-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢の隣「細野」の御堂森に二度目の登山でした。

2017-08-13 17:12:28 | 行事

 平成29年8月11日(金)、「細野の山を愛する会」「清流と山菜の里ほその村」「常盤地区公民館」の共同企画の御堂森登山に参加してきました。今年の4月23日にも御堂森登山に参加したのですが、時間がなくて山頂まで登れませんでしたので、今回は再挑戦でした。

 この日、早朝4時に山形を出発して、まだ暗い中を13号線を北上。東根市辺りで山の端がほんのり明るくなりましたが、まだまだ世の中は眠っています。正直のところは、私も眠かったです。村山市の林崎から背中炙り峠へ入って、畑沢からさらに農面道路(スーパー農道)で細野へ到着しました。私が一番最初に受付しました。受付して下さったのは、常盤中学校の先輩でクラブの先輩でもありました。いつまでもお世話になっています。

 受付が終わって6時の少し前に開会式です。会長が挨拶して下さいました。会長は細野地区の村おこしのパイロットです。この人があってのイベントです。私も畑沢地区の振興で悩んでいた時に指導してもらいました。従って畑沢の恩人でもあります。

 4月の登山の時と比べて人数がかなり少なくなっています。それもそのはずです。朝が早いので眠いのです。私も参加するかどうかの判断は大変、迷いました。果たして起きられるか、起きても睡眠不足のために山でへこたれるのではないか、皆さんに迷惑をかけてしまうのではないか、と考えた次第です。でも、参加することにしました。参加するたびに新しいことを学べます。ありがたい方々に会えます。

 

 登山口までは車です。途中で御堂森方向を見ましたが、山体の総てが雲に隠れていました。まあ、そんなことは覚悟のうえです。別に悲観することではありません。手前の畑には蕎麦が植えられています。まだまだ小さい苗の段階です。

 

 車から降りて、いよいよ登り開始です。登り口には黄色いポストがあります。登山の計画書などを投函するとのことでした。

 

 晴れていれば、鳥海山を眺望できる場所だそうですが、見えません。それでも延沢、六沢、鶴巻田を俯瞰できます。野辺沢城跡があったお城山も写っていますが、分かりますか。中央から少しだけ左寄りの濃い色の山です。

 

 景色が見えなくても、地面には動物がいました。カミキリムシの一種かと思います。インターネットで画像検索しますと、一番似ているのがノコギリカミキリですが、私には「そうだ」と言えるものがありません。それにしても、派手派手のカミキリムシが多い中で、これは黒一色ですから渋いですね。気に入りました。

 同じく甲虫の仲間です。体の割には頭部が大きいようです。ハンミョウの仲間であることは間違いないようですが、インターネットで検索しても、似たような種が沢山、出てきました。トウキョウハンミョウ、トウキョウヒメハンミョウ、ニワハンミョウ等々です。結局、分かりません。匙を投げました。もしかしたら、今はやりの新種かもしれませんので、興味のある方は調べてください。

 この時期、山には殆ど花がありません。それでも登山道に多く咲いているのがありました。ツツジ科の「ホツツジ」です。wikipediawで調べたら、「グラヤノトキシンⅠ~Ⅲなどを含み、有毒。誤食すると、嘔気、頭痛、発汗、酩酊昏睡、痙攣などを引き起こす。これらの毒は花粉にも含まれ、蜂蜜に混入して食中毒を起こすことがある」と書かれています。とんでもない植物のようです。そう言えば、同じツツジ科のイヌツツジ(レンゲツツジ)の花にも毒があります。これだけは、知っています。畑沢の子どもとしての常識ですから。腹を空かして普通のツツジの花の蜜を舐めても、絶対にイヌツツジの花を舐めませんでした。偉いでしょう。

 もう一つ咲いていたのが、ヤブデマリです。私たち畑沢や細野地区の人は「ガザヌギ」と呼んでいます。この日にリードしてくれた細野地区の同窓生も「ガザヌギ」を知っていました。嬉しくなりました。ヤブデマリよりもガザヌギがいいです。しかし、どうしても腑に落ちないことがあります。この花は時期的に遅すぎると思えることです。いつもは6月ごろに咲いていたような気がします。もう8月です。


