-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

ユキツバキかなあ(その9) 今年、最後の椿のお話

2022-10-29 17:24:36 | 自然

 元々、知識が乏しい頭です。少し学習することにしました。7年前に畑沢の椿を雪椿と思って投稿を始めましたが、御親切な方から「ユキツバキではなくてユキバタツバキだろう」と教えて貰いました。お陰様で私には不釣り合いなほどに勉強する機会を得ました。折角ですから私の拙い学習の内幕を紹介します。

 植物の蔵書はありませんので、ひたすらインターネットで検索すると、石沢進氏の論文がヒットしました。昭和49年1月に博士号認定のために出された「ユキツバキの生態学的研究」という論文で、実に10数年間にもわたって、新潟県を中心として北は秋田県田沢湖から南は滋賀県北部の山地までも調べられたそうです。私たちの知らない所で、雪椿には研究者の大変な苦労が捧げられていました。研究されていた当時を想像しますと、おそらく石沢進氏は重いキスリングというザックを担いで山中に入り、日に焼けた顔で藪を漕ぎながら雪椿を調査し続けたのではないかと思います。私が理想とする生物学者の姿です。山形県内でも植物の研究者はいますが、残念ながら雪椿を研究する人は出なかったようです。折角、昭和11年に現在の村山市内の葉山の椿を柳田由蔵氏が先駆者の一人として雪椿を発表したのですから、その研究を受け継ぐ人が山形県から出て欲しかったものです。因みに石沢進氏は新潟県内で研究されました。

この論文について、得意の「つまみ食い」的に説明します。石沢進氏が挙げている雪椿の生理的な特徴のうちの一部を次のように取り上げてみます。なお、難解な用語は平易な言葉に置き換えています。

  • 耐寒性と乾燥に弱い。

これは意外でした。寒い地域に適応しているとすれば、第一に耐寒性を供えているだろうと想像していました。

  • 耐陰性がある。

 大平地区での観察でも、そのことは充分に納得できます。雪椿が生えている場所は薄暗くて、明るい落葉樹が多い東北の林の中とは大きく異なっています。

  • 幹と枝には柔軟性がある。

 大量の積雪が雪椿を押しつぶしても、折れません。雪国の樹木に広く見られる特性です。

 上記①で示されている雪椿の弱点は、大量の雪が雪椿を覆って冬季の低温と乾燥から守ります。③の柔軟性があるので、大量の積雪に堪えられます。さらに夏季には大木の下層に位置しているので昼なお暗いのですが、②の耐陰性がありますので問題なく成長できます。一つの山でも、方角、標高及び水の流れなどによって、気温、湿度、積雪量が異なります。その結果、標高が高過ぎるところは気温が低いので苦手のようです。南向きの日当たりが良くて雪が消えやすい所は乾燥するので、むしろ北側の斜面に生育します。尾根部よりも沢筋の湿気が多い所を好みます。

 以上、一部だけをつまみ食いしました。同氏の論文はこれだけでなくもっと重要な事柄が記述されていますが、私の力ではこれが限度です。

 山形県内での椿類の分布は、海岸に沿って藪椿、海岸部から東に離れた山地に雪椿、その間に雪端椿です。一方、雪椿が分布している山地の東斜面側には、白鷹山を除いて椿類は分布していません。太平洋岸には藪椿が分布していますが、雪椿の分布地とはかなり離れています。

 私の頭を整理するために、これをより単純化して表現します。模式的な図を次に示して説明します。なお、図の中で「山地」としたのは、朝日山系、出羽丘陵、白鷹丘陵やなどの奥羽山脈の西側に平行している標高が高い所を意味していますが、出羽丘陵が雪椿の自生地であるかどうかは、問題が残っています。つまり出羽丘陵の雪椿神社仏閣の境内に人工的に植栽されたものが多いからです。特に村山市葉山の雪椿は大円院の境内だけに生えているもので、その地域一帯に分布しているものではありません。

