-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢の「大戸」姓の由来は

2014-02-14 19:19:14 | 歴史

 これまで、畑沢における姓のうち、「有路」と「古瀬」については、文献に残っていたり伝説がありましたので、これまで十分とは言えないまでも説明をしてきました。しかし、畑沢で最も多くを占めていた「大戸」姓については手ががりが掴めずに、スビタレ流の知らないふりをしていましたし、読者から何の御咎めもないことをいいことにしていました。

 ところが、手がかりが見えてきてしまいました。そうなると、知らないふりはできないようです。ところで、本題に入る前に畑沢の姓について、概略を説明します。畑沢の現在の戸数はおよそ30戸で、昔と比べると激減していますので、昭和30年ごろを対象にします。その頃、畑沢の姓別の戸数は次のとおりでした。

 大戸…24戸

 古瀬…18戸

 有路…15戸

 豊島… 4戸

 菅戸… 2戸

 青井… 1戸

 矢萩… 1戸

  合計65戸

今の2倍以上の戸数です。このデータの源は、昭和41年(1966年)発行の住宅地図に私の幼き頃の記憶を加えたものです。

 さて、「大戸」姓は、上記のとおり24戸で、畑沢の37%を占めています。畑沢以外にも、荒町、車段、尾花沢にも大戸姓がありますが極、少数で、大戸姓はほぼ畑沢の中にあります。畑沢の大戸のルーツは、3戸であると伝えられています。それが、24戸に増えたようです。

 そのうち、1つのルーツは最も新しく、文献からも推察できます。それは、「尾花沢風土記」(昭和55年尾花沢市発行)に、「18世紀半ば、江戸から大戸伝右衛門が銀山の採掘を試みたが失敗した」との旨が書かれています。また、畑沢村の名主が当時の代官へ村の様子を報告した「畑沢村高反別村差出明細帳」において、正徳4年(1714年)では、村に寺はないとしていますが、天明8年(1788年)では浄土真宗の徳専寺があると書かれていますので、1714年から1788年の間に徳専寺が畑沢に建てられたことになります。この徳専寺は、元々、銀山にあったが、大戸家とともに畑沢へ移ってきたと伝えられています。即ち、銀山の採掘に失敗した大戸家が寺と一緒に畑沢へ現れたようで、そのルーツを持つ「大戸」は昭和41年に4戸ありました。

 「大戸」姓の残り2つのルーツはこれとは全く別で、歴史も古いようです。確かとまでは言えないのですが、野辺沢城があったころ、野辺沢氏の家臣団に次の名前がありました。「野辺沢家と霧山城」(田村重右衛門著 1979年発行)によるものです。

 三百五十苅 大戸内匠助

 千百苅   大戸大学

 野辺沢氏には、「大戸」姓の家臣がいたのです。ただし、俸禄は高くはないようで、農業をしながらの「お勤め」であったようです。そのため、家老職だった「有路」ほどの記録がないのでしょう。また、大戸姓が多い場所は、荒屋敷と言われている所で、武士集団が居住していたような地名です。荒屋敷のすぐ近くには、「山楯」という楯があったようです。山楯へは荒屋敷から尾根を通って容易に駆けつけることができます。山楯を守る武士集団が大戸だった可能性が高いと思われます。この荒屋敷の背後には、大戸一族が祀った「稲荷神社」があります。「向かい」有路一族の「熊野神社」、「上畑沢」古瀬一族の「延命地蔵堂」に相当するものでしょう。従って、荒屋敷の大戸は、野辺沢氏の家臣の末裔だろうと推察するものです。「大戸」姓3つのルーツのうち、2つのルーツは、文献にあった家臣の人数(2人)と合致する気がします。でも、やはり確認が必要だと思いますので、稲荷神社を守っている人に聞いてみます。

   下の写真は「荒屋敷」地区

 ところで、そもそも「大戸」姓は、どこに由来するのでしょうか。教えてください。


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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大戸家… (スイカの種が邪魔)
2018-08-07 06:48:49
うちの母方が大戸家なのですが、たまたま姓や家紋について調べていたらこちらを見つけました。
本家も分家も歴史を語れる方々はもう亡くなっているので、話を聞ける人もおらず途方に暮れていたところです。
大変興味深い内容ではありますが、やはり大戸家についてははっきりと分からないところがあるのですね…