 派手な色のキノコが何種類かありました。その中でも特に派手なものです。派手な毒キノコと言えば、ベニテングダケなどと言うのを図鑑で見たことがありますが、実物は全く分かりません。このキノコも見ただけで、「毒」という感じがしました。食べようなどととんでもないことは考えません。

 

 あいにくの天気でしたが、ブナ林の中は幻想的な風景が見られました。薄く垂れこめた霧がブナの樹を浮きだたせてくれました。ここまで登ると、ブナの径は大分、太くなり、原生林のような風格を見せています。昔、御堂森の山岳信仰が盛んだったころも、ブナ林の中で休憩したことでしょう。

 

  今回、どうしても山頂へ行きたかった理由が二つあります。一つは常盤小学校と中学校へ通っていた時に、九日町に到達する手前の坂から見える形の良い山への憧れがあったことによります。もう一つは、どなたかのブログに「山頂の地蔵」と書かれた石仏の写真が出ていたので、それを確認したかったからです。画像を見て地蔵には見えなかったのです。やっとその石仏と対面しました。そして、何の石仏であるかが益々、分からなくなりました。「姥地蔵」と「如意輪観音」の両方の雰囲気を持っています。きっと両方なのでしょう。高い山へ二体もの石仏を運ぶのは大変です。一回で二体分を運べれば楽ちんです。この石仏は鶴子地区が安置したという話があります。

 いろいろと苦労しながらも、午後1時過ぎに登山口に戻りました。何とか、睡眠不足の兆候も出ずに無事に下山できたのは、何よりでした。それにしても一緒に登った皆さんは元気です。

 開会式があった蔵の中で、美味しい料理を御馳走になりました。岩魚の塩焼き、山菜料理、手打ちそばです。腹いっぱいになるまで御馳走になりました。おかわりりもできます言われましたが、もうそれ以上は食べられませんでした。

 この日の私の仕事は、これからでした。畑沢へ山を越えて到着してから墓周辺の草刈りをし、その後、私が作った4ページの畑沢のチラシを全戸に配布しました。配布している中で、残念なこともありました。一人でお住いになっていた家の入口が、外から板で閉ざされていました。畑沢を離れて暮らすことにしたようです。また一軒、畑沢の戸数が減りました。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隣村(細野地区)の御堂森登山に参加しました。

2017-04-24 21:27:56 | 行事

 平成29年4月23日(日) 畑沢の隣村である細野地区に出かけ、御堂森(1,056.6m)の登山に参加しました。細野地区の振興行事として行われたものです。参加者は約60人ぐらいになったそうです。大変な人数です。山形新聞の記事を見て、参加を決めた方が多かったようです。地元以外から駆け付けた方が大部分です。お陰で、私も思いがけない方々にお会いすることができました。

 ところで、登山道は昨年、細野地区と有志の方々が切り開きました。とてつもない重労働だったことでしょう。

 開会式は、「かあちゃん広場」で8時半ころに始まりました。下の写真の左に「蔵」の看板が見えます。「農家レストラン蔵」の看板です。細野地区振興会長が挨拶しました。大変、失礼なことですが、私はブログ用の写真撮影に没頭していましたので、会長がお話になった内容を聞き漏らしてしまいました。きっと素晴らしいお話だったことでしょう。会長は私の同級生のお兄さんでもありますし、私が畑沢地区振興を相談した時の御師匠様でもありますので、お話の内容は、「神様の声」として後日、降り注いで下さると思います。

 

 今年の雪降ろしは二回だけだったので、暖冬と判断して山の降雪量も少ないものと思っていましたが、とんでもありません。むしろ、山の雪はいつもの年よりも多く残っているのだそうです。山の上と下ではかなり事情が異なるようです。しかも、雪によって杉が各所に倒れて、林道を塞いでいました。そのために、林道の大分、下から歩くことになりました。

 

