-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢の米はブランド米になれるか

2015-09-24 08:57:08 | 近況報告

 9月23日に「9月20日に刈った稲を乾燥・籾摺りしたので、持っていけー」との連絡を畑沢の田んぼを耕作している姉夫婦から受けました。私は21、22日はリフォーム作業で疲労困憊していました。コンクリートの大きな塊をハンマーとタガネで叩き割るという肉体労働はかなりキツイものです。23日は畑沢行きに決めました。

 村山市中沢(道玄)から峠へ登る入り口で、背中炙り峠一帯の楯跡が見えます。杉林となっている所は曲輪(くるわ)跡、そこから続く険しい尾根上には三つの堀切(ほりきり)跡があります。大平山がちょこんと真木山の方向で顔を出しています。

  峠道に入ると、いつものように銀山温泉からの帰りと思われる高級車と出会いました。私の後ろには軽自動車がぴったりとついてきています。狭い道路、すれ違いできません。上りか下りのどちらかが幅広い所までバックしなければなりません。私は前後から挟まれていましたので、全く身動きできません。しかし、私の前後の車は動こうとしません。仕方なく、私は車を降りて、交通整理をすることにしました。先ず、私の後ろの車の後方に少し遠いのですが広い所が見えましたので、バックしてくださるようお願いしました。ところが、バックしてくれたのですが、左右に大きく触れて路肩から外れそうになります。急いで停止してもらい、今度は下りの自動車にバックをお願いしました。あろうことかこちらもバックが苦手のようで、やはり路肩を外しそうになります。そこで、大きな声で誘導しながらようやく幅が広い所へ出ましたので、無事にすれ違いできました。すれ違う際に、道を譲っていただいたお礼を述べて、さらに「銀山温泉からの帰りですか」と尋ねたところ、照れながら頷いておられました。下りの車が離れてから、私の後続車の方に「あの車はバックが苦手のようですね」と二つの意味を込めて話しかけますと、「んだな下手だな」とおっしゃいました。「ん?‥」と思いましたが、そんなものでしょう。

 銀山温泉へ行かれる方にお願いします。背炙り峠を通られても結構ですが、その時はバック(後進)も復習しておきましょう。銀山温泉の方々は、ホームページで注意を喚起するだけでなく、もっとお客さんへ背炙り峠の実態と背炙り峠通行時のモラルを説明してください。

 

 さて、畑沢へ入ると、たった三日間で様子が変わっていました。好天気が続いたので、稲刈りが最盛期を迎えようとしていました。田んぼはいよいよ黄金色に輝き、遠くに見える大平山はじっとその様子を見守っているようです。こちら方向の大平山は「寶澤山(ほうざやま)」と呼ばれています。大正時代の石碑にも書かれているとおり、この山は村の恵を生み出す「宝の山」です。寶澤のブナ林に蓄えられた水が田んぼを潤して、稲をすくすくと育てました。

 畑沢で作られた米は特別に美味しいようです。これは我が郷土を依怙贔屓(えこひいき)しての言葉ではありません。 何年もの間、畑沢の米をもらって食べていたのですが、それがなくなって市販の米を食べたところ、畑沢産よりも格段に劣っていたのです。小さい時から畑沢の米は不味いものだと勘違いをしていました。私が小さくてまだスビタレと言われていたころ、農家で食べる米は普通の米ではありませんでした。秋に収穫された米のうち、できるだけ高く売れるように品質の良いもの全部を出荷して、品質が悪くて出荷できない米を家で食べていました。「べいせんの下」と呼んでいた米です。「べいせん」とは米選機という米を選別する篩(ふるい)の働きをする道具です。篩の目を潜って落ちてくるのは、砕けた米、実入りが悪かった米などです。

 ところが、出荷していた米はしっかりした米でしたので、かなり上質だったはずです。それを知らないで育ちましたが、最近になって初めてそのことを知りました。畑沢の水は山から流れてきた新鮮な水で、その水には、山の木々が腐葉土なった地層を透過したミネラルがたっぷりに含まれています。しかも山間(やまあい)は昼夜の寒暖の差が大きいので夜間におけるエネルギー消費が少なく、美味しさが逃げないとのことです。このエネルギーの理論については、私は自信がありませんが、何となく理屈に合っているような気もします。

