-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

これが今年最後の背炙り峠行かもね

2019-11-24 21:08:17 | 自然

 畑沢で冬支度をするために背炙り峠を通りました。山形県のホームページで道路の規制状況を見ると、他の峠越えの道の多くは、既に通行止めとなっていますので、背炙り峠も通行止めになっているのではないかと心配しましたが、背炙り峠はネットではまだのようでした。ネットでは大丈夫なようでも心配が残っていましたが、楽観的な私はどうにかなるだろうと峠道に行ったのです。幸い通れました。

 峠に至る前にいつものように村山市側にある棚田ビューポイントで道草を食いました。どうしても素通りできません。ビューポイントから見える景色は、すっかり晩秋です。厚いガスが地表面近くを覆っています。もうすこし早い時間帯だと、写真手前の中沢地区もガスで覆われていたのかもしれません。

 

 反対側の甑岳は雲の中です。沢の奥に続く田んぼは冬を待っています。

 

 山の色彩が失われようとしていますが、足元にドギツイほどの赤い実がありました。もう葉が枯れていますので、植物の名前を推測しようがありません。幹はがっちりとして強そうです。

 

 こちらは、何所でも見かける「ノブドウ」でしょう。「野の葡萄」の意味ですから、ヤマブドウの仲間なんでしょうか。

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畑沢から長年、眺めた山へ行ってきました。

2019-11-17 15:47:35 | 自然

 今から何十年か前、畑沢から常盤小学校や中学校へ登校するときに、印象的な三つの山が見えました。特に見たい訳ではないのですが毎日のように目に入りました。畑沢に生まれ育ちましたので、山は飽き飽きするほどに見ています。山の中に生まれたとまでは言いませんが、山と共に成長したことは事実です。当然、憧れるのは広い平野部と海でした。とても山へ憧れるなどは考えられませんでしたが、不思議にもこの三つの山だけには登ってみたいと思い続けました。

 学校へ出かけようと自宅を一歩外に出ると、直ぐに北の空高くに見えたのが下の写真の山です。学校はこの方向にあります。その意味では気が重くなるようなところもありました。そのころ私は宿題をまともに提出したことがありません。宿題があった翌日は特に足が重くなりました。その悪癖は高校まで続きました。ただし、私が入った高校はあまり宿題にうるさくなかったので、例えば夏休みが終わっても、そのまま元気に登校することができました。素晴らしい高校でした。口の悪い人は、その学校を「放牧場」とか「放し飼い」と言いますが、私は「仏のような学校」と思っています。わき道にそれましたので戻ります。小・中学校へは宿題をしなくても、行かなければなりません。この山へ向かって重い足取りで北へ向かいました。

 ところで「この山」の名前を誰も知りませんでしたし、私も知ったのは極、最近です。国土地理院の地形図では全く見当さえつきません。そこで考えたのがGoogleEarthを駆使することでした。空中写真を3D(立体)にして、畑沢の地点からマウスで北上すると、見慣れた山の姿が現れたのです。ぴったりと同じでした。「禿岳(かむろだけ)」です。標高1,261mで、最上町の東端にあり宮城県との県境に位置しています。

【2017年3月に撮影】

 

 畑沢地区を過ぎて松母の墓地に近づくにつれて、左側に急峻な岸壁を伴った山が現れます。通称、ナデツギヤマで、「雪崩が起きる山」の意味です。これは一般名詞と思われ、別に正式な名前があるはずです。ここには昭和49年4月に登りました。若かった頃ですから瞬く間に登ったような気がします。正直、記憶にないぐらいに楽だったのでしょう。この急峻な崖を直登したのではなくて、写真左の方になだらか斜面がありますので、そちらを登ったはずです。

【'2015年5月撮影】

 

 荒町の集落を過ぎて前田川を渡ると、右手奥に綺麗な形の山を見ることができます。ここまで来ると、やがて九日町に入り学校へは何百メートルの程度なので、着いたも同然の気持ちになります。この山の名前も知りませんでしたが、三年前に細野地区でこの山に登るイベントがありました。チラシには御堂森と書いてあり、細野地区では「オドモリ」と発音していました。お陰で二年続けて登ることができました。一見、里山程度かとも思ったのですが、ブナの大木や高山植物が見られて、味わい深い山でした。山頂には石仏が鎮座しています。その様子は、畑沢通信の畑沢の隣「細野」の御堂森に二度目の登山でした。を御覧ください。

【2014年3月撮影】

 

