昭和2年に青井法善氏が「郷土史之研究」を著し、その31年後の昭和33年には有路慶次郎氏が「畑沢之記録」を著しました。前者は戦前であり後者は戦後ですので政治体制は大きく変わり、農地解放後の集落内での人間関係は大きくっていますが、一見した風景には大きな変化はなかったものと思われます。どちらの時代でも交通は徒歩が主体でしたので、自動車が通れない山道も重要な「道」で、私が子供時代を過ごした昭和30年代の畑沢からの道は、県道だけでなく隣の集落へはしばしば山道を使いました。昭和40年代に入って自動車が頻繁に使われるようになると、その山道もまったく見向きもされなくなり、山道についての様々なことを学習する前に忘れ去られてしまいました。
ところが、「畑沢之記録」を眺めていたら、畑沢周辺の概略図が書かれており、山道の峠の名前などがありました。背中炙り峠以外はどれも初めて見る名前です。そこで、今回は取り上げます。できれば国土地理院の地図をそのまま使いたいのですが、著作権などがありますので、国土地理院の地図をベースにしてExcelで作り直しました。出来栄えには自分でも不満を持っていますが、ベストを尽くしました。
畑沢から細野地区への山道は、3ルートがあります。
① 最も北のコース
畑沢の岡田沢から細野の峰岸へ行きます。明治時代に、畑沢の小学生は細野の小学校へここから通学していたようです。ただし、小学校へたどり着く前に朧気川を渡らなければなりません。
② 真ん中のコース
畑沢の荒屋敷から東の沢に入り、峠を越えてから沢を下って細野の巾地区に到達します。3ルートのうち最も多く使われたかもしれません。上図の「鳥夜森(とやもり)」は、ここの峠の名前かもしれません。4月15日の畑沢祭で聞いてきます。平成年間にこの近くにスーパー農道が作られました。
③ 最も南のコース
畑沢の清水畑のさらに南の沼沢の入り口から、細野の巾地区南側に出るコースです。長い山道ですので、畑沢と細野の集落間をつなぐ道というよりも、細野地区から背中炙り峠へ向かう途中の道のように見えます。ここには、はっきりと「長根峠(ながねとうげ)」の文字が見えます。「長根山」などのように、「長根」は畑沢以外にもよく見られる地名です。果たして「長根」にはどんな意味があるのでしょう。私は忖度はできませんが、単純な想像を得意としています。長根はそのまま、「長い尾根」と想像しました。というのは、大平山は北の屏沢に向かって尾根を長く伸ばしています。その途中の鞍部(「あんぶ」馬の鞍のようにへこんでいる。)を山道が横切っています。きっと、これでしょう。とすると、尾花沢の「長根山」の語源もそうでしょうか。うー、それは責任持てません。
畑沢から西側の五十沢地区への山道が1ルートだけ示されていました。畑沢地区生学習推進センターがある「南の沢」を西側に奥へ入り、比クニ峠(びくにとうげ)を越えて上五十沢の沢を下ります。五十沢へのルートは他にもりました。下畑沢の田南坊(たらぼ)沢の奥からと、寺田沢の奥からのコースです。どのルートも上五十沢地区に出ます。五十沢への道は、背中炙り峠や背炙り峠と比べて標高が低いので、小さい子どもにはこちらが向いていたようです。まだ学齢に達しないころ、母の実家がある東根に向かうときに、雪解け間もない山道を歩いた記憶があります。
ところで、「比クニ」の語源を考えてみます。仏教用語では、「びくに(比丘尼)」は女性の仏教信者のことです。ちなみに男の仏教信者は「びく(比丘)」のようです。そんなことをネットで拾って知ったかぶりのように披露しても、何にも解決しません。やはり私の「当てずっぽう」と言いますか「いいかげん」でも大胆な想像をしてみます。昔々、楯岡方面へ行く道は、背中炙り峠を通って中沢地区抜けるルートと五十沢へ抜けるルートがありました。背中炙り峠は標高が高いし楯があるなどして怖いので、比丘尼はより安心して越えられる五十沢方面のルートを通るようになりました。そこで五十沢へのルートの峠は比丘尼峠とむ呼ぶようになりました。とまあ、強引な想像でした。根拠はいつもどおり全くありません。
五十沢からはさらに山を越えて土生田に出ます。
背中炙り峠については、大分、前に投降したブログをお探しください。
畑沢に直接関係する山道ではありませんが、細野地区から三日町(延沢)への山道についても「畑沢之記録」にありました。「江戸坂」という文字がありました。峠の名前なのか坂道のことなのかは分かりません。これも4月15日が楽しみです。私も細野地区に親戚が一軒ありましたので、細野祭りの日に小学校を早退して、三日町から細野地区へこの道を通って行ったことがあります。細野地区の子どもたちとは仲が良かったので、楽しい道中でした。祭りが終わってからは、別の家へお呼ばれてしていた子どもと一緒に巾地区から荒屋敷への山道を通りました。荒町を回るよりはずっと近道です。
今はどの道もほとんど分からないぐらいに藪の中かと思います。