-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

ちちゃこい修理で移植ベラの永久保存(素人技術編)

2022-01-23 19:08:08 | その他

 1月のある日、久しぶりに移植ベラをいじっていたら、ヘラ部分がぐらつきました。よく見ると、柄とヘラ部分が怪しいようです。

 表部分を拡大したところです。へらを差し込む柄の部分に大きな隙間が広がっています。腐食です。

 裏から見ても同様です。

 解体しました。へらを取り付ける柄の中から細かく割れた木の欠片が出てきました。柄とヘラを抑える木ネジも全く効き目がありません。これは以前に修理を施したことがあります。それから20年以上も経っています。柄の材質は栗材と思っていたので、長持ちするだろうと思っていましたが、見た目だけが栗材で違う木材です。へらは肉厚でまだ十分に使えます。口金も大丈夫でした。このヘラの肉厚感を気に入って、使っていました。柄が朽ちても、まだヘラの肉厚感に対する愛着は捨てきれません。

 柄を取り替えることにしました。今度こそ本当の栗材です。この程度の端材はかなりストックしています。柄のデザインは、特に考慮しません。あるがままに合わせて利用します。これも私流です。

 へらを差し込むところは、何度もドリルで掘り込みました。細かい調整には、丸い木工ヤスリをドリルの先端に取り付けて、ぐるぐる回して削りました。

 さらに柄を丸く成型し口金取り付け部を削ってヘラを差し込んだところに、挿した真鍮の釘をハンマーで鉸(かし)めて完成です。一応、水が浸透しやすい木口部には、2液混合タイプのエポキシ接着剤を温めて塗布しました。表面にも薄く塗布しています。ヘラを差込んだ大きな開口部には、木の粉をエポキシで練り込んだパテを埋め込みました。防水対策が肝要です。

 裏から見たところです。

 これで私の生存中は勿論のこと、私がいなくなっても妻子が使ってくれるでしょう。我が家の数少ない財産として、移植ベラが残っていくかな。

永久保存せよ!

 

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山家城址でカンジキのお試し

2022-01-17 15:26:16 | その他

 私の近くの野伏山には中世の山家城址があります。畑沢の背中炙り峠の楯跡よりも幾分、小さい感じですが、最上義光の家臣である山家氏の「城」だったそうです。ここで私が作ったカンジキの試し履きをしました。カンジキは何回も畑沢で使用していましたので、「いまさら」なはずですが、今だもって自信を持って履き方をマスターしていません。ところが、インターネットで様々な履き方を比べているうちに、ある履き方を思いつきました。

 そこで、そのお試しを山家城址で行いました。山家城址はへは自宅から5分程度です。下の写真の正面に見える山の上にあります。斜面には何重にも帯曲輪と思われる地形があります。それらを縫うようにして登り道があり、尾根に到達して写真の右側に行くと主曲輪と櫓台跡に到達します。

 

 ここが登り口です。小さな看板があり、自動車も3台ぐらい止まれる駐車場もあります。登り道には、何方かの足跡がありました。残念、新雪で試したかったのです。それにしても、雪で覆われているのに、私のように物好きな御仁がおられるようです。

 

 勿論、踏み跡は狭い幅です。私がカンジキで歩けば、少しだけ拡張されます。

 

 肝心のカンジキは、このように紐を結びました。意外としっかりと結ばれています。カンジキの輪っかはアブラチャンというクスノキ科の潅木です。

 

 登り始めて直ぐに鳥の羽が散乱しており、血の跡もみえます。何者かが鳥を捕まえてここで食事したようです。食べられた鳥は鳩かなと思います。食べた鳥は鷹か隼のどちらかでしょう。こんな近くで自然界の厳しい現実を見せつけられました。

 

 登り始めて10分も経たないうちに、展望台に到着です。遠くに山形駅西ビルが見えます。我が家は近くにあるのですが、小さすぎて見分けることができません。

 

 展望台で息が切れていたので、登るのを止めようかと思ったのですが、カンジキのお試しにはまだ不足だと悟り、さらに足を伸ばしました。主郭の櫓台跡に到達しました。遠くの黒っぽい横長の大きな建物は、県立中央病院です。田んぼの真ん中にポツンと立っていますので目立ちます。私はまだお世話になった事がありません。「何とかは風邪をひきません」

 

 この山にはクヌギと思われる大木が林立しています。畑沢にはない樹種です。昔ならば薪炭材として最高だったでしょうが、今は全く利用されずにスクスクと成長しています。

 

 クヌギと同じくドングリの木であるコナラらしき木もあります。こちらは畑沢でよく見かける樹皮です。ただ私はコナラとミズナラの樹皮の違いが分かりませんので、コナラではないかもしれません。

 

 息を切らしながら登り、息を切らしながら降りてきました。運動不足がこれほどとは思いませんでした。恥ずかしや、恥ずかしや。

 ところで、主目的の「カンジキのお試し」は大成功でした。カンジキの紐は全く緩んでいません。今までこんなことはありませんでした。畑沢でカンジキを履いてから何十年も経って、ようやく免許皆伝です。

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滑って、転んで でも大丈夫でした屋根の上

2022-01-11 13:46:18 | 近況報告

 令和3年1月10日(月)に畑沢へ雪降ろしに行ってきました。何日も降り続いた雪が9日には小降りになり、10日は快晴になるとの予報でしたので、喜び勇んで山形を出発です。今回は監視役として妻が同行しました。高齢者の雪降ろしでの事故が相次いでいましたので、雪に埋まった時の救援のためとのことですが、そもそも雪に埋まる可能性はありません。でも説明してもついてきましたので、拒否はしません。説明するよりも、「はい、はい」と言って適当に従うのが家庭円満になります。永年の経験から大法則を悟っています。

 この時期の雪原は、平らに広がっているのですが、この日は表面が凸凹でした。秋吉台のカルスト地形に見られるような無数の窪みがあります。昔はこのような風景は見られなかったのですが、近年はしばしば生じています。十分に積もった雪面に湿った雪や雨が降ると生じます。昔は厳冬期に雨が降るなどなかったのですが、今冬も何回か降りました。夏季はイノシシが田んぼを荒らし、冬は温暖化による雨が雪面の平穏を乱します。

 

 雪降ろしの屋根は実家の小屋です。年末にも雪降ろしに行ったのですが、既に姉夫婦が前日に作業を終えていましたので、今回が私の初雪降ろしです。屋根にとっては2回目なのに、それでも垂直方向での積雪1m以上はあります。1回目の分も加えるとかなりの量になるはずです。NHKテレビの連動データの情報では、尾花沢は1m以下になっていますが、山沿いにある畑沢はそれ以上です。

 妻は監視役に留まらず、私が落とした雪が道路に広がったので、懸命にそれを片付けています。問題は懸命になり過ぎて、肝心の役目を忘れてしまう事です。雪は何層にもなっていて、相の境界が滑り易くなっています。その滑りを利用して、より少ない力で雪を落とします。これも永年の経験で、家庭円満と共通性があります。

 比較的、順調に作業が進んだのですが、最終段階に近づくと雪が少なくなって、雪が重さを支える保持力が減少し、足元の雪が崩れ2回ほど滑って転び、トタンの面を滑りました。しかし冷静かつ的確にハゼと呼ばれるレール状のものをハッシと掴みました。去年までの私ならそれができませんでした。腕が上達していますし、着けていた手袋のゴムが効いているようです。ところで妻は滑った2回とも気付いていません。このことは、「しー」です。

 今回は屋根の東側は完全に雪が滑り落ちていて、太陽がトタンを温めて室内の温度も上がっていたはずです。室内の温められた空気は雪を降ろしている西側のトタンを温めて、トタンと雪の間に薄い水の層を生じさせ滑りやすい状態が作られていました。さらに快晴ながらも気温は上昇せずに零下のままで、雪は結束力がなく崩れやすいままでした。その二点が私が「滑った」原因です。

 しかし、もっと大きな原因は、私が命綱をセットしなかったことです。私も老化しているので、昨冬からハゼに取り付ける金具とロープを準備していたのですが、今回、雪降ろしに畑沢へ行く前に物置を探したのに見つかりませんでした。「まあ、いいか」と準備しませんでした。恥ずかしい限りです。最近は道路の除雪がより丁寧になって、軒下の雪が少なくなり、落ちた場合のクッション効果が不安な状態です。これまでは落ちても大丈夫だったのが、これからも大丈夫だとは言い切れなくなっています。安全対策は必ず必要です。

 滑った以外は問題なく作業が終わりました。青空が眩しいぜ。

 

 作業を終えて周りを見ると、雪面の凹凸が面白い陰影を見せていましたので、パチリです。遠くに見える山は古道「背中炙り越え街道」がある所です。楯跡もあります。

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