-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

有害鳥獣ハンターさーん 冬の猪はここにいましたー。

2021-03-30 12:14:18 | 自然

 昨年は秋遅くまで、イノシシは畑沢の田畑を荒らしました。特に私が世話をしている池の周りをぐちゃぐちゃに掻きまわし、修理しても何度もやってきました。これほど執拗に現れるものですから、当然、冬もそれ相応の出現を覚悟していましたが、集落や耕作地が雪で覆われると、全く姿を見せなくなりました。積雪は2mを超えているのですから、地面の餌を食べることができないのでしょう。それでも川の縁は雪がない所がありますので、そこにいるかと思って探しても、イノシシの気配はありません。川の縁と言っても雪面からの落差が大きいので、イノシシにはどうにもならなかったのでしょう。

 はて、イノシシは何所へ行ったのでしょう。実は全く予想もつかない場所で冬を過ごしていることが分かりました。令和3年3月24日(水)、間もなく比丘尼新峠へ到達しようとしていた時、道路の雪がなくなって地面が出ていました。下の写真の左奥には湧き水があり、そこから流れている水路に落ち葉などが長い年月の間に積もって流れを堰き止め、水が道路に溢れています。湧き水ですから冬でも水温が高いので、雪が消えているのでしょう。問題はその地面から雪の上へ泥で汚れた道筋が伸びていることです。一見しただけでイノシシの足跡であることが分かりました。

 この時、「イノシシの水場か」程度の感覚でその場を後にしたのですが、そんな簡単な事では済まないとは思いもしませんでした。

 

 さらに峠に向かうと直ぐに、切土法面の上端部が横方向へ掘られた跡がありました。土が出ている法面の全ての上端が無残な姿になっています。その下の雪面には泥で汚れた「道」が伸びていました。こうなるとイノシシ以外は考えられません。法面全体が掘られているわけではなくて、法面上端に生えている樹木の直ぐ下が掘られています。そこにイノシシが求める何かがあるのでしょうか。考えられるのは、ミミズなどの土中の虫でしょう。冬の間は、大量の雪が地面を覆い隠して、イノシシは草や木の実を食べることはほぼできません。土中の虫を食べるしかないのでしょう。ミミズなども冬の間は少し深く潜ると思われるので、切土の法面だと猪も地面よりも深く掘ることができるのでしょう。

 畑沢側から峠までに三ケ所がこのような状況でした。イノシシは冬には集落へ下りずに、逆に上ですごしていたようです。

 

 峠に到着し五十沢側に入ると、さらに事態は深刻でした。南側に向いて温かいので、早い時期から切土法面の土が顔を出していたのでしょう。道路にはイノシシの足跡が沢山あります。畑沢側とは比較になりません。猪銀座とでも呼びたいほどでした。

 泥で汚れた雪面の猪道には、二種類あります。道の断面が凹状と凸状の道です。恐らく、凹状の道は積雪開始時期から絶えず通った道で、凸状の道はある程度に雪が積もってから使われた道ではないかと思います。「だから何だ」と言われても現時点では分かりません。ハンターなら直ぐに分かるかもしれませんので、よろしくお願いします。

 猪道は、五十沢の集落方向へ続いています。

 

 このように切土法面を掘って餌を求める行動は、比丘尼新峠だけではないでしょう。背炙り峠への道を思い出しました。下の写真のように2年前の5月に切土法面が損傷を受けていました。当時、「楯跡調査へ行き、その途中で投稿です。」として投稿しております。その時は、路面から10mも高い位置がやられていましたので、猪とは思わず他の動物にも疑いをかけてしまいました。しかし、いくら高くても、まだ雪が大量に残っているならば、雪の斜面を簡単に登って上へ達することができます。ここもイノシシが犯人でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

比丘尼新峠はパラダイス

2021-03-26 15:56:14 | 自然

 畑沢では昭和5年に青井法善氏が「郷土史之研究」、昭和33年には有路慶次郎氏が「畑沢之記録」を著して下さいました。現在、たった25戸の小さな集落で二冊もの書が残されているのは、外に聞いたことがありません。畑沢出身者は畑沢に愛着が強いことを意味しているような気がします。お陰で昔のことを知ることができます。

 さて、畑沢之記録に畑沢の南の沢から西に隣接する上五十沢へ越える峠の名前が出ていました。「比丘尼峠(びくにとうげ)」だそうです。私たちは昔、何度も通った道でしたが、この名前を聞いたことがありませんでした。そもそも、背炙り峠以外は全く名前を知りません。しかし、この峠の名前は、五十沢地区でも使われていますので、有路慶次郎氏の創作ではありません。ちゃんとした正式の名前です。それでも時代が変化して、今では全く使われていませんので、道の跡さえも消えてしまいました。代わりに平成18年に造られた車道が近くを通っています。そこで、私が勝手に比丘尼峠に「新」を加えて「比丘尼新峠」と名付けました。道のルートは全く違います。