 結局、三つの山のうちで、まだ登った事がないのは、学校へ行くときに最初に見えた足を重くさせるあの山だけです。そう禿岳です。この山には是非とも今年中に登りたいと思い、春から機会を待っていました。ところが能天気な爺さんに見えながらも忙しい日が続きました。やっと一息つける状態になったのは、11月でした。山への登り口へ向かう「主要地方道最上鬼首線」が11月15日の正午に閉鎖されるので、天気予報を見ながら登山できる日を11月13日と定めて、じっとその日を待ちました。当日、快晴。朝7時前に山形から一直線に13号線を尾花沢へ向かい、そこから東へハンドルを切って赤倉へ抜けました。珍しくもカーナビの指示のとおりに進み、峠へ向かう最上町黒沢地区の端で、禿岳が見えてきました。見る方角とは少し異なりますが、まさしく畑沢で見えるあの山です。しかも雲一つない青空が広がっています。ここから峠までの道中には様々な光景がありましたが、あいにくと運転が精一杯の状況で、撮影なんてものは、とてもとてもできませんでした。何処かの方の素晴らしいブログを御覧ください。「山形の山や自然を写真で紹介」https://blogs.yahoo.co.jp/kasiwagurajn7vtv/26640101.htmlです。

 

 急峻な斜面を右に左に曲がりながら上へ向かいました。道路の片側は深くて急な崖です。一応、木々が生えていますが、ハンドル操作を間違えば、「奈落の底」へ落ちます。この道から見れば、背炙り峠なぞは天国です。その様子は「新・県民ケンちゃんのブログ 黒沢から花立峠への道筋風景」のブログを紹介します。

 怖い思いをしながらも、順調に花立峠に着きました。向こう側は宮城県です。そして写真中央の最上部の山は、遠く秋田県・宮城県・岩手県に跨(またが)っている栗駒山で、こちらの峠から直線距離で約25㎞です。

 

 さて、峠の下に見える宮城県側には、何やら異様な光景が広がっています。右側の山並みがきれいな円弧を描いていて、左の山並みとともに平地を囲んだ形になっていました。もしやカルデラではないかと思いました。その当てずっぽうな推測が的中しました。自宅へ帰ってから調べたら、「鬼首カルデラ」だそうです。この写真に写っているだけでもかなり大きいカルデラですが、これは全体が見えているわけではなくて、半分だけなのだそうです。左側の山並みはカルデラの中央から再び噴火して成長した中央火口丘と言うものだそうです。一つ勉強になりました。ところで、右側の山の斜面には鬼首スキー場があります。初めて知る事ばかりです。畑沢からでは、そんなことを知る由もありません。

 

 峠から少し登って山形県側を見ると、最上町の向町地区を一望することができました。こちらは山形県人なら「向町カルデラ」と知っている人が多くいます。私でさえ知っていましたし、写真を御覧いただくと直ぐに御納得いただけると思います。

 写真の左寄りの中央付近に見える少し白い頂上の山は、我らが月山です。冠雪しています。その左には葉山が写っています。

 

 肝心な畑沢は見えるでしょうか。ところが、あいにくと遠すぎて、小さく見える山々がなんであるかが分かりません。ましてや畑沢の細い「沢」を見つけるのは不可能です。そこで、自宅へ帰ってから、いつものGoogleEarthの3Dの世話になりました。花立峠の方向から畑沢の方向へマウスを動かしました。見つけることができました。確認した内容を下の写真に文字で表しました。大平山は甑岳のシルエットに取り込まれていて写真では確認できません。でも理屈上は畑沢から禿岳が見えることが立証できたような気がします。

 

 禿岳へ登る途中で宮城県側の斜面を写しました。背の高い樹木がなく笹や草などで覆われています。多雪地帯の高い山が南北に尾根を広げていると、西からの季節風により尾根の東側は吹き溜まりとなって大量の雪が積もり、樹木が成長できず、一面が草原のような状態になります。これは神室山系でも見たことがあります。偏東積雪と言うのだそうです。実にはっきりと尾根を境にして植生が区別されます。畑沢の大平山程度では 偏東積雪はありませんでした。背中炙り峠でもありませんでした。

 


 山頂では全方位を眺められました。これまで何十年も山へ登りましたが、これ程の好天に恵まれたことはありません。最近の私の善行を神仏は御存知だったようです。先ずは畑沢方向です。


 鳥海山も見えました。「出羽富士」と言われるのが分かります。富士山そのものの姿です。鳥海山の特徴は山腹から山麓部分ですが、神室山系の小又山と天狗森がそれを隠しています。