 林道からしばらく登ると尾根に到着し、雪の上の登行となりました。春の雪は冬の雪と違って、ずぶずぶと足がめり込むことはありません。カンジキは必要ありません。かと言って氷のような固さもりませんので、アイゼンも必要ありません。

 

 登山道の大部分は、尾根の上にあります。尾根は細野地区と鶴子地区の境になっており、何キロメートルにも亘って、城跡に見られる土塁のように1mぐらい盛り上がっています。防火線と言うのだそうです。私はいろんな山に登りましたが、こんなものは初めて見ました。自然に出来上がったものではなくて、人の手によって築かれたものだそうです。ところが、いつごろにどんな目的で作られたかが分からなくなっているそうです。それはそれとして、歩くにはとても良いものです。

 細野地区の方たちは、「天候不順などで生活に窮した人々を救うために起こした事業かもしれない」と、おっしゃっていました。ついでに、「××さん、調べてみろちゃ」と、とんでもない話が出ました。とても私が分かるはずもありませんし、調べるための基礎的な知識も持ち合わせていません。私は誰かが調べくれたものを素直な気持ちで教えてもらうのが常套です。ただ、「私は畑沢しか知りません」とだけしか答えられません。

 しかし、細野の方には日ごろお世話になっています。馬鹿でも、馬鹿なりにお役に立ちたいとも思いますので、文明の利器、インターネットの力を借りました。すると、どうでしょう。期待をしていなかったのですが、「防火線 森林」を餌にして釣り糸を垂らしたところ、かなり食いついてきました。ヒットです。

 先ず、結論です。防火線は現在も森林保安施設で、しかも大分、重要なもののようです。

 林野庁が平成15年3月に作成した 「林野火災対策に係る調査研究報告書」には、次のように出ていました。多少、文章的に理解しにくい表現がありますが、何となく趣旨は分かるような気になります。

 

 防火線は、林野火災の延焼を防止し、火勢を鎮圧する機能のほか消火活動の拠点ともなる重要な施設であり、山の尾根、林道、林内の境界線、森林の外囲など現地の林況や地況、気象条件などを考慮し設置する位置を決定する必要がある。


 林野火災の多くは山間部で発生し、しかも広範囲にわたるため地上からの状況把握には限界があり、ヘリコプターによる空中からの情報収集が極めて有効である。‥‥‥‥‥空中からで収集すべき情報内容としては、一般的に次のようなものが考えられる。
‥‥
〇地上の防ぎょ活動に関する情報
 重点防ぎょ箇所、防火線設定の適地、林道・水利の状況、進入路


 次に米沢市の「林野火災防災計画」にも、次のように出ていました。他の市町村も似たようなものがあるようです。尾花沢市の森林担当部局で調べれば分かるかもしれません。

防火樹帯・防火線の整備
 林野所有者等は、尾根、森林区画等を利用し、耐火樹、防火樹からなる防火樹帯を整備するとともに、地形、水利状況等を考慮して防火線を設けるよう努める。防火線は、定期的な刈り払い等により適切な維持管理を行い、延焼防止機能の維持に努める。

 

 ということは、現在も定期的に適切な維持管理が行われていなければならないようです。そして、防火線の上を歩くことは、理にかなった利用だったようです。昨年、登山道をこの防火線に決めたのは英断でした。さすが、私の常盤中学校の先輩たちです。

 

 道の上に動物の糞が2か所に転がっていました。広い場所ですから何もわざわざ防火線の上に用をたさなくてもよさそうなものですが、2か所とも防火線の上でした。とんでもない獣です。近年、珍しくなくなったあの獣でしょう。そうです、猪に間違いなさそうです。熊でも、カモシカでも、兎でも、狸でも、狐でもありません。

 

 雪上には、新しい足跡が点々と残されていました。こちらは小型の獣です。畑沢の山楯で見た足跡と同じようです。足跡の形も一直線に並んでいることもお狐様です。

 

 実は、登り始めた場所が当初、予定していた標高よりもずっと下になりましたので、とても頂上まで登る時間が足りなくなり、途中で引き返すことになっていました。残念ですが、これはどうしようもありません。

