-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢で今冬3回目の雪降ろし

2018-02-16 18:25:50 | 近況報告

 先週(2月11日)に雪が落ち着いたので、畑沢へ行って来たのですが、山形へ帰る途中で大吹雪になりました。峠は越えていなかったのです。うーん、しぶとい冬将軍めが。激しい雪は14日ごろまで続き、NHKテレビのデータによると、尾花沢の積雪量が2.5mほどになりました。山形県大蔵村の肘折では、4.3mを記録したときです。15日には雪は止んでいましたが都合があったので、翌16日に雪降ろしに出かけました。

 意外にも、実家の屋根の雪は大したことがありませんでした。新雪が積もった時には、ふわっとしていたので雪の高さがあったのでしょうが、その後に雨が降り、雪をぎゅっと押しつぶしました。そのために、雪の量が大したことがないように見えても、スコップに載った雪の重さが半端ではありません。スビタレならばスビタレらしく、無理せず自分の体力に合わせてこつこつと作業をして片付けることができました。

 早くも昼には終了しましたので、帰る途中で下手な写真を撮りました。先ずは畑沢地区生涯学習推進センターです。ほぼ雪に埋まったように屋根だけが見えました。屋根から自然に落ちた雪が、道路まで崩れ落ちていました。

 振り返ってセンターとは逆の方向です。遠くにちょこんと頭のてっぺんだけを出しているのは、大平山です。そのすぐ下に、木がまばらになっているのは、「たいら」と呼んでいた比較的なだらかな斜面で、私たちの格好のスキー場でした。

 下畑沢の最北端です。ここに人家がありませんので、除雪車はありったけの力を振り絞って雪を道路からどかしていました。除雪車には大きく分けて二種類が畑沢へやってきます。一つはロータリーを回転させて吹き飛ばすタイプで、もう一つは排土板でぐいぐいと雪を押しまくるタイプのものです。写真の雪は排土板で何回も押されたものです。高さは5mを超えているかと思います。除雪された道路も広々としていました。

 畑沢を過ぎて墓地がある松母の坂の途中で延沢と古殿方向を写しました。写真右下の雪の塊の奥には、背炙峠の改修碑があります。道路の左側に見える屏風のようなものは、道路の屏風の役割をする防雪柵です。荒町は右の方ですが、はみ出てしまいました。

 

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千鳥川ウォッチング(10)

2018-02-15 20:45:56 | 自然

 千鳥川ウォッチングの投稿は直近のものでさえも、もう2年以上も前になります。千鳥川の中にいる生き物などをもっと撮りたいのですが、水中カメラがないので、ついつい疎かになってしまいました。また、殆どの川岸がコンクリートの間知ブロックで護岸されてしまいましたので、風景そのものに面白さがありません。純情無垢な少年時代を思い出させる自然豊かな川岸はなくなりました。昭和40年代ごろからかどうかは定かでありませんが、少なくとも50年代は、次々とコンクリートの護岸になっていました。護岸工事は「災害復旧工事」という名称で行われていたようです。「災害」という文字がありますから、台風、地震、大雨などの災害を想像しますが、決してそのようなものではありません。毎年、必ず春先に増水させる雪融け水によるものです。まあ、珍しくない毎年の現象ですが、長年の間には川岸も浸食されます。浸食される個所は、当然のことにカーブの外側です。浸食されたカーブの川岸を間知ブロックで護岸します。それで「災害」は起きなくなるはずですが、何故か直ぐ隣の川岸が浸食されて、毎年、繰り返されてカーブの所だけでなく、川岸が連続して護岸されてしまいました。不思議なもので、護岸されると必ず言えるほどに隣の川岸が崩れていました。何か事情が秘められているようです。

 さて、そのような訳で畑沢の川も殆どがコンクリートに固められたことによって、畑沢で長年行われてきたことにも大きく影響しました。それは農業用水を千鳥川から取水する方法です。昔は川から農業用水を揚水するために、農業用水を利用する人たちが共同して川に雑木、土砂などで「堰」を造りましたが、護岸によって今までの堰を造ることができなくなりました。でも、コンクリートで堰を造った所もあります。その代表例が下の写真です。ここは、かつて畑沢で最も大きな堰だったので、「大堰(おおぜき)」と呼ばれていました。子どもたちから見ると、広くて、深くて、長い水辺でした。夏のプールになり、川魚の宝庫でもありました。

 今は写真のように小さな小さなコンクリートの台だけです。農業用の堰としては十二分な機能を持っていますが、子どものまで老人になっている私たちには、どこか物足りない寂しさを覚えます。しかも、残念ながら堰が高いので、下流から魚が遡上できなくなりました。畑沢の魚好きな先輩によると、ここまでは「カマツカ」「ヤマメ」「スナヤツメ」が生息しているとのことでしたが、これより上流には全くそれらの姿は見えません。頑張れ、魚たち。でも、無理でしょうね、この高さでは。

 コンクリートの堰でない場所では、電力のポンプで揚水しています。

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畑沢の雪は峠を越しているといいのですが

2018-02-11 20:05:36 | 近況報告

 前日から気温が急上昇しました。ならば、昨日、畑沢へ行けばよかったのですが、あいにく急用ができたので、今日(平成30年2月11日)に出かけました。今回は雪降ろしの必要がなく、かなり気楽なお出かけでした。山形から畑沢へ着くまでは殆ど降雪がなく、日曜なので道路も順調でした。

 今冬で二回目の雪路しをした1月28日から二週間にもなっています。いつもなら一週間に一回のペースですが、二週間かかって自宅のサッシを二重にするDIYをして忙しかったのです。やり方は大分前に投稿した「廃品を利用して二重サッシ」と同じ原理です。自分で言うのも何ですが、もう大分手慣れています。

 畑沢での撮影は、一番、上手の方から始めました。下の写真は清水畑から大平山と立石山です。大平山は宝沢の方向ですので、山の呼び名は「ほうざわ山(ほうざ山)」です。この方が畑沢の人には馴染みがあります。立石山を前に立たせて、宝沢山がどっしり威厳に満ちて見えます。

 

 上畑沢の延命地蔵堂のねやの雪が落ちて、道路まで崩れ落ちています。気温が高くなって一気に屋根から滑り落ちたようです。地蔵堂そのものは、まだしっかりと雪囲いされていますので、お詣りすることができません。扉が開くのは「おさいど」が行われる今月の下旬でしょう。

 

 中畑沢へ下ると、少年時代の思い出の山が見えました。下の写真に見える正面の山は二つの山に見えますが、奥では一つの塊になっています。しかも広い緩斜面になっています。平坦なその場所は、「たいら」と呼ばれていました。

 その場所は小学校時代には伐採されていたので、可愛い中畑沢の子どもたちには絶好のスキー場になりました。しかし、そこまでスキーを履いて登るのは極めて困難でした。先ず、平地から写真中央の黒っぽく見える杉の林のところまで登るのが最難関です。鉄道のスイッチ・バック方式のように右へ左へ進み階段状に歩みを進めました。体力が消耗するのは勿論でしたが、時間がかかって途中で雪が激しく降り始めたこともありました。「山は天気が変わりやすいなあ」などと、集落内と同じような標高なのに「いっちょ前」な会話をしていました。

 途中でそんなことがありながらも上に到着すると雪が止み、普段はできないスキーを堪能することができました。畑沢のスキーで最も楽しかった場所です。畑沢の子どもたちは、この様に登山家のようなスキーの使い方をしていましたので、常盤小学校でのスキー大会で全員が一位になるはずです。

 

 下の写真は中畑沢の様子です。屋根の雪がないか、又はあっても極めて少量です。

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