 山頂そのものを撮影することを忘れていました。立派な石柱がありました。どなたかの立派なブログに出ていましたので、それを御覧ください。

山形の山や自然を写真で紹介」です。

 


 

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台風19号は畑沢でも暴れていました。

2019-11-11 21:38:12 | 近況報告

 カテゴリーに「近況報告」と題しながら、一月以上も前のことを投稿するのかとお叱りをいただきそうです。でも、このことを知ったのは最近のことで、しかも写真は新しいものですので、どうか御理解ください。

 令和元年10月12日から13日にかけて、畑沢でも激しい雨が降りました。私の記憶の範囲内でのお話で恐縮ですが、他地域で大雨による被害があっても、畑沢での被害を見聞きしたことがありませんでした。確かに今まではそうだったのかもしれませんが、最近の天候は尋常ではありません。もう昔の経験ではお話になりません。今年はかなり千鳥川の水位も上昇し、あわや川から水が溢れるくらいになったそうです。畑沢の川は堤防を築く必要がないくらいに川底が岸から大部、下にあります。それでも今回は増水して、岸を越えようとしたとの事でした。

 そのような話を聞いていたのですが、実際に千鳥川を見に行くこともありませんでした。先日、畑沢での作業を終えて背炙り峠へ向かう道筋で、何やらいつもの光景と異なるものが目に入りました。橋の「端」が無残な姿になっているのです。県道29号線を南下して上畑沢の延命地蔵堂(かんばだのずんどさま)のすぐ下です。


 車を停めてよく見ると、橋の左側の土砂がなくなって骨組みである丸太が剥(む)き出しになっています。橋の中央から右側には土砂が残っていますが、表面には爪でひっかいたような跡が幾筋も見えます。「あっ、これは水か流れた跡だ」と直感しました。左側は水によって流されたのです。

 

 それにしても水と言うのは、橋の下を流れるものです。橋の上を水が流れるどんな事情があったのでしょうか。そこで、橋の上流部から橋の方向を見たのが下の写真です。これでよく分かりました。写真の中で白い矢印が示している線は、大量の土砂が堆積した上端です。ヒューム管(鉄筋コンクリート管)の上端を越えてさらに橋の上端をも越えています。土砂が堆積した上端は、現在の水面から1m以上あります。土砂が水の出口を完全に塞いでしまったようです。テレビを見ていると、橋の下の流れを邪魔するのは大量の流木ですが、ここの場合は流木がなさそうです。通常ならば、土砂が流れてきても、そのまま順次にヒューム管の中を流れていくはずです。でも、大量の土砂が土石流となって、一気に流れてきたならばとてもヒューム管から流れることができなくなり、管は塞がれてしまいます。

 

  橋の上から上流部を写したのが下の写真です。土砂が水平にずっと上流部まで堆積した跡が見えます。

 大量の土砂は上流部から下ってきました。これほど大量の土砂が流れる理由も分かりました。GoogleEarthで流域を見ると、何年か前に一面が伐採されていました。昔から薪や炭の材料として伐採されてきましたので、伐採そのものは珍しいことではありません。ただ昔と大きく異なるのは、伐採と運搬のために林の中を縦横無尽に作られる作業道です。重機で地が剥がされたままです。雨が降るたびに地面が侵食され、特に大雨の時には大量に侵食されて、沢筋に流れて一気に流れ下ると土石流となります。このような伐採方法は全国各地で行われるようになりました。畑沢のいろんな沢でこのような事が起きているはずです。

 さて、こういうことへの対策は誰が考えるのでしょうか。自然保護を訴える声が大きかったころは、行政も知らないふりをできずにいましたが、自然保護の声が聞こえなくなると、行政の行動が見えなくなりました。流れ出した土砂を止める工事よりも、その前に土砂が流れないようにすることが大事なのです。土砂が侵食されないような適切な方法で伐採するような林野行政が必要です。専門家ならできるはずなんですがねえ。

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背炙り峠から見える「三つの瘤の山」の名前が分かりました。岩神山でした。

2019-11-10 15:20:01 | 自然

 下の写真のように背炙り峠から村山市側を眺めると、いつも、ポコポコポコと三つの瘤(こぶ)のある山が見えます。ミツコブラクダとでも呼びたいような形です。勿論、ヒトコブラクダ(一瘤駱駝)やフタコブラクダ(二瘤駱駝)はいますが、三つの瘤がある駱駝はいません。それでも大変に特徴的な形の山です。このような形になる特別の理由があるかもしれません。

