マザーズ・タワー
吉田親司
早川書房(2008年)
あらすじ 「マザーズ教団」の代表・葵飛巫女は未知の難病に冒され、教団代表を退く。彼女を救うため、4人の男たちが手を組み、軌道エレベーター「マザーズ・タワー」(母なる塔)の実現を目指す。
1. 本作に登場する軌道エレベーター
ネタバレになるので、これから読む方は飛ばしてください。本作では当初、モルジブ諸島のガン島沖に地上基部を設けます。ここは昔からの有力候補地です。典型的なブーツストラップ式による静止軌道エレベーター(作中では「軌道エレベータ」。以下OEVと略記)を計画し、基礎理論に忠実なプランを進めるのですが、物語中盤で破壊されます。そこでいったん捨てたオービタルリングシステム「パンジャンドラム」の建造案へ方針変更します。
パンジャンドラムは、高度600kmに磁性流体の循環で構造を維持するリングを設け、カーボンナノチューブと「疑似ダイヤモンド結晶繊維」製の2重のピラーを東京に吊り下ろし、「スパイダー・トレイン」が昇降する構造です。東京には「摩天楼都市<朱雀>」という1000m級の超高層建築物が造られており、ここを地上基部に利用します。リングはポール・バーチ、ピラーはB.C.エドワーズらの理論に基づいていると思われ、当サイトの定義に従うと3.5世代モデルになります。『銃夢』(木城ゆきと作 集英社、講談社)とほぼ同じですね。リングでピラーを支えるのは大変でしょうが、既存の理論に従っており、詳しい人は「ああ、この手でいくのか」と思うでしょう。
で、リングを造ってから、地球に輪投げするようにかぶせるのですが、直径4万3771kmの輪っかの動かし方が判然としなかったり、「接合部を自在に操れば、エレベータ自体を望む都市の直上に持って行ける」(347頁)というのが、作中の説明だけでは不可能なはずだったりと、疑問点も少なくありません。それに、リングまで病人を宇宙へ運ぶのはいいけど、十分な医療設備や備蓄が整っていて長期滞在できるのでしょうか(私の読み解き不足なら公式にお詫びしますので、ご指摘ください)。
しかし、全体的に物理的破綻や致命的な矛盾はないようです。『楽園の泉』や『まっすぐ天へ』など、OEV実現がメインテーマの作品を、私は「建造もの」と呼んだことがあるのですが、本作は交渉ごとから技術的課題のクリア、建造開発、初運用まで、トータルプランを扱った久々の「建造もの」と言えます。
惜しむらくは、非常に大事なファクターを避けている。参考文献に『まっすぐ天へ』が挙げてあり、強い影響を受けていることがうかがえます。「ゆくゆくはカーボンナノチューブ製の巨大なネットを造り、デブリを丸ごと駆除できる」(267頁)というくだりは同作のアイデアを拝借したものでしょう。にもかかわらず、最大の問題である「運用中の人工衛星との衝突」に触れていない。
本作はマザーズ・タワーの真の目的を伏せつつ、強引に計画を進めるので、世界中の国々や企業から「うちの衛星の邪魔になるからやめんか」と反対されないはずがない。『楽園の泉』が書かれた頃とは宇宙の利用環境も違うし、「1人の女性のため、どんな困難も乗り越えてOEVを実現する」というテーマ性から言っても、触れずにスルーしていい問題ではないと思うのです。
世界観に沿う解決策が見つからなかったか、字数を割く余裕がなかったか、あるいはその両方なのでしょう。どのみち片付ける課題にあまり寄り道してられませんが、『楽園の泉』以降の科学的所見を取り入れた意欲作であるだけに、少々ずるい気もするし、残念でもあります。
反面、こういう視点は大事だよなと感じたのが、
軌道エレベータは、富裕層専用の"ノアの箱船"に他ならないのだ(202頁)
「軌道エレベータはリッチマンしか昇れない虚飾の塔でしかないわ」(300頁)
といった批判です。実際、OEVは十分な数がないと貧富の二極化を加速させるだけでしょう。オイシイことばかり吹聴するのはフェアじゃない。これからの「建造もの」には、こういう見方をどんどん取り入れ、乗り越える知恵をシミュレートして欲しいものです。本作の場合は、最初から女性1人の専用車ができりゃいいというのが本音ですが。
2. ストーリーと人物について
宗教団体が信仰のためにOEVを造るお話かと思っていて(OEVの実現主体として、宗教団体は有力候補だと考えているので)、発刊当時から気になっていたのですが、読んでみたらだいぶ違ってました。とはいえ「惚れ込んだ女のため」というのは立派な動機ですよ、うん。
