-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

背炙り峠の風景

2016-11-23 10:57:58 | 自然

 今年の背炙峠の開通が、10月29日と信じられないぐらい遅かったので、ついつい峠に行きたくなりました。平成28年11月20日に畑沢へ行きました。山形から出発する時は、時々小雨が降るあいにくの天気でしたが、天童、東根そして楯岡へと近づくにつれて太陽が顔を出しました。

 背中炙り峠では、お日様がキラキラと輝いて見えるほどの好天気になりました。小雨で濡れた樹木や落ち葉が鮮やかな色になっています。いつもの「中沢ビューポイント」で西の方を見ますと、平野部が低い霧に覆われ、遠くには葉山から続く山並みが見えます。目を近くの方に転ずると、道玄(中沢地内)の里に靄(もや)がうっすらと架かって、夢のような世界を作っていました。

 上の写真右の中断に見える白いカーブは、今年、工事で新設したガードレールです。この場所を昨年の秋(平成28年11月5日)に写真を撮っていました。それが次の写真です。ビューポイントから眺めていると、白いヘルメットを被(かぶ)った人影が見えたので、不思議に思って望遠レンズで覗いたら、間違ってシャッターを押してしまいました。写真でも分かるように、この場所はこの峠道の中ではしっかりした方です。山の斜面が崩れかかっているわけではないし、路肩も損傷していません。それだけに不思議です。どうして、一年の大半を通行止めまでして工事をしなければならなかったのでしょうか。ところで、背炙峠の閉鎖がしばしばで、期間もながいことから、畑沢を含む常盤地区が背炙峠の閉鎖期間を普通に戻してくれるように要望していると聞いているのですが、その声はどこかに届いていないようです。


 同じビューポイントから南東方向の風景です。右端の大きな山は、甑岳です。こちらも、沢筋に靄がポヤポヤと漂っているところが何とも言えない味わいを出しています。


 峠からしばらく畑沢方向へ下ると、鮮やかな緑の輝きが目に飛び込んできました。辺りはすっかり晩秋の面影に包まれて、色に輝きが少ないだけに、この緑は強烈な感動を与えます。「感動」なとどいう言葉は、まるで五輪の選手の活躍で多用されるもののように聞こえます。横道にそれますが、私はスポーツを見るのが嫌いなので、五輪選手がどのように活躍しようが感動はありません。むしろスポーツのために番組が変更されるのを迷惑にさえ感じています。スポーツを好きな人もいれば、嫌いな人もいるのです。

 いつもの道草から戻ります。この緑は苔です。私が知っている「苔」の名前は、ハイゴケ、ゼニゴケ、スギゴケ、ミズゴケ、モウセンゴケ程度ですが、日本の苔の種類は膨大な数なのだそうです。さっきのスポーツではないですけど、きっと苔を好きな人もいるのでしょうね。写真の苔の種類を御存じの方は、コメントなどで教えてください。もしかしたら、白鷹町の方が教えてくれるのかなと期待しております。


 畑沢の山にも美味しそうなキノコがありました。ここ何年も、よく目にしているムキタケです。楢枯れで倒れた朽ち木には、籠がいっぱいになるほどににょきにょき生えていました。 が、誰も採らなくなりました。私でさえも、飽きてしまいました。見た目は良いのですが、味がそっけないのです。一昨年に食べきれないほどに採れたので、乾燥してみました。シイタケは乾燥しても、また水に戻せば美味しくなります。ムキタケもそれと同じようなものかと、安易に考えていたのですが、結果は悲惨の一言に尽きました。ただひたすら不味いものでした。いろいろとムキタケの悪口を書きましたが、ちゃんと料理すれば美味しいのだそうです。私の料理する腕が、「不味い」のですね。

