-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

細野地区から大平山へ登りました。

2016-05-30 18:22:05 | 近況報告

 平成28年5月29日(日)に尾花沢市細野地区において、村おこしの一環として「高い山運開き」が行われました。同地区はかなり前から村おこしを熱心に行っています。我が畑沢の約4倍の戸数があることもさることながら、何よりも素晴らしいのは、同地区のリーダーたちが長年にわたって努力してきたことです。私も畑沢の振興のために何かできることがあるのではないかと、4年ほど前に御指導を仰ぎました。

 さて、このたびのイベントに山登りと山菜取りの二種類がありましたが、私は山登りに参加しました。大平山登山です。畑沢の人たちにとって、「大平山」と言われてもピンとこないところがあります。「大平山」のネーミングは、細野地区の「おんだいらやま」に因んだもので、畑沢ではこの呼び方をしていません。畑沢では、山の斜面の方向によって、「宝沢山(ほうざやま)」「真木山(まぎやま)」「桂葉(かづらぱ)」と三つの名前で呼ばれており、畑沢の集落から見える斜面は宝沢山(ほうざやま)です。明治時代になって正式なネーミングをするときに、細野地区での呼称が採用されたようです。あれっ、本題から脱線しました。本題に戻ります。イベントの受け付けは7時半からなので、私は6時半に山形を出発して細野へ急ぎました。うれしいことに、快晴です。細野に着くと、集合場所になっている「かあちゃん広場」には、大勢の人が集まっていました。車を誘導する人も大勢いらっしゃいました。よく見ると、延沢地区の人も手伝っていました。私が中学校時代に科学クラブでお世話になった先輩です。あの先輩には、いろいろと面白い実験(ロケットエンジン)を体験させていただきました。細野地区のイベントが、細野地区からさらに広がっています。

 駐車場は、集合場所から歩いて2分ぐらいの所にありました。その場所も興味深い場所でした。ブナ(山毛欅)が育苗されています。まだ、10cmぐらいの太さですが、成長すると樹高が50mぐらいの大木になります。その樹間に次々と駐車されていき、満杯状態です。

 8時から開催開催式です。遠くの正面には大平山が聳えていました。雲が全くありません。先ず五十嵐K会長が歓迎の挨拶をされました。永年の間、細野地区の方々をリードしてきた方です。続いて、大勢の来賓からの挨拶もいただきました。残念ながらせっかく御挨拶していただきながら、私は撮影に夢中でしたので、お話の内容が頭に入っていません。申し訳ないことをいたしました。

 式の最後には、お払いが行われました。

 登り口で自動車を降りて、登山開始です。

 大平山の標高は、813.6mなので、それから登り口の標高を引けば、たかが4百か5百メートルを登るだけだとすれば、一時間と少しで山頂に達するだろうと高をくくっていました。しかし、上り道の傾斜が半端ではありませんでした。例えば、飯豊山系の北股岳に直登する梶川尾根の傾斜と同じぐらいはあります。それでも、暗い杉林を抜けて広葉樹林に入り、さらに尾根筋に至ると視界が広がります。眼下に細野地区集落が見えてきました。左側に枝分かれしている集落は、畑沢ですが遠くて小さくなっていました。双眼鏡で確認しましたところ、下畑沢でした。延沢の集落周辺も横一文字になっています。さらに遥か彼方には、右に「双つ森」「翁山」、中央から左にかけては神室山系が見えます。

  急峻な山道でも、優しい案内人の心づかいにより余裕を持って登ることができました。当然、時間がかかってしまうのですが、たっぷりと互いにお話をする時間を作ってくれました。

「何処から来たのですか」

「今は山形だげど、畑沢出身だー」

「実は、俺も畑沢さ関係あるんだー」

「なしてやー」

 「畑沢の〇〇の家分がっがー」

「ああ、あそごがー」

 このようにして、お話をしていましたら、何と一行の中に三人もが畑沢に所縁(ゆかり)がありました。

 やがて、急峻な山道が終わってなだらかになり、周囲の植生もがらりと変わってきました。一面がブナ林です。そう、畑沢の宝沢山(ほうざやま)に入ったのです。ここは、畑沢村の人たちが山を守るために長年かけて国へ働き掛けて払い下げを受けた区域です。伐採を禁止して、水源涵養の林となっています。清水畑にその石碑があります。このブナ林の下の方には、畑沢の簡易水道の水源があります。

