-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

あんか(行火)

2013-10-31 17:27:14 | 民具

 畑沢も寒くなってきました。私が小学校一年生の時は、11月から畑沢分校に登校したような気がします。近所の二年生と分校に行く途中、雪はまだでしたが霜柱が立っていた覚えがあります。昔の11月は今よりも寒かったのでしょうか。畑沢分校の机と椅子は、本校である常盤小学校から畑沢の大人たちが10月末に背負って運びました。トラックは使いませんでした。分校の雪降し、昼の給食も全て保護者が行いました。

 さて、本題の「行火」のお話です。行火は、昔はやはり寒くなる11月ごろから使い始めていたような気がします。囲炉裏でできた燠(おき)を灰が入っている丸い容器に入れ、灰で燠を覆い隠します。それを黒い山形状に盛り上がった珪藻土の箱に入れます。これを布団の足側に置いて、布団をかけます。1人で一つの行火を使うわけではなく、行火を中心にして、いろんな方向に4、5人が共用します。中に火が入っているので、大変、危険な感じがしますが、これでも安定していますので、火災になる心配はありませんでした。

 燠を入れる仕事は、子どもの仕事でした。これも心配される向きもあろうかと思いますが、畑沢の子供は賢いので、きちんと教えられています。親から「あんかさ おぎへれろ」と言われれば、素直に従う子どもでした。畑沢で言うところの燠(おぎ)というのは、囲炉裏で燃やした木に赤々と火が廻り、煙が出なくなった状態のものです。たまに間違って、煙が出る状態の燠を入れたりすると、布団の中が煙たい状態になります。炭焼き窯で作られた炭の火を使う場合もありますが、それは特別な場合です。ちゃんとした炭は、火持ちが良いので朝方までしっかりと温かい状態でした。一方、燠は朝方に温度がかなり下がってしまいます。

 この由緒ある行火も、やがて豆炭行火(まめたんあんか)に変わっていきます。豆炭行火は、コンパクトで火持ちも良く、何よりも安全でしたので、瞬く間に従来の行火を駆逐してしまいました。もう、燠を入れる作業もなくなってしまいました。また、豆炭購入と言う費用が生じてきたことにもなります。やがて、囲炉裏そのものも消える時代がやって来ました。

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野菊

2013-10-30 10:41:41 | 自然

 平成25年10月27日、畑沢地区生涯学習推進センター(旧 畑沢分校)で撮影しました。少し雨が降っていましたので、花が濡れていました。今年の最後の花かと思います。この花よりも後で咲く花はないでしょう。今、畑沢の道路脇にポツンポツンと咲いています。

 この花は、一般に野菊と言われている花です。「野菊」と言う名称は、いろんな花の総称です。野菊と言う正式な和名はありません。「そこまで言うならば、何の花だ」とおっしゃりたいと思いますが、正直、申し上げて、分かりませんでした。調べてみましたが、このような花には何種類かあるようです。例えば、カントウヨメナ、ノコンギク等です。見分け方は、「葉の形が、どうのこうの…」、「花のどこそこが、どうのこうの…」と説明書に書いてありましたが、私の頭が混乱してきましたので止めました。私には、「野菊」だけで十分です。皆さんは、きちんと調べてください。

 ところで、話が全く変わります。今年、最後の歴史を辿る調査を行います。これまで、このブログで畑沢の石仏等を紹介してきました。そのうちの大部分は、畑沢産の石材で作られていました。畑沢の石材は、大きく分けて二種類あったようです。一つは、上畑沢の延命地蔵堂境内に立てられている湯殿山碑になっている立石石(通称 タテスエス)の硬い流紋岩です。もう一つは、背炙り古道の峠にある湯殿山碑になっているゴロタ石の凝灰岩です。この石は適度な硬さで細工がしやすいようで、多数の石仏にも使われました。ゴロタ石とは、ゴロウ山の「ローデン」という石切り場から採掘されたそうです。古瀬T氏の話では、今でも石切り場の跡がくっきりと分かるそうです。11月にその石切り場に行くことになりました。今のところ、御一緒していただけるのは、石切り場の石工(いしく)の子孫とおっしゃる畑沢の先輩です。これから参加者を募ってみたいと思います。調査結果を御期待下さい。

