-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

古道のルート解明がまた一歩進みました

2015-04-29 19:20:55 | 歴史

 背中炙り峠付近の古道については、ほぼ解明し、さらに畑沢の集落内の古道(江戸時代の道)について解明を進めていることを3月に投稿しました。

 江戸時代の古道は、延沢から荒町を抜けて、松母の南の堂ヶ沢に入ると背中炙り峠に向う街道です。堂ヶ沢は沢の東の山裾にあり、荒屋敷まで同じ東側の山裾を通って峠に向います。ところが、畑沢地区生涯学習推進センター(旧畑沢分校)がある南の沢の入口から上畑沢へ向かう古道は、沢の西側の山裾を通ります。つまり、東にある荒屋敷から西にある南の沢入口に沢を横断することになります。その横断するルートは、これまでは解明できませんでした。水田の改良工事とスーパー農道建設工事がありましたので、もう解明することは不可能と最初から諦めていました。

 ところが、過日、大戸H先輩と話していたところ、思わぬことを教えてもらいました。子どもの頃には、県道を通らないで荒屋敷へ行ける近道があったと言うのです。それが今でもあるかもしれないとのことでした。また、その出発点にあたる場所には、馬頭観音らしき石が埋まっているそうです。それではと確認を始めると、直ぐに南の沢入口の県道の上からそれらしきものを見ることができました。私が想像していたルートとは全く異なります。そして、蛇行しているものの、荒屋敷へほぼ真っ直ぐに伸びています。

 実際にその場所を歩いてみました。最初は幅が狭かったのですが、往時の古道らしく約七尺(2m)の道幅になっている所も見られます。幅が狭くなっている所は、長年の耕作で削られたものと思われます。削られることはよくあることです。

 さらに進んでも約七尺の道幅です。

 荒屋敷に近づくと、千鳥川の堤防と一緒になりました。河川工事の時に古道も巻き込まれてしまったようです。このあたりは古道と断定するのは困難です。しかし、荒屋敷から渡ってくる橋がこのどこかにあったことと思います。橋は旅人が通る街道の橋であり、「向かい」地区へ渡る橋でもあります。

 これを図にしてみました。新しく分かったルートは、今でも田の形に残っています。gooの地図又はGoogleの航空写真でもはっきりと見ることができます。法務局で登記簿を調べれば、所有状態から古道と判断することができるかもしれません。

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畑沢のブナ(橅)林

2015-04-27 10:14:03 | 自然

 潜在的自然植生という植物を調べている方々の間で使われている学術用語があります。現在、私たちが見ている里山の自然は、「自然」とは言っても人の手が繰り返し入っています。特に、石油が多用される前には、薪や木炭を作るために何度も伐採されました。また、建築材等を育てるために杉などが植林されたものです。それでは、人の手が全く入らないで正に自然のままであったならば、どんな植生になっていたでしょうか。それが潜在的自然植生というものです。

 畑沢の潜在的自然植生は、どんなものでしょう。畑沢の集落や耕作地がある所は、標高約170~250mで、最も標高が高い大平山でも標高813.5mです。一見、大きな標高差があるようにも見えますが、標高が2千も3千もある所から見れば、大したことはなくて一緒です。標高170mと800mでは、積雪量や気温に多少の差がありますが、基本的な植生への違いはないようです。一昨年に大平山に登った時には、麓から山頂まではずっと同じ植生でした。潜在的な自然植生については、私たちが実際に見ることができません。実際に見ることができないので、「潜在的」なる言葉があります。そこは、その道の専門家が結論を出しています。基本的には、人の手が入らないで、自然のままにしていたら、畑沢はブナの森になっていたのです。縄文時代に畑沢に人が住んでいたころは、まだブナ林が広がっていたのでしょう。

 潜在的自然植生と言わないまでも、今でもブナ林が畑沢でも見られます。ブナは地中深く根を張り、早春にどの木よりも早く芽から葉を広げます。山を見て、いち早く爽やかな新緑が見えるのがブナです。それを見れば、どこにブナがあるかが分かります。

 正面の山は、熊野神社が(おぐまん様)がある所です。上の方に新緑が見えます。ブナ林が広がっています。

 

 上畑沢の集落を南側から撮影したものです。集落の北西にブナ林です。

 