 この比丘尼新峠への道は、まだ深い雪の中です。雪の中だからこそ面白いのが、山スキーでの散策です。今年は2回目の山スキーです。前回は屏沢の奥から北側の斜面を登って東の沢へ下りました。令和3年3月24日、今回もジルブレッタの厄介になり、車道の入り口から開始です。午後2時半です。

 50mほど進むと杉の大木が倒れて道が塞がれていました。直径が40cmぐらいで、完全に真ん中から綺麗に縦に割れています。珍しい割れ方です。

 

 どこから倒れて来たかと上の方を見たのですが、稲荷神社が立っているだけで何も教えてくれません。

 

 一応、まさかと思ったのですが、下を覗いて驚きました。割れ残った杉がニョッキと立っています。杉に雪が附着して重さに耐えきれずに割れたのでしょうが、珍しい割れ方です。

 

 倒木を後にすると、順調な登りです。天気はいいし、道は緩やかに曲がりながら、適度な傾斜で登っています。「幸せだなあ」と感じてしまいました。この程度で幸せな気持ちになるのですから、実に「安い男」です。苦労もなく登り切れば、今度はスキーで滑れます。楽しみです。

 

 人生、時々振り返って見る必要があります。たどたどしいながらも、しっかりと踏み込めた跡があります。

 

 登り始めてから約1時間、かなり道草しましたので、やっと峠に着きました。西の遥か彼方に葉山の稜線が光っていました。肉眼では、はっきり見えたのですが、写真では少し霞んでいます。春ですね。

 

 峠の道から森に入ると、白い幹が見えました。樹皮が剥けているようです。

 

 原因は直ぐに分かりました。直下に沢山の「大型豆」が落ちています。これは野兎の糞です。食べながら糞をしていたようです。栄養分が乏しいので、大部分が糞になったのではないかと同情したくなります。厳しい積雪期は、こんな物でも齧らなければ死んでしまいます。

 

 大平山が大きく見えます。畑沢の最高峰、標高813.6m。この方角からの大平山は、「宝沢山」と呼ばれています。

 

 ここからの眺めは180度も見える大絶景でしたので、何枚もの写真を繋げてパノラマ写真にしました。

 

 さて、いよいよ下りです。写真中央から左上へ伸びている白い所は、畑沢の集落です。前回のスキー散策では、ビンディングを登りの時のままにして踵を固定しなかったので、下りは不安定そのものでした。しかし、私の安く購入したジルブレッタでも踵を固定できることを思い出しました。今度は固定です。

 

 踵を固定すると、ボーゲンでなくても大丈夫、パラレルで滑れます。下の写真でお分かりでしょう。私でも登山靴でパラレルターンできます。気持ちよい滑りでした。山スキーならば本来はテレマークできればいいのですが、これからの習得は無理でしょう。

 何も有名なスキー場でなくても、こんな素晴らしい雪原があります。しかも、誰に遠慮する必要もありません。そここに沢山の思い出が残っていて、目から入ってくるのは光だけではありません。光は親、兄弟、幼友達も伴っています。

 幸い、金を儲ける技術はなくても若い時に遊んだ野外での技術があり、海外旅行するような貯えはなくて貧しくても節約の生活ができ、スポーツ選手のような頑強さがなくても故郷の山へ登れる程度の体力があります。これが幸福だと思いました。今、この時が幸せです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春なのに 雪深し

2021-03-25 09:02:28 | 近況報告

 令和3年3月24日(水)、快晴でしかも気温が上昇。山形市内は20度近く、尾花沢市内でも15度以上になったようです。気温が上昇することは、二、三日前から予想されていましたので、畑沢へ出かけたくて浮かれていました。幸い、前日に山形の自宅の柿を伐採して、それを片付ける口実ができました。畑沢へ運搬して薪にすることにしたのです。

 下の写真ではたった一切れのようですが、実際はこれが三本分ありました。写真の丸太も柿の生木なので重く、40キロはありました。 

 先ずはチェーンソウで切断します。愛機は第一子が生まれた時に購入しましたので、既に何十年も経っています。購入時から起動に難がありました。この日もエンジンが目覚めないので、チョークを全開したり、逆にチョークを閉じたりといろいろ手を尽くしましたが全く効果がなく、プラグを外してシリンダー内を乾燥させてからようやくババババと喚いてくれました。

 ところが、切れ味が悪くて思うようにはかどりません。エンジンを止めて刃を見ると、角が丸くなっています。これでは切れる訳がありません。それでも意地で一回分の「ぶつ切」を完了しました。残りは後日、山形で刃を研いでからにします。

