-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

イナゴに何があったのでしょうか。

2016-09-26 20:02:04 | 自然

 稲刈りをしていて、気になったことがあります。イナゴがいないのです。小中学校時代は、イナゴを捕まえて児童会や生徒会の財源としたり、また地域の子ども会の財源ともしました。当時、稲刈りの時期にはイナゴがびょんぴょんと跳ね回っていましたので、イナゴに気を取られると稲刈りの手がお留守になるほどでした。

 ところが、去年も今年もイナゴが見当たりません。一匹だけやっと見つけて撮影しました。ピンボケですが、大変に貴重な一枚になりました。どこかのニュースで「ある種の農薬が昆虫の生息を危うくしている」と放送していました。そう言えば、蜂も少なくなったような気がします。お陰で蜂に刺される回数が格段に減少し、今年はたったの一回刺されただけです。蜂が減った代わりに、肉食性の蜂の餌となる青虫が、畑や庭木に蔓延(はびこ)っています。自然が何か変です。

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サワガニ(沢蟹)さんに会えました。

2016-09-24 20:48:29 | 自然

 なんと、うれしいことでしょう。既に絶滅してしまったと思っていた畑沢のサワガニが、半世紀ぶりに姿を見せました。畑沢には周囲から流れてくる小さな沢が沢山ありますので、サワガニが豊富でした。一部の人は食べていたという話もありますが、私にとってはただ単に遊び相手でした。道具もいらず、小さい鋏は怖くもありませんので、簡単に捕まえることができました。捕まえた蟹をしばらくの間、たらいに入れて置きましたが、何日か経つと飽きてしまいます。蟹も弱ってきますので、沢に戻します。何度も同じことを繰り返しました。昭和60年代になると、農薬使用量が格段に多くなりました。次第にサワガニの姿が見えなくなり、全く見えない状態が続いていました。それが、今回、この様に復活してきていることはうれしい限りです。

 同じ場所にサンショウウオの幼体が歩いていました。サンショウウオの他の個体はどれも黒一色なのですが、この個体は様子が変です。尻尾が切れていましたので、そのことによる体色変化でしょうか。

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えー、背炙峠はどうなっているのでしょう

2016-09-23 20:20:31 | 近況報告

 早生種の稲刈りのために、9月22日に畑沢へ行きました。山形県のホームページを見て、背炙峠が9月16日には通れると思っていたので、畑沢へ出かける前に一応、背炙峠を通れることを確認する電話をしたところ、何と、「まだ通れないようだ。10月28日まで通れないと看板にあった」とのことでした。しかたなく、尾花沢を通って畑沢へ入る手前の松母橋にさしかかると、橋の脇に看板が立っていました。電話のとおりでした。看板には誰が立てたかの名前がありません。重大なことを知らせる大事な看板ですから、通常、責任者である管理者の名前があるのですが、珍しいこともあるものです。前回は建設会社の名前で看板が立っていました。最近はこういうことが流行っているというのか、又はあえて管理者等が分からないようにしてあるのでしょうか。名前がない看板の信憑性も疑わしいので、山形県のホームページで調べたところ、備考欄に「5月20日午前9時に冬期閉鎖を解除。同時以降、道路工事による通行規制に切替する。通行規制の期間末日9月15日を10月28日に変更(延期)する」と記してありました。やはり、事実でした。

 いつものように吠えたくなりました。これでは、28年度は全く通れないと同じことです。私が去年、背中炙り峠の楯を調査している時に、峠道の村山市側で測量をしているらしき数人の姿を見ました。測量をしてる場所は何ら破損しているようにも見えなかったのですが、今年の工事はその場所なんでしょうか。もしも、その場所だとしたら一年間も封鎖までして交通の利便性を台無しにする理由がないような気がします。一年も封鎖するなら必要性が乏しい道路ということになります。それならば、一年もかけて行う大工事は必要ありません。私の言っていることに矛盾があるように思えるかもしれませんが、そのとおりです。一年間の道路封鎖というのが、どうしても矛盾を伴ってしまうのです。やはり、何か別の理由がありそうです。

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8月22日の台風10号による畑沢の被害

2016-09-11 18:15:13 | 近況報告

  今年は、台風が三つも北日本に大きな被害を与えました。中でも、北海道と岩手県では犠牲者が出るほどの惨状でした。しかし、台風がもたらした雨は、北海道と岩手県だけでなく、その他の県にも大量に降り注ぎ被害を与えました。それでは、畑沢はどうだったのでしょうか。8月23日のブログで県道に山の斜面から土砂が崩れてきて通行不能になったことをお伝えしました。9月10日に畑沢に行ったときに、現場を見てきました。写真でお分かりのように、道路の左上から地滑りを起こして、道路とさらに下の法面に流れ落ちた跡が残っていました。地表から約1mぐらいの深さで表面がずり落ちていました。この場所は昔から弱い地盤だったと思われ、私がこどものころには石垣の擁壁がありました。江戸時代には、ここには街道がなく別のルートを通っていましたが、恐らく明治の半ばにここに新たな県道を切り開いた時に山の斜面を削りすぎて、崩れやすくなってしまったものと思われます。しかし、私が知っている限りでは、これまでこれほどもの崩れ方をしたことはありませんでした。如何に今回の降水量が多かったかです。