末期患者の子供たちを看取る、通称「マザーズ教団」代表の葵飛巫女(あおい・ひみこ)は、跡目を譲り勇退するのですが、実はアルツハイマーに似た原因不明の病にかかっており、宇宙であれば病状が改善する可能性がでてきます。この病気は全地球的に増加傾向にあり、物語のキモでもあります。
金儲けに長けた商売人、「電脳技師」、特殊部隊出身の元軍人、医師の4人の男が飛巫女とかかわりを持ち、心奪われ、依存するようになります。日々弱っていく彼女を宇宙へ安全に運ぶため、彼等はマザーズ・タワーの建造を決意します。4人とも突出した才覚の持ち主ですが、社会集団になじめないアウトローで、異性へのトラウマを抱えているようです。特に、やたら虚勢を張る商売人の飛鷹昭人はそれが顕著で、
「女に心など許したりはせん。これまでさんざん裏切られてきた。もう二度と信じるものか。
あんな騒々しい生き物は2次元の中だけで十分」(215頁)
3次元の女に何をされたんだお前は。また技師のイスマイル・ナンディは少々マゾ気質もありそうです。4人ともエディプス・コンプレックスというか、母性愛や、自分を律して戒めくれる存在に飢えていたのであろうことが、言動からうかがえます。
一方、彼等を虜にした葵飛巫女。教団で慈母師(グランマ)と呼ばれていますが、どういう育ち方したら、こんな高飛車な女ができあがるのか? ズケズケと相手を挑発しながら、弱さやエゴをチラリと見せつける話術で、他者をコントロールする達人。また量子コンピュータを使って「予言」をしたり、教団の防衛のため武力行使をいとわなかったりと、気持ちだけでは何もできないことを知悉している策士でもあります。
こういうプラグマティストのキャラは好き。。。なはずなんですが、飛巫女の場合は上品っぽく振る舞っても、なぜか妙にはすっぱな印象を受けました。病で弱っても打ちひしがれたところを見せず、毅然とした人物には描けている。代わりに、慈母師と呼ばれる割には「慈」が見えない。飛鷹たちの献身ぶりの方が、慈愛の深さが表れていました。
私には、飛巫女が男たち4人と本質的に同じ種類の人間に見えます。常に飢餓感を抱え、「足を知る」ことがない。自分の中に規範を設定することが下手で、何か・誰かの「ため」、あるいは「せい」でないと立ち位置をつくれない虚勢家なのではないか。飛巫女のテンプレートな言動は、そう解釈した方が心理を追いやすいんですよね。性格設定とは異なるでしょうが、そんな印象を受けました。
さて、そんな飛巫女のため、男4人は金策とネゴ、技術開発、戦闘、彼女の治療という役割を分担し、マザーズ・タワーを計画。ハッタリかまして有力者を抱き込み、資源の強奪もいとわず、紆余曲折の末に建造までこぎつけます。飛巫女の掌の上で転がされているようでもありますが、惚れた女に身命を捧げるのに、何の遠慮が要りましょうか。飛巫女は飛巫女で、男を4人も手玉にとって、慈母というより女王様です。ああっ、私のこともビシッと叱ってくださいグランマ! (´д`)
3. 軌道エレベーター愛を感じます
全体として、アニメ化でも意識しているかのような、派手な戦闘シーンやメカアクションが多い展開です。OEVの奥深さをひもといて読者を引き込むのは『楽園の泉』がやってしまってるので、別の持ち味で勝負しているのでしょうか。青臭い雰囲気は好みではないし、余剰次元や地球外生命など、やや詰め込み過ぎの感もあるのですが、読んでいてひしひしと感じます。著者の軌道エレベーターへの情熱が。
「なあに、きっと簡単でしょうよ。スリランカを南方へ700km移すよりはずっと易しいです」
「『キトの郊外に直径400mの穴を掘って"ビーンストーク"をホールインワンさせるよりもな』(252頁)
オービタってるじゃないかお前ら! こういう遊びのほかにも節タイトルに『カーリダーサの塔』『ビーンストーク』などと付けたりしています。著者は『SFマガジン』のコラムで、『楽園の泉』をベストSFに挙げており、「自分の『楽園の泉』を書きたくて、こんな作品を世に出したんじゃないのかな」と思いました。そういう気持ちが行間からにじみ出ていました。
OEVのアイデアは、SFの世界ではもはや古典に属すると言っていいでしょう。今後、OEVをメインガジェットにして個性豊かに描くにはどうすればいいか、制作者は新たな思案を求められる時代になったとも言えます。そんな中で、原点回帰しつつも独特の展開を織り込んだ本作は、貴重な1作かも知れません。