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カンジキ作り(続編1)とイタヤカエデ材

2013-10-29 17:38:16 | 民具

 カンジキには、爪(つめ)があります。爪と言うのは、左右のカンジキの両脇に付いている滑り止めのことです。傾斜がある雪の上は、滑ります。畑沢のように山や急坂の多い地域には、絶対的に必要な装置です。今は、冬季に山に登ることがなくなりましたが、昔は炭焼きや薪の運搬を冬季に行っていましたので、カンジキを履いて山へ出かけることが多かったようです。茅葺屋根だった時代には、雪下ろしのためにカンジキを履くことがありました。屋根の傾斜は45度です。かなり急な斜面です。雪下ろしは屋根の最上部から順次、下の方に向かって作業を進めましたので、最初は何としても上に登らなければなりません。その時にカンジキを履きました。これが「正しい屋根の雪降し」でした。ところが、スビタレは違いました。下から順次、上の方に向かって作業を進めました。上から作業する方法は、雪を降ろす時にスコップの雪を一旦、持ち上げなければなりません。スビタレは、それを非合理的な骨折り損のくたびれもうけと決めつけていました。スビタレは持ち上げないで、ただ下に向かって雪を押し込むだけです。当然、雪下ろしの速度は早く、体力の消耗も少なくて済みます。ん?それで大丈夫かなとお思いになる方がいらっしゃると思います。スビタレのやり方では、下に雪が貯まってしまうと心配でしょう。そこは、スビタレ流の工夫があります。プラスティックのナマコ板と言うのがあります。スビタレは事前にこれを雪が落ちてくる位置にスライダーとして敷いておきます。雪は勝手に低い所に滑っていくことになります。

 本題に戻ります。カンジキの爪は、平地の場合は必要ありませんが、畑沢のような急斜面で使用するものには大きなものが必要です。雪も柔らかい時だけではありません。3月ともなると固くなってきます。いわば、登山で言うところのアイゼンの役割も果たせなければなりません。当然、爪の材料は堅い木でなくてはなりません。一般に堅い木と言うと、樫の木ですが、雪国に樫は生えていません。畑沢で最も堅い木は、イタヤカエデと言うカエデの仲間です。

 私の家には、父がイタヤカエデ材をブロックにして保存してあります。半世紀も前から保存されたものです。工作に使えるイタヤカエデは多くありませんので、薪炭材を切り出した際に見つけたものを大事に保存していたようです。今回のカンジキ製作でもイタヤカエデを使うことにしました。最初は軽い気持ちで取り掛かったのですが、堅さを忘れていました。鋸で横に切ろうとしても、なかなか進みません。樫を切ったことがありますが、それよりもずっとイタヤカエデは堅い感じがします。次に鉈で縦に割るのですが、今度は鉈の刃がイタヤカエデになかなか食い込みません。さんざん苦労して、やっと爪の原型ができましたが、疲れ果ててしまいました。この日の作業はこれで終了です。

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ぼちぼち紅葉

2013-10-28 15:53:38 | 近況報告

 台風が本州の南側を何度も通過しましたので、畑沢もしばらくの間、雨が降り続けました。昨日ようやく、少しだけ青空が見え隠れしました。田んぼは既に刈り取られた状態です。集落を囲む山々は、紅葉になりかかっています。特に紅葉が美しい所だけを撮影しました。紅葉の本番はこれからです。

 畑沢出身者同窓会がお流れになり、老人クラブからのお誘いを受けることになりましたので、昨日、老人クラブの会長にお会いしました。過日、会長は11月中旬ごろに懇親会を開催するとお話されていましたので、具体的な日時をお伺いしましたところ、「まだ、ナメコが生えてこないので、開催日を特定できない」とのことでした。ナメコを老人クラブで栽培しているが、まだ食べられる状態ではないとのことだと解釈しました。今年は暑かったので、水分が足りずに、発育が遅れているのでしょう。

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「背中炙り古道」のちょっと困ったこと

2013-10-26 17:12:26 | 近況報告

 近況報告と言っても、大分前のことになりました。実は平成25年の9月上旬のことです。直ぐに報告すればよかったのですが、他の記事を優先してしまいました。

 この写真は、背中炙り古道の峠の直ぐ西側の路面です。杉林が間伐され、伐採された幹と枝が古道の路面に散らばっています。「古道は使われないのだから、古道に捨てても問題ない」と作業員が判断されたものと思われます。私たち(まだ一部の人達)は古道を保存して、さらには地域の人のシンボルやハイキングコースとして活用していきたいと考えていたものですから、今回のこの光景にはがっかりしてしまいました。

 ただ、作業員の方が悪いことをしたかと言うとそうとも言い切れません。元々、古道は誰の所有であるかをまだ確認していないのです。江戸時代が終わり明治になってから、土地の登記制度が始まりました。その時、不特定多数の人が利用する歩道なども、「官地」として登記簿に載せられました。村人が利用する細い畦道もそのようになっています。ところが、山中の古道が「官地」として登記されているかどうかが分かりません。要は確認すればよいのですが、根っからのスビタレは確認していないのです。

 登記の状況はどうあれ、所有権を侵さない範囲で古道上の支障物を脇に除ける程度の行為は、許されるものと思います。これから、時間の余裕ができたら片づけ作業をしたいと思います。また、地域の方々と杉林を所有している方に対して、もっと古道について理解していただくように説明する必要がある気がします。所有権者はどこにおられるのでしょうか。

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