に向かう。