 山頂はきれいに刈り払われています。細野の人たちが4、5年前に大変に苦労されたと聞いています。遠くの高そうな山は、甑岳です。

 山頂の祠(ほこら)です。このように石で作られているのは、畑沢も含めてこの地域では「万年堂」と呼んでいます。写真の人は、祠の中に新しい「お札(ふだ)」を入れています。毎年、お札を更新するそうです。この祠の後ろには、「八紘基柱」と書かれているそうです。「八紘一宇」ならば、とある国会議員が発言して大きな顰蹙(ひんしゅく)を買ったことがありましたので、それなりに分かりますが、「八紘基柱」は全く聞いたことがありません。下山後ネットで調べましたら、Wikipediaに「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」と言うのがありました。「之」の文字があるかないかの違いはありますが、「八紘基柱」と「八紘之基柱」は同じ意味かなと思います。それによりますと、「八紘之基柱」は、宮崎県宮崎市の平和台公園に位置する塔のことだそうです。八紘一宇を体現した日本一の塔を目指して作られたそうです。八紘一宇は、太平洋戦争に突入して、日本中がきな臭くなっている中での日本のスローガンでした。そして、村人たちは故郷を離れて、続々と戦地に駆り出されることとなっていきます。この万年堂は、どのような願いを持っているかは分かりませんが、その時代の細野村の人たちの悲しみが伝わってきます。

 細野村で最も歴史に詳しい人も一緒に登っていましたので、いろんな説明をお聞きすることができました。写真の大きな岩は「烏帽子岩」と言うのだそうです。ん!、すると私が三年前に畑沢から登ってきて、途中で見た岩は何だったのでしょうか。私は、それを「烏帽子岩」と説明していました。またもや、私は間違っていました。あの岩は、「大獅子岩」だったのかもしれません。ごめんなさーい。

 

 

 

 

 

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畑沢の田植えはいよいよ終盤です。

2016-05-26 21:17:31 | 近況報告

 尾花沢市内の母袋地区と宮沢地区等への用事のついでに、畑沢に立ち寄りました。実家の田んぼでの田植えは、5月15日と16日に手伝ってきましたので、約十日ぶりの畑沢でした。あの時は、田植えが早い方でしたが、26日は大分、田植えが進んでいました。ほんの少しだけですが、田植えが残っているだけです。

 

 この時期の花は、山には藤、朴、谷空木(たにうつぎ)をはじめとして沢山咲いていますが、私はカキツバタが好きです。今から50年以上も前の田植えの風景が思い出されます。小雨勝ちの天気の中で、家族の外にも何人かが手伝いに来ていました。田植えできない子どもたちは、畦道から線が引かれた田んぼの中に苗を投げ込みます。田植えをしている人たちは、世間話に花を咲かせながらも、三本の指をひっきりなしに泥の中に突っ込んでいます。やがて、昼食時間が近づくと、家からお握りが入ったお櫃などが運び込まれました。家に帰って食事する時間も惜しんで、野良で食事をします。お昼になって余裕ができ、ようやく周囲に目をやると、水路の脇に咲いているカキツバタが目に入ります。紫の花弁が雨でしっとりと濡れています。清々(すがすが)しい姿です。ところで、カキツバタは「かっこの花」と畑沢では呼ばれていました。郭公(かっこう)が渡ってきて「カッコー」と鳴く時期に咲く花という意味なのでしょうか、真相は分かりません。

 一番目の目的地である母袋地区に行く途中で、延沢を通りました。そのとき、常盤小学校の移転計画があったことを思い出し、2年前に中学校だった場所へ入ってみました。既に小学校は移転していました。一応、学校の職員に説明して写真撮影の了解をいただきました。

