-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

沼沢の「沼」を探してみました。(3 楯との関係)

2015-12-30 16:39:10 | 歴史

楯には沼が必要だったはず

 これまで、このタイトルと第一回目第二回目を投稿してから大分、日数が経ってしまいました。

 沼沢に「沼」があったのではないかと思うのは、伝説が残っていることを一つの理由にしましたが、そればかりではありません。「背中炙り峠の楯には沼が必要だ」と思うことがあるからです。

 背中炙り峠の楯は、南の方角から侵攻してくる上杉軍などの敵に対して、野辺沢城の南端の砦として設けられたと見られています。例えば、上杉軍が米沢方面から山形を過ぎて北上してくると、村山市林崎から峠のある東に方向を変えて進軍してきます。上杉軍にとっては、最上家の重臣である野辺沢氏をどうしても討たなければなりません。背中炙り峠の楯は、元々、この攻めてくる方向の地形は急峻で容易に登ることができませんが、さらに何重にも曲輪、切岸、堀切が作られて守りが固められています。ところが、楯を直接に攻撃しないで、一旦、東方向へ遠回りして、ゴロウという石切り場へ回っていくと、容易に野辺沢領へ入り込むことができます。不思議なことには、ゴロウ周辺だけ尾根がなくなっているからです。敵はここまで進軍してくると、その後はなだらかな沢伝いに背中炙り峠の楯や野辺沢城へ進むことができます。

そのルートは、下図の赤い矢印のとおりです。黄色は45度ほどの絶壁です。感覚的には70度か80度に感じるほどで、樹木などを掴まなければ登れません。着色していないところも、急ではありませんが斜面でする

 

 そこで、この方向からの敵の侵攻を塞ぐためには、沼沢が通りにくい場所であることが必要です。沼沢は山の斜面が川へ迫っていますので、川の周辺を塞ぐことができれば、侵攻は容易ならざるものになります。沼沢地内においては、左岸は峠がある山が千鳥川によって絶えず削られている地形です。そのため、小三郎、平三郎、一の切り二の切り、三の切などの小さな沢があるところ以外は、概して急斜面になっています。ところが、右岸はどちらかと言えば緩斜面もあります。しかし、一ケ所だけ狭隘になっている場所があります。それは、立石山の急斜面が千鳥川に接している場所です。ここへ両岸の急斜面が崩れて、又は急斜面を人為的に崩すことができれば、堰止湖(せきとめこ)が誕生します。もしも私が背中炙り峠を守る武将であったとすれば、立石山の斜面や尾根に残っている立石石(たてすいし)を谷へ崩し落とします。石は轟音を上げて千鳥川へ落ちていったはずです。また、向かい側の斜面も樹木を伐採していれば、容易に鋤や鍬で谷へ土砂を落とし込むことができます。「沼」を作ることはできるのです。人為的に沼を築堤しなくても、自然の力で沼が形成された可能性もあります。自然に形成される可能性については、後日、その考察結果を御披露いたします。

 人為的または自然形成のどちらにしても、沼沢に沼があったであろうことによって、「楯は沼沢から入れば脆い」という背中炙り峠の防御の謎は一つ解決できそうです。ところで、この沼があったであろう場所の直ぐ北側の左岸には「平三郎」という場所があります。沼が楯の防御施設の一つであったならば、平三郎は沼周辺を守る侍であったかもしれません。平三郎からは楯へも沼へも駆けつけることができます。

 


今年の根雪はかなり遅めです。

2015-12-28 20:02:05 | 近況報告

 今年はエルニーニョ現象とかで、日本は暖冬になっています。尾花沢市内もその影響で、12月下旬だというのに本格的な降雪がありませんでした。ところが昨晩からやっと根雪になる雪が降ってきました。山形から尾花沢へ向かうと、東根、村山、尾花沢と次第に積雪量が多くなってきました。それでも国道13号線は除雪車が稼働して、路面はアスファルトがしっかり出ています。

 畑沢へ行っても状況は尾花沢の町中と同じ程度です。松母(まつぼ)を抜けて堂ヶ沢(どがさ)から下畑沢を一望しました。

 中畑沢


 ところで、『沼沢の「沼」を探してみました』の第3弾は、作図に手間取って遅れておりますが、間もなく投稿できると思いますので、少々の間お待ちください。


沼沢の「沼」を探してみました。(2 伝説の復習)

2015-12-20 18:10:03 | 古里

 今回は沼沢の「沼」を調べるきっかけになった伝説について復習いたします。二年ほど前に沼沢の伝説を投稿したことがあります。尾花沢高校郷土研究部が昭和41年に発行した「尾花沢の伝説」に収録されているものです。投稿してから大分、月日が経ちましたので、あらためてその部分を掲載します。

121 大ツブ(大たにし)―(以下は原文のままです。)

沼沢地内に沼がある。その沼に昔、大きな俵のようなツブが住んでいて、そばで昼寝などしていると、その大ツブに呑みこまれてしまうほどであったそうである。

 

 短い伝説ですが、私に『沼沢に「沼」があるのではないか』と思わせた大変に重要な伝説です。畑沢で一度も沼を見たことがなかったのですが、伝説が残っているのだからどこかにきっとあるはずだと思い始めました。私は小学生時代に「沼沢方面の池」に関する経験がありました。一つは「中畑沢のある人が沼沢に池を持っていて、そこで魚を飼っている」ということを聞いたことであり、もう一つは荒町から峠の方へ行って、沢山の鮒を捕まえてきたのを目撃したことです。そのため、私の知らない沼沢の方に池があるものと思い込んでいました。そこで、この伝説に巡り合ったときには、今まで想像していた「池」と伝説の「沼」が完全に一緒になってしまいました。

 背中炙り峠(古道)を調べているうちに、二年前、古道に近い山中にうっそうした樹木に囲まれた池(沼)が見つかりました。

 

しかし、その場所は沼沢地内ではなくて、西の入沢の奥にありました。沢が異なりますので、沼沢の「沼」ではないのですが、私が勝手に「昔は西の入沢も沼沢の一部と考えられていたのではないか」などと私流の拡大解釈をしてしまいました。ところが、畑沢の先輩たちに聞いたところ、あの池(沼)は、昭和40、50年ごろに水田開発と一緒に作られたものであることを教えてもらいました。また、昔、小学生が峠の方で捕まえた鮒は、村山市内の「高来沢堤」からでした。さらに、中畑沢の人の池は、池ではなくて田んぼだったようです。これで完全に沼沢に「沼」が残っている可能性が否定されてしまいました。

 それでも伝説が残っているわけですから、その当時に沼があった可能性は残っています。伝説にある「大つぶ(大たにし)」と見間違えるような大きな石もあります。伝説は、けっして根も葉もないことではありません。


沼沢の「沼」を探してみました。

2015-12-17 19:58:57 | 古里

 昔から伝わっている畑沢の地名には、その名たる所以(ゆえん)があります。例えば、「南の沢」「北の沢」「西の沢」「東の沢」「向かい」は、荒屋敷(あらやしき あらすぎ)から見た時の方角に因んだものです。また、最近、取り上げてきた「一の切り」「二の切り」「三の切り」「小三郎」「平三郎」「又五郎」は約四百年前の楯に因んだものです。外にも興味深い地名があります。「田南坊沢」「吉六沢」「カバヤマ」「カイホウ」「郷士田」とか言った珍しい地名です。しかし、逆に地名としては全国どこにでもある一般的なものでも、興味ある地名があります。それは、「沼沢」です。そもそも「畑沢」全体が名前のとおりの「沢」ですが、さらにその中に大小の「沢」があります。そのうちの大なる「沢」が「沼沢」です。これまで畑沢の先輩方から沼沢の由来を聞いてみたのですが、何方も御存じの方はおられませんでした。しかし、「沼」に関する伝説は残されていますので、「沼沢」と言われる何かがあるはずです。そこで三年間考え続けてきましたところ、ようやく謎が分かり始めました。これから何回かにわたって、「沼沢」について考え、かつ調べた内容を御紹介します。実はかなり苦労しました。説明も上手くありませんが、しばらくお付き合いください。

 

 取敢えず沼沢の写真をと思ったのですが、沼沢をまともに撮ったものがありませんでした。少しだけ写っているので御容赦ください。この奥が沼沢です。


畑沢にはもっと石の祠がありました

2015-12-12 21:30:02 | 歴史

 過日、畑沢の最後の石の祠を発見したと投稿しましたが、さらに石の祠が見つかりました。集落全体の祠ではなくて、個人の家で祀っているものです。この家の御主人にお聞きしたら、大正時代に、先代が造立した「湯殿山」を祀った祠だそうです。大正時代は畑沢産の石材は使われていません。他の地区で切り出した石材を加工してあります。高さは50cm程度でコンパクトでした。この祠も清水畑にあります。家の守り神になっています。

 ところで、祠に彫られている「丸マーク」と「三日月マーク」は、太陽と月を表しており、それぞれ日点(にってん)と月天(がってん)と呼ぶのだそうです。そう言えば、軍配にも書かれていますね。元々はバラモン教に由来するそうで、その後に仏教にも取り込まれて日本に伝わったとのことでした。知らなかったー。

 祠が祀られている場所には、「ユキツバキ」が植えられていました。個人の家で祀られている祠の脇には、どこでもこの樹木があります。祠とユキツバキはセットのようです。祠は3m以上の積雪にも耐えられるようにがっちりと雪囲いがしてありました。

 これまで紹介した個人の家で祀っている祠は畑沢で三か所になりました。