-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢で田植をしてまいりました。

2018-05-21 20:46:35 | 近況報告

 大げさに田植えなどと言えるようなほどの作業をしたわけではありませんが、それなりに手伝ってきました。平成30年5月20日、畑沢では早い方の田植えです。ただし一番早いのは、隣の田んぼでしたから二番目ぐらいの早さです。早生種と聞きました。畑沢ではもう少し後で本番を迎えそうです。

 

 荒屋敷方角を見ると、まだ始まっていません。それよりも気になるのは耕作放棄地が増えていることです。

 去年から今年にかけて戸数が減少しました。

 

 5年ほど前から例年のごとく背炙り峠の通行止めが長引いていますので、今回もう回路を通りました。上五十沢からの峠道です。帰りも五十沢に抜けて尾花沢に向かっていると、畑の真ん中に犬小屋らしきものが見えました。

「前に犬を飼っていたお宅が、不要となった犬小屋を畑に持ってきたかな」

 遠くには遠景に甑岳が聳えて、いい景色です。

 通り過ぎてから、

「ん」

「あの犬小屋から何か電線のような物が出ていた ❔」

「もしや、イノシシの電気柵か」

 車を勢いよくバックして近づくと、やはりイノシシ電気柵でした。私の感も大したものですが、直ぐには分からずにかなりの時間がかかるのが最大の欠点です。

 さて、この防護柵の中には、トウモロコシらしきものが見えました。単なるトウモロコシを栽培するのに電気柵を必要になったとは、いやはやとんでもない時代になってしまいました。今後、畑沢でも電気柵が増えそうです。この日に田植えした田んぼにも、イノシシがミミズらしきものを漁った足跡がありました。

 

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雪の中の一本道

2018-05-12 15:10:30 | 思い出

 畑沢は春を迎えて、水と緑が活き活きと輝いているのに、今さら「雪の中の一本道」などと寝言を言っているのかとお思いになるでしょう。そうです、異常事態なのです。2月以降、孫が遠くからやってきたり、娘が出産のために里帰りしたりして、ずっと忙しい状況が続いています。畑沢へ出かける機会がなかなかありません。

 皆さんは私を単なる老いぼれとお思いでしょうが、小さい子の子守は何故か人並み以上なので、その力を見込まれてしまい、結構、期待されてしまいました。その結果、動けないのです。

 そこで、畑沢の近況をお伝えすることができず、古い写真から昔を思い出してもらいます。畑沢は今では冬でも自動車が通行できますが、昭和40年代までは、冬の間はずっと自動車が通れず、雪の上を踏み固めただけの一本道でした。新雪が積もると、上中下の地区から当番が出て、荒町までカンジキで踏み固めました。踏み固められた道は、たった一人が歩ける細いものです。当然、反対側から人が来てもすれ違うことができません。

 そんな当時の写真があればと思いましたが、残念ながら私は持っていません。しかし、そのような状況に似た写真がありました。昭和50年1月の写真です。当時は冬でも除雪車が来るようになり、原則的には自動車が通れるようになっていました。ところが、雪が積もったからといっても必ず除雪されるものではなくて、除雪の回数が少ない状況でした。そのために、雪が何日も続いた後の暫くの間は、自動車が通れない昔のままの一本道になりました。下の写真がその時のものです。中央が道路ですが、完全に雪に覆われており、真ん中に一人が通行できる細い道が見えます。

 そのころの下畑沢の状況も写っています。当時は消防団のポンプ小屋の右脇に、畑沢地区の米蔵がありました。入り口には下屋がかかっています。右脇に電柱が立っていますが、道路沿いに立てられたものではなくて、道路と交差して配線されています。右奥の家屋は向かい地区です。畑沢地蔵堂も古い建物のままです。熊野神社の大杉は、今よりも数が多かったのですが、左端の少し斜め気味の杉は平成年間に倒れる心配があったのか、伐採されました。

 次の写真も同日に撮ったものです。向かって左が畑沢分校で右側が畑沢の木炭貯蔵庫です。どちらの屋根にも沢山の雪が積もっています。そろそろ雪降ろしが必要です。分校はこれから6年後の昭和56年に休校となり、さらに13年後の平成5年に閉校になりました。

