-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

私は神の名を間違えていました。お許しください龍神様

2018-04-30 16:14:56 | 歴史

 またしても罰当たりな間違いを犯しました。それは畑沢にある石仏の名を間違えていたのです。間違いが分かったのは、平成30年4月15日の畑沢祭でした。荒屋敷の湧水についての話題をしていると、そこを守っている人が言いました。

「あそこの龍神様は‥‥」

「えっ、あれは水神(すいじん)様ではないのか、荒屋敷出身の中沢の人がスイジンサマと言っていたぞ」

「いや、あれは龍神様だ」

 守っている人が言うなら、それはそのとおりです。それにしても、何故、大きな間違いをしてしまったのでしょう。そこは畑沢でも屈指の水量を誇る湧水場所で、はるか昔から荒屋敷の飲料水となってきました。私は、大事な湧き水を守っているから水の神様であろうと考えてしまったのでしょう。それでは中沢の人が話したというスイジンサマとは、その人が間違えたのでしょうか。これも怪しいものです。私が聞き間違いをした可能性が高いのです。そもそも、畑沢の人は、「水神様」をミズガミサマと発音し、スイジンサマとは発音しません。確かに中沢の人から、スイジンサマということを聞いたと思ったときにも、どこか違和感を感じていました。しかし、そこは素直な私ですから、そのまま受け入れていました。しかも聞き間違いをしたままです。これは石仏に関する深い知識を持たざる者の限界です。

 まあ、それでも私はめげません。間違いは修正すればよいのです。そこで、あらためて「龍神様」を紹介します。

 下の写真は、畑沢の荒屋敷地区の水を何百年と守ってきた神様「龍神様」です。私は罪滅ぼしの気持ちを込めて祈ります。皆さんも私の許しを願って祈って下さい。

 ところで、龍神様と言われると、この石仏がそれらしく見えてきました。ただし、水神様と思っていた時もそれらしいと思っていました。私は感化されやすいようです。

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平成30年 畑沢のお祭り

2018-04-18 14:03:33 | 近況報告

 平成30年4月15日(日)は畑沢のお祭りでした。既に今日まで3日も経ってしまいました。投稿が遅れて申し訳ありません。今、娘が里帰り出産をしており、いつもは役に立たない私ですが、車の運転手としての役割が重要になりました。そして、出産予定日よりも早く兆候が表れ、ついに17日に孫が誕生しました。ありがたいことに2月下旬から孫たちに関わることが多くあって、結構、忙しい日が続きました。

 さて、畑沢の祭の話に戻ります。当日、畑沢は時折、小雨が混じりながらも明るい曇り空でした。天気予報を見ていて、荒れることを心配していましたが、まあまあの天気でした。昨年から熊野神社でのお払いが遅くなり、11時から開始になりました。

 熊野神社への参道には杉の巨木が立っています。正確な樹齢は分かりませんが、熊野神社が創建された西暦1655年ごろから立っているものかもしれませんので、樹齢は約360年ぐらいでしょうか。いつ見ても圧倒されます。

 杉の巨木の近くには、石造りの狛犬の残骸があります。この日に集まった下畑沢の方によると、昭和30年代には狛犬がまだちゃんと形を保っていて、その上で遊んだこともあったそうです。私も昭和30年代には、学校からの帰り道、熊野神社で何度も道草をしていたのですが、狛犬に関する記憶が全く残っていません。でも、「あった」と確信を持っておっしゃる方がいますので、私の記憶がいかに乏しいものであるかが分かります。でも、考えようによっては、私も国会で、「記憶の限りでは、‥‥ごさいません」などという言葉を連発できそうです。

 杉の向こうに透けて見える「白」は雪です。

 お祓いをする前に、神主さんによって法螺貝が吹かれました。熊野神社は高台にありますので、遠くまで響き渡ったことでしょう。

 お払いが終わってから、3時間ほど懇談していましたら、今回も面白いお話を聞くことができました。私は飲めませんが、皆さんはお酒が入っていたので、お話の真偽のほどは分かりません。それでも、初めて教えていただいた面白い内容ですので、以下に紹介します。

 

1 どぶろく

 昔、どぶろくは奇麗な湧水を使って作るために、移動式の竈と蒸し器を人家から離れた湧水場所に持ち込んだ。さらにその場所で醸造し発酵が進むにつれて、酒のいい香りが周囲に漂った。それを嗅ぎつけた人が我慢できずに飲んでしまった。遂に飲み潰れてその場で寝てしまった。


2 荒屋敷の稲荷神社

 荒屋敷の守り神として江戸時代に稲荷神社を建立しようとしたが、資金が不足し源右衛門の寄付を得た。


3 荒屋敷の竜神

 湧水「ヘンドリ」にある守り神は、水神ではなく、竜神である。


4 中畑沢のお不動様

 不動明王は目の神様でもあったので、その御利益を願って、畑沢以外の所からもお詣りに来ていた。


5 有路但馬の三代目

 有路但馬の三代目が「小兵衛」だったと過去帳に出ている。

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雪虫

2018-04-12 19:39:32 | 自然

 前回、投稿した時に一枚の写真を忘れていました。大した写真でもないのですが、忘れていると気になります。早春には植物は多々顔を出しますが、動物は滅多に顔を出しません。それでも、撮影できませんでしたが、ハヤブサ、ノスリ(鷹の一種)、ヤマアカガエルの姿を確認することができました。ハヤブサとノスリは番(つがい)の相手を探しているように互いにくるくると忙しそうに廻っていました。ノスリはピーピーと情けない鳴き声を発していました。ヤマアカガエルのお腹はパンパンに膨れていましたので、お腹に卵を抱えた雌かと思います。ウグイスの鳴き声も聞こえました。残念ながら、これらを行き当たりばったり方式では撮影することは困難です。