 この山が入っている写真を説明するときに、いつも山の名前が分からなかったので困っていました。ところで、下の写真は前回投稿したものと同じですが、それに瘤の所に矢印をいれました。


 これを村山市側から見た姿が下の写真です。国道13号線から林崎に入り、中沢の集落の入り口で左に曲がった時にほぼ正面にドーンと見えます。まるで大きな屏風が立ちはだかっているような圧迫感さえあります。こちらから見ても特徴的な山です。

 

 長年、分からなかったのに、ひょんなことで名前を知りました。村山市立図書館で村山市関連の書籍を眺めていた時に、「村山市の地形 ふるさとの山・河・野」に目が留まりました。写真や図が多用されていますので、分かりやすく身近な場所について丁寧な説明があります。しかも、国土地理院の地形図やGooglEarthには出てこない低い山の名前も出ています。地元の方々から熱心に聞き込んだ結果であろうと思います。大変、貴重な資料となっています。私も畑沢の山について、このような段階までに調べたいものです。

 さて、肝心のこの山の名前は、「岩神山」となっています。果たして読み方が「イワガミヤマ」なのか「イワガミサン」なのか「ガンジンザン」なのかは書かれていませんでしたが、一般常識的には「イワガミヤマ」と思われます。それにしても、「犬神家の一族」にも似た響きがあり、どこかミステリーじみています。今までは、それほどの印象もなかったのですが、平成25年ごろの「楢枯れ」で葉がまばらになって、木々の間から山肌が透けて見えます。下の写真のように岩が現れています。山腹の中位から上部が岩だらけの様です。今と異なり、昔は薪炭材として山から木が伐採されていましたので、山肌が常に見える状態だったのでしょう。その時、「岩神」と言いたいほどの怖さがあったものと思います。

 岩神山の表層地質を「5万分の1都道府県土地分類基本調査(尾花沢)」で調べると、流紋岩質岩石となっていました。流紋岩とは火山で出てきたマグマが地表で固まったもので、ケイ酸質が多く含まれています。畑沢では大平山と立石山の上部を覆っています。畑沢で「立石石」と呼んでいるとても硬い石です。硬いがゆえに侵食されないで残って、急傾斜の山を形成しています。常盤地区で流紋岩が見られるのは畑沢だけで、近くでは五十沢地区南部からこの岩神山の一帯でも見られます。

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背炙り峠の紅葉と峠からの冠雪風景

2019-11-08 16:48:38 | 自然

 前回、「背炙り峠の紅葉はまだ」と題して投稿いたしました。それから約一週間後、背炙り峠へ向かいました。令和元年11月7日(木)の朝は晴れていて、かなり気温が低い朝でしたので、紅葉と雲海が素晴らしいものと期待しました。

 背炙り峠へ村山市側から向かいました。行川(なめりが)を過ぎると少し高台になって、眺めがよくなります。停車して振り返ると、かろうじて靄っている中から西側の山並みが見えました。一番遠くの山が朝日山系です。上部が白くなっています。冠雪です。ニュースを調べると、11月5日に初冠雪ということでした。平年よりも14日、去年よりも4日遅いとのことでした。ところで、一番左の高い山が大朝日岳です。

 

 さて、雲海を期待して中沢のビューポイントに達しました。残念、雲海はありません。そもそも、ここへ到着する時刻が遅すぎます。毎年これを繰り返しています。それでも下の写真はまあまあのところでしょうか。

 

 振り返って、反対側も好きな景色です。中沢川の奥にあたります。写真の中ほどに白い煙が見えます。私はのんびりと立ち上る焚火の煙が大好きです。ゆったりとした世界へ入り込めます。

 

 峠への道の両側は確かに紅葉はしています。しかし、紅葉の真っ盛りとは言えません。むしろ少し遅くなったかなと思えるくらいです。一週間前の場合は、まだ紅葉の盛りに早い気がしたのですが、今回もぱっとしません。それでも、その中で紅葉らしいものを探した結果がこの下の写真です。

 

 色づきがいいのはイタヤカエデです。下の写真は大木を撮ったのですが、大木らしさをアピールできるものが近くにありませんので、径が40cmはあるのに、実にたわいのない小木に見えてしまいました。

 

 道路の山側を落ち葉がU字溝暗渠の蓋を覆いつくしています。

 

 峠を下って畑沢へ入ると、大平山(宝沢側)が見えます。山腹から上部は既に落葉しているようで色がありません。

 

 畑沢での仕事を終えて、再び峠に登ってきましたが、今回も美しい夕焼けを見ることができませんでした。

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