 さて、この「美味しい畑沢米」は、世間に知られていません。もったいない話です。ブランド米という言葉が流行っています。全国各地で苦労して開発した米を盛んに宣伝しています。確かに品種改良して美味しさを追及することも大事なことですが、産地による美味しさの違いがあることも事実です。平野部に比べて、山間は温度と日照時間で劣りますが、地球温暖化が進行している昨今では涼しい場所のほうが適地と言えます。もちろん、山間の稲作は単位面積当たりの収穫量は、平野部と比べて劣っています。しかし、単位面積当たりの収穫量が少ないことが美味しい理由だと聞きました。収穫量が少ないと、稲に吸収されるミネラル分が濃くなるのだそうです。肥料を多めにして収穫量を増やしても、山から流れてくるミネラル分には限りがあるので、味が落ちてしまうそうです。現代の農業技術指導では教えないことです。長年、経験した者だけが知っている米の味です。もらってきた畑沢米は、初孫に食べさせます。

 こんなに美味しい畑沢米をブランド化できないでしょうか。残念ながら畑沢に残っている人たちだけでは、この企画を立案・遂行できません。あんなに「地方創生」だの「ふるさと創生」と騒いでいるのですから、これしきのことはすぐできると思うのですが、リタイアして無位の私では無力で何もできません。せめて、正直に畑沢米の素晴らしさをブログに投稿するだけです。ブログを読んだ人は、こっそりと畑沢米を個人的に契約されて購入することをお勧めします。畑沢出身の人は、まだ畑沢に知り合いがおられるでしょうから、頼んでみてはいかがでしょう。 

 

 もらった米を自動車に積んで峠を下る帰り道、湧水が落ち葉で汚れているのを見つけました。今は誰も掃除してくれませんので、せめて私だけでもと通りかかったときは、必ず清掃しています。

 素手で水を掻き出しているときに手に小さな石ころのような感触がありました。よく見るとカワニナです。カワニナは巻貝ですので、飛んでくることはできません。ずっと下の沢から長年かけてこの湧水まで辿り着いたようです。この湧水は飲用ですので、カワニナは相応しくないのですが、ここまで何世代もかかって登ってきたことに敬意を表して、また水中に戻してあげました。ところで、カワニナはゲンジボタルやヘイケボタルの幼虫が餌にします。

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稲刈りじゃー

2015-09-20 21:38:38 | 近況報告

 雨が続いたのとリフォーム作業の山場のために、二週間も畑沢へ行っていませんでした。しかし、ようやく天気が落ち着き田んぼの水も引いたので、「稲刈りじゃー」の掛け声を聞いて畑沢へ妻と出かけました。稲刈りと言ってもどこでもやっているわけではなくて、早生種のみです。

 背炙り峠へ向かう途中、中沢の水田を見下ろす「中沢の棚田ビューポイント」から村山市の水田地帯を遠望しました。ここでもまだ稲刈りは始まっていませんが、黄金色が一面に広がる風景は見事です。峠へ登る途中で、銀山温泉からの帰りと思われる県外ナンバーの自動車とすれ違いました。BMWの高級スポーツカーでした。山道は狭くて二台がすれ違うことができません。所々にすれ違いできるように幅を広げた場所がありますので、そこで待機するかそこまでバックしなければなりません。原則としては、下りの自動車が道を譲るのですが、必ずしもすれ違いの場所が丁度よい具合にはありませんので、登りの車が譲る場合も同じくらい道を譲ります。しかし、どうも高級車にお乗りの方々は、道を譲ってあげても頭を下げることができない人が多いようです。私たちの地元の人は違います。道を譲るほうでさえも頭を下げます。

  今日の千鳥川は、ほぼ平時の水位に戻っていましたが、過日、関東と東北に大きな水害をもたらした大雨の時には、畑沢でも水位がかなり上がったようです。写真の護岸ブロックをよく見ると、真ん中ほどまで色が変わっています。そのあたりまで水位が上がったのでしょう。昔から畑沢では水害がありません。川底が低いだけでなく、うまく水位を調整する仕組みがあるようです。水害もないが、日照りもない不思議な場所です。

 大雨は止みましたが、昨晩、何故か畑沢だけに雨が降りました。お陰でせっかく乾いた田んぼがまた濡れてしまいました。田んぼの土がぬかるんで、コンバインのキャタピラがカーブのところで四苦八苦していました。

 それでも青空と心地よい風に恵まれて、稲刈りは大きなトラブルもなく何とか進みました。

 コンバインが主体ですが、自家消費分は「はせがき」に掛けて自然乾燥です。はせがけは今では珍しい光景になりました。

 稲刈りの手を休めて、田んぼ脇の溝を見ると、ツリフネソウです。今年は色が濃くて鮮やかに見えます。

 雑草と言われている田んぼの嫌われもののコナギが、小さくてもインパクトのある花を咲かせていました。これで直径1cm程度です。

 私にはキバナニガナにしか見えないのですが、果たして何の花でしょう。春に咲くはずの花が秋にちらほら咲いていました。

 これは何の花でしょうか。しそ科の植物のように見えます。根拠はありませんが、素人の勘です。

 ヤマアカガエルです。この場所で、アカガエルの仲間を三種類見ました。トノサマガエル、ツチガエル、ヤマアカガエルです。ここには、さらにアオガエル科のモリアオガエルもいます。こんなとこ今では珍しいでしょう。

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今日も雨の中

2015-09-07 17:31:14 | 近況報告

 再びNPO法人おもだか水辺の生き物保全会の仕事で尾花沢市の福原地区に行ってきました。尾花沢市内は朝から雨模様で、11時半ごろには「ピカッ」と閃光があり、続いて「ガガーン」と雷鳴が轟きました。それも、いきなりでしたから、スビタレらしく驚いてしまいました。


 仕事を終えて、畑沢へ向かう途中、常盤公民館へ立ち寄りました。昔は畑沢にも「畑沢公民館(分校)」というものがありましたが、今は常盤地区全体で一つの公民館が昔の常盤支所の場所にあります。今日は、そこで「延沢城跡国指定史跡三十周年記念式典並びに祝賀会」の申し込みをしてきました。畑沢の某先輩も出席されるとの話を聞いていましたので、会場でお会いできそうです。畑沢以外の常盤地区の方々にもお会いできるのではないかとも期待しています。9月10日までの申し込み期限になっていて、まだ席に余裕がありそうでした。申し込みたい方は、常盤公民館へお尋ねください。一緒にどうですか。

 さて、畑沢へ入ると、不思議な現象に気づきました。まだ9月の上旬なのに、山の木々に色の違いが出始めているのです。紅葉と言うには早いのですが、このあいだまでは山一面が同色だったのに、ポツリポツリと色が変わってきているのが見えます。今年は寒い日が続いていますので、気の早い樹木は秋の準備をしたのかと思ってしまいます。稲は順調に穂を充実させています。

 田んぼの脇の水路に目を奪われました。懐かしい水路の姿です、畑沢でも水路はほとんど「U字溝」というコンクリート製に代わってしまいました。それが、素掘りのままの水路があったのです。素掘りの水路は、活き活きした感じがしていいですね。

 確かに生き物が豊富です。ゲンジボタルや平家ボタルの幼虫が食べるカワニナが沢山いました。

 背炙り峠へ向かう途中で、延命地蔵堂(上のずんどさま)近くで道草です。見たことがない花が咲いていました。きれいな花だけ見えますが、葉が見えません。野生種でなく園芸種かと思われます。上畑沢の方々は花が好きですので、何方かが植えたのでしょう。

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不順な天候続き  (不純ではありませんでした。)

2015-09-01 09:11:14 | 近況報告

 NPO法人おもだか水辺の生き物保全会の業務で尾花沢へ行き、その足で畑沢へ回りましたが、もう夕方になってしまいました。山形へ帰るために背炙り峠へ近づくと、左側に大平山がいつもよりも尊大に聳えていました。かつての採石で無残に切り裂かれた立石山の山肌は雲に隠れ、大平山と一体になった大きな山容が高山をイメージさせています。

 七月から八月中旬までが猛暑が続き、その後は一転して太陽が姿を隠し、低温が続いています。今年の稲作は例年よりもやや良と言われていましたが、果たしてこのまま順調に推移してくれるのでしょうか。九月の中旬には稲刈りが始まります。天候が回復して水田が乾燥してくれないと、コンバインが入れません。今週の後半の天気予報には、晴れマークがちょこちょことお淑やかに顔を出していますが、もっと大胆に晴れマークが出てもらいたいものです。

 この日、畑沢の隣の隣の区長から

「畑沢から五十沢へ出て、さらに湯船沢温泉へ抜けるトンネルの話というのは、あるのか」

と聞かれました。それに対して、私のいい加減な回答は、

「そんな話聞いたことない。大分、前には背炙り峠にトンネルを通すという法螺に村人が翻弄されて選挙で燃えていた」

というものでした。しかし、畑沢の先輩に聞くと、

「前々代の尾花沢市長の時に、向かい地区から五十沢へ抜けるトンネルの計画があり、実際にトンネルへの取り付け道路として向かい地区に幅が広い道路が作られ、五十沢側もトンネルのところまで道路が作られた」

「ところが、市長の交代があり、国道13号線と五十沢からの道路との交差点も改良されたので、トンネルの話はなくなった」

というものでした。私が畑沢を離れて、畑沢の方々と疎遠になってからの40年間もの間に、いろいろなことがあったようです。

 

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