-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

カルガモよどうかご無事であれ

2024-07-26 17:28:33 | 自然

 令和6年7月12日(金)に畑沢へ行ってきました。畑沢で気にかかることがありました。それは6月16日に驚いたカルガモの巣のことです。私は不用意にも、親鳥が大事に守っている11個の卵が入っている巣を草刈り機で切り刻んでしまいかねない大失敗をしたからです。草刈り機が巣を直撃する寸前で親鳥が慌ただしく飛び立ったので、かろうじて惨禍を免れたのですが、私は後ろめたい気分がずっと続いていました。

 その17日後の7月3日に畑沢へ行ったときに、親鳥も卵もまだ健在で安心しました。しかし、卵から孵化していなかったので、今度は孵化するのかどうかが心配でした。何しろ、その場所には、天敵の蛇や烏が多くいます。そもそも、私はカルガモがどれぐらいの期間で孵化するかを知りません。6月16日から7月12日までは26日になります。

 畑沢に着いてすぐにカルガモの巣を見に行きました。巣の中は空っぽでした。良かった。巣立ったと思いたいです。カルガモが孵化するときには、卵の殻を破ります。その殻は巣の中に11羽分残っていると思っていたのですが、全く見当たりません。再び不安になりました。

 蛇が卵を丸呑みすれば、殻は巣に残りません。烏が持ち去っても殻は残りません。総て私の不注意で天敵の餌食となったのではないかと後悔しきりです。しかし、孵化した時の殻を親鳥が丹念に巣の外は運び出していたとすれば、雛たちは無事だったことになります。どうか、そうであってくれと願っています。

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ユキツバキかなあ(その15②)熊野神社から西側斜面

2024-06-08 16:56:16 | 自然

 前回にブログを投稿したのが令和6年2月24日です。3か月以上も経ってしまいました。今年の2月下旬から5月下旬まで、娘が第1子を連れて里帰り出産で山形へ戻ってきました。その間はずっと忙しくて、とても「ブログに現を抜かす」暇がありませんでした。

 5月下旬に娘は嫁ぎ先へ帰ったのですが、私はブログへの怠け癖が付いてしまいました。が、大分、余裕が出てきましたので再開です。ユキツバキシリーズとしては残りあと2回だけですので頑張ります。

 前回、下畑沢の熊野神社がある山の東斜面を取り上げましたので、今回はその続きで、熊野神社を含む尾根から西斜面です。しかし、そこを調べたのは、去年の5月4月24日です。1年以上も前の話です。今年は見る余裕がありませんでした。

 尾根に登って林の中に入ると、山桜が咲いていました。木陰に入っていましたので、写真としての明瞭さに欠けます。花びらには小さな羽虫が沢山、付いていました。蜜でも求めているのでしょう。

 

 花はやはりユキツバキを思わせます。花弁が横に広がり、雄しべは一本ずつ独立しているように見えます。花びらの色も山形市大平の雪椿と尾花沢市繋沢の雪椿と思える椿のそれと似ています。

 

 でも、下の写真の椿の雄しべの基部を見ると、少し融合しているようです。この点が雪椿と言い切れないところです。完全に藪椿の遺伝子が入っているようです。ただし個体ごとに差異が見られます。上の花びらの説明でお見せした花の雄しべは、完全とはいえないまでもかなり独立していました。

 

 葉脈は光を透しやすいようです。このことは藪椿と雪椿の雑種でも同様ですので、雪椿だけの特徴ではありません。ところで、葉脈が光を透しやすいということは、何を意味するのかを知りたいものです。藪椿と雪椿では構造的又は材質的に何かが違うはずです。しかし、私が考えることなどは、たかが知れています。私が知らないだけで、既に調べているのかもしれません。

 

 杉林の中で鶏のものと似ている卵が転がっていました。殻の一部に穴が開いていましたので、烏がカルガモなどから盗んで食べたのでしょう。

 

 下の写真は、石仏が倒れているところのです。宝暦年間に畑沢地蔵堂の初代庵主「泰外」が身を削って、石に経の一字ずつを書いて埋蔵したときに建立した経塚です。私も復旧させたいのですが、私ひとりでは無理ですし、勝手なことはできません。これからもずっとこのままかなと悲しい気持ちです。

 

 大葉黒文字の花と新葉です。葉の裏、花柄(かへい)及び花びらの裏に産毛のような細かい毛がびっしりです。大葉黒文字は油分が多い樹木です。冬の低温から葉と花の芽を守るために油分が芽の中に充填されて、産毛はその油分を安定させる役割をしているのではと想像してみました。果たして、油分が充填されているのか、産毛がその役割をしているのかを何方かが調べてみてはいかがでしょう。

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ユキツバキかなあ(その15の①)熊野神社の東側斜面

2024-02-24 15:28:36 | 自然

 「ユキツバキかなあ」シリーズは、やっと振り出しにもどります。畑沢の熊野神社周辺の椿が、ユキツバキ(雪椿)かもしれない、いや雪椿だろう、きっと雪椿に違いない、などと思ってから早、6年にもなりました。不勉強なうえに慎重さに欠けていますので始末に負えません。

 しかし、ブログのおかげで救う神がコメントとして現れました。

「熊野神社の椿は、ユキバタツバキ(雪端椿)でしょう」。

 そこで、山形市大平地区の雪椿群落、尾花沢市六沢の繋沢の椿、同市原田地区の椿、畑沢の稲荷神社周辺の椿、同地区のおしぇど山の椿等を調べて、雪椿の何たるかを頭に入れました。

 その間に2年の月日が流れました。令和5年5月5日(開花期)と6月11日(新葉展開期)に畑沢の熊野神社に出かけて最終的な観察を行いました。熊野神社周辺には広い範囲に亘って椿が生えていますので、三つに区分して報告します。先ずは県道29号線(主要地方道尾花沢関山線)から尾根までの東側斜面です。

 ここの斜面には、落葉広葉樹が生い茂り、さらに夏季は葛が全面的に覆います。この時期は、まだ落葉広葉樹も葛も葉が本格的に展開していません。椿はその下に這いつくばるようにしながら、辺り一面に生えています。

 

 全体的な花の様子です。ほぼ山形市大平地区の雪椿と同じように横に開いているように見えますが、幾分、大平の雪椿よりも開き方が少ないようです。定量的に開き方を比べる方法を知りませんので、あくまでも感覚的に表現しています。

 

 雄しべを横から観察しました。藪椿とは明らかに異なり、それぞれの雄しべの基部が独立しているように見えます。それでも、大平の雪椿と比べると、基部がほんの少し融合しています。雌しべはおしぇど山や六沢地区の繋沢の椿のように、雄しべよりも長く飛び出してはいません。

 

 葉柄の長さは、藪椿よりは明らかに短いようです。大平の雪椿と比べても、ほぼ同じように短いように見えます。いや、長いようにも見えます。これも、定量的に計ったものではなくて、感覚的なものです。

 

 葉柄の毛は確認できました。大平の雪椿に全く引けを取りません。

 

 葉脈は透けているようです。雪椿の特徴があります。しかし、葉脈が透けると、生理的にどのようなことが生じるのかを知りたいところです。植物生理学をやっている方から御説明いただきたい思いです。

 ところで、このような写真を撮るのにはいつも苦労します。片手で葉を持ち、もう片手でカメラのシャッターを押すのですが、ピントが合いません。ついでに周囲が明るすぎます。ちゃんとした準備して撮影するのが真面な撮影者というものです。

 

 尾根に至って、熊野神社に挨拶いたしました。今年もお祭りに参加しなかった非礼もお詫びしました。

 

 熊野神社の東斜面の椿は、以上のとおりですが、外にも目に留まった植物がありました。珍しい植物ではありませんが、いつの間にか名前が変更されていました。私は「ウスバサイシン」と記憶していましたが、Wikipediaによると、2007年に山路弘樹、中村輝子らにより、新種「トウゴクサイシン」として命名記載されたそうです。最近は「新種」が多くなっています。いいことなのかもしれませんが、私には何とも評価できません。「最近」と言っても16年も前です。私の頭は半世紀前のままになっています。

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ユキツバキかなあ(その14)おしぇど山の椿

2024-01-14 10:06:53 | 自然

 令和5年4月23日、稲荷神社の椿を撮影して直ぐにそのままおしぇど山に登りました。2点間は水平距離にしてたった約110mで、標高差は約30mです。昔は山道があったそうですが、今は藪漕ぎが必要です。慣れていますので何とかなります。尾根の上に文化五年(1808年)に「お伊勢堂」を建てられ、訛って「おしえど」と呼ばれています。さらに遡って戦国時代は、この場所に「村の城」である村人の楯が造られました。

 椿はこの「お伊勢堂」に供えられたようです。即ち文化五年ごろに植えられたのではないかと期待しています。もしも、楯が完成したころに植えられたものならば熊野神社(1655年建立)の椿よりも以前から存在していることになりますが、それは欲張りすぎかもしれません。 

 椿は一株だけに見えますが、一株にしては大きすぎるようにも見えます。根の場所を確認すればいいのですが、いつものようにせっかちに先へ急ぎました。

 ここの花も、花びらが横に広がっており、雄しべの基部の融合らしきものが見えないので、外見は雪椿そのものです。

 

 雄しべを横から見ると、私の実家の椿と大差がないように見えますが、基部がより独立して感じがあります。特に際立った特徴は、雄しべに囲まれた中央にある雌しべです。雄しべよりも背丈が高くて、完全に飛び出ています。雌しべが受粉するうえでは不利になりそうですが、どんなものでしょうか。

 

 葉柄は確かに藪椿(ヤブツバキ)のそれよりは短いようです。しかし、山形市大平地区の雪椿の葉柄よりは長いようです。実測をしないところが私の雑なところです。

 

 一応、葉を透かして葉脈を見もしたが、ピントが合っていません。左手で葉を持って、右手でカメラを持ちながらシャッターを押しました。

 

 実生と思われる小さな株が、所々にありました。やはり、雪椿なら滅多にないことかと思います。

 おしぇど山の椿は、純粋な雪椿とは言えないでしょうが、畑沢では最も雪椿らしいものでした。この椿がいつごろ植えられたかを証明するものはありませんが、稲荷神社脇の椿よりも雪椿の特徴が強いことから、より古い時代に植えられたであろうことは言えるのではないかと思います。

 

 

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ユキツバキかなあ(その13) おしぇど山下の稲荷神社

2024-01-13 15:23:44 | 自然

 実家の椿を撮影して直ぐに、下畑沢おしぇど山の裾にある稲荷神社脇の椿を見に行きました。ここ場所については、いつも大戸K氏から重要な情報を提供していただいており、椿についても教えてもらいました。稲荷神社については、既に'16年に投稿していますが、一応、簡単に説明します。神社は石の祠で、明治37年(今から120年前)に建てられました。椿はその時に神木として植えられた古い歴史を持つものと推定しました。近年の園芸品種ではないだろうとの見立てです。下の写真は'16年4月の撮影です。

 

 令和5年4月23日、ここの椿も満開でした。私の実家の椿と同様に、この角度から見ると雪椿の雰囲気が満載です。

 

 ところが、雄しべの基部を見ると、わずかに融合しているのが分かります。雪椿とは断定できません。基本的に私の実家の椿と同じと思われます。園芸品種が広く出回る前は、椿と言えば畑沢地区のほぼすべてがこの椿だったのかもしれません。

 

 

 

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