 小学校の紋章が飾られた正面玄関です。私もこの紋章を見ていたはずですが、昔を思い出せませんでした。

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動物観察

2016-05-20 18:41:37 | 自然

 5月15日と16日の田植えの空き時間で撮影した生き物の写真は、これまで植物観察(1)、(2)と連続して投稿してきましたが、同日に動物にもカメラを向けました。天気が良かったので何でも活き活きと見え、つい余計なものまで見てしまいました。

 田んぼの脇で遅れがちの水仙に蝶が止まりました。黄色がかっていましたので、モンシロチョウ以外の何かであろうことは推察できましたが、この時期の蝶を想像できません。しかし、よく見るとアゲハチョウに似ています。でもいつも夏に見るアゲハチョウよりも小さく見えました。所謂(いわゆる)「ごっつい」感じです。ごっついと、どうしてか親近感が湧きます。インターネットで確認しましたら、やはりアゲハチョウです。今までも春にアゲハチョウを見ていたのでしょうが、記憶にありません。春のアゲハチョウはごっついです。去年の秋に蛹(さなぎ)になり、そのまま越冬して春に羽化したのでしょう。成体のままで越冬していたら、既に羽はボロボロになっているはずです。春になってから卵、幼虫期、蛹、成体となった個体とは、体格に格差があるのかもしれません。カラスアゲハとウスバシロチョウも飛んでいましたが、止まってくれませんでした。


 田んぼの脇にはトノサマガエルが沢山いました。産卵のために田んぼに来たのでしょうが、あいにく田植え作業のために水を抜いてしまいましたので、産卵はもう少し待たなければなりません。しかし、田植えが終わると直ぐに田んぼに水を満たしますので、今頃は合唱をしながら産卵しているでしょう。この場所は農薬をほとんど使用しないので、カエルも多いようです。トノサマガエルの外にも、モリアオガエルやヤマアカガエル、アマガエルも顔を出します。蛙は害虫を食べてくれますので、エコ(ecological)な農法につながります。農薬の費用を節約できますので、経済的な(economical)農法でもあります。


 田植えをしている田んぼから離れて、休耕している田んぼの沢筋を眺めました。田植えの田んぼとは全くことなる世界が広がりました。細長いトンボの仲間が水路沿いに飛んでいました。その中で大きいのがカワトンボです。羽化してからまだ月日が経っていないので、羽が黒くありません。夏の時期は黒くなりますが、この時期は全く別種のような色をしていました。

 カワトンボよりも数段、小柄なのがイトトンボの仲間です。これはエゾイトトンボだと思います。図鑑で調べると、オゼイトトンボとかクロイトトンボなどと似たような種類が出てきましたが、私の独断でエゾイトトンボとすることにしました。このトンボは、一昨年にも投稿していました。

 

 さて、話は全く変わりますが、背炙り峠の通行のことです。去年の秋に山形県のホームページで、冬期間の通行止めが5月下旬までとなっていました。そろそろ通行できるかなと、山形県のホームページを見ましたら、何と「5月20日まで冬期間の通行止め。引き続き9が15日まで工事のため通行止め」とありました。要するに今年は9月半ばまで通行止めなんだそうです。えー、そんなこと考えられません。少し前までは、5月の連休のころには通行できました。最近は温暖化で雪融けが早くなったのですが、逆にどんどん通行止め期間が長くなっています。昨年は7月いっぱいまで、一昨年は5月末頃まで、その前は5月20日ごろまでが通行止めだったと思います。道路は通行するのが目的であり、工事をするための道路ではありません。勿論、工事も必要ですが、可能な限り通行できるようにするのが行政の役割であるはずです。夏季の大半が通行止めとはいかがなものでしょうか。