 

 この日にぶつ切りした分と山形で普通の鋸でぶつ切りした分は、鉞(まさかり)で割ることにしました。小さい時から使い慣れた道具です。柄だけは何度か更新しました。薪割と餅つきは得意分野ですし、ストレス解消に最適です。ただし、今はストレスがないことを申し添えます。

 この日の成果です。少ないです。

 

 もう一つの作業は、池の取水口の除雪です。毎年、分厚い雪の下で水路がとんでもないことになります。秋の落ち葉と枯れ枝が水の流れを堰き止めて、水路から池に溢れ出てきたり、逆に池への水を止めてしまいます。そこで、春先に取水口を掃除するようにしています。しかし、今年は雪が多くて、中々、除雪できません。水路の下流側から4mほど掘り進んでようやくたどり着きましたが、積雪は1m以上ありました。

 ついでに畑沢の田んぼの風景です。これは南の方を写しました。遠くに背中炙り峠が見えます。

 

 逆に北の方角です。写真の左側の雪が黒っぽいのは、道路から除雪車で飛ばされてきた雪です。この時期になると、雪の汚れが凝縮されて汚くなります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春が来て,花が咲いて・猿も来た

2021-03-22 15:28:25 | 自然

 令和3年3月21日(日)に村山市民会館で北村山地域史研究会の講演会がありました。私は、この研究会のお陰で、随分と畑沢の歴史調査が助けられています。会員の方々からの指導もさることながら、講演会での他地域の歴史に関する情報が畑沢の調査に大きなヒントを与えてくれています。

 さて、講演会は午後からですので、山形の自宅を朝に出発して午前中は畑沢で一仕事することにしました。この日、気温が高くて春の雰囲気満載でしたが、まだまだ雪が多く残っています。

 その中で、一ヶ所の土手だけが顔を出していました。そこに黄色の花が咲いています。この時期に咲くのは「あれ」しかありません。尾花沢市ひろしと言えども、畑沢と五十沢の特産と言える「福寿草」です。いつもは2月下旬ごろには、雪がなくなった土手に顔を出していたのですが、今年は土手が顔を出したがりません。降雪量が多かったことと、途中で雨が降るなどして、雪が固くしまっています。土手をしっかりと覆っているようです。それでも、下の写真の土手は特別に雪が消えました。幸せ者の花です。でも、私の写真技術が至りません。ピントが花よりも向こうの方に合っています。これも「特技」でしょうか。

 

 昼食を済ませて村山市の会場へ向かう途中、延沢の路上に塊がゴロンと見えます。近づいて見ると、猿です。何年も見慣れています。

 

 さらに近づいても逃げようとしません。かなり人慣れしているようです。一昨年の秋に村山市中沢の背炙り峠の登り口で、去年の春に畑沢の入り口で会った「あの猿」のような気がします。本来は憎き害獣なのですが、毎年、会って愛着が生じているのかもしれません。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春が来て,花が咲いて・猿も来た

2021-03-22 15:28:25 | 自然

 令和3年3月21日(日)に村山市民会館で北村山地域史研究会の講演会がありました。私は、この研究会のお陰で、随分と畑沢の歴史調査が助けられています。会員の方々からの指導もさることながら、講演会での他地域の歴史に関する情報が畑沢の調査に大きなヒントを与えてくれています。

 さて、講演会は午後からですので、山形の自宅を朝に出発して午前中は畑沢で一仕事することにしました。この日、気温が高くて春の雰囲気満載でしたが、まだまだ雪が多く残っています。

 その中で、一ヶ所の土手だけが顔を出していました。そこに黄色の花が咲いています。この時期に咲くのは「あれ」しかありません。尾花沢市ひろしと言えども、畑沢と五十沢の特産と言える「福寿草」です。いつもは2月下旬ごろには、雪がなくなった土手に顔を出していたのですが、今年は土手が顔を出したがりません。降雪量が多かったことと、途中で雨が降るなどして、雪が固くしまっています。土手をしっかりと覆っているようです。それでも、下の写真の土手は特別に雪が消えました。幸せ者の花です。でも、私の写真技術が至りません。ピントが花よりも向こうの方に合っています。これも「特技」でしょうか。

 

 昼食を済ませて村山市の会場へ向かう途中、延沢の路上に塊がゴロンと見えます。近づいて見ると、猿です。何年も見慣れています。

 

 さらに近づいても逃げようとしません。かなり人慣れしているようです。一昨年の秋に村山市中沢の背炙り峠の登り口で、去年の春に畑沢の入り口で会った「あの猿」のような気がします。本来は憎き害獣なのですが、毎年、会って愛着が生じているのかもしれません。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする