-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

小中学校時代のビューポイントがまたもや花盛り

2014-09-23 18:08:38 | 近況報告

 ここは夏に「花がいっぱいです」で投稿しました。あれは夏の花でしたが、秋も花がいっぱい植えられていました。遠くには、美しい山が見えます。この写真は花にピントを合わせましたので、遠景の山並がボケてしまいました。

 そこで今度は山並にピントを合わせてみました。この山は、常盤小学校・常盤中学校時代に私たちの柄のモデルになってくれました。小学校では図画工作、中学校では美術の時間に野外での写生があり、しばしば、このポイントが選ばれました。今でも小学校時代に細野出身の五十嵐M君と並んで描いていたことを思い出します。五十嵐君は絵が上手でした。中学校を卒業してから全く会えません。

 さて、小学校時代、畑沢から小学校へ向かって歩きます。松母(マツボ)の林の中の坂道を下って荒町を過ぎると、やがて再び下り道になり、この山が右方向に見えてきます。いよいよ延沢に入る景色です。学校が近づいたことを示す景色でもありました。

 小学校の校歌に「大平山の水清いほとり 小魚のようにはつらつと育ち、夢と希望と…」という歌詞がありました。その中の「大平山」がこの山と思っていました。小学校の効果を謳い、「大平山」の歌詞になると、いつも、なんの疑いもなくこの景色を頭に浮かべていました。姿形が整っていて、山肌にも変化があり、如何にも「山」らしい雰囲気を持っていました。特に3月のの景色は見事でした。山の端を立木が黒く縁取ります。くっきりと聳えていました。

 大平山(畑沢で言う「ホウズヤマ 寶沢山」)は常盤地区で最も高い山です。小学校のシンボルとして校歌に入れたようです。しかし、この山は大平山ではありませんでした。国土地理院の地図で探したところ、「御堂森」という山のようです。本当の大平山はこの山よりもずっと右側、即ち西側に位置していて、はっきりと御堂森とは違います。

 私はこのように小学校の校歌さえも、いい加減に歌っていたようです。ましてや歌謡曲なぞは、でたらめもいい所です。勝手に作曲と作詞をやってしまいます。

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秋晴れで稲刈り

2014-09-19 07:39:58 | 近況報告

 昨日、畑沢へ稲刈りの手伝いをしてきました。稲刈りと言っても稲を刈る主体は、コンバインです。人が鎌で刈るのは、コンバインが入る入口やコンバインが方向を変えるコーナーだけです。それでも、天気が良くて、それなりに暑い中での作業でした。畑沢では、まだ本格的な稲刈りの時期にはなっていません。稲を刈っているのは、早稲種です。

 稲刈りの時期に多い「イナゴ」は、ほとんど見当たりませんでした。不思議なこともあるようです。その代わりと言ってはなんですが、農道に珍しくも恐い物がありました。

 汚い物で申し訳ありせん。動物の「糞(ふん)」です。色を見ると、時間が経っています。カモシカの糞は、山羊と同じようにポロポロと大きな粒になっています。ノウサギも同様です。すると、これは熊の糞である可能性があります。山中で何回か熊の糞を見たことがありますが、こんなに人の気配がする場所にも熊が出没することには、驚きです。

 

 ところで、訃報をお伝えします。つい、先日、畑沢の区長さんがお亡くなりになりました。まだ70代になって数年の方です。優しい静かな畑沢の先輩でした。面倒見がよくて、そっと人の世話をなさっていました。決して、自分の手柄を自慢するようなことはしません。逆に人への感謝を忘れない方でした。まだ十代のころは、常盤地区対抗の駅伝大会で選手になっていたことが思い出されます。まだまだ、私も教えていただきたいと思っていたのですが、残念です。葬儀は、23日の午後2時からです。

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「とつぽ」がいっぱい

2014-09-18 18:23:16 | 近況報告

 「とつぽ」とは何ぞやとお思いになっている方もおられるでしょう。栃の実のことを畑沢語でそう呼んでいます。正確には、常盤地区全体で「とつぽ」と呼んでいます。「とつぽ」は、この時期にはいろんなところに沢山落ちています。特に覚えているのは、常盤中学校の脇にあった栃の木です。授業が終わると、一目散に拾いに行きました。拾った「とつぽ」の上に釘で少しずつ小さな穴を開けます。表面は小さな穴ですが、実の中身の方は広いガランドウになるよう実を釘でほじくり出します。大変、根気のいる作業で、宿題よりも大事な仕事です。宿題はしなくても翌日に廊下に立っているだけです。しかし、「とつぽ」をほじくらなければ、由緒正しきガキにはなれません。ただ夢中になってほじくりました。作業が終了しますと、笛の完成です。とっくに宿題をする時間帯ではありません。覚悟はできています。さて、完成品「笛」は、翌日のまる一日は時々思い出した時に鳴らします。でも、二日目は完全に笛の存在を忘れています。たった一日の遊び道具です。

 上の写真は9月14日に背炙り峠を越えて山形へ向かっている時に、撮影しました。以前、投稿した8月27日にも、「とつぽ」は落ちていましたが、極、少数でした。今は道巾いっぱいになっています。その場で佇んでいると、「ぽとっ」「ぼとっ」と数秒間隔で絶え間なく落ちてきます。

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楢枯れだけではありません。栗も枯れて

2014-09-16 09:04:53 | 近況報告

 楢枯れ(ならがれ)と言われてから、山形県内でも5年以上は経ちました。畑沢でも、少し遅れて楢の木が枯れました。ところが、枯れるのは、「楢」だけではありません。「栗」の木も枯れました。