 今回、頂上で確認したいものがありました。どなたかの御堂森のブログに、頂上の石仏が出ていました。姥地蔵のようで如意輪観音のようでもありました。もっと別な表現をすれば、「如意輪観音のようなポーズをした姥地蔵」のようでした。

 しかし、それはできませんでしたが、小学生時代からずっと憧れていた御堂森に間近に迫ることができました。ありがたいものです。私たちを案内して下さった先輩が、御堂森をストックで指し示しています。やはり様になっています。とても私ではこうはいきません。


 御堂森から流れ出る沢水を望遠で拡大してみました。きれいな雪融け水が何段もの滝になって流れ下っています。私は山登りが好きなのですが、水辺を散策するのも大好きです。この滝にも行ってみたくなりました。今は、特に雪融け水で水量が豊富なのでしょうが、雪融けが落ち着いた時期も素晴らしい眺めを堪能できると思います。いつの日か実現できるといいのですが。

 

 無事に午後4時前には、下山することができました。参加者は十分、気力と体力を残しています。私だけはとても疲れていました。寝不足、山形からの運転疲れ、関節の不調等々が原因です。一か月前から調整を始めたのですが、最近、不思議な関節の痛みが生じます。


 細野地区では、下山後のもてなしを御準備して下さったのですが、あいにくの体調不調のために失礼しました。帰路、後ろを振り返ると、御堂森がきれいに見えました。朧気川のほとりで秀麗をパチリです。ところで、スキー場のように見えるのは、蕨(わらび)園だそうで、今年あたりから開園できそうだとのことでした。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畑沢のお祭りが少し変わりました。

2017-04-15 20:00:34 | 行事

 平成29年4月15日(土)は畑沢のお祭りでした。あいにく小雨が降り続きました。山形を8時に出発して、畑沢へ9時には到着する予定でしたが、運転中に携帯電話が鳴りだしたので、脇道に曲がって電話に出ました。それだけなら特に問題はないのですが、信号のタイミングを2度も逃したために、かなり余計な時間を費やしてしまいました。尾花沢市内に入ってからは、お腹のことが心配になって、妻が作ってくれた握り飯の外にパンと牛乳も購入しました。畑沢の熊野神社に着いたのは9時半を回っていました。車を止めて大杉が立っている神社の方向を見たのですが、森閑としていました。昔と異なり、今は神社の幟を揚げませんので、その寂しさはしょうがありませんが、自動車が止まっていませんし人の気配が全くありません。何も入っていないような掲示板も寂しさを増幅させています。

 ようやく一人の参拝客が現れました。私の同級生のお母さんです。私も後について登ることにしました。

 そのお母さんと登ったのですが、神社の周りには誰もいません。いよいよ普通ではないと感じて、区長に電話をしましたが不在のようです。あれあれ、変だな、狐に包まれた気持ちでした。それではと前区長に電話をしましたら、いつもの声が聞こえてきました。

「今年は去年よりも1時間遅く始めることにし、11時から始める」

とのことでした。そういうことだったのです。でも、知らないのは私だけでもないようで、私の外にも2人が来ていました。

 ところで、今年は11時で去年は1時間早かったとすれば、去年は10時に始まったことになるのですが、去年も一昨年も9時半には始まっていたような気がします。

 始まるまでに時間がありましたので、実家の小屋に行き、薪ストーブを焚いて暖まって、かなり早めの昼食をとり、ついでに得意のカンジキ作りしていましたら、いつの間にか11時15分前になっていました。急いで神社に行きましたら、とっくに神主さんの祝詞をあげていました。残念ながら、神社前での法螺貝は写真に納めることはできませんでした。それにしても、私が着いたのは1時までにまだ10分も残っていました。これが「畑沢時間」だったのです。畑沢に「定刻」はありません。

「どれ、はづめんべ(始めんべ)」で始めるのです。2月24日のおサイドもそうでした。午後6時から始めると言っていたのですが、人が集まらず時間も大分前にもかかわらず、「どれ、しーつけんべ(火ー着けんべ)」といきなりライターで着火しました。これが畑沢流です。このことを私は忘れていました。私にもその血が流れています。