 木炭の生産はやっておらず、木炭貯蔵庫は既に目的を失っていました。


 木炭貯蔵庫を最後に記録した写真は、次のとおりです。平成17年の豪雪の時で、屋根の雪がいかにも重そうです。それから1、2年でこの建物が潰れてしまいました。

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春先に背炙り峠が通れなくなった訳を探ってみました。

2018-05-05 14:01:57 | その他

 かつては5月の連休に背中炙り峠を通ることができました。山の雪が融けて、新緑が萌える中を通るのは最高でした。私だけでなく畑沢で生まれた人が、久しぶりに畑沢などへ帰省する際に、故郷へ帰れる喜びがこの峠越えで一段と高まります。何か月もの間、雪に囲まれた生活から、緑豊かなユートピアに変わる劇的な毎年のドラマです。

 ところが、5、6年前から5月の連休になっても峠を越えることができなくなりました。道路が破損するなどしての通行止めなら分かりますが、どうもそうではないようです。勿論、工事が頻繁に行われて、5月だけでない無積雪季でも一年の大半が通行止めとなったことが、しばしば生じています。そのことも十分に論じなければならないことですが、今回は工事ではない春先の通行止めについて考えてみます。

 背炙り峠越えの道路は、正式には「主要地方道尾花沢関山線」という県道です。山形県のホームページでは、以前に「県道29号線」と表示していたようですが、最近は前者の名称で表示されています。県のホームページで道路規制状況を見ますと、次のように表示されています。

 規制期間の欄では、「H29.11.29~当面の間」となっていますが、備考の欄の「平成29年11月29日17時00分~平成30年5月下旬(予定)」で詳しい規制期間が分かります。今ごろ言うのも何ですが、今年も5月の連休は通れません。

 

 次に背炙り峠の道路の整備状況を見てみましょう。下の写真は平成28年11月に撮影したものです。工事が終了したばかりの状態ですので、まだ奇麗です。峠の全線はアスファルト舗装になっていて、昔のような砂利道の埃が舞うことはありません。山側には側溝があり、写真の側溝は蓋付のU字溝で仕上げていますが、まだ素掘りの区間もありますし、蓋がないU字溝もあります。路肩にはガードレールがある区間とない区間があります。このうち、側溝に注目して下さい。写真の側溝はU字溝に蓋がしてあります。蓋をすることによって側溝の上を車が通れるので、実質的な道幅が広くなります。これはこれで有意義なことです。当然、側溝に落ちる危険もなくなります。

 

 U字溝は次のような構造になっています。路面又は山側から流れてくる雨水などは、蓋と蓋の間にある小さな穴やグレーチングからU字溝に流れ落ちます。峠道だけでなく町の中で一般的に見られる構造物です。

 

 ところが、山の中では、蓋をすることによって思わぬことが生じます。下の写真は11月上旬の峠ですが、既に落ち葉によって蓋が完全に覆われています。とても、蓋の隙間からU字溝へ水か流れ落ちることができません。ましてや、秋が深まって落ち葉がさらに多くなりますし、冬には雪とともに落ち葉もずり落ちてきます。このままでは側溝としての機能が果たせません。

 

 そこで、翌年に側溝の上に大量に溜まった落ち葉を除去することになります。それが終わってから「開通」となるのでしょう。それが5月下旬までかかることになったと私は見ています。工事によって道路の姿形が立派になるのですが、道路としての利用期間が逆に短くなるという大きな矛盾があります。

 まだ、下の写真のように素掘りの側溝の場合は、落ち葉が溜まっても通行止めをしてまで除去する必要はないようです。でも、道幅が狭くて危険です。

 ところで、この素掘りの写真は一番上の写真と同じ時期でしたので、11月です。既に翌年に工事をする場所の準備がなされているようです。不思議です。特殊な工事発注方法でしょうか。

 

 背炙り峠以外の道では、側溝を採用しているのでしょうか。畑沢から五十沢へ抜ける「スーパー農道」として整備した道路を、下の写真で見て見ましょう。L字溝が使われています。この道路も全線がアスファルト舗装になっています。今年も私は5月1日に通ることができました。恐らく4月の中頃には、除雪しなくても自動車が通れたと思います。

 L字溝を流れた水は、途中で道路を横切る形で設置されたU字溝で谷川に排水されます。多少の落ち葉が堆積していても難なく処理できそうです。

 L字溝の構造は次の図のとおりです。一見して水を流す溝がないようにも見えますが、Lの凹んだ部分がその水路になります。水路と言っても溝ではなくて、路面の一部が低くなっているだけの形です。水路にもなりますし路面にもなります。水路としての断面積は、U字溝の方が断然に大きいのですが、U字溝に蓋がされていれば、そこに流れ込む水の量は蓋の隙間で極端に制限され、L字溝よりも排水量が多いとは言い切れません。さらに、隙間が落ち気に塞がれれば側溝の役割を果たせません。