下の写真は、近くで栗の木を見たものです。この木はまだ完全には枯れていませんが、枯れかかっています。

 栗の木も、楢の木と同様にブナ科の植物です。きっと中身も似ているところがあるのでしょう。しかし、大きく違うところがあります。樹木の質です。楢の木は良質の木炭になりますが、栗の木は木炭には適しません。どちらの木も堅い点では共通していますが、材木の科学的成分に大きな違いがあります。栗の木が腐りにくいのは、その成分があるからだそうです。それで、楢枯れが始まっても、栗の木だけは問題ないだろうと思っていたのですが、そうではありませんでした。何とか虫や何とか菌は、栗の成分にも勝てるようです。

 ブナ科の橅(ブナ)は、まだ枯れている話を聞いたことがありません。もしも、ブナ林が枯れてしまったら、それこそ一大事です。虫様、菌様どうか橅だけは、お許しください。

 去年、背中炙り峠(古道の峠)に行った時に、周りの栗の木が枯れていたり弱っているのを見ました。今、考えると楢枯れだったのでしょう。証拠写真を下に掲載します。

 楢枯れは今に始まった訳ではなくて、昔から周期的に発生しているらしいのですが、原因はあるはずです。専門家は明確な説明をされていませんが、スビタレは最近の事象から次のように仮説を立てました。

 最近、生じている事象から説明します。先ず一つは、啄木鳥(きつつき)、夜鷹(よたか)など害虫を食べる野鳥を見かけなくなりました。以前は、森に入ると「ココココココ…」と啄木鳥が木をつつく音がしましたが、最近はどこへ行っても聞いたことがありません。本来、啄木鳥はそんなに珍しい野鳥ではなく、町の中の公園で木をつついていることもありました。それがぱったりとなくなりました。それから、夕方から「キョ、キヨ、キョ」と鳴く夜鷹の声も聞かなくなりました。啄木鳥は、樹木の中の青虫を食べます。夜鷹は飛んでいる羽虫を食べます。私は鳥についても、あまり知らないのですが、もっと多くの種類の鳥が害虫の減少に役だっとているはずです。それらが減少すれば、害虫も増えます。最近、様々な青虫、毛虫がちっぽけな私の庭木の葉を食い荒らしています。今年は、マイマイガが異常繁殖して、街灯が灯る電柱を埋め尽くしていました。そして、電柱には夥しい卵で汚されました。でも、それを食べる天敵が出てきません。どこかで自然環境の歯車が狂っている感じです。

 次に天敵が減少している理由は、いたって簡単に考えられます。何らかの農薬などによって、天敵が減少している可能性があります。一昨年はミツバチなどの蜂類が極端に減少していました。その原因は、ある農薬だと言われています。それと同じ農薬か又は違う農薬によって、蜂以外の生き物が減少しているのではないでしょうか。でも、私には調べる機会も金もありません。専門家という方々は、それができるのですから、頑張って解明し対策を立ててください。それとも、このことは、米国からの農産物や農薬輸入との関わりがあるので、秘密なのでしょうか。これは勘繰りすぎですか。

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畑沢の農産物が多様化してきました。それって生物の多様化かい

2014-09-14 10:12:29 | 近況報告

 生物の多様化などと言うものではありません。覚えたての言葉を使おうとしますが、全くの見当はずれです。新しい言葉が出てくると、猫も杓子も新しい言葉を使いたがります。当然、私もその「猫」か「杓子」の類(たぐい)です。

 さて昔、「百姓」という言葉の裏には、「天候次第で作柄がどうなるか分からないので、安全のために百種類の作物を作る」という意味が含まれていると親から聞いたことがあります。ブログを始めてみると、江戸時代等において天候で苦しめられた村民の姿が見えてきました。確かに当時の天候が安定しないので、いろんな手立てを打つ必要があったようです。その後、安定期に入ると、稲作一辺倒に変わりました。私たちが生まれたのは、その時代になってからです。

 そして、また時代が変わりました。稲作を重視した農政だったのが、稲から離れる農政になりました。その簡単な方法が休耕田にする方法でした。休耕田がそのまま「耕作放棄地」につながる所が多く見られます。一方、他の作物にチャレンジする農家も見られます。先日、投稿したソバもその一つです。そして今年は別の作物がお目見えしました。「大豆」です。写真の手前の濃い緑が大豆畑です。耕作できなくなった水田を借りて、大規模に経営している方が作っています。この時期に黄金色でない「色」が見えるのは、まだ慣れないので違和感を覚えますが、アメリカの遺伝子操作の大豆に負けないでもらいたいと思います。是非とも成功してもらいたいところです。

 ところで、私は「大豆」と聞くと、枝豆よりも納豆を連想します。やはり昔の話になりますが、納豆はそれぞれの家庭で作りました。特に冬になって行火(あんか)や炬燵(こたつ)が使われる時期になってから作られていたような気がします。夜に大豆を鍋で煮て、それを藁を束ねて作った「つと」又は「つっと」に入れます。煮豆入りの何本もの「つっと」を麻袋に入れて、行火の脇に置いて一晩越すと納豆の出来上がりです。行火には人が布団で寝ていますから、朝方になるとぷーんと納豆の匂いがしてきます。そこで、朝食に納豆が出てきます。

 とまあ、如何にも美味しそうですが、正直なところ、納豆の出来はあまりというか、まあ上手くはできないものでした。お店から買ってくる納豆は、どの豆も納豆になっていますが、自家製納豆は豆粒によってかなりの出来が違います。まだまだ納豆とは言えないものが多数混じっています。

 そんな自家製納豆ですが、今は懐かしい思い出です。自家製納豆には、「囲炉裏」「炬燵」「行火」そして今は亡き両親の思い出が重なります。

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