-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

60年ぶりの再会 ミソサザイ

2019-12-12 12:35:14 | 自然

 畑沢で作業を終えて小屋の二階に上がると、突然、バタバタと羽音がしました。見ると、小鳥が部屋の中を飛び回っています。スズメよりも小さく色は地味です。咄嗟(とっさ)に「ミソサザイ」が頭に浮かびましたが、私が過去に見た個体よりも小さいような気がします。もっと小さかったならば、一発で名前を当てたのでしょうが、何とも自信がありません。それならばウグイスの仲間かなとも考えましたが、雰囲気が違うような気がして、もっと自信がありません。じっくりと観察したいのですが、忙しくあっちこっちと逃げ回り、直ぐに物陰に隠れてしまいます。それでも根気よく何度も撮影に挑戦して写したのが下の写真です。動き回りますので、三脚は使えませんしマニュアルでのピント合わせもできません。フラッシュを使い自動焦点となりました。ピンボケであるのは、御覧のとおりです。まあ、こんな写真でも私にとってはましな方です。写真を撮ってから、後で拡大して確認したところミソサザイであることが分かりました。ちょっと大きめのミソサザイのようです。

 

 写真撮影の後は、再び追いかけ回して全開した窓から外へ逃がしてやりました。ミソサザイも「とんでもない所に入ったもんだ」と生きた心地がしなかったでしょう。そこで、もう一枚をサービスしてしまいます。

 ミソサザイとの出会いは、遠い遠い昔です。小学校時代の夏休みに、千鳥川で良い子たちが芋煮会をした時です。川の大きな岩で日向ぼっこをしていると、直ぐ近くの岸の灌木の中へ出入している小さな鳥がいました。初めて見る鳥でしたので、じっと見ていて目に焼き付きました。勿論、その時は鳥の名前は分からず、分かったのは二十歳ごろに鳥好きの友人から御講釈を受けた時です。その後、千鳥川では全くミソサザイに出会うことがなかったので、もういなくなったのかな思っていました。しかし、地味な小さな鳥だったので、見つけることができなかっただけの様です。再び出会えて嬉しい限りです。

 ところで、小学校時代に千鳥川で見た様々な事は、不思議と鮮明に記憶しています。ミソサザイの外にも、川岸の岩に出入りしているコバルト色のカワセミ、深みで二つの鋏を挙げて威嚇している大きなモヅクガニ、縞模様が美しい熱帯魚のようなシマドショウ、石からチョコチョコと顔を出すカジカ、裸足を水に入れるとツンツンと足をつつくアブラハヤの幼魚の群れ、銀色の側面を見せて狩猟本能をくすぐるウグイと数え切れません。その大部分の名前を知らなかったのですが、頭に焼き付いている映像だけはずっと残っています。本当に夢のような世界でした。

 

 今度の写真はもっとピンボケですので、単独で取り上げるのは気が引けますので、ミソサザイに便乗します。アカゲラです。ミソサザイと同じ日に撮影しました。これも望遠レンズがありませんので、100mm程度のレンズで撮影したのをパソコンで無理やり拡大しました。

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雪が積もっていまたした。

2019-12-11 18:47:30 | 近況報告

 令和元年12月11日(水)に畑沢の様子を見に行きました。先週、尾花沢市が80cmも雪が積もったとのNHKの連動データの気象情報がありました。その後、天気が好転して雪が縮んで20cm台になったのですが、尾花沢市内と言っても気象庁の観測地点と畑沢とでは事情が異なります。目で確かめる必要がありました。

 11日は天気予報では尾花沢市内が10℃に上昇するというので、気分は上機嫌。しかし、濃いガスがかかり気温が上昇せずに結局、3.9℃と期待はずれに終わりました。畑沢に到着したころにはガスも薄くなったのですが、一旦、晴れた場所に再び北からガスが流れてきて、面白い景色です。中畑沢で立石山方向を撮りました。大平山は隠れています。

 

 下の写真は荒屋敷です。遠くはまだガスが濃いようです。

 

 畑沢の最南端、清水畑で大平山(宝沢山の側)と立石山が聳え、手前の田んぼの段々がくっきりと浮かび上がりました。

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サイハイラン

2019-12-10 16:52:21 | 自然

 特に珍しいものではありません。それでも一応、ラン科です。畑沢だけでなく、山形市内でも宮城県でも見たことがあります。花も質素なうえに、栽培しにくい植物です。

 秋の畑沢で山中をさまよっていたら、地面に笹の葉が雨に濡れてるような光景を見ました。ところが、笹の茎がなく、葉っぱだけが見えます。不思議に思い近づいてよく見ると、猩々の斑点があります。おっ、これはサイハイラン(采配蘭)。

 さほど人気がない蘭でも、園芸店では商品としています。この種は栽培が困難ですので、他人の山からの盗品である可能性が高いと思います。畑沢の欄は、ことごとく盗まれました。エビネ、キエビネ、クマガイソウ、シュンランなどですが、外にもあったのかもしれません。

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千鳥川ウォッチング(11)

2019-12-08 15:30:41 | 自然

 この千鳥川ウォッチングというシリーズは、直近の投稿でも1年10か月前になりますので、若干の説明をいたします。千鳥川は畑沢の南端から北端へ向かって流れ、荒町地区で朧気川へ合流する小さな川です。特に増水でもしない限りは、どの場所でも簡単に向こう岸へ渡ることができます。江戸時代から大正10年までは明らかに「畑沢川」と呼ばれていましたが、その6年後の昭和2年に青井法善氏が著した「郷土史之研究」では、「千鳥川」になっていました。短い期間で川の名前が変更されたようです。

 山形県が管理する山形県内の川は、至る所で災害復旧工事という名目で護岸工事が行われました。その工事の結果、下の写真のように間知ブロックで固められた川岸になっています。「標準設計」という画一的な手法が用いられたようです。この護岸は、一度、川に入ると容易に岸に上がれません。人を拒絶しています。

 

 ところが畑沢には、間知ブロック以外の材料が使われた護岸がありました。材料は玉石(たまいし)です。間知ブロックのようなコンクリート二次製品と比べると、工事はずっとやりにくい材料です。河原から大きさと形を揃った火山岩を調達しなければなりませんから、畑沢以外の地区から持ち込まなければなりません。間知ブロックは現場で容易に積み上げることができますが、玉石は手などで抑えながら慎重に積み上げ、隙間にモルタルを大量に用いる必要があります。当然、工事に要する時間は大幅にかかります。

 でも、私は玉石の護岸ブロックが好きです。川の水に触れている岸の表面は、大きな凹凸がありますので、流水の運動エネルギーを減少させことができ、侵食作用を減少させます。流速を抑えられれば生き物が流されにくくなりますし、凹凸地形は生き物の隠れ場所を提供します。所謂(いわゆる)、エコ(ecological)というやつです。そして、何よりも好きな理由は、凹凸があれば「手がかり」「足がかり」がありますので、岸から川面への出入りが容易です。これも今、流行りの「親水」施設とも呼べます。私にはそれが大事です。

 さて、この玉石による護岸は、いつ頃、作られたのでしょう。私が小中学生のころには、既に間知ブロックが用いられていました。日本ナチュロック株式会社のホームページによると、昭和30年ごろから間知ブロックが使われたということです。畑沢の玉石による護岸は、それ以前ですから、今から60年以上も前になるのでしょうが、何所にも壊れている箇所がりません。優れた工事です。小さな「土木歴史遺産」です。

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畑沢の初冬風景と今年最後の背炙り峠

2019-12-03 17:10:43 | 自然

  山形県のホームページで「道路規制情報」を開き、「冬季閉鎖情報」の表中、「主要地方道尾花沢関山線」の欄を見ました。簡単に申し上げますと、背炙り峠が通行可能かどうかを確認しました。すると、概要は次のとおりでした。 

尾花沢市畑沢~村山市たも山  4,600m  冬期閉鎖  全面通行止(12月3日14時~当面の間)  R01.12.03 ~
 当面の間
終日   冬期閉鎖のため当面の間全面通行止

