「天気の子」、興行収入100億円突破だそうで、おめでとうございます。
本作では、天気をコントロールする能力を持つヒロイン、天野陽菜が「100%の晴れ女」などと話題になります。今回は、気象制御について一筆。ネタバレご注意ください。
気象をコントロールするというのは、水害や干ばつに苦しんできた人類の、太古からの悲願と言っても過言ではありません。古代国家のリーダーの多くは、えてして天候や天文学を理解するとか司るとか称し、祈祷をしたり、神託を受けたり、予言をしたりして、天候を自己神格化にも利用してきました。
本当に気象を操ることができれば、多くの人を救って豊かにできるでしょう。しかし気象制御の技術は、兵器として利用できます。特に大規模災害をもたらす気象現象をコントロールできれば、それは核に匹敵する大量破壊兵器になりうるのではないかと。
1960年代、米国はヨウ化銀をばらまいてハリケーンの弱体化を図る「ストームフューリー計画」を実施したそうです。実際に弱くなったのですが、自然現象で小さくなっただけ、ということが後に判明し、目的にかなう成果は得られなかったとか。
しかしこの計画のデータは引き継がれ、ベトナム戦争の「ポパイ作戦」では実戦に活かされました。ストームフューリーと同じやり方で人工降雨を発生させて雨季の長期化をもたらし、北ベトナム軍の補給ルートを寸断して打撃を与えようというもので、実際に効果が上がったそうです。ただし米軍の別の作戦の障害となり、痛し痒しに終わりました。
もし上記の取り組みが守備よく運んでいたら、当時は冷戦の真っただ中ですから、ハリケーンを逆に強化したり、コースを変更したりして、キューバやニカラグアなどにぶつけていたかも知れません。
現在では、気象コントロール研究の軍事利用は、環境改変兵器禁止条約で禁じられており、多数の国が批准しています。法的抑止力はたかが知れていますが、少なくとも表だって兵器転用できる状況にはないようです。
ことほどさように、気象を司ることは大変な意味を持ち、それだけに極めて困難です。
翻って陽菜の場合は、能力の効果は局所的なもののようですが、天気は非線形科学の分野に属し、バタフライ効果がよく話題になるように、彼女本人にも予測・制御不能な大規模現象に発達する可能性をはらんでいると思われます。「天気の子」が「デイ・アフター・トゥモロー」になってたかも知れません。
予測精度が向上した現代においても、天気予報はいまだ文字通り流動的で、ましては制御をや。その能力を手に入れた彼女は、自身が最終兵器のような存在だったわけですが、地味なバイトで小銭稼ぎにしか利用しない小市民、もとい無欲で謙虚な性格だったおかげでそうならずに済んだ。こんな風に受け止めておきます。雨は止まなくなっちゃったけど。
天気ばかりは、努力や心がけでもどうしようもない。この状況は21世紀においても変わっていませんが、人間の傲慢さを戒める役割を果たしているようにも思えます。駄文でした。
ところで余談ですが、
高校生の少年が、超常能力を持つ少女とかかわりを持つ。
→その能力のお陰で、2人の関係が深まる。
→しかし、天変地異のカタストロフが訪れ、少女は命を失う運命にあることが判明する。
→少年はそれを回避しようと奔走するが、無理解な大人たちの妨害に遭う。
→少年は少女と再会したい一心で、高い場所にあるパワースポットの祠へ必死で走る。
→たどりついた少年に超常現象が起き、不思議空間で少女と再会し、気持ちを伝える。
→少女は助かって最悪の事態は回避されるが、2人はまた会えなくなる。
→数年後、成長した2人は東京の街角で三たび出会う。めでたしめでたし。
→音楽はRADWIMPS。
これ、「君の名は。」と「天気の子」、どっちの話だと思いますか?
両方です。すまんな。
「天気の子」は「君の名は。」とお話の構造にほとんど違いがなく、この二つは本質的に同じ映画だと思いました。
しかしよく考えると、「天気の子」を観に行く人って、「君の名は。」を観た時と同じような気持ちになることを期待してる人が大半だと思うので、これは正しい戦略なんだろうと、今では思っています。
むしろ「君の名は。」が好きで3回観たという人が「天気の子」について「あまりにも都合よくいきすぎ」と不平を漏らしていたのですが、その感性の方が都合よすぎに思えました。
どこがちゃうねん? (´・ω・`)
本作では、天気をコントロールする能力を持つヒロイン、天野陽菜が「100%の晴れ女」などと話題になります。今回は、気象制御について一筆。ネタバレご注意ください。
気象をコントロールするというのは、水害や干ばつに苦しんできた人類の、太古からの悲願と言っても過言ではありません。古代国家のリーダーの多くは、えてして天候や天文学を理解するとか司るとか称し、祈祷をしたり、神託を受けたり、予言をしたりして、天候を自己神格化にも利用してきました。
本当に気象を操ることができれば、多くの人を救って豊かにできるでしょう。しかし気象制御の技術は、兵器として利用できます。特に大規模災害をもたらす気象現象をコントロールできれば、それは核に匹敵する大量破壊兵器になりうるのではないかと。
1960年代、米国はヨウ化銀をばらまいてハリケーンの弱体化を図る「ストームフューリー計画」を実施したそうです。実際に弱くなったのですが、自然現象で小さくなっただけ、ということが後に判明し、目的にかなう成果は得られなかったとか。
しかしこの計画のデータは引き継がれ、ベトナム戦争の「ポパイ作戦」では実戦に活かされました。ストームフューリーと同じやり方で人工降雨を発生させて雨季の長期化をもたらし、北ベトナム軍の補給ルートを寸断して打撃を与えようというもので、実際に効果が上がったそうです。ただし米軍の別の作戦の障害となり、痛し痒しに終わりました。
もし上記の取り組みが守備よく運んでいたら、当時は冷戦の真っただ中ですから、ハリケーンを逆に強化したり、コースを変更したりして、キューバやニカラグアなどにぶつけていたかも知れません。
現在では、気象コントロール研究の軍事利用は、環境改変兵器禁止条約で禁じられており、多数の国が批准しています。法的抑止力はたかが知れていますが、少なくとも表だって兵器転用できる状況にはないようです。
ことほどさように、気象を司ることは大変な意味を持ち、それだけに極めて困難です。
翻って陽菜の場合は、能力の効果は局所的なもののようですが、天気は非線形科学の分野に属し、バタフライ効果がよく話題になるように、彼女本人にも予測・制御不能な大規模現象に発達する可能性をはらんでいると思われます。「天気の子」が「デイ・アフター・トゥモロー」になってたかも知れません。
予測精度が向上した現代においても、天気予報はいまだ文字通り流動的で、ましては制御をや。その能力を手に入れた彼女は、自身が最終兵器のような存在だったわけですが、地味なバイトで小銭稼ぎにしか利用しない小市民、もとい無欲で謙虚な性格だったおかげでそうならずに済んだ。こんな風に受け止めておきます。雨は止まなくなっちゃったけど。
天気ばかりは、努力や心がけでもどうしようもない。この状況は21世紀においても変わっていませんが、人間の傲慢さを戒める役割を果たしているようにも思えます。駄文でした。
ところで余談ですが、
高校生の少年が、超常能力を持つ少女とかかわりを持つ。
→その能力のお陰で、2人の関係が深まる。
→しかし、天変地異のカタストロフが訪れ、少女は命を失う運命にあることが判明する。
→少年はそれを回避しようと奔走するが、無理解な大人たちの妨害に遭う。
→少年は少女と再会したい一心で、高い場所にあるパワースポットの祠へ必死で走る。
→たどりついた少年に超常現象が起き、不思議空間で少女と再会し、気持ちを伝える。
→少女は助かって最悪の事態は回避されるが、2人はまた会えなくなる。
→数年後、成長した2人は東京の街角で三たび出会う。めでたしめでたし。
→音楽はRADWIMPS。
これ、「君の名は。」と「天気の子」、どっちの話だと思いますか?
両方です。すまんな。
「天気の子」は「君の名は。」とお話の構造にほとんど違いがなく、この二つは本質的に同じ映画だと思いました。
しかしよく考えると、「天気の子」を観に行く人って、「君の名は。」を観た時と同じような気持ちになることを期待してる人が大半だと思うので、これは正しい戦略なんだろうと、今では思っています。
むしろ「君の名は。」が好きで3回観たという人が「天気の子」について「あまりにも都合よくいきすぎ」と不平を漏らしていたのですが、その感性の方が都合よすぎに思えました。
どこがちゃうねん? (´・ω・`)