吉田親司
早川書房(2008年)
あらすじ 「マザーズ教団」の代表・葵飛巫女は未知の難病に冒され、教団代表を退く。彼女を救うため、4人の男たちが手を組み、軌道エレベーター「マザーズ・タワー」(母なる塔)の実現を目指す。
1. 本作に登場する軌道エレベーター
ネタバレになるので、これから読む方は飛ばしてください。本作では当初、モルジブ諸島のガン島沖に地上基部を設けます。ここは昔からの有力候補地です。典型的なブーツストラップ式による静止軌道エレベーター(作中では「軌道エレベータ」。以下OEVと略記)を計画し、基礎理論に忠実なプランを進めるのですが、物語中盤で破壊されます。そこでいったん捨てたオービタルリングシステム「パンジャンドラム」の建造案へ方針変更します。
パンジャンドラムは、高度600kmに磁性流体の循環で構造を維持するリングを設け、カーボンナノチューブと「疑似ダイヤモンド結晶繊維」製の2重のピラーを東京に吊り下ろし、「スパイダー・トレイン」が昇降する構造です。東京には「摩天楼都市<朱雀>」という1000m級の超高層建築物が造られており、ここを地上基部に利用します。リングはポール・バーチ、ピラーはB.C.エドワーズらの理論に基づいていると思われ、当サイトの定義に従うと3.5世代モデルになります。『銃夢』(木城ゆきと作 集英社、講談社)とほぼ同じですね。リングでピラーを支えるのは大変でしょうが、既存の理論に従っており、詳しい人は「ああ、この手でいくのか」と思うでしょう。
で、リングを造ってから、地球に輪投げするようにかぶせるのですが、直径4万3771kmの輪っかの動かし方が判然としなかったり、「接合部を自在に操れば、エレベータ自体を望む都市の直上に持って行ける」(347頁)というのが、作中の説明だけでは不可能なはずだったりと、疑問点も少なくありません。それに、リングまで病人を宇宙へ運ぶのはいいけど、十分な医療設備や備蓄が整っていて長期滞在できるのでしょうか(私の読み解き不足なら公式にお詫びしますので、ご指摘ください)。
しかし、全体的に物理的破綻や致命的な矛盾はないようです。『楽園の泉』や『まっすぐ天へ』など、OEV実現がメインテーマの作品を、私は「建造もの」と呼んだことがあるのですが、本作は交渉ごとから技術的課題のクリア、建造開発、初運用まで、トータルプランを扱った久々の「建造もの」と言えます。
惜しむらくは、非常に大事なファクターを避けている。参考文献に『まっすぐ天へ』が挙げてあり、強い影響を受けていることがうかがえます。「ゆくゆくはカーボンナノチューブ製の巨大なネットを造り、デブリを丸ごと駆除できる」(267頁)というくだりは同作のアイデアを拝借したものでしょう。にもかかわらず、最大の問題である「運用中の人工衛星との衝突」に触れていない。
本作はマザーズ・タワーの真の目的を伏せつつ、強引に計画を進めるので、世界中の国々や企業から「うちの衛星の邪魔になるからやめんか」と反対されないはずがない。『楽園の泉』が書かれた頃とは宇宙の利用環境も違うし、「1人の女性のため、どんな困難も乗り越えてOEVを実現する」というテーマ性から言っても、触れずにスルーしていい問題ではないと思うのです。
世界観に沿う解決策が見つからなかったか、字数を割く余裕がなかったか、あるいはその両方なのでしょう。どのみち片付ける課題にあまり寄り道してられませんが、『楽園の泉』以降の科学的所見を取り入れた意欲作であるだけに、少々ずるい気もするし、残念でもあります。
反面、こういう視点は大事だよなと感じたのが、
軌道エレベータは、富裕層専用の"ノアの箱船"に他ならないのだ(202頁)
「軌道エレベータはリッチマンしか昇れない虚飾の塔でしかないわ」(300頁)
といった批判です。実際、OEVは十分な数がないと貧富の二極化を加速させるだけでしょう。オイシイことばかり吹聴するのはフェアじゃない。これからの「建造もの」には、こういう見方をどんどん取り入れ、乗り越える知恵をシミュレートして欲しいものです。本作の場合は、最初から女性1人の専用車ができりゃいいというのが本音ですが。
2. ストーリーと人物について
宗教団体が信仰のためにOEVを造るお話かと思っていて(OEVの実現主体として、宗教団体は有力候補だと考えているので)、発刊当時から気になっていたのですが、読んでみたらだいぶ違ってました。とはいえ「惚れ込んだ女のため」というのは立派な動機ですよ、うん。
末期患者の子供たちを看取る、通称「マザーズ教団」代表の葵飛巫女(あおい・ひみこ)は、跡目を譲り勇退するのですが、実はアルツハイマーに似た原因不明の病にかかっており、宇宙であれば病状が改善する可能性がでてきます。この病気は全地球的に増加傾向にあり、物語のキモでもあります。
金儲けに長けた商売人、「電脳技師」、特殊部隊出身の元軍人、医師の4人の男が飛巫女とかかわりを持ち、心奪われ、依存するようになります。日々弱っていく彼女を宇宙へ安全に運ぶため、彼等はマザーズ・タワーの建造を決意します。4人とも突出した才覚の持ち主ですが、社会集団になじめないアウトローで、異性へのトラウマを抱えているようです。特に、やたら虚勢を張る商売人の飛鷹昭人はそれが顕著で、
「女に心など許したりはせん。これまでさんざん裏切られてきた。もう二度と信じるものか。
あんな騒々しい生き物は2次元の中だけで十分」(215頁)
3次元の女に何をされたんだお前は。また技師のイスマイル・ナンディは少々マゾ気質もありそうです。4人ともエディプス・コンプレックスというか、母性愛や、自分を律して戒めくれる存在に飢えていたのであろうことが、言動からうかがえます。
一方、彼等を虜にした葵飛巫女。教団で慈母師(グランマ)と呼ばれていますが、どういう育ち方したら、こんな高飛車な女ができあがるのか? ズケズケと相手を挑発しながら、弱さやエゴをチラリと見せつける話術で、他者をコントロールする達人。また量子コンピュータを使って「予言」をしたり、教団の防衛のため武力行使をいとわなかったりと、気持ちだけでは何もできないことを知悉している策士でもあります。
こういうプラグマティストのキャラは好き。。。なはずなんですが、飛巫女の場合は上品っぽく振る舞っても、なぜか妙にはすっぱな印象を受けました。病で弱っても打ちひしがれたところを見せず、毅然とした人物には描けている。代わりに、慈母師と呼ばれる割には「慈」が見えない。飛鷹たちの献身ぶりの方が、慈愛の深さが表れていました。
私には、飛巫女が男たち4人と本質的に同じ種類の人間に見えます。常に飢餓感を抱え、「足を知る」ことがない。自分の中に規範を設定することが下手で、何か・誰かの「ため」、あるいは「せい」でないと立ち位置をつくれない虚勢家なのではないか。飛巫女のテンプレートな言動は、そう解釈した方が心理を追いやすいんですよね。性格設定とは異なるでしょうが、そんな印象を受けました。
さて、そんな飛巫女のため、男4人は金策とネゴ、技術開発、戦闘、彼女の治療という役割を分担し、マザーズ・タワーを計画。ハッタリかまして有力者を抱き込み、資源の強奪もいとわず、紆余曲折の末に建造までこぎつけます。飛巫女の掌の上で転がされているようでもありますが、惚れた女に身命を捧げるのに、何の遠慮が要りましょうか。飛巫女は飛巫女で、男を4人も手玉にとって、慈母というより女王様です。ああっ、私のこともビシッと叱ってくださいグランマ! (´д`)
3. 軌道エレベーター愛を感じます
全体として、アニメ化でも意識しているかのような、派手な戦闘シーンやメカアクションが多い展開です。OEVの奥深さをひもといて読者を引き込むのは『楽園の泉』がやってしまってるので、別の持ち味で勝負しているのでしょうか。青臭い雰囲気は好みではないし、余剰次元や地球外生命など、やや詰め込み過ぎの感もあるのですが、読んでいてひしひしと感じます。著者の軌道エレベーターへの情熱が。
「なあに、きっと簡単でしょうよ。スリランカを南方へ700km移すよりはずっと易しいです」
「『キトの郊外に直径400mの穴を掘って"ビーンストーク"をホールインワンさせるよりもな』(252頁)
オービタってるじゃないかお前ら! こういう遊びのほかにも節タイトルに『カーリダーサの塔』『ビーンストーク』などと付けたりしています。著者は『SFマガジン』のコラムで、『楽園の泉』をベストSFに挙げており、「自分の『楽園の泉』を書きたくて、こんな作品を世に出したんじゃないのかな」と思いました。そういう気持ちが行間からにじみ出ていました。
OEVのアイデアは、SFの世界ではもはや古典に属すると言っていいでしょう。今後、OEVをメインガジェットにして個性豊かに描くにはどうすればいいか、制作者は新たな思案を求められる時代になったとも言えます。そんな中で、原点回帰しつつも独特の展開を織り込んだ本作は、貴重な1作かも知れません。