 県道から見えない沢の一部でも地滑りを起こしていました。中畑沢の屏沢です。やはり地表に近い所が下にずり落ちていました。この斜面は大分前に雑木林一面すべてを伐採した場所です。「皆伐」という伐採の仕方です。皆伐をしても、15年ぐらいは地中の根が頑張ってくれるのですが、やがて根は腐って地面を支える力がなくなるそうです。残念ながら、ものの見事にそのことを証明されてしまいました。畑沢ではかなり多くの場所で皆伐が行われていますので、これから年数が経った時にどのようなことになるかが心配です。皆伐は絶対にしてはならないのですが、近年、自然保護への関心が全くなくなり、誰も皆伐などの破壊行為を問題視しなくなっています。林業を監視する行政機関も全く関心を示していないだけでなく、森林に対する行政の不作為は続いています。元々、日本の林学には、大局的な視野を欠いているようにさえ見えます。例えば、「黒い森(scwarzwalt)」で有名なドイツでは、国家による森林管理が徹底していて、森林を保護し大事に育てているのですが。

 その崩れ落ちた土砂が下の写真です。写真の左から右へ落ちてきました。落ちてきた土砂には、しっかりと樹木が立ったままです。伐採されずに一部に樹木が残っている周辺は、樹木の根ががっちりと土砂を掴んでいるので、樹木と一緒に固まって土砂がずり落ちています。しかし、所詮、一本の木の根では、地面を抑える力はたかが知れています。周囲から切り離されて下に落ちてしまったようです。写真では緑がいっぱいのように見えますが、山の斜面を縦横無尽に覆っている「葛(くず)」という植物です。つる性の植物で、ただ単に細い蔓が伸びているだけで、地面を抑える力がないばかりか、地面を抑える働きのある樹木の生長を阻害しています。


 山だけでなく、田んぼでも被害がありました。ここは昔ながらの地形ではありません。耕作しやすいように、田形を変えた場所です。以前にも、この直ぐ脇が崩れました。まだ、しっかりと固まっていないようです。雨で地下水がいっぱいになって、地面が滑ったようです。

 地滑り以外の形で被害をもたらした場所もあります。写真右に土嚢が積んであるところは、沢水が流れている水路です。この台風の大雨で、一気に山から水路に流れ込んで、大量の水が木の枝や川の石とともに流れ落ち、カーブの所でつっかえて水路から土砂もろともに田んぼに溢れ出ました。この水路の上流にある山も、大分前に皆伐されました。皆伐された直後から水路に流されて来る土砂が多くなっていましたが、去年あたりから少し落ち着いたように見えただけに、今回の暴れかたには驚きました。やはり、皆伐の傷跡が残っていて、山はまだ回復していなかったのです。


 畑沢から尾花沢へ向かって松母の入り口に差し掛かった時に、蕎麦の花が咲いていました。私は何でも好きなのですが、蕎麦も好きなので、写真を撮りました。一見、のどかな風景ですが、遠くの山に白っぽく爪痕(つめあと)のようなものが見えました。

 爪痕のようになものを望遠で写してみました。これも、地滑りなどで山肌が削られたものでした。その周囲を見ますと、皆伐した跡があります。いたる所が皆伐されていて、爪痕もあちこちに見られます。自宅へ戻ってから、畑沢からの方角をもとに、この場所を調べました。畑沢のほぼ真北にあたり、車段と袖原の境にある山の向こうにあります。丁度、丹生地区の北の山並みと思われました。これほどの爪痕ならば、川にかなりの土砂が流れ込んだでしょう。さあ、治山ダムを造ろうと林業行政家は活気づいているかもしれません。このようなことにならないように保安林を指定したり、伐採計画を作成するにあたっては、十分な配慮を尽くすべきものだったはずです。専門家とはそのようなことを考えられる人たちであるべきです。

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畑沢の隣村 荒町は9月11日が祭です。

2016-09-10 18:27:51 | 近況報告

 長女の結婚式と引っ越しの準備のために畑沢へ行けず、8月22日から約20日ぶりに畑沢へ行ってきました。まだ背炙峠を通ることができませんでしたので、尾花沢を回って古殿、延沢を過ぎて荒町に入ったところ、県道の脇に「八幡神社」という幟が立っていました。そういえば、荒町のお祭りは秋だったような気がしました。最近は9月になっても、まだまだ夏のように暑い日が続きますが、9月と言えば昔は立派な秋でした。常盤小学校から畑沢へ帰る道で、無邪気で可愛い小学生は、当然、祭の露店を眺めていきます。道草しない畑沢の小学生は見たことがありません。長い約4㎞の道をただ真っすぐに歩いて帰る馬鹿ではありません。登校は別としても、下校は大事な社会勉強です。祭は、村の行事を勉強するものではありません。露天商の方々とそこに並んでいるおもちゃとお菓子をくまなく調べていきました。だから、こんなに立派な大人になったのでしょうか。ははは。

 八幡神社は上の写真の奥に入っていき、行き止まりを左に曲がって山へ登ります。周囲に誰もおらずお話を聞くこともできませんでしたので、神社の近くに行けば誰かと会えるかなと思い、行ってみました。それでも誰もいませんでしたが、石段の奥に人影が見えました。近づくにつれてその人が神主さんであることが分かりました。間近になると、いつも畑沢のお祭りに来ていただいている神主さんでした。神主さんは私の顔を覚えていて下さっていました。ありがたいことです。神主さんのお話では、祭は明日(9月11日)で10日は前夜祭をするそうです。石段の両脇にある石灯籠には、電球を設置していて、電線が張り巡らされていました。随分と豪華なお祭りのようです。ただ単に露店だけしか見ていなかった私には、絶対、分からないことです。

 ところで、荒町のお祭りでは、天狗の面を着けた人が通りを闊歩していました。今でもその行事が行われているはずです。

 さらに全く別のお話を追加します。

 9月16日から背炙峠が通れるようになるようです。随分と長い通行止めでした。去年の秋に冬季の通行止めとなってから、約10か月間になるのでしょうかね。そんなにまでしての工事とは思えないのですが、私には分かりません。難しすぎます。難しい行政の世界には、いろいろと何かあるのでしょうかね。首長や議員さんが変わると、いろいろと分からないことが起きます。

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