 本州の北部は、南部と比べれば気温が低いので、暖地性の照葉樹にとっては、北部は適地ではありません。しかし、北部でも海岸部は暖流の影響で内陸部よりも気温が高く保たれます。照葉樹のタブノキなどのように藪椿も海岸に沿って北上して分布を広げています。しかし、内陸部は暖流の影響が少なくなり、冬の季節風で寒さに晒されて分布を広げることができません。ところが、耐陰性柔軟性を備えている雪椿は出羽丘陵を含む一連の山地に分布を広げることができました。一見、北日本に分布している雪椿は、当然のように耐寒性を備えているように見えるのですが、上述した石沢氏の論文のとおり雪椿は寒さと乾燥には弱いそうです。しかし、柔軟性があるお陰で、大量の雪に伸しかかられてもしなやかに受け止めて耐え、耐寒性などなくても雪が冬の寒さから守ってくれています。また、耐陰性があるお陰で、大木が鬱蒼と繁る森の中の長い冬の暗い雪の下でも春を待つことができました。

 

 しかし、雪椿が雪国に適応できた理由は分かりましたが、どうしても分からないのが、何故、雪椿は奥羽山脈に進出しなかったかです。雪椿が持つ特質は県内多雪地帯の奥羽山系にも十分に通用しますので、雪椿は分布を広げることができるように見えます。何が妨げになったのでしょう。現在の雪椿の分布は、現在の気候だけが決定したものではなくて、雪椿と藪椿が別々の種として歩き始めてからの長い地質年代のレベルで分布を考えるべきものかもしれません。氷期と間氷期が何回も繰り返され、その中で種の分化が起こったとは考えられないでしょうか。

 その時に問題となるのが、氷期には対馬海流(暖流)が全く流れなくなるか又は無視できるほどに弱い流れになることです。日本海に暖流が流れ込まなくなると、冬に日本海からの水蒸気が極端に少なくなって積雪量が激減してしまいます。雪椿を寒さから守ってくれる雪がなくなって雪椿は大幅に後退し、局所的に雪が多い狭い範囲に細々と生き残っていたのかもしれません。とても飯豊山系、朝日山系、出羽丘陵、奥羽山脈へ分布を広げていたとしても、寒さで生き残れなかったと思います。特に最終氷期は最も気温低下が大きかったとのことでしたので、雪椿は大きなダメージを受けたはずです。そしてもっと壊滅的なダメージを受けたのは藪椿だったでしょう。氷期による気温低下とさらに暖流が北上しなくなったことによって海岸部の暖房効果がなくなり、日本海側の藪椿は全滅したと思えます。

 そして最終氷期が終了した約1万年前に間氷期になると再び気温が上昇しながら、積雪量も多くなって雪椿は分布を広げて来たことでしょう。藪椿もタブノキなどの暖地性の樹木とともに、暖流の援護を受けながら海岸沿いに再度、北上してきたのでしよう。今、見られる椿類の分布は、1万年にスタートして、まだ分布が拡大を進めている途中の姿と言えそうです。これからさらに時代が経過すれば、雪椿は飯豊山系と吾妻山系を経て奥羽山脈の西側にも分布を拡大するかもしれません。

 これで一件落着に見えますが、まだ解決していません。朝日山系と奥羽山脈の間に白鷹山があり、白鷹山の東斜面(村山盆地側)には県内随一と言えるほどに雪椿の群落が広がっています。私が何度も白鷹山やその山腹とも言える大平地区で雪椿を観察したのはそのためです。ところが、朝日山系の東側と白鷹山の西側(置賜盆地側)及び奥羽山脈における雪椿の分布に関する文献を見たことがありません。おそらく分布していないだろう思います。にもかかわらず、日本海側から朝日山系によって隔てられている白鷹山に何故あれほどの大群落で雪椿が分布しているのか。白鷹山の東側が雪椿分布の飛び地になっています。説明には特別の理由が必要です。ましてや雪椿が種子を実らせるのは極めて稀ですから、リスなどによって拡散するのも少ないはずです。白鷹山が飛び地になって居るのは、「氷期と間氷期の繰り返し」のせいでしょうか。

例えば

「間氷期に白鷹山まで分布を広げたが、氷期になると周囲が全滅してしまい、白鷹山の東側だけに雪椿が残った。再び間氷期になると白鷹山の雪椿が元気に群落を形成しているが、まだ周囲の山地までは日本海側から広がっていない」

などと素人の妄想は大胆です。

 おまけの妄想は続きます。もしかして、今から420年余り前の西暦1598年に秀吉によって国替えさせられた上杉景勝と直江兼続の家臣たちが、越後を懐かしんで越後領から大量に雪椿の苗木と種子を運び込んで、白鷹山の参道がある東側に移植や種蒔きをしたのではないか。「ん?、じゃあどうして西側には」……。妄想しても理屈は通りません。

 この話を発展させて物語も作れます。その筋書きは次のとおりです。

「上杉家の人々によって持ち込まれた雪椿の話は最上領内にも伝わり、最上領民は自国にない珍しさと冬でも落葉しない縁起の良さから、我も我もと上杉領内から苗木などを買い求めた。野邊沢城では馬場の周囲に花木として植栽し、領内の神社仏閣の境内にも榊のような神木として珍重されて植栽された。その名残が今でも畑沢の熊野神社周囲にある椿の大群落である」とまあ、こんなものですが、作家ならもっと上手に話を作れるでしょう。

 日ごろ、私のブログの文章は長すぎると不評です。今回もブログとしては、嫌に感じになるほど長くなってしまいましたが、開き直ってしまいました。もう少しだけ話を続けます。

 畑沢と言う小さな集落の椿の話でしたが、考えを深めようとすると、地域的には全県、さらに全国、ついには地球規模へと広がり、時間のスケールも何百万年もの地質時間の流れへと発展してしまいます。また、歴史にも絡めてみることも面白く感じています。とかく、「素人だから」とか「専門家でないから」と口をつぐみがちになりますが、臆することなく自由な発想を楽しんいます。

 さて、本来の話に戻します。もしも、雪椿の分布に関するより詳しいデータとヤブツバキとユキツバキのゲノム解析などが行われれば、十分に解明できそうな気がします。学者さん方の奮起を促したいところです。研究対象として面白いはずです。

 ということで、数々の「分からないこと」を残して、今年の「ユキツバキかなあ」シリーズを終わります。間もなく、畑沢の熊野神社にも雪が積もり、来春の雪融けまで、謎の椿もお休みに入ります。

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稲刈を終えてから1カ月あまり、秋は深まつて

2022-10-28 14:51:55 | 近況報告

 今よりも少し前の状況です。稲刈が終わってから一月以上も経った令和4年10月23日に畑沢へ行きました。太陽が出ている状態でしたが、降雨が何度もあったので植物は濡れていました。濡れた葉や花が瑞々しいです。

 できれば山に入って花などの姿を写したいのですが、この日も時間がありませんでした。でも、山に入らなくても美しく感じるものが周囲に沢山ありました。

 まだ、開いていませんが食用菊の蕾です。やがて花を開けば、さぞかし美味しくなるだろうという目で眺めました。私の視点は食欲がかなりを占めています。

 

 次も食用菊で先の食用菊とは品種が異なり、花が開いています。満開状態で美味しそうな香りがしそうです。

 

 今度は食用菊ではありません。背が高くて私が手を伸ばしても花に届きません。実家の庭があった場所です。昔からあったようななかったような、思い出せません。

 

 秀明菊(シュウメイギク)です。私は普段のこの花を好みません。でもこの日の花は珍しくも美しいと感じました。背景が良かったのかもしれません。

 

 最後に花ではありませんが、秋を感じさせる美しさがあります。朴の木から落ちる間近の葉です。まだ完全に脱色しないで、所々に色を残しています。それが好きです。そして、何となく下手な撮影でも芸術的な感じもあるでしょうか。

 

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ユキツバキかなあ(その8)

2022-10-27 17:10:20 | 自然

 今年になってから次のように「ユキツバキかなあ」で、私の浅学さと拙い学習をお見せしました。

(その4) 山形市大平地区で正真正銘の雪椿を見ました。

(その5) 山形市の我家で藪椿を見て、雪椿との大きな違いを実感しました。

(その6) 尾花沢市六沢で雪椿か雪端椿か判断不明になりました。

(その7) 再び大平地区へ行き、白鷹山の雪椿を探しました。

 さらに、「これぞ雪端椿(ユキバタツバキ)」と言えるものを見たいのですが、山形県内での雪端椿は庄内地方に限られ、山形県内に自生している藪椿(ヤブツバキ)も庄内地方に限られています。庄内地方まで見に行く行動力は持っていません。それでも、これまでの学習で椿類の同定に関して、少しだけ見る目が養われたかもしれません。あらためて今年の4月28日に熊野神社周囲で撮影した椿類の写真を見てみます。

 ただし、写真はまだ雪椿を学習するよりも以前に撮影したもので、学習の効果が表れていません。撮影のチェックポイントとすべき次のことが疎かになっていました。そして、花を見るにはもっと早い時期に、若葉を見るにはもっと遅い時期に撮影すべきでした。

(1) 雄しべの基部がそれぞれ分かれているか融合しているか

(2) 葉柄は短いか短くないか

(3) 新葉の葉柄に微毛があるかないか

(4) 単一の種なのか複数の種か

 先ず、花です。下の写真は明らかに雄しべの基部が融合していて、雪椿ではありません。かと言っても我が家の藪椿の雄しべよりも、融合している範囲が狭いようです。

 

 次も畑沢の熊野神社の椿ですが、雄しべの基部が融合していないように見え、先の椿の花とは大きく異なります。まるで、山形市大平地区で見た雪椿のようです。この花だと「熊野神社の椿は雪椿だ」と断定するのも、あながち的外れでもないようです。

 次に葉を見てみます。葉はどれも同じだろうとの私の安易な判断で、一ヶ所の葉しか撮影しませんでした。でも、この葉の葉は明らかに大平地区の雪椿のそれよりもかなり長いのが分かります。大平の雪椿の葉柄は、「あれ、葉柄はあるのか」と思えるほどの短さでした。

 以上のように、結局、畑沢の熊野神社の椿は、正体が分かりませんでした。でも、「雪椿ではない」椿があることは断言できそうです。そして、椿は複数の種類が入っているようです。熊野神社の周辺には広範囲にわたって椿が生えていますので、境内、参道沿い、東斜面、西斜面とそれぞれを区分して調べる必要があります。それは来春になりそうです。

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ユキツバキかなあ(その7) 大平地区と白鷹山

2022-10-04 11:42:43 | 自然

 畑沢地区の熊野神社周辺に広く生えている椿を知るために、今年になってから、雪椿(ユキツバキ)の学習をしてきましたが、もう一度「これぞ雪椿」である大平の雪椿を見たい気持ちがありました。今年の5月に大平地区で花と前年からの葉を見ましたが、まだ実と今年に展開した新しい葉を確認していませんし、大平から白鷹山のどの辺りまで分布しているものかも確認していません。

 そんな中、9月初めに山形市の広報誌を眺めていると、10月1日に山形市少年自然の家が主催する「秋の自然を味わおう」の参加者を募集しているのを知りました。大平地区から白鷹山を往復します。高齢者である私が果たして少年自然の家が主催する行事に参加できるかが不安でしたが、間違いありません。先着順なので、直ぐに応募して間に合いました。

 17名が参加して指導・支援スタッフが10名でした。しかもスタッフは、私の娘や息子よりも若くて気が利く人たちが主体です。これは重厚な態勢です。それもそのはず、参加者のほとんどはほぼ私と同じようなお年頃。市民の安全を守る必要があります。幸い、参加者は見るからに山登りの達人ぞろい。その中には登り口からの標高差290mの千歳山に毎日、午前5時から登り続けている方もおられました。ははあ、恐れ入ります。

 ただ、困った事には細い道は一列ですので、列の先頭で説明して下さるのですが、私は雪椿を探してウロチョロ。列の遥か後方に位置していて、説明はまったく聞こえません。

 

 大平地区からかなり登って来ましたが、高木が林立する中を覗き込むと、此処・彼処に雪椿が見えました。雪椿の葉の特徴がよく見えます。短い葉柄と裏から明るく見える葉脈です。雪椿の新しい葉の特徴と言われている葉柄の微毛は確認できませんでした。

 

 やがて、標高900mに近づく辺りから雪椿は見えなくなりました。山毛欅(ブナ)の大木が白鷹山の守り神のように登山道にデンと構えています。この外の山毛欅は伐採後に再び成長を始めてからまだ百年ぐらいかと思えるのですが、この大山毛欅だけは特別大きくて二、三百年は経っているようです。名札が下がっていて、「大鷹ぶな」と記されています。山岳信仰が盛んな頃は、シンボル的な存在だったのではないかと、乏しい歴史感覚で想像してみました。

 

 山登りのお仲間さんと、山頂のお堂が何であるかと会話です。

「山頂にはお堂がありましたね」

「確か何とか神社とかじゃなかったかな」

「さて、神社だったか寺だったか」

「いや、神社ですよ。上杉家との繋がりもあったようだから八幡神社かもしれませんよ」

 神社にこだわった発言は私のものです。山頂に着いて確認すると、「白鷹山虚空蔵尊」という寺のようなものでした。誰でしょう「神社」にこだわったのは。二度目の登山なのに。

 

 私が「雪椿愛」は強調していたものですから、近くにいるスタッフにも伝わっていました。そのお陰で、何度も助言を頂戴しました。下山時は早速、雪椿の実を教えて貰いました。

「雪椿の実がありましたよ」

 感激です。初めて見ました。登り始めからずっと雪椿はあったのですが、まったく「実」には遭遇しませんでした。その後に学習したことによりますと、自然界における雪椿の実は元々、稀な事だそうです。まだまだ熟するには時間がかかるようで、実の表面は瑞々しい輝きです。無事に熟して、来春には芽を出してほしいものです。ところで、実がなっている枝に付いている葉は去年からのもののようで、かなり傷んでいます。

 余談ですが、ついでにコナラとミズナラの見分け方も教えて貰いました。極端に葉柄の短いのがミズナラだそうです。実物でも確認しました。これまでその区別をネットなどに葉の大きさとか鋸歯がどうのこうのと書いてあったのですが、直ぐに忘れてしまいました。今度は区別できそうです。

 

 幸運は続きました。再び実を発見した声が聞こえました。素早く近づいて写真を撮らせていただきました。今度の実は熟しかかっていて、実の表面が黒っぽく変色しています。この実が最後で、もう雪椿の実は見付けることができま せんでした。

 

 実(み)に関する幸運は終わりましたが、さらに別の特別な幸運がありました。スタッフが足元を指さして叫びました。

「あっ雪椿の花が咲いている」

 何を血迷ったことを言っているのかと思えるほどに突拍子もないお話です。雪椿の花が咲くのは春先です。今は秋です。しかし、紛れもなく雪椿の花でした。ほぼ地べたにくっつくように這いつくばった小さな株にたった一輪の花が咲いています。そこは大木が生い茂って薄暗く、水路が近い湿った場所です。ほかにも雪椿の木が辺り一面に群落を形成していますが、この花以外は全く咲いていません。

 

 撮影角度を替えて雄しべの柄の部分を拡大しました。雪椿の最大の特徴である雄しべの柄が、それぞれ基部で独立しているのが分かります。雄しべにピントが合いませんでした。残念です。

 様々な幸運に恵まれた登山でした。雲一つない天気、紳士・淑女の参加者、素晴らしい準備と優しい支援のスタッフ、温かく待ってくれた雪椿。幸せです。

コメント (2)
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