古い投稿にコメント申し訳ありませんでしたm(_ _)m
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スイカの種が邪魔さんへ (スビタレ)
2018-08-07 15:40:47
 本当に古いブログになってしまいました。もう4年以上も前の内容です。
 それだけにコメントを頂戴して嬉しい気持ちです。大戸姓についての考察は、浅学な私でも進化していて、特に延沢軍記を勉強しまして、新たな知見を得ることができました。既にそのことをブログに投稿したと思っていましたが、何処にも見当たりません。近い将来に投稿いたしますので、もう少しお待ちください。ところで、畑沢も直接に御覧いただければ幸いです。
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大戸一族の歴史 (大戸範雄)
2024-04-20 07:17:41
大戸一族の歴史について調査しています。
さて、日本の各地に様々な姓の方々が住むようになったのは、歴史的に以下のようなことが起こったからだと思われます。
①各地域における血縁関係に基づく氏族集団の形成(農耕や戦闘では集団の方が有利なため、複数の血縁家族による氏族集団が誕生)
②源平合戦や応仁の乱などの結果、氏族集団が祖先の地を離れて日本各地に移動(戦いの結果、勝者が新しい知行地へ移動したり、敗者が辺鄙なところに避難)
③氏族集団は、幕藩体制下で移住地に定着(藩を越えた集団の移動の禁止)
④明治以降、個人の移動が可能になり、就職や結婚によって個人が都市部に拡散(特に戦後の高度経済成長期に)
例えば、岐阜県白川郷(白川村御母衣上洞)は平家の落人の里と呼ばれ、1960年代には複数の大戸姓を含む174世帯が住んでいました 。ここには、国の重要文化財に指定された大戸継盛氏(平経盛の末裔という)の住居がありましたが、御母衣ダムの建設により、現在は下呂市に移転しています。

私のこれまでの調査では、日本全体で約6000人の大戸姓の方がおられ、日本の特定の地域(山形県尾花沢80人、福島県伊達市110人・白河市120人、埼玉県羽生市70人、千葉県長南町50人、静岡県南伊豆町40人、広島県福山市100人、愛媛県愛南町90人、大分県臼杵市230人・大分市170人、鹿児島県鹿児島市70人)に集団で住んでいます。大戸姓の一番多い都道府県は東京都ですが、東京都の大戸姓の方々は分散して住んでおられ、明らかに地方から個人で移住してきたものと思われます。一方、地方での集団居住は、氏族集団が歴史的なイベントの結果移動して形成されたものだと思われます。大戸氏の分布図に中世の古道を書き入れてみますと、大戸氏の分布は、中世古道沿いにあることが分かります。従って、大戸氏の集団は1.から4.のような理由で古道を使って移動し、定住した結果、現在のような分布になったものと思われます。千葉県長南町、静岡県南伊豆町、愛媛県愛南町の大戸氏集落は古道から外れていますが、これらの集落は、古道から更に移動した結果形成されたものだと思われます。
ちなみに、大分県の大戸氏については、我が家に先祖より伝わった古文書があり、その解読 と大分市の隣にある臼杵市の大戸姓の人々と連絡を取り合って調べた結果 、大分県の大戸氏は、かって讃岐国にいた大戸宮内少輔という武将を祖とする集団であることが分かりました。古文書によりますと、この集団は、治承3年(1179年)の源平合戦に讃岐国から出陣して敗北し、同年讃岐から武蔵国へ移動しています。恐らく、武蔵国が先祖の地であり、庇護してくれる縁者がいたのではないでしょうか。この集団は、寿永2年(1183年)には、頼朝の勢力が浸透してきた武蔵国を離れ、かって平清盛の領地だった肥後国益城郡に移動します。その後、豊後国守護の大友氏に仕えて肥後国から豊後国に移動し、文禄2年(1593年)大友氏の改易に伴い豊後国臼杵と大分に帰農したと考えられています。その結果、大分の大戸氏は、臼杵市と大分市に集中して住むようになったようです。
さて、山形県尾花沢市は、中世の古道である東山道沿いにあり、近くに大戸の地名がないことから、尾花沢は大戸一族の発祥の地ではないと考えられます。尾花沢の大戸氏は、関東(常陸國、武蔵國、上総國、下総國、上野國)あるいは大阪(河内国河内郡)の大戸荘(庄、あるいは郷)を発祥の地とする大戸一族が前述の1.から4.の理由で古道を通って移住し、幕藩体制下に定住した方々だと思われます。ちなみに2012年の電話帳調べでは大戸氏は尾花沢市全体で21世帯、畑沢には14世帯住んでおられるようです。
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大戸範雄さんへ (スビタレ)
2024-04-25 21:00:31
 大戸姓について全国的に調査された内容を教えていただき、ありがとうございます。私は大戸姓が極、限られた地域から始まって、全国的にもかなり少ないものと思っていましたが、大戸範雄さんのコメントのお陰で目を洗うことができました。大戸姓は決して特殊ではなかったことを認識しました。
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Unknown (大戸範雄)
2024-06-03 11:48:50
「すいかの種がじゃま」さんにお伺いしたいのですが、お母様の家の家紋は何でしょうか。これまでの大戸氏の家紋調査では、剣片喰(福山)、細輪の梅鉢(尾道)、曼柏(埼玉手子林)、、六文銭伊(群馬県吾妻郡)、上り藤に五星(大分県臼杵市)などが分かっています。
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