 おっ、12月2日(月)までは通行できるようです。閉鎖を解除するのが「当面の間」と言うのが気になります。今年、は他の道路においてもこの表現を多用しています。これで県民への広報となるのでしょうか。言い逃れの準備としか言いようがありません。国会での政府答弁とどこか共通しているように感じてしまいます。雪が消えても当面の間、通行できないことになるのが心配です。

 さて、この最後の日に行かないわけにはいきません。でも、峠に直行できません。畑沢以外にも行くべき所がありました。尾花沢市の寺内地区と古殿地区です。従いまして、峠越えは帰路になります。

 さて、寺内と古殿で用事を済ませてから、荒町を経由して畑沢へ入りました。松母を過ぎると、下畑沢の景色が広がります。路面には積雪がありませんが、田んぼは薄く雪に覆われています。

 

 中畑沢と上畑沢の間から北の方角を撮りました。遠くに見える高い山は、11月13日に登った禿岳です。畑沢の人にとって、如何に禿岳が身近であるかがお分かりいただけると思う写真となりました。

 上畑沢の延命地蔵堂も雪囲いを終えました。雪囲いの一部を開放して中に入るのは、来年2月24日のオサイドの日です。

 

  実家で弁当を食べてから、古い墓石を調べるために荒屋敷地区へ行きました。荒屋敷地区の南端から「畑沢地区生涯学習推進センター」方向を撮りました。写真中央を少し斜めに見える窪地上の地形は千鳥川です。細野地区への道路が、中央を横断していて、千鳥川に橋が架かっています。なお、古い墓石については、後日、投稿する予定です。

 

 同じく荒屋敷地区から方向を変えて反対の北の方角を撮影しました。写真を撮影している時には感じなかったのですが、自宅で写真を整理していて気付いたことがあります。それは田んぼに雪が残っていないことです。不思議です。ここが他の場所と違うことと言えば、右側(東側 細野地区方向)に向けて沢が伸びていることです。そのために風が抜けやすいことと関係があるのかもしれません。ただし、この推理に自信はありません。

 

 冬は木々が葉を落としていますので、彩(いろどり)がありません。でも翌年に向けて果実が彩を添えています。柿がたわわに実っていました。柿は畑沢に限らず、収穫されることなく木に付いたままになっています。柿の実は上等な「柿酢」にすることができますが、極、少数の方が醸造するだけで、一般の方は柿の実を放置しています。私は現在、醸造に挑戦中です。木に放置したままにしておくと、困ったことにニホンザル、カモシカ、イノシシがやってくる心配があります。

 

 真っ赤な実は、ツルリンドウです。葉は完全に枯れました。葉が枯れていても不思議と名前を思い出しました。飛行機と魚以外は直ぐに忘れるのですが、覚えている植物もありました。

 

 次は数が少ないのですが、紫式部(ムラサキシキブ)です。これは葉が枯れ、実も殆ど落ちてしまいました。

 

 小さな赤い実が付いた蔓が椿の木に絡まっていました。実の形がマユミに似ていますが、実を包んでいる殻の色が全く異なりますし、蔓性の茎であることも大きな違う理由になります。この場所には昔、家がありました。椿があるのもそのためでしょう。この赤い実の植物も椿とともに、この家の方が育てていたのかもしれません。

 いつものように、閲覧して下さっている方のお力をお借りします。

 

 悪天候なので、早めに山形へ向かい、背炙り峠に上りました。この日が峠を越えられる最終日です。じっくり味わいながら、峠への道でハンドルを右へ左へ切りました。峠に着いて畑沢へ振り返ったのが下の写真です。切通しになっています、まるで、楯跡の大きな堀切の様です。

 

 峠から村山市方向を撮った写真ですが、このとおりの雲、雲、雲です。最終日ぐらいは綺麗な夕焼けを撮りたかったのですが、今年は一枚も夕焼けを撮ることができませんでした。実はこの写真を撮る前、雲間から陽が斜めに差し込んでいる絶景があったのですが、もう少し待てばさらに良い景色になるだろうと待ってしまいました。ところがこの有様です。直ぐに写してから次の機会を待てばよかったのです。

 

 最後の日という事で、甑岳が顔を出してくれました。今度は機会を逃すまいと直ぐに写しました。その後、直ぐに雲に覆われてしまいました。間一髪でした。

 

コメント (2)
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