-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

早めの稲刈りを手伝いました。

2017-09-25 17:19:30 | 自然

 平成29年9月24日(日)に、畑沢での稲刈りを手伝いました。山形から畑沢へ向かう途中、天童、東根、村山を通りましたが、何処でもまだ稲刈りは始まっていませんでした。畑沢へ到着しても同じことで、稲刈りは見られません。それでは何故、「稲刈りの手伝い」かと申しますと、早生種の稲刈りだからです。「秋田小町」という品種だそうです。畑沢は山に囲まれていますので、昔からかなり早生種も植えられていました。その年その年で天候が違いますので、早生種にするか普通種にするかは、かなり難しい判断を必要としますが、前もって天候を当てることはできませんので、多分に博打みたいなところがあります。

 さて、手伝う田んぼは下の写真のとおり刈り時になっていました。写真の家並みは中畑沢、最も遠くの山は背中炙峠がある所です。

 稲刈りは基本的に機械が来ないます。コンバインと言うそうです。2台見えますが、右側の大きい方は故障中です。大きい機械は4条の稲を同時に刈り取り、しかもスピードも速いとのことですが、小さい方は2条刈りでゆっくり刈り取ります。ゆっくりとは言っても、昔のように手で刈り取る速さと比べれば、雲泥の差です。早いものです。私たちが手伝うのは、機械が田んぼに入るスペースとコーナーと機械が曲がるスペースを作るために、手で刈り取ることです。完全に四角な田んぼの場合は四隅だけですが、山あいの田んぼは歪(いびつ)な形をしていますので、刈り取るスペースは4隅だけではありません。

 


 「忙中閑(ぼうちゅうかん)あり」。いい言葉です。私は、誰から言われなくても、しばしば自主的に閑を作ります。これが私の健康の秘策です。田んぼに濃い紫の花が咲いていました。葉っぱは細いハート型です。この花と葉の形で連想される植物があると思います。そうです、金魚屋さんで売っているホテイアオイと似ています。それもそのはず、同じミズアオイ科に属しています。コナギは水に浮きませんが、ホテイアオイは浮草で南米原産です。コナギも外来種らしいです。コナギは特徴的で好きな植物ですが、元気に蔓延(はびこ)りますので田んぼの厄介者です。

 庭の雑草の中に食べられるキノコがあり、もらってきました。庭で採れる食べられるキノコというのも珍しいものです。ヤナギシメジだそうです。去年ももらって食べたのですが、すっかり味を忘れてしまいました。私には微妙な味の違いを感じようとしない性分があります。しょうがないですね。今年こそは味わいます。


  タデというものらしく、藍の仲間だそうです。「蓼食う虫も好き好き」のタデです。刺身の「つま」にもするそうですが、見たことがありません。実際に「つま」として出されても、関心もなければ見分ける力もありません。タデの小さな群落があちこちにありました。


  よく見かける花ですが、一応ネットで見ましたら、フジバカマの画像に似ていました。きっとフジバカマでしょう。詳しくは調べませんので、間違っていたら教えてください。


 さて、これもよく見かけるようになりました。ツリフネソウです。水っぽい場所に群生しています。今が盛りの時期です。


 手伝いの仕事を終えて、背炙峠に着いた時には、既に太陽が葉山の陰に隠れていました。この日は私の好きな飛行機が飛んでいませんでしたので、純粋に山と雲を撮りました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田の沢川の石

2017-09-23 17:38:29 | 自然

 昭和2年(西暦1927年)に徳専寺住職の青井法善氏が書かれた「郷土史之研究」というものがあります。青井法善氏は畑沢の人でした。その中からこのブログで何回か紹介してきました。今回は、延沢地区のことが書かれている部分を私の「いきあたりばったり」方式で紹介します。

 さて、2年前に延沢城跡が国の文化財指定30周年記念の式典がありました。その場に、私のとある分野での師匠(仮に「師匠」としておきます。)も同席されていました。その方が「ちょっと待ってろ」と川の方へ行って、瞬く間に何やら石を持ってこられました。見ると、平たい石がさらに平たく剥がれていました。延沢の珍しい「〇〇石だ」とおっしゃっていたのですが、いつものように私は「〇〇石」のところを完全に忘れていました。

 

 しかし、「郷土史之研究」にめぐり会って、同書の延沢について書いてある次の文が気になりました。

 田の沢川の石

明治大帝東北御巡幸の際御覧に供した石で阿るかト之も記念したい。

(明治天皇が東北を巡られた時に、見ていただいた石であるかと思われ、これは記念にしておきたい。)


 私は郷土史之研究の「田の沢川の」と師匠の「〇〇」を結び付け、また郷土史の延沢と師匠が持ってきた場所が延沢であったことを結び付けてしまいました。ただ、田の沢川なるものを延沢城跡の近くで聞いたことがありません。そこを流れる川は、前田川(まえだがわ)しかありません。延沢地区の他の場所でも、田の沢川はありません。「田」の文字が共通していますが、果たして同一の川なのでしょうか。いくら考えても分かりませんので、ここは広い気持ちで、田の沢川は前田川に名前が変わったのであろうと結論することにしました。例えば、畑沢川がいつの間にか千鳥川になっていた例もあります。閲覧者にはいろいろと御不満もあろうかと思いますが、スビタレ流はこんなものです。従いまして、はなはだ短絡的ではございますが、この石を田の沢川の石とさせていただきます。私は青井法善氏の可愛い後輩であり、私の家は徳専寺の檀家でした。青井法善氏はきっといい加減な私を許して下さるものと思っています。

 さて、この石はどんなところが珍しいかと言いますと、既に上に書きましたように「薄く剥がれる」ところです。「頁岩」と言われている海底に泥が堆積して岩になったものです。しかも、堆積した層に沿って薄くページをめくる様に剥がれる特性があります。師匠の〇〇石は、柔らかい頁岩ですので、特に産業的な利用価値はありませんが、硬い頁岩の場合、例えば宮城県石巻市の雄勝石は硯やスレートとして使われます。ただ、常盤地区では丹生川も朧気川(花の木川)も火山岩が主ですので、このような頁岩が川にあるということは珍しいものです。

 ところで世界的に見てみると、しばしば頁岩には貴重な化石が含まれています。典型的なものはカンブリア紀の生命の大爆発が記されているバージェス頁岩が有名です。師匠の〇〇石にもとても貴重な化石があるかもしれません。根気よく薄く剥がして化石を探してみませんか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

簡単な畑沢の紹介チラシです。

2017-09-21 16:00:31 | 近況報告

 平成29年のお盆に向けて、8月に畑沢全戸に簡単なチラシを作って配布しました。私は畑沢の先輩たちから聞いたことを集めて、一冊の本にまとめたいと思っていますが、それが中々、実現いたしません。ど素人が歴史を調べても、専門家の何十倍もの時間を要します。特に楯跡の調査には時間がかかっています。

 それでは教えて下さった畑沢の方々に申し訳ないので、とりあえず簡単なチラシを作ったというわけです。本当に極、浅い表面的に紹介する程度のものです。畑沢以外の場所にお住いの方のうち、4年程前に畑沢同窓会の御返事を下さった方にはチラシをお送りいたしましたが、それ以外の方にはお送りしませんでした。でも、ブログに投稿すれば、興味を持って下さる方には少しは喜んでくださるかもしれないと、今回、投稿してみることにしました。

 チラシは4ページになっています。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

背炙峠の忘れ物

2017-09-20 17:59:58 | 自然

 昨日、背炙峠の記事を投稿したばかりでしたが、峠の一枚の写真を忘れていました。どうにか一日はパソコンの中で我慢していたようですが、バタンバタンと五月蠅く騒ぎだしたので、顔だけでも見てやって下さい。ただのバッタです。6本足の動物でも、食べられるイナゴ以外の昆虫については、名前をほとんど知りません。このバッタも「ただのバッタ」で問題ないはずですが、一応、ブログに出たいというので、インターネットで調べましたら、「ただのバッタ」ではなくて、クルマバッタモドキという面倒くさい名前がありました。どうもバッタにもいろいろと種類があるようです。御見それいたしました。食べたくない顔をしています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

背炙峠を通りました。

2017-09-19 20:18:03 | 近況報告

 平成29年9月19日(火)に尾花沢市の野黒沢で用事があり、そこで作業を終えてから野黒沢の集会施設で楽しく懇談してきました。退職後にNPO活動をして、今まで想像だにできなかった様々なお付き合いがありました。新しい世界が開けて、益々、人間を好きになっています。

 さて、野黒沢から尾花沢市役所で延沢城跡のチラシを頂戴して、畑沢へ向かいました。松母を超えると、いつも見慣れているはずの光景が新鮮に見えました。田んぼの形が何とも言えない味が出ているのです。まるで前方後円墳のようです。もう、夕方です。ずっと西へ傾いた太陽から横から日光が当たっています。稲は豊かに実り穂が首を垂れていました。夏の天候不順で心配だった生育も、このところの好天で持ち直しているように見えます。台風18号の影響はありませんでした。


 野黒沢から山形へ向かうのには、国道13号線をそのまま南下すればよいのですが、近年、中々、通れなくなった背炙峠(県道29号線)を見たかったからです。峠は畑沢のシンボル的存在です。

 ところが、シンボルの峠にあるはずのない見慣れない美味しそうな植物が生えていました。野黒沢で大量の汗をかいて作業をしましたから、飲みたくなってきました。ビールの原料になるホップがありました。しかし、どうして峠にあるのでしょうか。とうとう、幻覚が出たようです。

 太陽がの光を真横から受けている甑岳です。山体に様々な陰影が出て、厳(おごそ)かな雰囲気を醸(かも)し出しています。


 すると、甑岳のはるか上空に飛行機が飛んできました。少年時代は「飛行機馬鹿」と言われた私です。飛行機となれば見たくなります。とりあえず標準レンズで撮りました。

 さらに、どんな飛行機かを知りたくなります。安いカメラですが、精一杯にズームを大きくしてパチリ。三脚も使わずに望遠ですから手ぶれが生じるので無茶苦茶です。それでも何とか写っていました。撮った画像をパソコンでさらに拡大したのが下の写真です。後方が黄色の塗装です。インターネットで調べるとPorarとかいう会社のジャンボ機に似ています。


 肝心の背炙峠の夕日は、今回、色気がありません。極、普通の夕景です。

 

 まだまだ夏に未練がましい私には、秋の訪れを信じたくありませんでしたが、確実に秋が来ているようです。峠路の側溝には落ち葉が積もり、側溝の蓋の穴を塞いでいました。側溝が水を排水する機能がほとんどなくなるほどです。これでは、来春も落ち葉を取り除くために、通行が遅くなるのでしょうか。冬期間に閉鎖する山道なら、落ち葉に困るような工法(U字側溝)でない方が良いと思うのです。例えば蔵王エコーライン、鳥海ブルーライン、吾妻スカイラインのようにL字側溝を使えばよかったかと思います。あっ、畑沢から五十沢へ抜けるスーパー農道もそれを使っていました。あれはとってもいいと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする