-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢の北の空に燦然と輝くお山です。

2020-02-24 21:09:03 | 自然

 雪のない真冬は、普段は見ることができない風景を見せてくれます。冬枯れの暗い地面の遥か彼方に、白く輝く天空の城の如き山が輝きました。白一色の世界ではこれ程のコントラストを出せません。白く輝く山は、尾花沢市の隣町である最上町の禿岳(標高1,261.7m)です。畑沢から最もよく見える山です。畑沢の最も高い山は大平山で、標高は813.60mですが集落の近くに多数ある山のために大変、見えにくくなっています。畑沢を離れて既に何十年に経ちましたが、今も私の脳裏に残っているのはこの山です。直線距離にして約35kmもありますが、結構、大きくそして近くに見えます。不思議なものです。やはり何かの縁があるようです。

 それほどに畑沢の人たちは見慣れているのですが、今までこの山の名前を御存知だという方にお会いしたことがありません。「大きい山なので、鳥海山だと思っていた」という人もいたほどです。鳥海山ならこのずっと左側に位置し、直線距離なら約70kmもあります。当然、高い場所に上らないと見えません。禿岳は最上町の方々には有名でしょうが、尾花沢市民には無名の山でした。傍観者的な発言をしているこの私も、この山の名前を知ったのは、まだ5年ぐらい前です。

 いくら身近な物事でも、実は何も知らなかったということがよくあります。最近、電子辞書を欠かせなくなりました。

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「笹は花が咲くと枯れる」は本当だった

2020-02-23 15:46:42 | 自然

 真冬なのに雪がないと、いつもは見えないものまでが見えてきます。

 2013年6月に下の写真を投稿しました。畑沢で笹の花が咲いているものです。私も初めてでしたから面白がって、撮りました。

 

 今年、その場所を何の気なしに通った時に、笹がないのに気づきました。あれ、どうしたのかな。あっ、あそこは笹の花が咲いていた場所だ。元々、地滑りが起きている地形の様ですが、七年近く前に笹の花が咲いていた場所です。そこから上の方には笹が見えません。春が来て樹木に葉が茂ると地面が見えなくなるのですが、今年は雪がないのでしっかりと地面が見えます。

 昔から、「笹の花が咲くと笹が茂っていた一面が枯れる」とは聞いていたのですが、実際に確認できたのは初めてです。笹が復活するのは、何時になるのでしょう。

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恐ろしや 何の前触れか(ヤマアカガエルの産卵)

2020-02-21 19:56:37 | 自然

 令和2年2月21日(金)、石仏と石碑を調査するために、畑沢に行きました。ところが、調査のための条件が整わなかったので、延期することにしました。代わりに思いがけない状況に巡り合いました。

 秋に大量に降り注いだ落ち葉が水路に詰まり、各所で流れを塞き止めていましたので、スコップ片手に落ち葉の除去作業をしていると、離れた場所から奇妙な鳴き声が聞こえてきました。まるでカモ類が水場で騒いでいるような感じです。でも、カモ類の鳴き声とも違います。それならば、カエルの鳴き声かとも考えてみましたが、一般的なゲロゲロという声でもありません。

 そこで、近づいてみることにしました。今年は殆ど積雪がありませんが、それでも場所によっては20cm程度の雪があります。ゴム長で雪を踏みしめながら奥へ進むと、水が張られている休耕田の水面から数十匹のカエルの群れが溢れてきました。私が近づいたので逃げ出したのです。鳴き声もばったりと途絶えました。あの鳴き声は蛙でした。カエルは朽ちた水草の下に潜り、何所にも見当たらなくなりました。

 田んぼの中には、少しですがカエルの卵がありました。生んだばかりの様です。

 田んぼの水面から飛び出したのは、この卵を産んでいたカエルでした。私が産卵の邪魔をしてしまったようです。しかし、まだ2月です。畑沢で2月にカエルが卵を産むなどという事は、これまでにあったでしょうか。どんなカエルでしょうか。田んぼから飛び出したカエルの大きさから推察してみました。極、一般的な大きさでしたので、図体のでかいアズマヒキガエルではなく、こじんまりとしているアマガエルでもありません。特殊な産卵をするシュレーゲルアオガエルやモリアオガエルでもありません。渓流に棲むカジカガエルでもありません。残るは、トノサマガエル、ツチガエル、ヤマアカガエルです。遠目で見たカエルのシルエットから、この三種から一種だけを選ぶほどの眼力を私は持ち合わせていません。

 当然、インターネットのお世話になりましたら、出てきました。一番早く産卵するのは、ヤマアカガエルだそうです。東北地方では3月下旬ごろから産卵するそうです。でも今は3月下旬ではありません。まだ1か月も前です。いくら暖冬と言っても早すぎます。

 日本が、地球が狂い始めているのは間違いないようです。これほどの異変が続いていながら、トランプはパリ協定から離脱するし、そのトランプの言いなりになって米国製の高価兵器を爆買いしている首相もいます。カエルも頭が変になるはずです。

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あの峻険な山の名前を教えて貰いました。

2020-02-09 21:07:28 | 近況報告

 令和2年2月8日、NHKテレビの連動データによると、尾花沢市でも25cmほどの積雪があるとのことでした。1月中はずっと積雪ゼロのままだったのですが、2月に入ってからようやく普通の冬型の気候になり、本格的な寒さが訪れました。山形市内でも若干の積雪があり、申し訳程度の雪かけを一度だけしました。

 尾花沢から県道を古殿と車段に入り、途中から市道にに入って荒町へのショートカットしようとしていると、昔の私の心のように真っ白な雪の上に特徴的な山の姿が浮かび上がりました。いつも眺めているので珍しいものではありませんが、この日は何故か印象的でした。写真の右方向が北ですので、反対の左が畑沢方向です。この山、北から南方向へなだらかに高度を上げ、途中からストンと急に落ち込んでいます。尾花沢市史の上巻にこの山についての記述があります。ケスタ地形といって、硬軟の互層がゆるい傾斜になると、硬い地層が侵食されにくく柔らかい地層の侵食が進むために、段々とした地形になるとの説明がありました。しかし、この地形、一段だけですから段々ではなくて「段」ぐらいです。ケスタとはフランス語で「斜面」の意味だそうで、日本人の使用に適する専門用語ではありません。「ケスタ」では分かりにくいこと限りなしです。カタカナ語をありがたがる方もおいででしょうが、常人と異なる私には承服できません。明治時代に日本の学者が欧州から学問を取り入れる際に、適切な日本語に置き換えるべきものでした。少なくても私のためには、専門用語であればあるほど分かりやすい言葉にすべきものです。例えば「硬軟互層斜行地形」とかです。失礼しました。かえって分かりにくくなりそうなので、取り下げます。

 それにしても面白い山です。積雪が増えると、ひと冬の間に何度も急斜面から雪崩が起こります。私たち畑沢の人たちは、荒町のナデツギ山(雪崩付山)と呼んでいました。これだけの山ですから、荒町の人たちが呼んでいる名前があるはずですが、人生の半ばを過ぎた今でも聞いたことがありません。

 荒町の集落に入ると、雪かきをしている人に会いました。私が存じ上げている方ではないのですが、ここまで来れば、どなたでも私の小中学校の先輩です。これまでも、聞くことになんの躊躇も感じたことがありません。やはり先輩です。教えてくださいました。

「名前だかなんだか知らないが、荒町では向山(むかいやま)と言っている」

 一般名詞のようで名前らしさに乏しい雰囲気がありますが、シンプルさは私に合っています。きっとこの名前でいいのでしょう。さらに言葉が続きました。

「あの山の右の方には、ケッツ岩と言うのがある」

 ケッツとは「お尻」のことです。お尻を出している形の岩でしょうか。しばしばビッキ岩とかカブト岩とかがありますが、さすがにケッツ岩というのは聞いたことがありません。

 さらに説明が続きました。

「でも、今はケッツの形ではなくなった。その岩を切り出して、あるお屋敷の塀の土台になった」

 そこで、そのお屋敷に逆戻りしてみました。ありました。かなり大きな土台石です。しかも、かなり大規模に使われていました。なるほど、これだけの石材を切り出したら、岩の形が大きく変わるはずです。その岩とは、下の写真で丸で囲んだ所です。あまりにも遠いので、小さくて見えません。

 

 それを望遠にして拡大したのが、下の写真です。ケッツ岩は写真の中央付近で、尾根に近い所の岩ではありません。それでも、どちらも大きい岩で、石切り場でよく見かける断面が現れています。「ケッツ」らしき姿はなくなっています。元々は素晴らしきケッツだったでしょうに。この一帯の岩はどれも硬そうですが、一般に石材にされる凝灰岩ではない様です。地質図を見ると砂岩であろうと思われます。雪が消えたころに、ここの石材を使っているお宅の了解を得てから、塀の土台石を撮影しようと思います。そして砂岩だとすれば、その何処かに貝の化石などが入っている可能性がありますので、何百万年か前の世界を想像することができます。

 

 さて、肝心の畑沢に入り、一気に上畑沢まで登りました。上畑沢の延命地蔵堂周辺には、江戸時代からの石仏が沢山、立っています。下の写真は六面幢(六地蔵)です。上畑沢の墓地の前で、村人の安寧と背中炙り峠を通る旅人の安全を願う気持ちがこもっています。私は無宗教主義者ですが、それでも人々の気持ちの拠り所になったものを大事したいと思っています。強いて言えば、人間主義者でしょうか。

