-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

春の水辺と春の花

2021-04-29 10:38:04 | 古里

 令和3年4月21日(水)、久しぶりに畑沢の某沢へ出かけました。平成26年から畑沢の取材を続けたために、かつて頻繁に出かけた場所が疎遠になっていました。それまでは、春先にその沢に落ちてきた枯れ枝や落ち葉を片付けていたのに、全くやらない状態が続いたので、沢が荒れてしまいました。沢が荒れたのは、そのことだけではないのですが、もしも小まめに手入れしていれば、少しはましな状態を保っていたでしょう。そんな自責の念を抱きながら作業を始めたのですが、根っからの「道草精神」が働き始めます。懐かしい綺麗な水、可憐な花が誘惑しました。

 崖の途中で、砂岩の割れ目から水が湧いています。何段にも流れ落ちる様は、いつ見ても見とれてしまいます。幼友達の顔が浮かんできます。小学校低学年の「良い子」たちが集まって、様々な沢の奥へと出かけ、それぞれの湧き水の味を堪能しました。何とも贅沢な遊びです。

 

 最初に水辺で花が咲くのは、ショウジョウバカマ(猩々袴)で、少し遅れてキクザキイチゲ(菊咲一華)が咲きます。色はかなり個性的で、全く白い場合もありますが、これは濃い目の紫です。

 

 これは草本類ではなくて潅木ですが、水辺には欠かせないものです。アブラチャンと呼ばれ、畑沢ではオオバクロモジ(大葉黒文字)とともに、クスノキ(楠)科に属しています。私はこの枝でカンジキを作ってきました。木で花が咲くのは早い方です。

 

 次はだれもが知っているミズバショウ(水芭蕉)です。元々、畑沢にも自生していたのですが、園芸業者などが乱獲(かつ盗掘でもあります。)して、はやい時代に絶滅しています。写真の水芭蕉は、知人が実生した小さな株を兄が植え付けました。やはり水芭蕉の適地だったようで、元気に成長しています。

 

 次の写真に水辺は写っていませんが、水辺です。説明しないと分かりません。拙い腕です。縦に長く伸びているのは、杉の倒木です。沢の斜面の杉が雪でへし折られました。これらを片付けるが私の仕事でした。その脇で三つ葉葵のような葉を拡げているのは、エンレイソウです。「延齢草」と書くのだそうですが、ネットで調べないと分かりませんでした。文字を見た限りでは、長命になりそうです。形もこの世のものとも思えない「有難さ」がありそうです。観葉植物にもなりそうです。でも肝心の花は、真ん中に小さく咲いているだけです。染色体の研究で多用された時代があったような気もしますが、記憶が曖昧です。

 

 次の写真にも「水辺」が写っていません。正直に言いますと、水辺からは10mは離れています。写真の右上に見える木の辺りに千鳥川があります。群生して見事だったので、仲間入りしました。これも菊咲一華です。この写真にはトリックがあります。人が隠されています。ソフト「ペイント」で画像処理しました。一つだけヒントがありますので探して下さい。

 

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イノシシは背炙り峠も壊していました。

2021-04-26 17:20:15 | 自然

 前回、令和3年4月20日の背炙り峠りのことを報告しましたが、実は外に別の重大な事がありました。

 下の写真は、雲に隠れた甑岳を峠で望んだ風景です。しかし画面の左下を御覧ください。法面下の側溝の辺りに石がごろごろと転がっているのが分かると思います。

 

 近づいてよく見ると、私の頭ぐらいの大きさです。「冬の寒さで法面が凍結して、それが日に照らされて融け、何度もそれを繰り返して法面が脆くなって崩れ落ちた」と想像したのですが、どうも様子が変です。法面のいろんなところに穴があります。

 

 穴は深く掘られています。私の勝手な想像である凍上による崩壊とは明らかに異なります。こんなことが生じるのは、ただ一つです。規模が小さいのですが、同じ光景は見たことがあります。令和3年3月24日に五十沢地区へ向かう比丘尼新峠(私の勝手な命名です。)で勉強したばかりです。これは、積雪期に土が出ている切土法面の上部をイノシシが穿(ほじく)って餌を求めた跡です。背炙り峠のイノシシは、もっと大胆な行動をとっています。余程、お腹が空(す)いていたのでしょうか。

 

 以上のことは村山市側でしたが、畑沢側はしばらく進んでもイノシシの被害がありませんでしたが、中ほどを過ぎてから、突然、法面が穿られていました。畑沢側でも被害がありました。

 

 もっと被害が大きいのは、ここです。昨年もここが穿られていましたが、何が原因であるか分からずじまいでした。もう今年は分かります。イノシシだったのです。随分と上の方がやられています。

 

 穴を拡大しました。

 

 直ぐ近くも御覧のとおりです。

 そして拡大。

 

 もう少しで畑沢へ到着するころになって、路上にイノシシの死骸がありました。体長(尻尾を除いて)は約60㎝です。中程度の大きさです。若い個体です。死骸は白骨化していてあまりにも惨(むご)たらしい姿でしたので、見るに堪えないと思い画像処理して暈(ぼか)しました。死因は何でしょう。いろいろ考えられます。①個体数が増加して、餌が不足して餓死した。②猟で傷つき、ついに力尽きた。③雪崩に巻き込まれた。

 この場所は雪崩の常襲地帯です。③が有力です。

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背炙り峠は、まだ通れません

2021-04-24 17:23:30 | 近況報告

 令和3年4月20日、背中炙り峠の楯跡と古道を見るために、背中炙り峠(山形県道29号線)を通りました。4月になってから畑沢も例年よりもかなり気温が高い日が続き、雪解けが例年以上に早まっています。もしかしたら、背炙り峠の道はすっかり雪がなくなったかもしれないと期待したのですが、残念ながらもう少し時間がかかりそうです。

 畑沢から古道に入り、村山市側の県道に出てきました。かなりの部分は雪が消えていたのですが、所々の路面は雪に覆われたままです。特に法面が長い場所には分厚く雪があります。

 

 雪は路面を覆うだけでなく、谷側の路肩に設置してあるガードレールも根元から大きく傾けてしまいました。毎年、このような光景が見られます。凄まじい雪の圧力を幅の広い鉄板で真面に受けるのですから当然です。雪による被害が予想される場所でのガードレール使用には無理があります。なるべく雪の圧力を受けない、表面積が小さいものが適しています。例えばワイヤーロープを使ったものがあります。多雪地帯の山岳地帯で使われることが多いはずです。できれば、降雪前にワイヤーロープを外し、雪が消えてから再び取り付けることができれば、雪による被害はさらに減少するでしょう。

 

 ガードレールの根元をクローズアップしました。支柱のアンカーが雪で谷側に強力に押された様子が分かります。アンカーを埋めた路肩は盛土です。山岳道路の路肩をいじるべきではありません。極めて脆くなります。とてもガードレールのアンカーを支える力はありません。これでは毎年、ガードレールをアンカーごとに修理しなければなりません。経費的に無駄ですし、峠を通れる期間が短くなります。

 

 私は村山市楯岡で産した「楯岡石」と呼ばれていた凝灰岩でできた石垣が好きでしたので、その写真を撮ったつもりでしたが、豈図(あにはか)らんや、ガードレールの変なポーズも写ってしまいました。何とも頼りないアンカーの処理です。もしも車がぶつかった時に、これで役に立つのでしょうか。雪の仕業とは言い逃れできません。

 

 雪はさらに樹木をも巻き込んで道路の邪魔をしていました。今年は特に倒木が多いようで、何ヶ所でも見られました。チェーンソウで切断し、それをトラックに積めば、専門業者ならばさほど問題なく片付けるでしょう。プロは実に手早く処理できます。

 

 峠を越えて畑沢側に入っても、何ヶ所もの路面を雪が覆っていました。

 

 雪崩の常襲地帯では土留めの板が押しつぶされていました。土留めが「板」では無理でしょう。何年もの間、同じ方法を用いています。別の方法が必要です。

 

 畑沢側のゲートに到着です。看板には通行止期間が「当面の間」と記載されています。確かに雪があり、倒木などが通行の妨げをして、このままでは通れません。

 ところで、今よりもずっと雪が多く、道路も狭く、舗装もされていない砂利道であった時代でさえも、5月の連休前には住民の利用に供するために、頑張って除雪車によって通行可能な状態にしていました。今は遥かに雪解けが早くなっています。昔よりも早く峠の通行が可能なはずです。

 ところが平成26年から時代に逆行して、自然に雪が消えても工事のために、無積雪期間の大部分近くを「工事のため」に通行できなくなってしまいました。その状態が続き、今年は8年目を迎えようとしています。果たして、山形県知事はどのような判断をするでしょうか。「道路は何のために存在するか」、私が期待している知事ですから簡単に回答していただけるものと思います。賢い政治家は「聞く耳」を持っています。賢くない政治家は「耳を貸そう」とさえしません。自分の無能さが露呈することを恐れて、力で押し通そうします。私は無能ですが、それを隠す気持ちはありません。分からなければ教えて貰えばいいのです。頭を下げて教えを請うのは気持ちがいいものです。得をした気持ちにさえなります。

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水辺にも花が咲きました。

2021-04-13 19:53:37 | 自然

 令和3年4月12日(月)は何時週間も前から気温が上昇することが分かっていました。山形から畑沢へ向かうのですが、この日は様々な用事があり、村山市林崎と尾花沢市の朧気・丹生・袖原を周ってからになりました。畑沢へ到着した時は既に11時を過ぎ。何ヶ所も回ったので結構、疲れたはずですが、上天気なので疲れを意識しません。

 昼食を食べてから直ぐに外を歩きだします。まるで子どもそのものです。我ながら、「幾つになっても子どものまま」だと思ってしまいます。このような老人も珍しいと思います。

 畑沢の雪もほぼなくなってきました。例年ですと4月半ばまでは、田んぼの大部分を雪が覆っていますが、今年は大量に積もった割には早く消えています。4月になってからの高温が影響しています。

 雪が消えると気になるのが沢筋の水路です。秋の大量の落ち葉と枯れ枝が水路の流れを堰き止め、至る所で岸を破壊します。今年の3月下旬に寺田沢の水が激しく濁って、泥水が大量に流れた形跡が見られました。上流で何かが起こったようです。そこでこの日に上流に出かけて様子を見ることにしました。すると、やはり土手が大きく崩れていました。何十年か前に小さな田んぼをまとめて、大きな一枚の田んぼにした場所です。その際に水際までぎりぎりと土盛りしたのですが、当然、急勾配となりました。長年の間、耕作が放棄されて田んぼ表面が水を通しやすくなり、水が地下に浸み込んでしまったようです。田んぼの下部に水が溜まり、雪解け水の影響で一気に崩れたと見られます。土砂は下流の水路の多くを土砂で埋め尽くしていました。私も非力ですので、水路の土砂を全て取り除くことができません。埋め尽くした土砂の上に溝を作って、水の侵食で自然に水路ができるように安易な方法を取りました。「何とかなるでしょう」。水は流れる。

 さて、その水辺にも花が咲いていました。いくら気温が上昇したと言っても、水路の水は雪解け水です。とても手を入れる気にはなりません。

 この花、ショウジョウバカマ(猩々袴)。林の中でも咲いていることがありますが、やはり水辺が似合います。

 

 ショウジョウバカマが咲いていた場所よりも少し早く雪が解けた所では、キクザキイチゲが咲いていました。この写真はすこし明るすぎなのですが、元々、白の花弁です。場所が違えば別の色にもなります。

 

 

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畑沢の春には福寿草がある。

2021-04-06 18:37:50 | 自然

 令和3年4月3日(土)、4月初めとは思えない温かい日でした。この日までかなり温かい日が続いていました。厚かった雪もぐんぐんと融けて、黒い地肌が目立っています。そこかしこの土手もほぼ顔を出していました。そうなると、畑沢では福寿草の世界です。厳密には畑沢と五十沢の世界です。この2地区にだけ特別な花です。他の地域に持っていっても、根付かないと言われています。

 早速、土手に行くと一面の福寿草です。

 

 まだ田んぼには雪が残っていますが、土手は大分前から雪が消えたようです。

 

 アップしてみました。黄金色です。江戸時代の初期まで、延沢銀山で掘られた沢山の金銀が、畑沢から背中炙り峠を越えて運ばれました。私は金の塊を見たことがありませんが、きっとこのような色をしていたことでしょう。

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