 L字溝には、さらに利点があります。L字溝は見てのとおり断面の高さが低いので、設置する時における土砂の掘削量は、U字溝のそれよりも極端に少なくできます。そのことは、次のことを物語っています。

1 工事が楽になり、短期間になります。自動車通行への弊害を少なくできます。

2 土地を改変する規模が小さいので、環境への負荷が少なくなります。

3 工事費を少なく抑えられます。


 過去に鳥海山の観光開発として、旧八幡町の湯の台から滝の小屋への道路が作られました。工事の途中で土地の改変が激しかったこともあり、地元の自然保護団体から猛烈な反対が巻き起こりました。道路を造り始めた時の側溝はU字溝でしたが、途中から自然への影響を少なくするために、L字溝に変更されました。また、同じような山岳道路である蔵王エコーラインもL字溝を用いています。これらはGoogle earthでも確認できます。山岳道路は冬季間封鎖されます。落ち葉が大量に積もります。L字溝が重宝します。

 それでは、どうして背炙り峠では、山岳道路であり、冬期間閉鎖し、落ち葉が大量に堆積する道路にU字溝が用いられているのでしょうか。背炙り峠も町中から続いている県道の延長としてしか見ていなかったのでしょうか。

 畑沢側の峠に至る道路の側溝工事はほぼ完了しています。こちらでもU字溝が使われましたが、工事期間中に一年の大半を交通止めはしなかったと思います。また、5月下旬まで通行できなかったとも記憶していません。最近の峠は不思議がいっぱいですし、困ったことです。どうも、全面交通止めが多くなったのは、工事が村山市側に移ってからのような気がします。一般的に公共事業と言うのは、政治家によって大きく影響する場合があります。特に市町村の事業と異なり、県の事業の場合は住民との関わりが薄くなる傾向があり、住民が知らないうちに進んでしまいがちです。また、工事費が県費であって、直接、地元市町村の負担でないために、自分たちの懐は痛んでいないと思いがちなことも、住民の関心が低い原因です。実は、自分たちのお金なのです。住民の関心が低いと、政治家の影響を受けやすくなります。

 直接、関係しているかどうか分かりませんが、背炙り峠の通行止めが多くなったころの選挙結果を見てみましょう。

 平成21年2月 県知事交代
 平成22年6月 県議(尾花沢市・北村山郡)交代
 平成22年7月 尾花沢市長交代
 平成25年9月 村山市長交代
 平成27年4月 県議(村山市)交代


 ついでに何ですが、県のホームページで背炙り峠に関する別の通行規制が次の表に出ていました。重量制限です。

 先の交通規制に関する表では、連絡先が「村山総合支庁建設部北村山」となっていましたが、こちらは「最上総合支庁建設部高坂ダム管理課」となっています。どうして、連絡先が大きく異なるのでしょうか。これも不思議です。

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春先に背炙り峠が通れなくなった訳を探ってみました。

2018-05-05 14:01:57 | その他

 かつては5月の連休に背中炙り峠を通ることができました。山の雪が融けて、新緑が萌える中を通るのは最高でした。私だけでなく畑沢で生まれた人が、久しぶりに畑沢などへ帰省する際に、故郷へ帰れる喜びがこの峠越えで一段と高まります。何か月もの間、雪に囲まれた生活から、緑豊かなユートピアに変わる劇的な毎年のドラマです。

 ところが、5、6年前から5月の連休になっても峠を越えることができなくなりました。道路が破損するなどしての通行止めなら分かりますが、どうもそうではないようです。勿論、工事が頻繁に行われて、5月だけでない無積雪季でも一年の大半が通行止めとなったことが、しばしば生じています。そのことも十分に論じなければならないことですが、今回は工事ではない春先の通行止めについて考えてみます。

 背炙り峠越えの道路は、正式には「主要地方道尾花沢関山線」という県道です。山形県のホームページでは、以前に「県道29号線」と表示していたようですが、最近は前者の名称で表示されています。県のホームページで道路規制状況を見ますと、次のように表示されています。

 規制期間の欄では、「H29.11.29~当面の間」となっていますが、備考の欄の「平成29年11月29日17時00分~平成30年5月下旬(予定)」で詳しい規制期間が分かります。今ごろ言うのも何ですが、今年も5月の連休は通れません。

 

 次に背炙り峠の道路の整備状況を見てみましょう。下の写真は平成28年11月に撮影したものです。工事が終了したばかりの状態ですので、まだ奇麗です。峠の全線はアスファルト舗装になっていて、昔のような砂利道の埃が舞うことはありません。山側には側溝があり、写真の側溝は蓋付のU字溝で仕上げていますが、まだ素掘りの区間もありますし、蓋がないU字溝もあります。路肩にはガードレールがある区間とない区間があります。このうち、側溝に注目して下さい。写真の側溝はU字溝に蓋がしてあります。蓋をすることによって側溝の上を車が通れるので、実質的な道幅が広くなります。これはこれで有意義なことです。当然、側溝に落ちる危険もなくなります。

 

 U字溝は次のような構造になっています。路面又は山側から流れてくる雨水などは、蓋と蓋の間にある小さな穴やグレーチングからU字溝に流れ落ちます。峠道だけでなく町の中で一般的に見られる構造物です。

 

 ところが、山の中では、蓋をすることによって思わぬことが生じます。下の写真は11月上旬の峠ですが、既に落ち葉によって蓋が完全に覆われています。とても、蓋の隙間からU字溝へ水か流れ落ちることができません。ましてや、秋が深まって落ち葉がさらに多くなりますし、冬には雪とともに落ち葉もずり落ちてきます。このままでは側溝としての機能が果たせません。

 

 そこで、翌年に側溝の上に大量に溜まった落ち葉を除去することになります。それが終わってから「開通」となるのでしょう。それが5月下旬までかかることになったと私は見ています。工事によって道路の姿形が立派になるのですが、道路としての利用期間が逆に短くなるという大きな矛盾があります。

 まだ、下の写真のように素掘りの側溝の場合は、落ち葉が溜まっても通行止めをしてまで除去する必要はないようです。でも、道幅が狭くて危険です。

 ところで、この素掘りの写真は一番上の写真と同じ時期でしたので、11月です。既に翌年に工事をする場所の準備がなされているようです。不思議です。特殊な工事発注方法でしょうか。

 

 背炙り峠以外の道では、側溝を採用しているのでしょうか。畑沢から五十沢へ抜ける「スーパー農道」として整備した道路を、下の写真で見て見ましょう。L字溝が使われています。この道路も全線がアスファルト舗装になっています。今年も私は5月1日に通ることができました。恐らく4月の中頃には、除雪しなくても自動車が通れたと思います。

 L字溝を流れた水は、途中で道路を横切る形で設置されたU字溝で谷川に排水されます。多少の落ち葉が堆積していても難なく処理できそうです。

 L字溝の構造は次の図のとおりです。一見して水を流す溝がないようにも見えますが、Lの凹んだ部分がその水路になります。水路と言っても溝ではなくて、路面の一部が低くなっているだけの形です。水路にもなりますし路面にもなります。水路としての断面積は、U字溝の方が断然に大きいのですが、U字溝に蓋がされていれば、そこに流れ込む水の量は蓋の隙間で極端に制限され、L字溝よりも排水量が多いとは言い切れません。さらに、隙間が落ち気に塞がれれば側溝の役割を果たせません。

 L字溝には、さらに利点があります。L字溝は見てのとおり断面の高さが低いので、設置する時における土砂の掘削量は、U字溝のそれよりも極端に少なくできます。そのことは、次のことを物語っています。

1 工事が楽になり、短期間になります。自動車通行への弊害を少なくできます。

2 土地を改変する規模が小さいので、環境への負荷が少なくなります。

3 工事費を少なく抑えられます。


 過去に鳥海山の観光開発として、旧八幡町の湯の台から滝の小屋への道路が作られました。工事の途中で土地の改変が激しかったこともあり、地元の自然保護団体から猛烈な反対が巻き起こりました。道路を造り始めた時の側溝はU字溝でしたが、途中から自然への影響を少なくするために、L字溝に変更されました。また、同じような山岳道路である蔵王エコーラインもL字溝を用いています。これらはGoogle earthでも確認できます。山岳道路は冬季間封鎖されます。落ち葉が大量に積もります。L字溝が重宝します。

 それでは、どうして背炙り峠では、山岳道路であり、冬期間閉鎖し、落ち葉が大量に堆積する道路にU字溝が用いられているのでしょうか。背炙り峠も町中から続いている県道の延長としてしか見ていなかったのでしょうか。

 畑沢側の峠に至る道路の側溝工事はほぼ完了しています。こちらでもU字溝が使われましたが、工事期間中に一年の大半を交通止めはしなかったと思います。また、5月下旬まで通行できなかったとも記憶していません。最近の峠は不思議がいっぱいですし、困ったことです。どうも、全面交通止めが多くなったのは、工事が村山市側に移ってからのような気がします。一般的に公共事業と言うのは、政治家によって大きく影響する場合があります。特に市町村の事業と異なり、県の事業の場合は住民との関わりが薄くなる傾向があり、住民が知らないうちに進んでしまいがちです。また、工事費が県費であって、直接、地元市町村の負担でないために、自分たちの懐は痛んでいないと思いがちなことも、住民の関心が低い原因です。実は、自分たちのお金なのです。住民の関心が低いと、政治家の影響を受けやすくなります。

 直接、関係しているかどうか分かりませんが、背炙り峠の通行止めが多くなったころの選挙結果を見てみましょう。

 平成21年2月 県知事交代
 平成22年6月 県議(尾花沢市・北村山郡)交代
 平成22年7月 尾花沢市長交代
 平成25年9月 村山市長交代
 平成27年4月 県議(村山市)交代


 ついでに何ですが、県のホームページで背炙り峠に関する別の通行規制が次の表に出ていました。重量制限です。

 先の交通規制に関する表では、連絡先が「村山総合支庁建設部北村山」となっていましたが、こちらは「最上総合支庁建設部高坂ダム管理課」となっています。どうして、連絡先が大きく異なるのでしょうか。これも不思議です。

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畑沢の春が深まった。

2018-05-01 20:12:03 | 近況報告

 畑沢の春が早く推移しているというので、いつもよりも早くタラノ芽を採りに行きました。この日も暑くなり、25度を超えた気がします。まだ、背炙り峠を通れませんので、尾花沢を廻って古殿に入ると、幟を立てているお二人が見えました。話をしていると、私よりも三つ年上の常盤中学校の先輩たちでした。先輩たちの話によりますと、この日は古殿のお祭りだそうです。正一位稲荷神社と書いてありますので、稲荷神社のお祭りがあるのは分かりますが、ここには四つの社があるそうです。稲荷神社の外にも三つあることになりますが、一緒にお祭りとのことでした。

 私が着いた時には、既に神主さんのお払いが終わっていました。畑沢と同じく荒町の金剛院が来て下さったそうです。ところで、古殿の先輩たちが、残念そうに「この幟をこの木に立てるのは今年が最後だ。来年からは木ではなくてポールになる」とおっしゃっていました。祭を実行する人たちが老齢化したので、大きな木の棒を立てるのが困難になって来たのだそうです。

 そう言えば、畑沢ではとっくに木の棒を止めただけでなく、幟そのものを止めました。木の棒の直径は最下部で20cmぐらいあり、長さが10mもありそうに見えます。確かに大変な作業ですからしょうがありません。普通、重ければ「てこの原理を」を利用して負担を軽くなるようにするのですが、幟を立てる時は、てこの原理を全く逆にして負担を重くする形で作業をします。重いものが益々、重くなります。

 

 畑沢の祭だった熊野神社も見たくなりました。大杉を背景にして桜が満開です。

 

 熊野神社の周囲は、ユキツバキの大群落も咲き始めていました。これから満開になります。

 

 雪が融けてから初めて寺田沢へ足を伸ばしてみました。遅れ気味のカタクリがまだ咲いていました。キクザキイチゲも申し訳程度に脇に見えます。

 

 林を見ると、大きな木に蔓が絡まっていて、何やら白っぽい塊が点々と見えましたので、とりあえず写真を撮って拡大しました。蔓の正体はツルアジサイで、白い塊状の物は昨年の花が枯れた残骸らしいようです。写真は便利です。後で確認できます。

 ついでにもう一つ写真で確認しました。春の陽射しを浴びて黄色い蝶が忙しく飛び回っていました。とても種類を確認することができません。そこで、飛んでいる蝶を手当たり次第に撮影しました。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる方式です。4枚ほど撮影して1枚にだけ蝶が写っていました。黄色の蝶は、モンキチョウ(紋黄蝶)でした。プロはこういうやり方をしません。準備周到に用意して、じっくり待ってます。私は「準備なし」「待つのが嫌い」です。ズボラな同定方法です。

 

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