 

 下の写真は清水畑から上畑沢を撮りました。戦国時代、上畑沢の集落では、左側の山の中腹を楯にしました。所謂、藤木久志氏から始まった「村の城」です。小さな楯ですが、曲輪の周囲は急峻な崖で守られています。さすがに山頂まで逃げるには大変なようで、山頂には何の跡も見つけることができませんでした。西暦1600年、慶長出羽合戦では上杉軍が庄内からも侵攻し、空になっている野辺沢城まで到達していましたので、いくらかの上杉軍がここを通って峠を越えたかもしれません。その時に村人に乱暴狼藉を働いた可能性を否定できませんので、想像するだけで恐ろしいし怒りがこみ上げます。

 

 雪で峠への道は閉ざされています。除雪された県道の最終地点で、畑沢の最高峰である大平山にカメラを向けました。残念、大平山は頭にマスクをしています。マスクは口と鼻にかけるのに、危ない人(私)が来たので慌てたようです。でもお陰で、立石山が凛々(りり)しく見えます。写真中央から下に伸びている川は、千鳥川です。この日、川から温泉地のような湯花の匂(にお)いが立ち上っていました。昔、豊富な硫黄泉を利用した沸かし湯があり、旅人に提供されたとのことです。それほどに多量の冷泉が湧き出ています。

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胡桃(クルミ)割り人形のようになれなかった爺の失敗

2020-02-07 17:05:36 | その他

 何か月か前のお話です。前年の秋に畑沢で収穫された胡桃を貰いました。直ぐに食べればいいのですが、食べるまでの作業が半端でありません。胡桃の殻は極めて堅固です。トンカチで叩き割るのが一般的ですが、「割る」というよりも「砕く」ことになり、殻の中の実が取りづらいばかりでなく、殻のカケラが入ってしまい、食べるとガリッと歯に当たります。
 ところが昔、囲炉裏(いろり)があったころ、上手な胡桃割りの方法がありました。胡桃を囲炉裏の灰に置いて火にかざすと、殻の中が熱で圧力が高まり、シューと蒸気のようなガスを出しながら殻に割れ目が生じます。その割れ目を金属などでこじ開けると、綺麗に殻が二つに割れます。中の実も綺麗に取れるので、殻のカケラが混入することはありません。ただし、囲炉裏に一度に並べられる胡桃は、3、4個ぐらいだけですので、効率が悪いものでした。
 この考え方をもっと効率的にするために、ダッチオーブンで大量の胡桃をまとめて熱する方法が、インターネットに出ていました。しかし、しがない年金暮らし、とてもダッチオーブンを購入するお金はありません。そこで思いついたのが、下の写真の昭和50年代ごろまで使っていたガス炊飯器の内釜です。アルミの鋳物で、これなら分厚い金属ですから、見た目はダッチオーブンです。 


 胡桃は前日から胡桃を水に浸して水分を含ませてあります。蓋をして畑沢の薪ストーブにかけて、ひたすら薪をくべて温度を上げます。釜の中からシューシューと釜の蓋をがたがた言わせながら蒸気が吹き出してきます。しめしめ細工は流々仕上げを御覧じろ。そろそろ胡桃に割れ目ができたかなと蓋を開けて胡桃を確認しても、割れ目があるのは鍋底のものだけで、それ以外は全く割れ目がありません。かき混ぜて再び蓋をして過熱しますが、同じ状態です。何度、繰り返しても同じです。頭の中では、簡単に全ての胡桃に割れ目ができて、たちまちのうちに綺麗に殻を二分できるはずでした。とうとう諦めて、直接、ストーブの中に入れました。
 結局、昔の囲炉裏方式です。一度に中に入れる胡桃の数は、せいぜい10個程度で面倒なことこの上もありません。


 
 ストーブの中は見えにくいものです。取り上げるタイミングを逃がすと、燃え上がります。油分がありますので、良く燃えます。


 無駄な時間を浪費しながらもどうにか終了し、胡桃に割れ目を造りました。あとは割れ目をこじ開け、さらに実を穿り出します。
 
 実を食べてびっくりです。ぱさぱさとしていて、美味しくありません。何度も釜で熱をかけましたので、油分が強制的に気化されてしまいました。大失敗です。失敗の原因が分かりました。私のやり方が、ダッチオーブンとは大きく違う代物だったのです。ダッチオーブンでは、下からだけでなく、上の蓋にも真っ赤に火が付いた炭火を盛り上げて、釜全体を加熱します。私はストーブにかけて、下からだけ加熱しました。形だけを真似て、大事なことが抜けていました。

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