 大平山の北西斜面で、寶澤(ほうざ)山と言っている所です。中腹から山頂までが全てブナ林です。ここは畑沢の簡易水道の水源地になっています。ブナ林は、地下水を大量に蓄えて「緑のダム」と言われています。だから畑沢の水道は美味いのです。

 勿論、今回紹介した所以外にも、いろんな所にぽつりぽつりとブナが生えています。しかも大木もあります。どうですか、探してみませんか。


 ところで、近況報告です。かねてお知らせしていました「常盤中学校閉校記念誌」が配布されました。第一回目からの卒業写真と名簿が掲載されていました。当然ながらスビタレらしい姿もありました。

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気温上昇は畑沢の動物たちをも急がさせた

2015-04-26 10:24:30 | 自然

 気温の急な上昇は、植物だけでなく、動物へも影響を与えて、動物の行動を騒がしいものにしました。昨日の植物編に続いて今回は動物編です。

 4月24日、荒町を抜けて松母に入り、いよいよ畑沢の風景が広がった時に、真っ青な空を東から西に横切る鳥が見えました。鳥の種類は直ぐに分かりました。最近、畑沢でよく見かける隼(ハヤブサ)でした。隼は畑沢祭があった4月15日にも目撃し、その時は嘴に蛙がくわえられていました。この日の隼が15日の隼と同一個体であったかどうかは分かりませんが。畑沢を縄張りにしている同一の番(つがい)の一匹であろうと思います。

 隼は実に分かりやすいシルエットを持っています。猛禽類の鷹・鷲とは、主翼の先端で容易に区別できます。鷹・鷲のそれは、何本もの風切羽根が手を拡げたよう広がっていますが、隼の主翼の先端はツバメのように、鋭く尖っています。高速飛翔する鳥の特徴のようです。

 ところで、この写真を御覧になって、一言も二言もケチを付けたい方がおられるでしょう。上手に撮られていません。ちゃんとした撮影をする方は、きちんと準備をしたうえで、かつカメラもそれなりにいい一眼レフをお持ちです。スビタレは、「行き当たりばったり」で安いデジカメで適当に撮ります。この写真だけでは、隼であることは判断できないでしょうが、写真では見えないスビタレの目が確認しましたので、御安心下さい。

 

 いきなり、畑沢の南端に話が飛びます。背中炙り峠に向かう入口、坂下です。古道の上に作られた農道には、まだ雪が残っていました。雪は盛んに融けて雪解け水が道の轍に二本の線を引いて流れ下ります。その水を水路に導こうとして、シャベルを水路に突っ込んだところ、勢いよく蛙が飛び出しました。体長(吻端から後足の付け根まで)が10cmほどもあります。蛙としては大きい方です。この蛙、見覚えがあります。中畑沢の屏沢に流れている小川で見たものです。名前は「ヤマアカガエル」です。大きな鼓膜、赤みを帯びた体色はアカガエル属の特徴です。などと知ったような言い方になりましたが、お許しください。覚えの悪い小生でも、少しは覚えたものもあるのです。特にこの蛙は覚え易い蛙です。同じアカガエルの仲間のトノサマガエルとは、簡単に区別できますし、他に鼓膜が大きい蛙は、畑沢ではこの蛙ぐらいなものです。

 

 さらに背中炙り峠に向う古道を歩いていると、静寂な春の日差しの中で、「ガサガサ」と枯れた草むらの中から音がしました。見ると、トカゲの様な生き物が小さな坂を転げ落ちてきました。「なんだ、餌でも採っているのか」と思っていたのですが、よく見ると一匹のお腹に別の一匹が噛みついていました。何と、こいつは共食いをしようとしているのか。実に「畜生道に生きている野蛮な奴よ」と軽蔑の思いが湧いたのですが、帰ってから調べるとそういうことではありませんでした。

 トカゲのような生き物の種類はニホンカナヘビでした。一度、私が中畑沢で撮影したものを投稿したことがあります。もっと分かりやすく申し上げますと、「カナチョロ」です。今は繁殖時期、お腹が大きくて噛みつかれているのは雌、噛みついているのは雄だそうです。これがカナチョロの求愛行動だそうです。乱暴です。世界は広いものです。こんなこともあるのですね。

 