 世の中、最近おかしな方向に進んでいませんか。大げさな言い方かもしれませんが、住民を見ないで、有力者の御機嫌伺いに終始していませんか。畑沢も外の地区も人が減少し、高齢化が進んでいます。行政に対する意見はどんどん力ないものになっています。しかし、それだからこそ行政は地区へ足を運んで耳を傾けるべきではないでしょうか。「地区で何も言わないから、それでいいんだ」ではおかしいではありませんか。地方創生や一億総活躍などとおっしゃっていますが、結局は「地元で頑張らないと何もしてあげませんよ」と聞こえます。住民のために知恵を絞りだすのが、お上の仕事です。お上にはそのための人材と財力があるはずです。しかし、せっかくの知恵もあらぬ方へ向けるのでは役に立ちません。

 頑張れる地元は、ごく少数です。ほとんどの地区は、頑張れない状態まで追い込まれています。

 最後に人間社会観察になってしまいました。

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植物鑑賞(2)

2016-05-19 17:09:06 | 自然

 前回に続いて、5月15日と16日の空き時間で観察した植物です。前回は樹木の花を紹介しましたが、今回は草です。よく「木本類(もくほんるい)」と「草本類(そうほんるい)」とかの単語が使われ、何となく学問的な感じですが、分類学的な意味は全くありません。単なる固い「木」になるかならないかの違いだけで、そんなことはその植物の勝手でしょう。

 さて、今回取り上げる草は、花が咲いているものも咲いていないものもあります。先ずは、葉っぱだけです。ハート型ですが、左右対称になっていません。大したものではなくて、極、普通のイカリソウです。この時期は花が咲いているのでしょうが、この個体は花がありませんでした。その代わりと言っては何ですが、葉にきれいな模様がありました。まるで観葉植物です。外にもイカリソウが生えていたのですが、この様な模様の葉を付けている個体はありませんでした。ところで、私の年代においては、イカリソウは常盤中学校生徒会の財源になった植物です。漢方の薬草となりました。

 

 同じくハート型の葉ですが、左右対称です。花は見えませんでした。ウスバサイシンです。ヒメギフチョウの幼虫の餌になるそうです。昔は中々、探せなかったのですが、私の眼も大分、慣れてきて、直ぐに見つけられるようになりました。畑沢に限らず、どこにも結構、生えています。珍しいものではないようです。 

 

 カキドオシです。これも何処にでも雑草として生えている植物ですが、群落となって一斉に咲いていると、それなりのお花畑となってきれいなものです。畑沢では群落が沢山ありました。

 

 何処にでも生えている植物が続きます。タンポポです。これは、帰化植物のセイヨウタンポポの蕾(つぼみ)です。畑沢に帰化植物が蔓延(はびこ)っています。花の下に「がく」のように見える「総苞(そうほう)」が下にそっくり返っているのが、セイヨウタンポポの動かぬ証拠だそうです。しかし、それにしても「総苞」などと、訳の分からない名前があるものです。私は自分が知らないと、このような専門用語に対して文句をつけたがります。善良で知識が浅い私には、「がく」でも「総苞」でもどちらでもいいのです。面倒な言葉は嫌いです。

 さて、嬉しいことには、我が国のタンポポ様も畑沢にはちゃんと生きていました。総苞なるものはそっくり返らず、きちんと花弁に寄り添っていました。やっぱりタンポポはこうでなくちゃいけません。この日本のタンポポは、セイヨウタンポポから3mほどの所にありました。畑沢では和と洋が共存しています。でも少しだけ分が悪い感じもしました。「頑張れ、タンポポ、スビタレがいる」では応援にならないでしょうかね。

 

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植物鑑賞(1)

2016-05-17 18:29:40 | 自然

 畑沢へ田植えを手伝いに行った5月の15日と16日に、田植え機械の不調で手植えができないために、かなりの空き時間がありました。その時間を利用して、自然観察としゃれこみました。私の自然観察は焦点が定まらないので、あっちで虫を見たかと思うとこちらでは花を見ているといった具合です。魚以外の生き物については、「散漫」そのものです。そのため、当然のごとく撮影した内容も雑然としています。しかし、それではいくら何でも御覧いただく方に失礼なので、心持ち程度ですが整理いたしました。最初は山の樹木の花です。