 神社の中には私の外に神主さんを入れて8人がいました。何とその中には初めてお会いした人もいました。聞いて見ましたら、私が中学生のころに、毎朝、ヤギの乳を搾って届けた家があり、その家で赤ちゃんだった人でした。赤ちゃんでしたから、会ったことがあるような、ないような微妙なところです。しかし、会えたのはうれしかったです。

 1時ごろに神主さんが退座することになり、私も神社を退座しました。その後、実家の近くの道路側溝に大量につまった枯れ枝と落ち葉を浚渫し、楯の調査に出かけました。熊野神社の向かい側にある「山楯」です。下の写真は、その盾跡から「向かい」地区と熊野神社を撮ったものです。この時だけは少し青空が出ていました。

 望遠で熊野神社を撮ったのが下の写真です。よく見るとお祭りの宴会が終了したようです。片付け作業のようです。午後4時ごろです。

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「畑沢祭の報告が今頃か!」と叱られそうですが

2016-04-25 18:58:59 | 行事

 平成28年4月15日に畑沢祭がありましたが、それから十日も経ってからの報告となりました。祭の中でスビタレなりに考え事があったからです。皆さんは「スビタレのくせに」とお思いになるでしょうが、スビタレでも考え事はあります。それが、今日(4月20日)畑沢へ行ってきて一段落しました。

 そんなことよりも、嬉しいことを人づてに聞きました。ある中学生がこのブログを見ていてくれているということでした。こんなブログを見てくれるのは、私の縁者だけかと思っていたのですが、物好きな方(失礼しました。)もおられるようです。まあ、青少年に有害な内容がありませんので、何とか御覧いただいても問題はないかと思います。

 

 さて、祭の日はあいにくの天気で、小雨が断続的に降っていて、気温も低いままで推移しました。今年は春の訪れが早かったので、珍しく温かいお祭りを期待したのですが、残念でした。

 神主さんのお祓いは、10時ごろから行われました。今年も昨年に続いて女性の神主さんでした。この方は去年から来ていただいているのですが、もっと前から来ていただいていたような気がします。まだ、二年目ですがすっかり畑沢になじんでおられます。

 熊野神社に参列したのは、区長、副区長、氏子総代、下畑沢当番、中畑沢当番、上畑沢当番等です。ほかに神主さんと私を含めて合計9人がお堂の中でした。

 私は昼頃で退席しました。山楯(やまだて)周辺で、用事を済ませてそこから熊野神社をカメラに納めました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

延沢城跡国指定三十周年記念の祝賀会等

2015-10-19 20:32:21 | 行事

 10月18日に延沢城が国の史跡として指定されてから30年を迎えました。その祝賀会は延沢城跡保存会が中心となって開催されました。朝の8時30分に集合して、10分後には城跡がある山へ登り始めました。登り口は、元の常盤中学校舎(元元の常盤小学校跡地)の北側です。

 道の両側には常盤小学校児童が作った旗が何十本も立てられていました。

 山の頂上には、役30人が集まりました。年配の方が多いのですが、皆さん元気です。余裕綽々で式典に臨んでおられました。

 一本杉の前で神主さんの祝詞があげられました。樹齢千年を超えているとも言われていますが、果たしてどれぐらいでしょうか。

 次に剣士・練士による真剣を持った演武です。常盤地区出身の方々で、私の少し年上のようでした。

 試し切りでは、藁束を見事にバッサリ。

 城跡での式典が終わると、会場が尾花沢の町の中に移りました。約80人も出席したとのことでした。尾花沢市役所関係者、市内地区代表者、老人クラブ代表、一般参加者などです。私は「一般参加者」です。祝賀会とは「祭」です。沢山のアトラクションが次から次へと繰り広げられます。まるで、尾花沢祭よりも賑やかでした。霧山太鼓、詩吟と舞、延沢音頭、長瀞猪子踊り、六沢流花笠踊りなどです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする