-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

胡桃(クルミ)割りに文明の利器が現れました。

2020-05-22 15:23:44 | その他

 今年の2月7日に「胡桃(クルミ)割り人形のようになれなかった爺の失敗」を投稿しましたが、今回はリベンジを果たしました。でも自力ではありません。文明の利器に手助けを頼みました。

 

 クルミ割りを上手にするためには、加熱を欠かせません。前回のようにアルミ鍋に入れました。アルミ鍋は昭和50年代にガスの炊飯器として使用していたものです。使わなくなっても直ぐに捨てるなどという事ができません。それから50年後、やっと役に立つことができました。鍋も喜んでいるようです。

 クルミは2019年の畑沢産で、貰いました。

 

 熱源は灯油のコンロです。子どもたちとキャンプするときに使おうと思って、今から30年ほど前に安価な中国製品に飛びつきました。しかし、そんな時間的余裕がないままに、いつの間にか子どもたちは成長してしまいました。まともに使った覚えがありません。さらに安価な製品には安価な材料が使われていました。パッキンがボロボロになっていました。耐油性のゴムシートを買ってきて丸く切り、パッキンを造りました。普通、私の場合はこの手の工作では何度も失敗するのですが、一回で成功しました。こんなこともあるんですね。パッキンは低質でしたが、コンロの本体である金属部分はしっかりとしていました。灯油タンク部分を加圧、アルコールを燃やしてプレヒート、頃合いを見て付属しているバーナーから灯油を噴霧すると、バーと勢いよく炎が出ました。順調、順調。

 

 加熱はほどほどにしなければなりません。クルミの固い殻がパッカリと割れるまでに加熱しようとすると、とんでもないことになります。中の実が焦げてしまいます。前回、これを嫌と言うほど経験しました。うっすらと割れ目らしきものが見えたら十分です。割れ目らしきものが見えなくても、ある程度、加熱してあれば十分なのかもしれません。

 次にいよいよ文明の利器の登場です。割れ目らしきところに刃先を合わせて力を入れれば簡単に割れます。

 

 割ったクルミは下の写真です。綺麗なところだけ写しました。正直、すこし焦げたものもありました。過熱です。

 

 割ったクルミを穿り出す道具を自作しました。大きな釘の先をトンカチで叩きました。使いにくい道具となりました。短すぎることが欠点でした。きちんと材料を探せばよいのですが、手短な物で間に合わせる私の悪い癖です。本当は金属製の耳かきが良いのですが、いくら私でも使っている耳かきをクルミに使いたいとは思いません。

 

 そして、このように掻き出すことができました。1ℓ 以上のクルミを取り出すのに夜中までかかりました。疲れましたー。

 5月17日に畑沢で田植えを終えました。昔なら「さなぶり」と言って、餅を食べていました。その餅に、納豆、餡子(あんこ)、クルミなどをまぶしていました。私はクルミ餅が大好きです。上手かったものです。餅そのものよりも、大きな労働を終えた安堵感(あんどかん)が幸せな気分にしていました。田植えは子どもにも辛い労働でしたが、大勢の家族が一緒の楽しい時間が沢山、ありました。

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畑沢 四つ目の楯跡を図面化しました。

2020-05-19 12:30:25 | 歴史

 これまで畑沢地区では、背中炙り峠、おしぇど山、山楯に併せて3つの楯跡が確認できています。しかし、「延沢軍記」の記述内容と戦国時代の集落の位置などから考えて、必ず上畑沢に楯が存在するはずと考えていましたが、何とも手掛かりがありませんでした。
 ところが令和元年の5月、幸いにも上畑沢の楯跡を発見することができました。全く思いもかけない場所でした。畑沢の西側を南から北に向かって五十沢地区との境に尾根が通っています。その大きな尾根から畑沢の集落側に向かって沢山の小さな尾根と沢が伸びています。その小さな尾根の一つに四つ目の楯跡がありました。周りが杉林になっていて、さらに楯跡とその周辺一帯がブナ林になっていて外部から全く見えない状態です。尾根の存在も分からないし、まして楯跡などは想像もできない状態でした。下の断面図を御覧ください。急勾配で下っている尾根の途中で二カ所が水平になっているように見えます。そのうちの下方に楯が築かれました。楯跡から下方の尾根は、はるか昔に千鳥川で削られて、ここから二手に分かれて下へ落ち込みます。

 下の集落との標高差は50mあります。いざ村人が襲われそうになって逃げると、楯まで約10分ぐらいはかかりそうです。畑沢の山楯やおしぇど山の楯と比べると、村人の楯としては高い場所と言えそうです。

 

 昨年は忙しくて調査できなかったのですが、今年は感染症の心配で子や孫が県外から帰省しなかったので、時間に余裕ができました。今年5月、この土地を所有者の御了解を頂戴して調査し、ようやく楯跡の平面図を次のとおり作成しました。今回は初めて平板測量をやってみました。ど素人には苦難そのものでしたが、私には珍しいくらいに、ある程度、信頼できる調査をすることができました。でもGPS機能を有する機器があれば、城跡や楯跡の調査は迅速にかつ正確に行われることでしょう。

 地滑りなどによる影響があったようで、輪郭が不明瞭な所が見られますが、かなり急峻な地形に造られた険しい楯の雰囲気が残されています。

 図面を番号と記号ごとに説明します。

 上から落ちてくる尾根を巾5mに断ち切っている堀切です。小さな楯にしては、物々しい迫力があります。上からの侵攻を防ぐためでしょうが、「上(うえ)」は単なる山です。山の上からではなく周囲を回りこんで侵攻してくる敵を防ぐ必ためだったのでしょう。上の方からの侵攻を防ぐ堀切は、おしぇど山の楯と同じです。

 曲輪の北東側は切り立った崖のために樹木も生えにくいほどで、冬季は絶えず雪崩が起きます。崖は20m以上ありますので、絶対、ここを登ることはできないでしょう。この私でさえも調査の時には登れませんでした。

 二手に分かれた尾根の片方を断ち切って、堀切と言うのか切岸と言うべきか分かりませんが、容易に登れない崖を作っています。堀切と言うには溝の部分が短すぎます。溝が主体の工作物ではなく、崖を造るのが目的の工作物です。

 曲輪の南東は自然な地形のままの急斜面です。急斜面は集落の位置まで落ち込んでいますので、約50mもあります。

 曲輪の南西側は、その他の斜面と比べると緩やかなので、帯曲輪の上下を削って急斜面にしてあります。この急斜面を切岸と言うのでしょうか。

 曲輪の中央部分です。曲輪には周囲に向かって段差が付いていますが、特に敵の侵攻を防ぐためと言うよりも、ただ平坦地を造った結果にできた段差の様です。

⦿

 一見、小さな帯曲輪の残骸にも見えますが、単なる地滑りの残骸かとも思います。何しろ急斜面ですので、地滑りしやすい地形です。

 

 この楯が上畑沢に造られた時期は、下畑沢のおしぇど山の楯跡と同じように戦国時代の早い時期に造られたものと思われます。下畑沢では、古い楯の後で新しい楯が造られたようですが、上畑沢では新しい楯は造られなかったようです。それは既に存在している古い楯で十分だったのか、それとも慶長出羽合戦を前にして作られたと思われる背中炙り峠の楯との関係で造る時間がなかったのかのどちらかだっのでしょう。又は両方の理由かもしれません。

 この上畑沢の楯跡については、地元に伝説が残されていません。古いと思われるおしぇど山の楯跡は伝説が残されていませんが、新しいと思われる山楯は伝説が残されています。伝説が残るかどうかと言うのは、新旧の別によるものでしょうか。

 ところで畑沢の三つの「村人のための楯」にはある共通点があります。それは楯が畑沢村を縦貫する街道にピタッと隣接していて、街道を上から覗き込める状態にあることです。敵が街道を通って侵攻してくるならば、街道から離れた場所へ村人が逃げ込めるようにした方がいいと思えます。どんな意図があったのかをこれから考えていきます。

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いつものように間違っていた 「カナチョロ」も

2020-05-08 11:30:00 | 自然

 私の生き物の「種」を見定める(その道の専門家らしき人は「同定」と言います。)力は、かなり貧弱です。キバナイカリソウについても、前回、投稿したとおりの間違いがありました。外にも沢山、あるようです。しかし、今回、幸いにも間違いに気づくことができました。

 畑沢では、トカゲのような爬虫類を全て「カナチョロ」と呼んでいます。当然、私のように鼻たれ小僧の時代のままの凡人には、畑沢にいるカナチョロはどんなものでも一つの「種」と思っていました。ただし、私でもイモリやサンショウウオとは間違ったりはしませんよ。ところが四つ足の爬虫類となると見わけができません。東北などのように涼しい気候の地方にはヤモリがいませんので、カナチョロと言っていれば間に合っていました。さらに、少し分かったように「ニホンカナヘビ」などと言うと、いかにも「種」を確認できた気分になります。

 それが誤りでした。「カナチョロ」は正式な和名ではないにもかかわらず、「カナチョロ=ニホンカナヘビ」と勘違いしてしまいました。きちんと図鑑などと見比べながら確認すれば、かなりの程度、正確に見定めることができたはずです。

 それでは何故に間違いに気づいたと思いますか。それは今から85年前の昭和10年に岩野尋常小学校が著した「葉山風自然研究とその利用方法」を村山市立図書館に何回も通ってから書き写した次の内容を眺めていた時です。

爬虫類

いしがめ

 

あをだいしょう

あをのうす

人家 畑

やまかがし

やまがずへび

山 畑

まむし

くつらへび

山地

しまへび

 

山 畑 田

ひばかり

からすへび

山 畑 田

とかげ

 

石山地

かなへび

かなちょろ

石山地

 書き写し作業の時も、「とかげ」と「かなへび」の文字を見ていたはずですが、単なる映像程度にしか見ておらず、文字が示す内容を認識していませんでした。私の頭には魚しか認知する脳みそしか入ってなかったようです。ところが、先日、この本に書かれていることをある人に説明したいと思い、あらためて眺めていましたら、「かなちょろ」とは別に「とかげ」があるではないですか。岩野地区とは村山市の西部にあり、昭和10年ごろは概して言えば畑沢と大して違わない自然環境だったと思います。とすれば、岩野にカナチョロがいてトカゲなるものがいれば、畑沢にもカナチョロの外にトカゲがいても不思議ではありません。過去に撮った私の「カナチョロ」の写真を見直してみました。すると、別々の写真に写っている「カナチョロ」の体表には明らかな違いが見られました。

 下の写真はヒガシニホントカゲでした。単なる「トカゲ」だけでなく、「ニホン」が付き、さらに「ヒガシ」まで付いています。体表が滑らかです。尾もニホンカナヘビよりも体長に占める割合が少ないそうです。撮った当時、体表がスベスベであることに気づいていましたが、「お腹が一杯になって、体表が伸びてスベスベになったのだろう」と自分の腹と一緒にして考えてしまいました。私は何でも直ぐに理解力らしきものを発揮してしまいます。

 

 次の写真はニホンカナヘビです。春先に撮影したもので、丁度、繁殖期を迎えていて、雄が雌の腹部に噛(か)みついていました。体表は鱗らしきものがザラザラとしており、トカゲとはまるで違います。

 

 二枚の写真は2015年に撮影したものです。5年もの間、私は間違いに気が付きませんでした。何と鈍いことでしょう。

 畑沢の皆さん、常盤地区の皆さん、ひいては尾花沢市出身の皆様、カナチョロの正体は「ヒガシニホントカゲ」と「ニホンカナヘビ」ですよ。

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畑沢の新緑がさらに進んでいました。

2020-05-03 17:39:00 | 自然

 一週間前に楯跡を調査したのですが、どうも出来が良くありません。調査は平板測量の真似ごとみたいな方法で行いました。三回目の挑戦でしたが、一人での作業は効率が悪いこと限りなしです。もう一人がいれば、測量用のポールを持ってもらうことができますので、基準点と観測点を何度も往復する必要がありません。一人での測量だと、基準点と観測点の間を最低でも2往復しなければなりません。それを観測点ごとに何度も行わなければなりれません。しかも急斜面の往復ですから、この暑い日では大変な労力となりました。その結果、観測点は少なくなってしまいました。観測点のデータは大きな誤差がありますが、それでも楯跡調査には十分に耐えうるものです。しかし、観測点はあくまでも「点」ですので、点と点の間には線がありません。点と点を結ぶ線は、現地を眺めながらのフリーハンドで行わなければなりません。絵心がなく面倒くさがり屋でもある私には苦手とする作業です。そのために前回までの調査では不十分となりました。仕方なく、再び楯跡に行ってきました。

 令和2年5月2日(土)に妻を同乗させて背炙り峠越えをしました。いつものように私だけですと、途中で景色を眺めるなどの余計な事をするのですが、今回はひたすら畑沢へ向かいました。

 直ぐに楯跡がある山へ行きますと、一週間前とは大分、様相が変わっていました。登り口にはキバナイカリソウが咲いていました。畑沢には花の色が異なるイカリソウが2種類あると思っていたのですが、私の誤りでした。同じ種でも色が異なっていただけのようです。この日のカメラは、娘が捨てようとしていたコンパクトデジカメです。それでも結構、上手く接写できました。

 

 楯跡一帯のブナは、葉をさらに広げていました。調査がさらに一週間遅くなっていたら、測量での見通しが利かなくなっていたでしょう。いつ見てもブナ林の新緑は美しいものです。測量なんかやめて、ゆっくりと新緑を鑑賞したかったところです。

 

 楯跡の片方は、再周辺部の曲輪から急斜面が落ち込んでいて、潅木も生えることができません。当然、人が登るのは極めて困難です。などと説明しているのに、写真には太いブナの木が写っています。でも斜面の木はこれだけです。春先に見た時には、この斜面には雪崩の跡が見られました。積雪期は絶えず雪崩が発生します。

 

 楯跡調査を終えて、実家の近くで山菜(実際は元は畑ですので、「山菜」と言えるのでしょうか。)を採っていると、カルガモが近くの水田に舞い降りてきました。普通なら人に近づかないのですが、かなり近い距離です。恐らくこの近くに巣があるのでしょう。年を取ってもまだ野生児のような私が鳥に好かれる訳がありません。

 兄が川からサワガニ(沢蟹)を捕まえて見せてくれました。蟹の体をひっくり返してみたら、雌でした。これから交尾が行われ、初夏に子ガニが独り立ちします。撮影はマクロモードしたのですが、明るさが足りなかったので、かなりボケました。撮影後は川に戻してやりました。

 ところで、カニを放した川のそばにシマヘビかいたのですが、蟹を食べたりしないものかと心配になりました。一応、ネットでシマヘビの食性を調べましたが、獲物の中に「サワガニ」は入っていませんでした。でも心配です。畑沢でもサワガニは希少になりました。

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