 その行き当たりばったり方式で撮影できたのが「雪虫」です。雪面をのろのろと歩いていましたので、私にも撮れました。雪虫とは種の名前ではなて、雪の上に見られる虫の総称だそうです。従いまして、いろんな種の雪虫がいることになります。この雪虫はカワゲラの成虫です。幼虫は水の中で暮らしていますので、川虫という総称でも呼ばれます。それでは種名はと言うと、分かりません。肝心なところですが、難しいのです。ただクロカワゲラの一種とだけしておきます。これが私の限界です。しばしば、畑沢の雪の上で見かける極、普通の雪虫です。

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雪融け~~ せせらぎ

2018-04-10 20:21:34 | 近況報告

 平成30年4月10日(火)に畑沢へ行く途中、古殿を過ぎて朧気川の橋にかかろうとしている時に、道路の端で作業をしている人たちが見えました。地吹雪を防ぐための防護柵を外していました。そう言えば、もう4月の半ばになろうとしています。冬はとっくに終わり、冬の後片付けです。

 

 NHKテレビのデータでは、尾花沢市内の積雪量がゼロになっていますが、尾花沢市は広いので積雪量はいろいろで、常盤地区にはしっかりと積雪があります。車段から荒町へ向かう市道の脇で、融雪を進めていました。バックホーで雪を掻きまわしています。

 

 畑沢もまだまだ雪がありますが、雪融けが早い土手には3がつごろから福寿草が咲き、さらにこの日は「キクザキイチリンソウ」も少数ながらも咲いていました。

 

 さらに少数ながらもショウジョウバカマも咲き始めました。この近くに、たった一輪のカタクリも咲いていましたが、手振れで失敗しました。

 

 花ではないのですが、羊歯植物も芽を出しました。ここは湧水がありますので、早く雪が融けたようです。

 

 初夏に食べる美味しい山菜も、芽を出していました。畑沢で「ミズ」と呼んでいるウワバミソウです。これは赤ミズでしょう。採りたてのミズの葉と皮を取り除き、包丁の背で叩いて粘りを出し、ナス、ミョウガ、キュウリなどと一緒に細かく切り刻んであえ、そこに酢、醤油をかけると、さっぱり風味の「だし」が完成します。その季節が到来するのが待ち遠しいです。

 

 春が早く来たのは、植物だけではありませんでした。何と、雪の上にイノシシの足跡がありました。しかもかなり大きい体のようです。イノシシは、熊と違って冬眠をしませんので、雪の上に足跡があっても何ら不思議ではないのですが、昔はいなかった動物なので、かなりの違和感があります。

 

 イノシシは土中のミミズを漁ったようです。地面が掻きまわされています。

 

 春が終わって沢の水路が現れると、雪の悪ふざけが目に付きだします。倒木、落ち葉が水路に引っかかり、さらに生きている木の枝が雪で水路に押し付けられて水路の流れを妨害し、水路の岸を破壊することがしばしばです。

 

 畑沢の沢筋でも特に屏沢(ビョウザワ)は、湧水が多い所です。何か所もの崖から水が湧いています。その一つは私のお気に入りです。落ち葉や枯れ枝を取り除きました。何段にも下れ落ちる様子は、美しいものです。

 

 最後の最後にショッキングなことが分かりました。屏沢の最奥部にある「お不動様」の社が、雪で潰されていました。今冬の雪は確かに多くて重かったのですが、社の木が虫食い状態になっていたので、寿命が尽きたようです。残念ながら、これを再建することは出来ないでしょう。もう再建できる力が畑沢にはありません。それは畑沢に限らない日本中の現実です。

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スキーの「パチンコ」とは?

2018-04-08 17:29:56 | 思い出

 畑沢の思い出をまとめていましたが、どうしても昔のスキーを説明する絵がほしくなりました。ところが、きちんと書かれている本やネットがありませんでしたので、とうとう自分で書いてしまいました。真面目にこつこつと書くのが苦手なものですから、大変な苦労をしました。ネットにあった朧げな写真を基にして、適当に手を加えました。それでも何とか出来上がりましたので、勿体ないと思ってブログで活用することにしました。


 昭和30年代、畑沢の子どもたちの冬は、スキーで明け暮れました。スキーは、今とかなり違います。先ずスキーの板は、そのまま「板」だけでした。今のようにエッジに鋼鉄など付いていません。しかも、お下がりで何人も使っていますので、エッジ部分はすり減って丸くなっていました。とても「エッジを効かせる」ことは出来ません。従って曲がることができないので、上から一直線に滑り降ります。いわゆる制御不能です。一か八かの掛けみたいなものです。テレマークなどとハイカラな滑り方を知っている子どもはいませんでした。

 靴はいつも履いているゴム長で、スキー靴などは特別に恵まれている子どもです。ゴム長をスキーに連結させる金具(今風にはbindingビンディングと言います。)は、パチンコと呼ばれるものです。勿論、正式な名称ではありません。ゴム長をスキーに載せた後で、固定する時に金具を「パチンッ(コ)」と締めるので、このように呼ばれたようです。実に適切な命名です。ところで、本当の名称を知っている方がいましたら、どうか教えて下さい。

 パチンコは、踵を固定することができません。その意味でも曲がることは益々、困難です。でもお金を出せば踵を固定するオプションを購入することもできました。私も買ってみましたが、今度は技量が及びませんでした。

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