扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

江戸の007 -間宮林蔵記念館-

2018年04月22日 | 街道・史跡

海の想い出エッセイの次号テーマは間宮林蔵。

間宮海峡を発見した人である。

この人は常陸国出身。

農家に生まれ、子供ながらに幕府の治水工事に顔を出し、機転の聞いたことを言って幕府の役人に気に入られ、伊勢出身の冒険家にして幕府御雇の技術者村上島之丞に見出されて蝦夷地へ行った。

蝦夷地の調査を拝命してカラフトに行き、かの島が島であることを確認、シーボルトが世界にその偉業を知らしめた。

と書くと淡々としたひとつの冒険行でしかないが、そこに行き着く過程もその後の運命もなかなかにドラマティックである。

3000文字余の分量ではとても書き切れない「いい人生」だったと思う。

晩年は隠密仕事をやって諸人に恨まれたようでやった仕事に対する評価が著しく低いことが残念でもある。

間宮の仕事で最もおもしろいのが海峡を発見した後のこと、間宮は国禁を犯して大陸側に渡り、アムール川を遡上して清の出先役所に顔を出し、役人に歓待された。

まさに「未知との遭遇」をやりその報告書を見事にまとめた。

間宮はこの時、公務員だった訳だが国禁を犯して海外に足跡を記すか、ビビって野望を抑えるか、その決断に迫られたとき、己の心に問い冒険家としての本性に従った。

というようなことをまとめ、「北海のミッション・インポシブル」とタイトルを打った。

 

今日は間宮の墓参りである。

朝からM3で出撃。

一般道を淡々と走っていく。

墓は記念館となっている生家の側にある。

だだっ広い関東平野の真ん中、茨城県つくばみらい市、利根川の支流小貝川のほとりに間宮の故郷があった。

いつも思うことだが、関東平野というのはあほうのように広い。

この明け透けの空を見、利根川の奔流を見て間宮は育った。

記念館の開館時間がまだなので墓参りを先にすませた。

お寺の境内の一角に間宮の顕彰碑がある。

志賀重昂の碑文、題字が鍋島直大。

奥に間宮の墓、両親の墓と共にちんまりと並んでいる。

 

生家もその墓のようにちんまりとしていて江戸のそこそこの農家の造作である。

このようなふつうの庶民から世界に名を成す冒険家が出るところが日本の歴史のおもしろいところといえよう。

記念館では間宮の業績をコンパクトにいい紹介の仕方をしている。

間宮の遺品はごく少ない。膨大な報告書を幕府に上げていただろうにほとんど全て残っていない。

これは地理情報が幕府の機密情報だったことによるものと思われる。

世に出ることなく、維新で消滅したのであろう。

 

間宮の故郷は茫々たる平原の中である。

 

 


松浦武四郎の取材 -松浦武四郎記念館-

2018年04月12日 | 文筆業として

松浦武四郎の本の取材で松阪に出張。

記念館に行く前に生家近くの雲出川にかかる橋を見に行った。

常夜灯が残っている。

この辺りは平野のど真ん中、空も広々としている。

武四郎はこのような開けっぴろげの野で育ち、遥かにみえる熊野の山々に憧れた。

偉人を生む風土というのは必ずあると思う。

本で使う写真を撮りたくて生家にも行ってみた。

 

記念館に到着。今回は記念館の学芸員の方に御教授いただくことになった。

山本命さんはおそらく今最も武四郎に詳しい人のひとりだろう。

テレビ番組でも武四郎ネタの時は必ず登場されている。

今日も取材が入っているようだ。

大変話好きのようでこちらが聞きたい以上の情報を教えてくれる。

本の原稿はほとんど出来上がっているので確認作業が主。

ほぼ望み通りの取材ができた。

本は図表を作成してページ数調整をすれば脱稿。

 

疑問を持ち、それが解決されるのは大変うれしいことである。

 

 


日米親善よこすかスプリングフェスタ 2018

2018年04月07日 | 取材・旅行記

長いこと、一度でかい戦闘艦を見てみたいと思っていた。

21世紀の今日、かつて「戦艦」と呼ばれた巨大な主砲を持つ主力艦は退役、原子力空母がその位置にある。

「横須賀基地に一度空母を見に行こう」と思いつつ早10数年。

とある日、海上から船で第七艦隊の「ロナルド・レーガン」をみられるツアーを見つけて家人と参加することにした。

朝、東京駅をバスで出発。横須賀基地のオープンイベントに参加し、船で艦船をながめるという趣向である。

ところが当日は悪天候のため、船が出せずに陸上見学のみ。

残念。

 

基地には戦艦三笠公園のゲートから入っていく。

様々な屋台が並ぶ中、乗艦体験ができるミサイル駆逐艦に向かって歩いて行くと長蛇の行列。

まあ寄港中の艦船をながめることができるのでさほど退屈でもない。

 

まず間近にみえてくるのが「揚陸指揮艦ブルーリッジ」、第七艦隊の旗艦である。

就役が1971年というから艦歴47年の大ベテラン。

全長190mであるから、旧帝国海軍でいえば軽巡最上より少し短く幅が少し広い。

通信に特化しているため派手な武装はない。

ハワイの司令部とテレビ会議ができるそうで守備範囲が広大な米海軍の旗艦は海に浮かんでいるほうが都合がいいのだろう。

海上自衛隊の指令機能は全て陸上にあり、旗艦という概念はないのと対照的といえよう。

 

艦船の隙間からロナルド・レーガンがちらちらみえているが、想定通りばかでかい艦である。

この新鋭空母は2015年10月に横須賀にやって来た。

全長333m、東京タワーのサイズである。

満載排水量は10万トン超。

F/A18E/Fを50機、その他支援機を搭載する。

第7艦隊の空母は初代が「ミッドウェイ」、「インディペンデンス」「キティホーク」「ジョージ・ワシントン」が務めてきた。

艦上はクレーンで何やら作業中、折しも北朝鮮情勢が緊迫している今年ここまで、どうやら緊急体制でもない様子で少々ほっとした。

 

じわじわと乗艦できる艦に近づいて来た。

ミサイル駆逐艦「カーティス・ウィルバー」。

1991年就役、全長153m余、満載排水量8,362トン。

帝国海軍の軽巡川内などと同じようなサイズである。

私がこれまで乗艦した軍艦は三笠記念艦とN.Y.に係留されている「イントレピッド」。

実戦配備の艦船は初めてである。

2時間近く並んでいよいよ乗船。

案外警備はいい加減なもので甲板を歩き回れるし装備にもほぼ触れることができる。

 

武装は全くもって強力。

2.5inch単装砲1門、機銃を数挺。

そしてミサイル駆逐艦の名のように甲板にMk41ミサイル発射プラットフォームを搭載。

こいつは垂直にミサイルを発射する(VLS)。

湾岸戦争の際、このプラットフォームから発射されるミサイルの映像をよく視た。

対艦対地トマホーク、対空スパロー、対潜アスロックなどやりたい放題。

 

今日一番みたかったのがこのプラットフォーム。

間近でみると意外に普通の造作でコンクリートで固められているようにみえる。

フタがパカッと開いて着火されたミサイルが飛び出していく。

 

誘導管制用のイージスシステムもみえている。

 

甲板からは空母「ロナルド・レーガン」の全体がみえる。

その光景をしばらくながめて退艦。

ツアーの自由時間がほとんどなくなり、三笠記念館にちょっと寄って終了。

公園近くの土産物屋に寄ってツアー終了。

海上から空母を見れなかったのは残念だが満足。

かようなイベントが催されるのも平時のこと、戦が起きぬよう祈る。