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8月22日の台風被害の復旧作業

2016-11-20 21:00:28 | 近況報告

 約3か月前の8月22日に畑沢が台風の被害に遭いました。降雨により、土砂が崩れたり水路が暴れたのです。程度の差はありますが、大きな降水があっても、土壌に十分な保水力があれば、その被害はかなり抑えられたものになります。しかし、皆伐された山の土壌は腐葉土層が極めて薄くなっていて、少しの雨でも一気に流下します。畑沢でも多くの場所で皆伐が行われましたので、その影響が心配です。その皆伐されたある個所では、増水した水路の底が大きく浸食されてしまいました。下の写真に写っている水路は、元々はもっと浅かったのですが、巾が広がり川底がかなり低くなりました。この写真の箇所は、まだまだ浸食が少ない方で、この上流ではこの4倍ぐらいの深さになっていて、簡単には手が付けられません。

 とりあえず、簡単な箇所から手を付けました。義兄の指示の下に私が手伝いです。義兄は何でも手際よく作業を進めます。まるで土木の専門業者のような技術を持っています。私は手伝いとは言いましたが、どちらかと言うと「見学者」みたいな存在でした。

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畑沢の大きなブナの樹が枯れていました。

2016-11-16 16:56:54 | 自然

 平成28年11月13日に畑沢へ行ったときに、午後から自由な時間ができましたので、近くの山を散策しました。その時に驚くべき光景を目にしました。私が畑沢で最も太いブナであると思っていた樹が枯れていたからです。畑沢には結構、沢山のブナが生えています。特に大平山の宝沢山の上部は一面がブナ林です。しかし、それでも樹齢百年程度で、幹回りが30cm程度です。ところが、中畑沢の稲荷神社周辺のブナは、幹回りが50cm以上の樹が5、6本立っています。その中の一本は幹回りが7、80cmはあるような大木です。樹齢は二百年を超えているのではないかと根拠もなく推測しています。それが、何ということでしょう、枯れていました。まだ大地にしっかりと立っていますので、幹を見ただけでは分かりませんが、見上げて枝を見ると葉が全くありません。さらに大きなサルノコシカケが生えています。完全に死んだ姿でした。この樹は、私が子ども時代から大木として尊敬して止まない存在でした。この樹を見ると稲荷神社さえも崇高に感じました。5mぐらいの高さに洞があり、夜、寝付かれないでいると、この樹の方向からヨタカの鳴き声が聞こえていましたので、この洞に棲んでいるのだろうと布団の中で想像していました。

 巾が20cmもあるサルノコシカケです。生え始めてから何年も経っているようです。ということは、今年になってからブナが枯れた訳ではなくて、もっと前に枯れたというとです。山形県一帯が楢枯れとなり、楢の仲間(ブナ科)である畑沢のコナラ、ミズナラ、栗が次々と枯れました。同じ仲間のブナも枯れるのではないかと心配でしたが、どうもブナは大丈夫だと思ったのですが、この一本だけは枯れました。

 幹の上の方には、違うキノコも生えていましたが、私には何のキノコかが分かりません。ただ、美味そうに見えたので、もしかしたら食べられるのかもしれません。でも、手が届きません。

 

 さて、いつごろ枯れたのだろうと、3年前の写真を調べました。写真の左側に枝だけ見えているのが、この樹です。やはり葉がありません。既にこの時は枯れていたようです。しかし、幹にキノコが見えませんでしたので、枯れたことに気が付かなかったのです。私が退職して畑沢への関心を示した4年前には、枯れていたのかもしれません。永年の間、畑沢を顧みなかった私の罪深さが、この樹を枯らしたような罪悪感が私を襲いました。

 

 

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久しぶりに背炙峠を通ることができました。

2016-11-14 17:54:46 | 近況報告

 背炙峠は昨年の初冬に閉鎖して、さらに春になってからは工事のために今年10月28日まで閉鎖が延期されました。今年の大半を閉鎖したことになります。背炙峠を多用する私にとって大きな痛手でした。山形市から畑沢へ向かうには、背炙峠を通るほかにも尾花沢市を通る方法がありますが、所要時間の差もさることながら、やはり畑沢の人が持っている気持ちにも大きな差があります。畑沢の人達にとって背炙峠は、遥か古代の背中炙り峠(古道)の時代から、心に宿っている希望の光みたいな存在です。長い冬が終わり、山々が新緑で彩られるころ、峠の雪が消えて畑沢から楯岡方面へ抜けることができます。冬の間、雪に囲まれた生活をしていながら、ひたすらその日がやってくることを待ち望んでいました。