 この写真の花は桐の花です。桐というのは箪笥(たんす)作りの材料になるあの樹木です。桐がどうして「山の木」と言えるかとお思いの方もおられるでしょうから説明します。長い話になりますが、お付き合いください。昭和40年代に養蚕が盛んになりました。畑沢に限らず東北の農家は、稲作中心の経営で、収入が入るのは米を売った秋だけが原則でした。しかし、戦後、農家にも消費経済が浸透してくると、秋だけでなく年がら年中現金が必要となりました。そこで、米以外の収入源として養蚕が盛んになったのです。最初、養蚕に適した暖かい季節だけだったのですが、少しでも収入を増やそうと早い時期から養蚕を行うようになり、桑の葉も大量に必要になりました。そこで、新たな桑畑が山の中に大量に開墾されました。ところが、絹糸が日本以外の国で生産されるようになると、国内の養蚕業は衰退してしまいました。桑畑は荒れ放題になって雑草が生い茂り、所々に桐の種が飛んできて勝手に成長してしまいました。桐も最初のうちは箪笥などの材料として販売することもできましたが、やがてこれも外国産にとって替わられることになりました。桐も放置されてしまいました。今、残っている桐はその名残です。この桐は人が植えたものでなく、自然の働きで成長した山の中の木なので、「山の樹木」とした次第です。せっかく山の木になった桐も、周囲が元々の雑木林(広葉樹林)に戻っていくと、やがて生存競争に勝てずに枯れてしまいます。遷移途中のつかの間の姿です。たった一枚の桐の写真で、こんなにも長い文章になりましたが、これを読んでくださった方も「物好き」な御仁とお見受けいたしました。お付き合いありがとうございました。


 紫陽花の花に少し似ていますので、紫陽花(アジサイ)の仲間と勘違いされ易い花です。私も三年前までは間違っていました。紫陽花はユキノシタの仲間で、この花はガマズミ属のガマズミです。畑沢のガマズミ属として、外にオオカメノキやヤブデマリがあります。そちらの花はもっと紫陽花に似ています。ガマズミは秋になると真っ赤な実をならせます。


 同じく白い花のミズキです。街路樹に使われているハナミズキや、これから梅雨の時期に向かって畑沢の山々に咲くヤマボウシと同じくミズキ属です。ミズキは言わずと知れた「だんごぬぎ(団子の木)」です。畑沢では二月ごろに、大黒柱にこの枝を括り付けて、枝に餅、鯛などをかたどった最中の皮みたいなものを下げて祝っていました。ミズキの木は毎年、山から切り出していました。今は切り出されることもないので、伸び伸びと枝を茂らせています。繁殖力がありますので、どんどんと勢力を広げているように見えます。


 さらに同じく白い花です。葉っぱが大きく、しかも一枚の葉が放射状に裂けていますので、まるで天狗が手に持っている葉にも見えます。秋には黒い大きな実をつけます。と書けばお分かりになるでしょう。そうです。栃の木です。大きくなるのは葉っぱだけでなく、幹自体も巨大に成長します。

 そして、今度は絶対に巨木にならない樹木の花です。まだ、蕾ですが、間もなく咲くでしょう。タニウツギです。畑沢では「スダレ(マダニ)」が潜んでいると誤解されて、忌み嫌われていた存在です。「‥ウツギ」の名前ですから、梅花空木(バイカウツギ)の仲間と思っていたのですが、まるっきり別のグループに属していました。バイカウツギなどのウツギは、バラ目ユキノシタ科で、タニウツギはマツムシソウ目スイカズラ科でした。ああ、あ、ここまでになると、頭が痛くなりました。面倒くさいようです。

 さて、最後の花は、む‥。名前が分かりません。教えてください。山でしょっちゅう見ているのですが、まるで見当がつきません。


 ところで、畑沢の隣村である細野では、5月から7月にかけての行事に参加者を募っていました。5月29日には大平山登山がありますので、私も参加を申し込みました。皆さんも常盤地区公民館のホームページにアクセスしてみてください。

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