江戸日本橋より八里

2011-11-20 12:05:24 | タナカ君的日常
 木製の角柱に”江戸日本橋より八里”、”南方 甲州街道日野宿”、”北方 小川村上宿へ一里” そう墨書した道標が立川通りの高松町を過ぎて栄町に入って間もない大きな敷地を持つお宅の門扉前をなす庭先の一部に建てられている。 傍らには昔の高札風の表面に武蔵風土記の記事を引用した説明文も貼られている。 そして反対側の塀の下には石柱が有り、その表面には”芋窪新田”と刻み込まれている。

 このお宅もそうですが、100mほど離れたもう一軒のお宅も敷地の一画に蔵を持ち、冠木門などで構え、入り口近くには昔から郵便ポストも置かれていた。 だからこんな道標も由緒正しき物か? と思わないでもない。 しかし40年以上昔から立川周辺に住まい、うろついていた僕の記憶にこんな道標は無い。 だいたい立川通りなんて日野と所沢あたりを南北に結ぶ道路で、この近在から江戸へ(東へ)と向かう旅人の主要通路では無いはず、 だから「江戸日本橋より八里」なんて間違いじゃないだろうけど、なんか場違いな感じがします。 

 暇な時間だけは持て余すほどあるので、図書館へ言って聞いてみた。 色んな調査や本の相談に乗ってくれるコーナーがあって、そこの係の人は「そんな高札みたいな説明文や道標が公に設置されたものなら教育委員会に聞けば判りますから」と言って電話で問い合わせてくれた。 「ハッキリしませんけど、その場所に昔から道しるべが有るとの記録は無いそうです」「もしかすると、個人的に設置された物かも知れませんよ」そんな答えでした。 

 図書館で話を聞いた数日後に散歩で通り掛かった時、 珍しく蔵のすぐ脇の歩道で落ち葉を片付けている中年女性が居たので声を掛けてみた。

僕 : 「このお宅の方ですか?」
女性: 「はい、そうですが・・・」

僕 : 「あそこの歩道脇に道標がありますけど、昔からあんなのが有ったのでしょうか?」
女性: 「いいえ、家のお父さんの趣味であんなの建てちゃったんですよ、ホホホ」


 「う~ん、そうか庭先の飾りか?! 」で一件落着。
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