-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

枯れた葉も風情(柿蘭)

2021-12-24 14:23:05 | 自然

 今から約2ヶ月前の令和3年10月下旬、尾花沢市内の某所を散策していると、枯れかかった柿蘭(カキラン)を見つけました。当然ながら花はとっくの昔に終わっていますが、枯れた葉が何とも言えない風情を醸し出していました。この花も柿色の渋い色が魅力ですが、枯れた葉も楽しめます。

 

 花が終わって種子の鞘が沢山、ぶら下がっています。ラン科植物の種子は非常に小さくて栄養分がないので、自分の力だけでは発芽できないのだそうです。そのために発芽率が悪いので、種子が飛んでも中々、繁殖を拡大できません。現在の自生地を守ることが大事です。根こそぎ盗掘などはもってのほかです。

 この自生地は秘密にしています。尾花沢市内で自生している場所は僅かです。生半可に知ったかぶりのマニアはとんでもない絶滅に加担する場合もあります。

 ところで尾花沢市には大変、優れた植物学者がおられましたが、近年、他界されました。これから再びあれほどの人物が現れるのは難しいことです。つくづくも残念です。地元でその優れた業績を評価できる人が少なかったようです。同じ様に他の分野でも、優れた方が今でも何人もおられますが知られていません。折角の人材が勿体ないことです。人材を活用して社会の役にたってもらうべきです。

 これは評価できないということではなくて、あえて評価しないことかとも考えてしまいます。評価されて目立った人物が出てくると、相対的に自分の立場が低くなるのではないかと思うのでしょうか。随分と心の狭い人もいるのでしょう。過疎化が進む地域は全国に隈なく広がっています。人材を活用しなければ、新たな人材も育ちません。地域の振興には勿論、産業が必要ですが、最も必要なのは人の心の育成です。幸福感は人との交流が大きなウェートを占めます。隣人を大事にすることが社会全体を幸福にします。お金がいくらあっても、良好な隣人との関係がなければ幸福ではありません。良好な隣人関係と、思いやる心による人間関係であって、盲目的に従属することではありません。悪しき慣習などは糞くらえです。村八分的な見せしめは人の道に反します。

 今年度最後の脱線をしました。はて、今回のブログは「自然」をカテゴリーにしていたつもりだったとような。……分からなくなりました。

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ああ無情の雨が降る 拓本再び(経塚)

2021-12-10 19:42:54 | 歴史

 先日、第一回目の拓本に挑戦して失敗をしたことを投稿しました。落胆して再起できそうにない状態でしたが、月日が経つと何とか回復してきました。私でさえも無意識に冷静な反省と改善策を考えていたようです。

 そこで、前回から約半月目の令和3年12月6日に畑沢で再度の挑戦をしました。今回は一般的に「経塚」と言われている、「大乗妙典一字一石一禮」の石仏です。建てた人物は古瀬庄三郎で、石橋供養塔や湯殿山・象頭山を立てた古瀬吉右衛門と大きな関りがある人物で、この時代を考察するのに大きな情報があると予想しています。

 正面の文字は既に解読できていますので、拓本しようとしたのは背面の文字です。次の写真のように、令和2年2月8日に粉雪での「拓本まがい」を行ってかなりの文字が分かったのですが、重要な多数の文字は読めないままでした。「読めない」が、「文字が明確でない」のか、それとも「単に草書体を知らない」だけなのかは、自分でも判断できませんでした。

 既に地区の代表者から三体の石仏について拓本の了解を頂戴しています。前回の反省から次のように慎重に作業を進めました。

① 石仏の表面を霧吹きで均等に濡らしました。前回の挑戦では

 この手順が欠けていました。

② 和紙を石仏に当て、上部をテープで抑えました。風が心配で

 したが木々で囲まれているせいか強い風がなく、和紙が風で煽

 られることがありませんでした。一安心です。

③ きつく絞った濡れたタオルで、上から和紙を押し付けました。

 この段階でかなりしっかりと和紙が石仏の表面に密着してきまし

 た。こうなると気分は高揚し、成功が約束されているようでした。

④ 固く絞った濡れたタオルで和紙の余分な水分を取り除きます。

⑤ 洗車用の天然毛のブラシで和紙を軽く叩いて和紙に凹凸を浮き

 上がらせる作業にかかりました。専用のブラシではないのですが、

 畑沢の石仏には丁度よい具合です。「優しく、優しく」がコツと

 言えばコツでしょうか。《偉そうに》

⑥ 乾いたタオルで、できるだけ乾かし気味にしなければならない

 のですが、冬季は難しい課題です。「できるだけ」が精一杯です。

⑦ 墨汁の原液をカップに入れて、大小のタンポを使い分けながら

 和紙の上から墨を付けます。心配だった滲(にじ)みが起こらず、

 たどた どしいながらも順調に進みました。既に半ばまで終わり

 ましたので、下の方までタンポで墨を付けると終わります。

⑧ 「ああ、これで上手くできるぞ」と思って全体を見ると、上の

 方が黒くなって文字が見えなくなっています。作業を始めてから

 降ってきた雨は、ポツポツながらも石仏の上部を濡らして、それ

 が上から下へ流れ出して和紙にしみ、墨汁が滲みさせました。失

 敗です。あと少しだけ雨が遅かったら大成功だったのですが、何

 ともしょうがありません。天気予報でも12時まで太陽の晴マー

 クでした。12時までは、まだ1時間もあります。

滲みの結果が下の写真です。

その後さらに滲みは進みました。

 和紙をはずしてから、石仏の表面にうっすらと沁み出た墨汁を霧吹きで水をかけると、綺麗に流れ落ちました。それほどまでに雨が沁み込んでいたのです。

 しかし、この程度の拓本になってしまいましたが、果たして拓本が成功したとしても解読できる状態になっていたでしょうか。甚だ自信がありません。粉雪の拓本だった時でも、十分に上手く進んでいた時の拓本程度にはなっています。既に粉雪拓本でも、真ん中の行に楷書体で「古瀨庄三郎 正方立」があるのは分かっています。外には、左の行の「身」「の」「日」だけは分かりますが、その他は一切、見当さえつきません。要するに「草書体を読むことができない」のが一番の問題です。

  傷心のまま山形へ帰る訳にはいきません。午後は寺田沢から流れて来る水路の作業をして心を癒しました。小さい水路では、川底にさえ雑草の根が伸びてきて土砂を抑えてしまいますので、上から流れて来た土砂や落ち葉などが川底に溜まって、冬の間に水を溢れさせてしまいます。また、水路がコンクリートのU字溝になっている所は、何もなければそのまま勢いよく流れ下りますが、所々に設けられている四角いコンクリートの桝で流れが淀み、桝からの出口に落葉と枯れ枝が引っ掛かり、水を堰き止めて溢れだします。そこで、川底浚いと桝の邪魔物を取り除きました。「畑沢に来て良かった」と、これで「達成感」を味わうことができました。

 ところで、畑沢の積雪状態は次のとおりでした。向こうの大きな山は甑岳です。もう背中炙り峠を通ることはできません。冬季の閉鎖です。

 

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今年最後の背炙り峠 絶景が広がっていました

2021-12-01 09:35:11 | 自然

 令和3年12月1日(水)から背炙り峠越えの県道29号線が通行禁止になります。通行できる最後の日、11月30日に峠を越えて畑沢へ行ってきました。山形から出発して、直ぐに期待感が生じました。国道13号線を通行している間中に霧が立ち込めていたからです。

「峠の道で雲海が見られるかも」

 13号線から峠に向かう県道を昇っているうちに、霧が薄くなってきます。益々、気分は高揚します。中沢地区のビューポイントから眺めたのが次の写真です。やはり雲海がありました。しかし、中沢地区の切りは薄くなっています。午前中であっても既に10時です。

 遥か向こうには、朝日山系が真っ白い屏風を拡げていました。これを見たかったのです。これを見ると本格的な冬を感じることができます。もう大朝日には登れません。などと格好をつけても、雪があるなしに関係になくもうこの体力では甚だ困難です。右の黒っぽい山は葉山ですが、手前の岩神山が邪魔して全景は見えません。

 

 先ほどの写真では見にくいので、朝日山系のさらに左に見えた飯豊山系を拡大しました。この場所からは100km近くも離れていますので、画像は不鮮明です。空気が澄んでいる早い時間帯ならば、もっと鮮明に撮れるかもしれません。より厳しい冬を感じさせる絵になるはずです。

 

 峠に向かう道は、大方、雪はありませんが、日陰になつている時間が長い路面には雪が残り、さらに凍っています。踏むとパリパリと乾いた破壊音がしました。山の上の方はかなり冷えたようです。

 

 峠に着いて振り返ると、甑岳が見下ろしています。山腹には雪が積もっています。

 

 村山市方面の雲海が岩神山の向こうに見えます。

 峠まで来ると、葉山の全景を見ることができます。山頂部分が真っ白です。標高1,462m、一見して登り易い様にも見えますが、一般的には中級の困難度でしょうか。それでも私には既に困難極まる山になってきました。でも、これほどに美しいと登りたくなります。

 

 枯れたヨモギにカマキリの卵がありました。カマキリはその年の積雪量を予測してその上に産卵するなどという説を聞いたことがあります。もっともらしい御説ですが、降雪量がどんなに少なくともヨモギは雪の重みで倒れ、カマキリの卵塊は雪に埋もれます。この御説が正しければ、雪国にカマキリがいないはずです。畑沢のカマキリは雪に負けません。

 

 峠には大きな石仏のような工作物が置かれています。大分、前からの物ですが、いつも不思議に思っています。「通行止め」の看板があります。通行止めは上り口で行うものだと思います。峠では役に立ちません。工作物の上部にクレーで吊り下げる鉄製のフックが付いています。さすがに人力では無理です。これほどに大きいと大きなクレーンが必要です。それだけ費用が必要になります。峠の謎です。

 

 頭上で小鳥のさえずりが聞こえます。初冬の山では、しばしば小鳥の群れと出会います。シジュウカラなどのカラ類だそうです。この時のカラはヤマガラです。群れと言うにはほど遠く、3匹だけでした。止まっている木はミズキです。ヤマガラはこの木の実が好きなようで、口にくわえています。飛び立ったら撮影を止めようとしたのですが、一向に立ち去ろうとしません。私が痺れを切らしてしまいました。

 

 峠を降りる途中、最上町の禿岳が見えました。ハッキリ・クッキリ。日本海からの季節風は、鳥海山系で大量に雪を搾り取られ、さらに神室山系でも雪をせがまれて、奥羽山脈の禿岳に運ばれる雪はぐっと少なくなっています。まだ白さが足りません。この山が真っ白になると真冬の厳しさを感じます。

 

 畑沢での作業を終えて、再び峠に戻ったのは午後4時少し前です。夕日を見たかったのですが、まだ日が高いようでした。しかし、稜線上に雲が広がって、中途半端な光線です。残念、今年は峠の「美しい夕焼け」は、とうとう撮れずじまいでした。

 山形県のホームページによると、峠の道路閉鎖は来年の5月31日までだそうです。実にまるまる半年間です。12月の閉鎖は降雪が本格化する時期なので納得できます。しかし、通行が開始される6月1日は、とうに積雪期を過ぎた初夏です。五十沢から畑沢へ越えてくる峠の道は4月中に通行可能です。昔でも背炙り峠は春のゴールデンウィークには峠を通ることができました。峠の通行を待ち遠しく思っていました。今は昔よりも冷涼化したのでしょうか。こんなことを何年も繰り返すことが不思議でなりません。6月から開始する工事に繋げようとしか見えません。

 今年はコロナ関連での予算確保のためと思われる事情で夏季の工事がなかったので、峠の通行が確保されました。来年は再び夏季の長期通行止めが行われるのでしょうか。安全確保のための工事は必要です。真っ先にやってほしい峠の工事もあります。それを通行も確保しながら工事を進める方法があります。そろそろ目を覚ましてほしいものです。何のための道路かに目覚めてください。

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