-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢の石仏総まとめ(その2)

2013-12-31 12:00:00 | 歴史

 前日に続いて、畑沢の石仏等を地図にプロットしました。数が多いので書き込むのに苦労しました。

 石仏等の前にある数字は、前日の「畑沢の石仏・石碑等一覧票(北から南の順)」に掲載している番号に符合します。

 ここで注目していただきたいのは、上畑沢の延命地蔵周辺にある石仏群です。石仏だけでもまとまって状態で9体もあります。各地に散らばっていたのを集めたわけではなく、初めからここにあったようです。縄文時代の遺物もこの近くありましたので、太古からここが村人の何らかの中心的な存在だった可能性があります。

 


畑沢の石仏総まとめ(その1)

2013-12-30 17:11:10 | 歴史

 今年の4月以降にブログを始めて、これまで全く興味がなかった石仏でしたが、少しかじっただけでその面白さにはまってしまいました。畑沢の先輩方、専門家の方々、地元の高等学校等々の御指導と御協力で、素人ながらも異次元の世界を開いたように私の目を覚ますことができました。唯一つ確認できなかった観世音菩薩を除いて、私ができることは、ほぼ完了したかと思っています。

 そこで、今年の最後としまして、今日と明日のブログで表と図にまとめたいと思います。今日は一覧表を掲載します。荒町から背中炙り峠の方向の順番とします。なお、表中1と2は、畑沢村が造立したものでないようですが、古道との関係が深いと思われましたので、掲載しております。

 当時の畑沢村は、戸数がたったの50戸ですが、その個数の少なさにしては、夥しい石仏が造立されています。これらは背中炙越えの古道の盛況と、畑沢村の豊かさを物語るものだと思われます。従いまして、この状況は畑沢村に限られたものではなく、同じ古道の沿線にあった村山市の中沢村と新山村にも言えることで、石仏が多く存在しています。

 ところが、明治以降の石仏がぷっつりとなくなります。他の地域では、例えば庚申塔や馬頭観世音は大正・昭和時代にも造立されていますが、古道沿いの石仏造立がなくなったのは、古道の衰退を物語るものでしょう。人と荷物の流れが大きく変わったようです。

  畑沢の石仏・石碑等一覧表(北から南の順)

 

 上の表のうち、年号が記名されているものを年代順に並べたものが、次の表です。石碑と乳母木地蔵の改築を除けば、全てが江戸時代に造立されたものです。

   畑沢の石仏・石碑等年代順一覧表


青い角隠しのようです。

2013-12-29 10:56:03 | 近況報告

 下畑沢の熊野地蔵に登る参道に立っている鳥居に、ブルーシートによる雪囲いがしてありました。畑沢に積もる雪は、生半可な量ではありません。雪によって鳥居が損傷する恐れがあります。高齢化が進み、これまでのように鳥居を護るために雪降しをする人がいなくなっています。自動的に雪が落ちるように工夫してあります。なかなか素晴らしいアイデアです。そして形が面白いと思います。まるで花嫁の角隠しのようです。

 ところで、来年の1月16日、上畑沢で「おさえど」が行われます。 私も行ってみます。


水墨画のような雪景色

2013-12-28 10:31:33 | 近況報告

 たびたび登場させていただいている山です。畑沢と荒町の間にあります。特殊な地質による急峻な崖が東を向いています。去年の今頃も同じ場所で撮影したものを投稿したことがあります。

 私が畑沢のビューポイントにしている場所の一つですので、何回も登場します。今回は、空が曇っていましたので色彩がなく、まるで水墨画のようです。


雪の六面幢

2013-12-27 11:49:02 | 近況報告

 おとぎ話に「笠地蔵」というのがあります。雪の降る中、地蔵達が道端に立っていました。地蔵の頭上には何もかかっていなかったので、体に雪が積もっていました。そこを通りかかったお爺さんが、売れ残った笠をかぶせてやりました。それでも一体分が足りなかったので、自分が被っていた手拭いを被せてやりました。その夜、地蔵達が雪の中をお爺さんの家に恩返しに来ました。というお話です。

 このお話の地蔵達は、六体とも七体とも言われていますが、一般的には六地蔵と言うふうに六体が多いようです。畑沢の六面幢には、六体の地蔵が刻まれています。従いまして、畑沢の場合は六面幢とは言わずに「六地蔵」と呼ばれています。ただ、六地蔵と言う石仏には、一つの石仏に六体の地蔵が刻まれているものと、一体ごとに地蔵像が石仏となっているものがあります。写真の六面幢(六地蔵)は前者です。上畑沢の延命地蔵堂付近一帯にある石仏群の一つです。なお、六体の地蔵が個々に独立している六地蔵は、下畑沢の田南坊沢の奥に立っています。

 この六地蔵は、初めから笠の下に立っています。しかも、六体が背中合わせになっていて、寒さ対策十分ですから、吹雪もものともしません。江戸時代からずっと、力強く背中炙峠越えの古道を見守ってきました。

 

 ところで、このブログは来年の3月10日に閉じられるそうですので、私が投稿したものの中で、保存しておきたい方は早めにコピーなどして下さい。コピーされたものは、御自由に使われても結構です。大体、素人の記事ですので著作権などを主張する気持ちは全くございません。お付き合いいただいているだけでもありがたいと思っています。