 今年は、ようやく10月29日に峠を通ることができるようになったようですが、私は忙しい日々が続いていて、約半月遅れで11月13日に通りました。さて、これほどの日数を要し、かつ、ずっと通行止めまでした工事はどんなものだったのかに興味を抱きました。国道13号線から林崎に入って、さらに中沢方面へ入りました。道玄からいよいよ山道にかかり、やがて工事箇所が現れました。路面は真新しいアスファルトです。山側にはU字溝が暗渠になっています。路肩には、やはり真新しい白いガードレールが設置されています。ガードレールを支える支柱の基部は、がっちりとコンクリートが連続して固められています。実に立派に出来ていました。 工事をした区間は、約300mぐらいに見えます。

 さて、私のいつもの辛口を初めます。工事方法に関しては、人によってさまざまな考えがあるのでしょうが、この工事を見て何とも納得できない何とも不快な気持ちが湧きました。まず何よりも、一年の大半を道路閉鎖してまで行う工事には見えないことです。このことは、9月に投稿した時に吠えましたので、この程度にします。

 次に納得できないのが、工事の区間です。今回、工事した中で、中沢の「棚田ビューポイント」と看板が立っている位置から村山側の約40mだけは、確かに路肩が脆(もろ)くて危ないかなあと思っていました。しかし、その他の区間は、路肩が崩れやすいとかの危険性を感じられませんでした。むしろ、他の区間よりも、路肩などはしっかりとしてたような気がします。道路の幅が狭くて、対向車とすれ違うことができない事実はありましたが、道路が狭いのはここだけではありません。全線が狭いのです。何でここだけ長い間閉鎖してまで工事をやる必要があるのでしょうか。

 今度は工事の方法です。先ずは山側に設置したU字形の側溝です。土木工事にもど素人のスビタレならば、この様な工事は行いません。山側にはL型側溝を用います。土地の改変が少ないので、工事が楽で経費も少なく工期も短くて済みます。土地の改変が少ないために、降雨などの影響が少なくなります。U字形の側溝には蓋をしなければ自動車が載れませんが、L形ならばそのまま路面として使えます。五十沢と畑沢の間にある元スーパー農道の村山市側でも使われています。そこは、実に上手な工事でした。鳥海山、蔵王の観光道路でもL形側溝だったと思います。

 路肩の工事にも疑問があります。元々の路肩は十分にしっかりしてましたので、ガードレールを設置するために、わざわざ土を掘り起こす必要を感じません。山側にL形側溝を用いれば、使用できる幅員が大幅に増えますので、路肩を外に張り出す必要がなくなります。路肩の形状を改変しなくて済みますので、降雨があっても浸食の恐れは極端に減ります。ガードレールを設置しなくても、樹木をそのままにして、もしもの脱落を防止すればよいでしょう。


 さて、上へ向かうにつれて工事を忘れ、素晴らしい景色に見とれてしまいました。この日、夜間に放射冷却現象で気温が低下し、平地部が濃い霧に包まれました。私が峠に登るのが遅すぎたのですが、もう少し早い時間であったならば、一面が雲海に覆われ、その上にぽっかりと浮かんでいる葉山が見えたことでしょう。残念。葉山の頂部には雪が見えます。

 さて、峠を越えて上畑沢に入ると、上畑沢の地蔵堂に何やら人が集まっていました。車を止めて聞いてみましたら、「雪囲い」作業をしており、続いて「山の総会」があるのだそうです。天気は上々で、みんなと一緒の作業は楽しそうです。 

  地蔵堂の脇に建っている「湯殿山・象頭山」と「金華山」も大杉の陰からそっと作業を見守っていました。

 夕方、畑沢で予定していた作業を終えて、山形へ帰るために再び峠に到着しました。遠くに甑岳が見えました。山肌の樹々は既に葉が落ちてしまいました。間もなく、白、一色に覆われます。

 峠に着いた時は、まだ太陽が高かったのですが、久しぶりの峠ですので、車中で日が暮れるのを待ちました。背炙峠には、その名のとおり「夕日」が似合います。やがて日が雲に沈んだのですが、期待していた空一面の夕焼けは見られませんでした。それでもまあまあでした。遠くの右の高い山が葉山です。

 

 峠から降りて、楯岡の道の駅で一休みです。実は畑沢での作業でかなり疲れていました。峠でも30分ほど休んだのですが、それでも疲れがかなり残っていました。居眠り運転でもしようものなら大事故ですし、事故に巻き込まれる人にも多大な災難が及びます。何よりも安全、安全です。何方かが道の駅の駐車場で写真を撮っていました。そう言えば、翌日はスーパームーンとかだそうです。今日も明日も大した違いはないだろうと、この日の月を眺めました。甑岳に浮かぶスーパームーンです。幾分、霞んでいましたので、朧げな月です。ハッキリ、クッキリよりも、私には丁度よい月です。

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イカリソウは一種類ではなかった。

2016-11-01 17:30:44 | 自然

 畑沢へ行けない日が続いています。背中炙り峠の楯の調査は、ほぼ終わったのですが、新たに山楯の調査が必要になりましたので、是非、一日かけてじっくりと踏査したくて落ち着きません。また、屏沢を流れている水路が荒れてきましたので、修復したいと思っています。リフォームが一段落し、NPO法人の仕事も少し時間がありますので、畑沢へ出かけられると思っていたら、私の独身寮時代の同窓会があり、その直ぐ後には長女夫婦がシンガポールから帰国してきました。私は自宅に釘付けです。

 そんなわけで、40年も前に購入した絵本のような本を眺めていたら、日本列島の中での植物分布に関する記載がありました。あまりそんなことには興味を示さないのですが、今回はイカリソウのことが出ていました。身近な植物ですので、何となく眺めることになりました。本を買っていながら、買っただけで全く読んでいません。40年経っても新鮮な内容でした。さて、その内容です。東北には、イカリソウとキバナイカリソウの二種が分布しているとのことでした。太平洋側にはイカリソウ、日本海側にはキバナイカリソウが原則のようですが、その境界付近には両種が分布しているとのことでした。キバナイカリソウの「キバナ」を見て、日ごろ、どんよりとしている私の脳にかすかながら衝撃が走りました。あの時、畑沢のあのイカリソウの花は黄色だった。珍しいなと思いながらも、「そんなこともあるだろう」程度に考えて、一応、写真に収めました。種を確認するなどの面倒なことは、一切しないという確たる信念があります。いつも、それで失敗しています。

 パソコンの写真を確認しましたら、確かに少し黄色っぽい色と薄い赤紫色の二種類でした。ということは、畑沢には二種類のイカリソウが生えていることになります。

 

 昭和30、40年代の常盤中学校でイカリソウと言えば、夏休みに生徒会の資金作りのための薬草採集を思い出します。採集する薬草の種類は、ドクダミ、ゲンノショウコ、イカリソウだったと思います。その中で、採集が最も簡単なのがドクダミです。当然、私はドクダミ派です。これは説明がいらないでしょう。しかし、真面目な方は、ゲンノショウコやイカリソウを採集し、先生からも褒められていたようです。私は先生から睨まれこそすれ、褒められるなどには縁がありませんでした。

 だから難癖を付ける訳ではありません。けっして難癖でないですよ。イカリソウの効能を調べて驚きました。何と、精力剤として使われるのだそうです。しかも、効力が弱いながらも、あの有名なバイアグラと同じ作用があるのだそうです。先生たちは、純情無垢な中学生にそんな薬草を採集させていたことになります。私の動機が単に苦労を嫌うことだけのことですが、そんなことに加担しない何と素晴らしい中学生だったことでしょう。はて、何が素晴らしいのかは分かりません。いつもの何となくです。

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