 次に登場するのは、動物そのものではありません。糞(ふん)です。この写真を見ただけで畑沢の人達には、説明が不要のはずです。そうです。ノウサギの糞です。そんなものをどうして登場させたかと申しますと、嬉しかったからです。周囲には沢山ありました。沢山のノウサギが生きているのです。最近、畑沢ではノウサギの痕跡を見つけることが稀有になりました。しかし、此処には沢山いるようです。

 

 山の斜面を中ほどまでに登ると、眼下に大きな池が見えます。人工的な池ですが、人が訪れることもなくなったのです。水鳥の楽園になっているようです。秋にはマガモが何百羽も羽を休めていました。春にはカルガモが唯一のカモ類としてこの池にいるのかなと思っていましたが、カルガモではない別のカモ類がいました。「コガモ」です。初めて知りました。最近は頓(とみ)に物騒になってきた日本に見切りを付けて、早くシベリアへ帰った方が良いのにと思ったのですが、この鴨は渡りをしないで、日本に四季を通じて暮らしています。そう言えば、シベリアがある魯国も大統領が物騒なことをやらかしています。どこも住みにくくなっいます。

 さて、このコガモはきっとこの池で繁殖しているのでしょう。上の写真が雌で、下の写真は雄です。カナチョロのように噛みついたりしないでしょうね。


 

 最後に畑沢に棲む大型哺乳類の登場です。カモシカです。正確には足跡だけです。しかし、この足跡を撮影する一時間以内にはここを通った証拠です。古道を登っている時にはこの足跡がなく、同じところを下ってきたら付いていました。

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気温上昇でいっきに開花

2015-04-25 08:29:41 | 自然

 このところの好天気で気温が上昇しました。特に4月24日(金)は、尾花沢市が24度近くまでになりました。普通の年ならもう少し後に咲く花も、既に開花していました。

 

 上畑沢の延命地蔵堂の土手には、水仙が全開です。

 背中炙り峠(古道)への入口には、キクザキイチゲがお花畑を作っています。昨年と同じようなアングルですが、実は微妙に異なります。

 

 上の写真と同じ場所に、初めて見る小さな花が咲いていました。葉はいつも見ているような気がしますが、普段、気に留めないほどにポヒュラ―なので、調べる気も起きませんでしたか、こんなに個性的な花が咲くのなら、もっと関心を持つべきでした。いつの日にか、分かる時がやってくるでしょう。気長に待ちます。

 

 いよいよ、背中炙り峠に登りました。早くも山桜が咲いていました。山桜にも多くの種類があるのだそうですが、正直言って私には面倒ですので、漢字で「山桜」です。

 

 峠から村山市側に下って行くと、弘法清水があります。そこに覚えたばかりのキブシの花がありました。実(み)の姿は既に覚えましたが、花は初めてです。当然のことですが、花も下にぶら下がっています。

 

 キブシと同じところに、アブラチャンが咲いていました。アブラチャンの幹はカンジキに利用されます。それだけの樹木かと思っていましたが、花も小さいながらも精いっぱいに目立っています。庭に植えている方の気持ちもよく分かります。

 

 背中炙り峠に戻ると、午後5時近くになり太陽光線が横から当たりました。いつものカタクリも、ちょっとエキゾチックな花の雰囲気になりました。

 

 峠を離れようとしたときに、ショウジョウバカマが

「私を忘れちゃ、畑沢出身者と言えないよ」と下から叱りました。そうです、畑沢の早春にはカタクリ、キクザキイチゲにショウジョウバカマが主役です。

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花穂がだらり

2015-04-20 20:57:27 | 自然

 畑沢の樹木の花は、マンサクから始まって咲き出し、その次がこの花のようです。ぶらりと垂れ下がって咲く樹木の花では、栗やキブシを思い浮かべますが、それよりももっと早く咲く花がありました。それがこのハンノキです。畑沢には多くないようですが、熊野神社(おぐまん様)への登り口に一本だけ生えていました。栗の木の花の場合は、穂の途中から垂れ下がった形ですが、ハンノキの穂は最初から下を向いて鉛直に垂れ下がります。


 ハンノキだけでは寂しいので、美味しそうなフキノトウも御一緒させていただきます。田んぼの畦道に沢山、顔を出していました。

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